【第五話(2)】 何者でも無い彼女(後編)

一ノ瀬 有紀。その名前を呼ばれた女性、noiseノイズはぴたりと素振りの動作を止めて千戸 誠司の方を振り向く。

素知そしらぬ顔をしているが、短剣を握る手は微かに震えていた。

「……私は、そんな名前を知らない。私は……」

彼女が動揺しているのは明確だった。千戸はその隙を逃すまいとたたみ掛ける。

「思えば、最初にお前が発した言葉からおかしかった」

「……何がだ」


『おい、立てよ勇者様』


noiseは自分自身が発した言葉を思い出す。血溜まりの中に片膝を突いた瀬川 怜輝の前に立ちはだかった時に発した言葉だ。

「何がおかしいと言うんだ」

しらを切るように彼女はぶっきらぼうに言葉を返す。彼女の言葉に千戸は首を横に振った。

「あの配信の中で、セイレイを”勇者”と言ったのは俺だけなんだ」

「……!」

その言葉にハッとしたnoiseの手から、短剣がこぼれ落ちる。風化したアスファルトの床に跳ねたそれは、軽い金属音を立てた。

呆然と立ち尽くす彼女の姿は、もはや答え合わせでしかない。千戸は最後に確認するように、ベンチから立ち上がり彼女に近づく。

「スピーカーから漏れた俺の声。その声の主に一つの可能性を見出したからこそ。お前は扉から出るタイミングを遅らせ、俺達――いや、俺に正体を察せられないように顔を背け続けた。違うか」

