【第一話(3)】 冒険の書がつくられる前のお話(後編)
9歳の頃だった。
俺は、この集落の皆に拾われた。俺達三人が食べるものに困ってしまって辛かった時に、その集落に辿り着いた。
得体の知れない俺達だから、正直邪険に扱われても仕方ないよな、と心のどこかで諦めていたのを覚えている。
けど、彼らは俺達の事情も聞くこと無く、根菜類がたくさん入った味噌汁を与えてくれた。
「俺達が悪い人だって思わないの?」
他人の善意に戸惑った俺は、思わずそう疑問を投げかけた。だけど、調理担当の優しい人相が現れたおばちゃんは俺達に微笑む。
「いつの時代も、皆が生きているから私達は生きているんだよ。悪い人かいい人か、判断するのは生きてから、だよ」
他人が生きているから、自分達も生きている。
その言葉は俺の胸の奥深くに深々と突き刺さった。魔災で多くの人々が死んで、自分達が生き延びた意味を見失いかけていた。それでもみっともなく生に執着していた俺にとってはその言葉はまさに天明だった。
だからこそ、彼らの存在が与えられた言葉の意味であるからこそ。
彼らの命を俺は諦めるわけには行かない。
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大地を蹴り上げるように彼は走る。それにつられて草が激しくなびく。
吸い込む息に血の味を感じ取る。歯を食いしばり続け、自身の唇が切れて出血した。脚は着々と疲弊し、徐々にもつれ始める。
それでも、
「皆、っ皆……死なない、で……生きていて、死なないで!!」
呪詛を呟くように、言葉に願いを乗せる。何度も、何度も。
だが、結論から言えばその願いは叶うことは無かった。
徐々に集落の建物のシルエットが姿を現し始めた。瀬川にとって、見慣れたいつもの集落の屋根が木々の隙間から見え始める。
「まだ、大丈夫そう、だな……っ、少し休んでから集落に……」
思わず安堵の息を漏らす。力が抜け、集落近辺にそびえ立つ巨木にもたれ掛かった。体力の限界を迎えていた彼は、身体を休めるべく呼吸を整える。
その瞬間、阿鼻叫喚と化した人々の悲鳴が響く。
「うわぁぁあああ!!!!魔物だ!!!!皆逃げろ!!!!」
「女子供を優先的に逃がせ!!」
「お前らは先に逃げろ、俺が……がっ……ぁ!!」
「っ!?」
瞬時に瀬川は飛び起きる。巨木の物陰から身体を覗かせ、集落内の様子を窺う。その彼の目に映った光景は。
「助けて、誰かああ……ぁ」
無邪気に笑うゴブリンが、まるで新しいおもちゃを見つけたように村人を追い回し、ダガーで首を刈り取っていく。
首から上を失った男性は、両手をあったはずの頭元へと添えながら前方へ倒れ込んだ。
「いやだ、嫌だ嫌だ死にたくない死にたくない死にたくない、死にた……く……」
頭を抱え、目の前の現実から目を逸らす女性目がけて、おおよそ1メートルほどの棍棒を軽々と振り下ろすオーク。
その様子はスイカ割りのようだった。真っ二つに割れた彼女の頭部から脳漿が飛び散る。
その光景を見た瀬川はすぐさま立ち上がろうとした。だが、膝頭はがくがくと震え、正確にシナプスが機能せず、筋繊維への信号伝達が滞る。
「……ぁ、み、みんな……なんで、あしが、うごかないの……」
彼の言葉とは裏腹に、本能は彼の行動を懸命に引き留める。
その結果、両足が竦み、立ち上がることさえままならなかった。
だがそれでも立ち上がることを諦めようとせず、何度も無理やり体を起こそうとする。しかし、一度戦慄を覚えた身体は彼の意思に何一つ応えようとしない。
呼吸が荒くなり、思わず彼は胸元をグッと抑える。
そんな彼の元へと、ある一つの投擲物が投げ込まれた。
「ひっ」
思わず青ざめる瀬川の目の前に、首から下のない頭部が転がりこむ。
