第9話 潮風




 ゲームをしようとテレビを点ければそこには懐かしい物が映っていた。金色の髪に白い肌、そして長い耳。エルフである。


「ほー、これが異世界人って奴か。随分と綺麗さんじゃのう」

「エルフは異世界人の一種に過ぎねえがな。あと何が居たっけ? 人間とドワーフと獣人と子人と巨人と魔人と……まあひっくるめて人だ」

「種族の多さの割に、国は一つしかないんじゃのう。統一政府を作るとは中々発展しているようじゃな」

「まーねー。魔王に対抗する為には人同士の争いなんて邪魔なだけだったからな」

「そう言えば、貴様は国を作ったと言っていたな?」


 そう言って、週刊誌を読んでいたメルニウスが顔を上げた。


「統一事業も貴様の功績か? であれば中々の手腕ではないか。ほんの少しだけ見直してやろう」

「少しかよ」

「しかし、道理でエルフ代表としか出てないわけだ。王はあちらには存在しないのだな」


 テレビの中では懐かしい顔が勢揃いして政府の人と歓談している。元商人のオッサンなど慣れぬ正装に落ち着かない様子で、妙に明後日の方向を眺めていやがらあ。


 しかしお姫様はいつも通りで安心した。いつも通りにぶっ壊れていやがる。凍ったような美貌が鋭く政府高官を睨み付け、何事かを話していた。


「懐かしいなあ。少し前に別れたばかりだってのに、もう懐かしいや。つかいつの間に進めてたのこの会談。俺聞いてねえんだけど」

「哀れじゃのう。お主は鉄砲玉であったか。この世界に帰るのには苦労したか?」

「まあ多少は。面倒臭い儀式をぐちゃぐちゃやるのは大変だったぜ」


 けーっと愚痴をこぼしながらテレビにゲームを繋ぐ。それで画面は切り替わり、楽しい格ゲーの始まりである。


 対戦系のゲームはカナナナくんが強いが、反射神経が必要なタイプは俺の独壇場である。だから最近は誰も対戦してくれない。ネットが繋がらないからCPUと戦うしかない。悲しいね……。


 と、対戦を始めようと思った途端、「カナナナくうん、面会の時間ですよう」とみそぎさんが現れた。最近こんなんばっかだな。


「面会? お父さんお母さんでも来るのかい? メロンの一つや二つありゃ良いがな」

「ぼくにはパパもママも居ないよ! 血縁上のそれは勿論居るんだけど、見えないや!」

「そっかあ」


 じゃあ面会しに来るのは誰だよ。とカナナナくんの頭をガシガシ掻きながら、三重の扉を潜って地上へ。グラウンドを見ればそこにはヘリが留まっており、そこから離れて運動会で使うような白色のテントが設営されていた。そこには黒スーツの人々が屯し、こちらを見つめていた。


 内一人がにこやかな笑みを見せて寄ってくる。一見して感じの良い壮年の男である。胸元には小さな金色のバッジを付け、細身の身体には品が満ちている。


「や、カナナナくん。久しぶりだね。どうやらまた増えたようだが、虐められていないかい?」

「東一郎おじさんも久しぶり! カワセミお兄ちゃんは優しい人だよ! ゲームでは意地悪だけどね」

「あんな目をゲームに持ち込んでくる方が意地悪だろ」


 男は屈んでカナナナくんと視線を合わせ、にこやかに握手をした。「三百人委員会の芦屋東一郎さんです」とマムロ先生が親しみを込めて男を紹介する。おい。


「どうも、芦屋東一郎といいます。委員会では主に異世界との交渉を担当しています」

「おいおい陰謀論の世界じゃねえか。人見翡翠こと元勇者様だ。よろしく」

「よろしくお願いします。十年前の風評ほど悪辣な組織ではないんですけどね」

「それで、俺とは握手しないのかい」

「規約上、貴方達と触れてはいけないことになっていますので、申し訳ありませんね。カナナナくんに関しては、まあ、ちょっとした特例で」


「さ、ジュースを用意してあるよ」とカナナナくんを引っ張っていく姿に邪悪は見られない。事実、マムロ先生は先日の軍人共とは正反対の態度で、安心してカナナナくんを預けているようである。