落ちた短剣を拾い上げ、彼女へと差し出す。


一ノ瀬 有紀いちのせ ゆきは観念したように短剣を受け取り、肩を落として溜息を付く。

そこに居たのは、覇気の抜けた、たった一人の成人女性の姿でしか無かった。

「……一体、いつから気付いていたんですか……?」

千戸は頭をポリポリと掻きながら、どこか気恥ずかしそうに答える。

「希望的観測があったのもあるが……正直、あのまま毅然とした姿でいたなら気付かなかっただろうな」

だとしたら、一体何故。

そう疑問が湧く一ノ瀬はじっと彼の方を黙って見つめた。視線の意図に気付いた千戸は、言葉を選ぶように腕を組んだ。しばらくしてから、再び言葉を続ける。

「あまりにも、お前は行動が素直すぎるんだ。行動の端々から本心が漏れている、十年前と何一つ変わっていない」

千戸が苦笑を漏らしながらそう答えると、徐々に一ノ瀬の肩が震え始めた。

「……何が」

「ん?」

「千戸先生に私の一体何が分かると言うんですかっ!?」

一ノ瀬は苛立ったように叫ぶ。誰も居ない、静寂の公園内に彼女の悲痛に満ちた声が残響した。

その言葉に千戸は彼女から距離を取り、再びベンチにどすりと勢いのままに腰掛けた。

そして、じっと彼女を観察するように見据える。正確には、彼女が右手に持つ短剣を。

「一ノ瀬、お前は短剣を持って魔物と戦ってきたんだよな?」

「それが、一体どうしたと」

「だとしたら、何故セイレイにあの剣を渡すことが出来た?」

一ノ瀬の言葉を遮って、千戸は言葉を続けた。

反論にきゅうした彼女は、動揺したように後ずさりする。恐らく、彼女自身も自覚していなかったことなのだと千戸は気付いた。

「わ、私は……たまたま持っていただけで」

「ゴブリンの攻撃を弾くのにも短剣を投げて使っていたよな?一人で戦うなら使う事の無いはずの、嵩張かさばるだけの片手剣をたまたま、か?」

「……私は……」

「本当は、誰かと一緒に戦いたかった。一緒に困難に立ち向かう仲間が欲しかった、ってところじゃないのか」

「……っ」

一ノ瀬は、やがて小さく息を呑んだ。その言葉を否定するように、何度も何度も大きく首を横に振る。

それ以上は、千戸はたたみ掛けることはしなかった。黙って、彼女の目をじっと見つめ続ける。


しばらくして、観念したように項垂うなだれた一ノ瀬は、千戸の隣にゆっくりと座った。

彼女は小さく息を吐き、遠くに沈む夕日を眺めるようにして自嘲じみた笑みを零す。

「はは……千戸先生には、本当にかないませんね……」

「伊達に生徒の事は観察していないからな」

そこで言葉を切り、いや、と千戸は首を横に小さく振った。

「……というのは嘘で、お前とセイレイはどこか似ているところがあったからな。どこか姿を重ねていたんだ」

セイレイと、ですか?」

不思議そうに首を傾げた一ノ瀬。千戸は首を縦に振り、彼女の問いかけに肯定する。

「ああ、お前もセイレイも、他人との信頼を大切にしているからな」

「他人……私には、もう」

彼女はジーンズのすそを掴み、悔しそうに歯ぎしりする。

千戸との話の中で一ノ瀬が思い出したのは、魔災に見舞われたあの日のことだ。

彼女の脳裏を過るのは、数多の岩に貫かれた学校の姿。

窓ガラスに付着した大量の血飛沫。もはや人々の悲鳴すら聞こえない、静寂と化した母校を思い出す。

両親、親友、想い人。その全てを失った日のことを一ノ瀬は否が応でも思い出さざるを得なかった。

「……すまない、辛いことを思い出させたな」

彼女の肩を叩き、千戸はまるで自分自身のことのように悔しそうに俯く。

「いえ……大丈夫です、すみません……」

「……なあ、一ノ瀬。お前は今日まで、一人で生きてきたのか?」

ふと思い立った疑問を千戸はぶつける。一ノ瀬は一瞬キョトンとした表情を向けたが、やがてかげりの帯びた笑みを浮かべた。

「……はい。私は……ずっと、一人でした、いえ、厳密にはずっと一人だったわけではないのですが」

「誰かと行動を共にした時期があったのか?」

確認するように千戸が返すと、何故か一ノ瀬は失言したと言わんばかりに口籠くちごもった。目線を逸らし、言い訳がましく呟く。

「……いえ、忘れてください。何でもありません……」

そう返す一ノ瀬は、強く左腕で自分の身体を抱きかかえる。肩は震え、短剣を握る力が強まっているのが如実に伝わった。

――明らかに、大きなトラウマを抱えているのは明白だ。

千戸はそれ以上問い詰めることはせず、「そうか」とだけ返した。


そうこうしていると、突如として自然公園の一角にある、草木が伸びきった生け垣がガサガサと揺れ始めた。

警戒するように一ノ瀬はその方向をじっと見つめる。

やがて、男女がボソボソと話している声がそこから漏れ始めた。


「おい、瀬川君これ以上は見つかるって」

「だって聞こえねーもん、いけるいける」

「ちょっと二人とも押さないで、これ以上は駄目ですっ」


「……」

一ノ瀬は、更に警戒を強める……というよりは冷ややかな目でその方向をじっと注視する。ベンチから立ち上がった彼女は、床に転がっていた石を拾い上げた。

そして、それを石垣に向けて鋭く放り投げる。

草木に直撃したそれは、大きな葉擦れ音を引き起こした。それは彼等に命中はせずとも、驚かすには十分な効果を持っていた。

「わっ!?」「きゃあっ!!」「うおっ!!」

生け垣から、彼等はまるでドミノ倒しのように、崩れたまま二人の前に姿を現す。

「……先生」

一ノ瀬は呆れたように溜息を付きながら、千戸の方を見やる。すると、千戸もこめかみを押さえるようにして溜息を付いていた。

「お前ら……大人しく戻ってろって言ったよな……?須藤さんまで……」

「あ、あー……いや、あはは……」

須藤 來夢すとう らいむは誤魔化すように、乾いた笑いを零す。セイレイ――瀬川 怜輝せがわ れいきはせっつくように、須藤を肘で小突く。

「ストー兄ちゃんが、謝りたいって言うからさあ。穂澄がセンセーの後を付けてみたら良いと思う、って」

「あっ!こら、セイレイ君!!それは言わない約束でしょ!?」

瀬川にそう曝露ばくろされた前園 穂澄まえぞの ほずみは慌てた様子で手をばたつかせる。先ほどまでのしんみりとした空気は、一気に賑やかなものになった。

その最中、須藤はゆっくりと起き上がり、一ノ瀬の前に立つ。

彼は一ノ瀬に向けて、深々と頭を下げた。

「……noiseさん、さっきは申し訳なかった」

「……良いのか?私はこの少年を見殺しにしようとしたんだぞ?」

一ノ瀬は、瀬川の方をチラリと見やりながら言葉を返す。だが、それに反論したのは瀬川だった。

起き上がった彼は、須藤の前に立つようにして近づく。

「noise姉ちゃん」

「ね、姉ちゃん?」

困惑する一ノ瀬を余所に、瀬川は言葉を続ける。

「姉ちゃんはさ、優しいのになんでそうやって自分を悪者に仕立てようとするの?」

「……別に、優しくはないだろう」

そっぽを向く彼女。だが、それを逃すまいと瀬川は更に一ノ瀬との距離を縮める。

「ううん、姉ちゃんは凄く優しい人だよ。姉ちゃんが居なかったら、俺はあのまま死んでたよ?」

「それは、ただ有益な情報が欲しかっただけだ……」

「わざわざ矢を抜いて包帯まで巻いてくれたこと、って何か姉ちゃんにとって良いことあるの?」

「……」

瀬川は自らの左腕に巻かれた包帯を見せつけるように近づける。反論材料を失い、黙りこくる一ノ瀬を見て前園はおかしそうに笑みを零す。

「セイレイ君、いつもこうなんですよ。他人が辛い思いをしているのが許せないみたいで……」

「私が辛い思いをしている、と?」

「え?違うんですか?わざわざ他人を遠ざけるために、自分が悪者扱いされる方向に動いているように見えますけど」

なんてことのないように、前園はキョトンとした表情で返事した。一ノ瀬は言葉に詰まり、彼等の顔をまともに見ることが出来ず背を向ける。

千戸は困ったような笑顔を浮かべて彼女の肩を叩く。

「どれだけ自分を偽っても、あの子達の前では通用しないみたいだな」

彼の言葉に、一ノ瀬は直接返事はしなかった。大きく溜息を付き、頭を下げ続ける須藤の方を見る。

「……須藤、お前の拠点に連れて行ってくれるか?お互いの情報を共有しよう」

「……あ、ああ!!もちろんだ。こちらこそよろしく頼むよ」

一ノ瀬の言葉に、須藤は頭を上げて嬉しそうな笑顔を浮かべた。そして、拠点に案内するべく「こっちだ」と一足先に動き始める。

彼女は彼にそのまま付いていこうと動き始める。しかし、その動きを妨げるように前園が彼女の隣に立った。

「……どうした、穂澄、だよな?」

「……大丈夫ですよ、一ノ瀬さん」

「……!会話、聞こえていたのか?」        

一ノ瀬はきょろきょろと瀬川と須藤の男性陣を交互に見比べて、前園に尋ねる。だが、彼女はどこか楽しげな表情で口元を隠すようにくすくすと笑った。

「聞こえていたのは私だけです。男二人は聞こえてないみたいですよ」

「おーい、何話してるんだ、早く来いよー」

遠くから須藤が催促する声が響く。一ノ瀬は安堵あんどの溜息を付いた後、前園と共に歩みを進め始めた。

「……なら良いんだが。これはあれか?女同士の秘密、ってやつか」

「そういうやつですっ!」

どこか弾んだ声音でそう返事した彼女は、まるでその言葉の波長を体で表現するように楽しげにスキップしながら一足先に進んでいった。

その後ろ姿を遠巻きに眺めながら、一ノ瀬は思わず笑みを零す。

「強さは、一つの要素だけでは決まらない……な、やっぱり」

彼女には、彼等には自分とは異なる側面の強さがあることに気付いていた。


To Be Continued……

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