 しかし、幾ら運動会のテント染みた場所とは言え、議員と相対する少年を、黒スーツの大人が警戒を露わに取り囲んでいる光景は、少々奇怪と言わざるを得ない。


 と言うか怪しい。碌でもないことに巻き込まれてそう、と子供じみた感想を抱く。


「……まあ、カナナナくんにとって不都合なことがあれば、その目が勝手に警告を発してくれるのでしょうけど」

「たとえ芦屋が完全無欠な善人だろうと、その結果として陰謀が動いているかも知れないってのは?」

「……私に聞かれても、分かりませんよ。ただ、こうして接触を図っていると言うことは、何らかの利用価値は見出しているのでしょうね」


「……私とは違い、カナナナくんは、結構世界に愛されているのです」と、オワリちゃんは遠くを見つめるようにして言った。


「なんだい嫉妬かい? 良いことだ。存分に嫉妬しろよ。君にはそれが必要だろう」

「……え、喧嘩売ってます?」

「売ってない売ってない。だって君は、ずっと死にたそうにしているからな。少しでもそういう気持ちを持てば良いって話」

「……ああ、そう言えば、そうですね。ふふ、嫉妬の気持ちは生きる気持ち、でしょうか」


 カラカラと、みそぎさんの手によって、車輪はグラウンドの上を転がる。海が見える。空と海の狭間に白がある。白い少女。髪色も目の色も肌の色も淡い、夢幻のような少女が車椅子に座っている。


 オワリちゃんは海を見つめ、ふと、振り返った。真っ白な髪が潮風に靡く。彼女は一つ笑って言った。


「……カワセミさん、海を見に行きましょう。みそぎさん、代わってくれますか?」

「良いですよう。きゃは、青春ですかあ?」

「……ふふ、ショッキングピンクは、海の青色の前だと、目を惹きすぎますので」

「私が邪魔って事ですかあ! うわあんショックですよう」


 大袈裟に騒いで、みそぎさんは「マムロ先生ー。慰めて下さいー!」と鉄扉の中へと帰って行った。スーツさん達が発狂しちまうからマムロ先生は中に籠もっているのだが、それでみそぎさんまで帰ってしまうと見張りをする人が誰も居なくなるのだが、いいのだろうか?


「ま、良いか。別に脱走するわけでもないし」


 そう言って俺は車椅子を押していく。軽い。車椅子もそうだが、本当に人間が乗っているのだろうか。カラカラと回る車輪は空回りしているようで、労せず地面を転がっていく。


「えーなんですかい旦那ぁ俺に挨拶はないんですかいお偉いさんが出てくるって話だから大人しく監視に徹していたってのに無視するとかひでえや」

「……ふふ、ごめんなさい。これからデートなんです」

「ええー! 狡いですよお嬢さん俺だって旦那とデートしてえなあこのロリコン野郎がけっ下らねえ死んじまえ嘘嘘嘘ですぜ旦那ぁ俺が旦那に愛想尽かす訳がねえでしょうがひひひ」

「お前は相変わらずうるさいな。スーツの奴等が睨んでるぞ」

「まあ出てくるなとは言われてやしたからね俺のような奴がお偉いさんにお目通りすること自体が問題だってへへへ面倒くせえ世の中ですよねぇんな顔をして殺すも殺されるも俺のような奴にやらせている癖してよお」


 アラタメは普段より饒舌で、どうやら愚痴をこぼしているようだった。いや饒舌なのか? 普段と余り変わらないような気がする。


 しかし「それじゃあデートを楽しんで下さいねえお嬢さん!」と大人しく消えたのは意外であった。「……気を遣える人なんですよ」オワリちゃんは彼女をそう評すが、この子もこの子で基準が狂っているので参考にはならん。


 グラウンドの広がりが終わる場所、船着き場へと繋がる道は階段になっている。スロープは取り付けられておらず、階段そのものも古い、罅の入った物で、俺は車椅子を持ち上げてそこを下っていった。


 降りきれば、そこは簡素な船着き場である。砂浜すらなく、左右を見れば断崖が島の輪郭を形成しているようである。


 コンクリートで固められた船着き場は小さく、散策にもならない。しかしオワリちゃんは楽しそうに海を眺め、「……帽子を持ってくるべきでした」と手で髪を抑えている。


「……カワセミさんは、海を泳いだことがありますか? 私はありません。こんな身体なものですから」

「海も川も湖も、と言いたいところだが、生憎プールでしか泳いだことがない。水中の敵は誘き出すか、水を割るか蒸発させるかでしか戦ったことがないからな」


 そうなると、俺の明確な弱点は水中ということになるのか。考えてみると、一度も水中で剣を振ったことがない。まあ、わざわざ相手の有利なフィールドで戦う義理などないので当たり前だが。


 海面から照り返す日光に、船着き場は白く輝いている。その中にオワリちゃんは溶けるようだ。白い髪と肌の輪郭が、輝きの中に朧気となり、曖昧に淡く消えていく。そんな幻視をする。


 暫く無言に海を見つめていた。果てしなく青い。空も海も青く遠く果てがない。静かだった。波音の繰り返しの中に静寂は軽やかに降りている。その内に、ふと彼女は呟いた。


「……美とは、自ら立つ物でなければならない」

「まだ覚えていたのか」

「……振られ文句ですから、忘れませんよ」


「私は貴方のことが好きなのかも知れません」両手を空に掲げて彼女は言った。「貴方は私を殺せます。貴方だけが私を殺せる。これって運命だと思いませんか?」


 白い掌が、青空に鮮烈に輝いている。


 色のない瞳が、下から俺を見つめていた。


「人の世に、貴方のような人間が、居て良いはずがないのだから」


 俺は笑った。同じ事を言われたことがあった。その時は、何だったか。何だったか? 酷く寒々とした気持ちだったのを覚えている。


 だが「止めて下さいよ。私に誰かを重ねるのは」彼女は不満げに唇を尖らせた。


 子供のようだ。子供だろう。彼女は子供だった。


「アーシェ・アシェラ・アシラト」

「はい?」

「俺のお姫様の名前だ。今日テレビに出てただろう」

「あは、昔の女ですか」

「そう簡単に片付けられる相手じゃない。俺とお姫様は結婚式だって挙げたんだぜ」

「……へえ」


 俺は十七歳で、お姫様は十五歳と、どちらも子供の、形式だけの物だったが、それでも幸せではあった。


 俺は彼女を見ず、彼女も俺を見なかったが、だからこそ幸せだった。勇者とお姫様は、まだ勇者とお姫様をやれていたのだから。


「暑いね」

「飛び込んでしまいましょうか、海に」

「後で後悔するから止めとこう。みそぎさんも怒りそうだ」


「行こう、オワリちゃん」そう言って俺は車椅子を持ち上げた。彼女は腕を伸ばして俺の首に絡める。冷たい肌だった。


 グラウンドに戻ればカナナナくんが手を振っていた。カラカラと車椅子を押して近づいて行く。


「東一郎おじさんが、カワセミお兄ちゃんに挨拶したいんだってさ!」

「申し訳ありませんね、カナナナくんとの約束が先だったものですから。しかし、どうしても聞きたいことがありまして」

「ん、なんだよ」


 芦屋は俺を観察するように見つめ、「いやね」とちょっと間を置いて、話しづらそうに言った。


「そろそろ戻りませんか? 元勇者の人見さん。私としても、分からないんですよ。どうして貴方はここに居るのか」

「なんだい、異世界との交渉を担当してるって話は嘘なのか?」

「本当ですよ。本当だからこそ分からないのです。あのお方に、秘密裏に輸送してくれと言われて、とても困ったのですから」

「あのお方」

「異世界の女王……姫と、彼女は称しておりましたが」

「ああ……」


 お姫様だったのか。そりゃあそうだよな。


 はは。報償のつもりだろうか。心尽くしのつもりだろうか。眠れる場所を用意してくれたのは。


 そんな心遣いは苦しいだけだというのに。


「こちらから提供できる場所として候補に挙げましたが、まさか本当に了承されるとは思わず、また、本当に住み着くとは思っていませんでしたよ」

「いやいや、ここは気に入っているよ。のんびりとしていて程良く退屈しない。最高だぜ」

「それで、戻りませんか」

「戻らない」

「そうですか」


 芦屋は苦笑し、「面倒なことになるなあ」と呟いた。


「なんだい、外交問題に発展するかい?」

「もしかしたら。貴方が生きているという事は、我々の想像以上に問題らしいですね」

「何せ救世の勇者様だからなあ!」

「それが全くの冗談じゃないから困りますよ、救世主様」


 そう言って、何事もなく芦屋さんは帰っていった。


 ぶんぶんと振られるカナナナくんの腕に対し、ヘリの窓から緩やかに手を振って、それでさよなら。この間の軍人達とは違い、穏やかな別れだった。



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