それは彼らに食事を届けてくれた調理担当の女性と同じ顔をしていた。
現実から、生首が伝える濁り切った視線から目を背けるように瀬川は体を丸め、縮こまらせる。
目をきゅっと閉じても脳裏に血飛沫が舞い散る光景が浮かぶ。耳を塞いでも村人達の阿鼻叫喚が意識から消えない。
もはや彼に立ち上がる勇気は存在しなかった。ただ魔物から身を隠すことで精一杯だった。
「助けて、お願いします……神様、誰か、誰か……皆を助けて……」
無限に続くようにさえ思えた村人達の悲鳴。それらが静かになるまで、そう時間は掛からなかった。
その滅びゆく集落の最期を捉えようと一台のドローンが空を舞っていたが、瀬川は知る由も無かった。
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どのくらい蹲っていたのか、瀬川は分からなかった。
辺り一帯が静かになったことに気付いた彼はゆっくりと目を開く。
中年女性の頭部が再び目に入り、思わず顔を背ける。だが、背けた先には誰の者か分からない右前腕が転がっていた。
そうした、人間の形をした組み立て人形が、辺り一帯に転がっていた。
瀬川はふらつきながらも立ち上がり、数刻前まで集落であったその中に歩みを進める。
パイプテントは崩壊し、飛び散った血液が付着していた。
木造建築の民家に火の手が上がり、炭となった家屋が倒壊していく。昔ながらの姿を保っていた集落は、もはや元の形など分からないほどに滅ぼされてしまっていた。
建物の陰に隠れつつ、瀬川は人々の屍体を避けて歩く。魔物は既に集落から姿を消したようで、辺りには風の通る音と火が弾ける音のみが響き渡っていた。
「誰か……だ、誰か、あ、居ない、……のか……なぁ……!」
辺りを見渡し、生存者を必死に探す。震えた声で、精一杯に声を絞り出す。
「だ……、誰か……」
「もうその辺にしとけ……!」
突如瀬川は後ろから強く抱きしめられる。彼は振り返らずとも、その声の主が分かった。
「……センセー……」
「ごめんな、辛い思いをさせたな……ごめん、ごめん……」
「俺、俺っ……!皆、助けられなかった……!怖かった、怖かった……!知っていたのに、俺なら助けられるって、俺は……!!」
言葉と共に、涙が零れ落ちる。己の間違いを、後悔を無理やり絞り出し、言葉にして紡いでいく。
「分かってる、セイレイは正しいことをしようとしてたんだろ」
「うん……うん、皆を助ける勇者になるんだ、って思ってたのに……、怖くて、動けなくて。目を閉じた、耳を塞いだ、何も感じたくなかった……っ!!」
「もういいんだ、もういい」
「――!!」
千戸は更に強く抱擁。その行動に瀬川は目を見開いて硬直する。
抱きしめていた腕を解き、瀬川の前へと立ち直る。両肩に手を置き、ぐるりと辺りを見渡す。
もはや、そこには生存者がいる可能性など皆無だった。破壊の限りを尽くされ、屍体の山を築き上げたそこに、かつての名残を求めるのは不可能だった。
「沢の方に穂澄を避難させている、一緒にそこに行こう」
「……うん……」
肩を落とす瀬川を支えるように、二人は集落跡地を去った。
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木々に囲まれた沢の中。項垂れた
二人の足音が聞こえた彼女は、瞬時に振り返り彼らの元へと駆け寄る。その勢いのままに、瀬川へと強く抱きつく。
「セイレイ君……!!良かった、怖かった……」
「っ、穂澄……」
涙をこすりつけるように顔を埋め、泣きじゃくる前園の背中を瀬川は優しく撫でる。悲愴に満ちていた瀬川の表情が徐々に柔らかくなっていった。
「バカ!バカバカバカ、もうどこにもいかないでよ、君がいなくなったら私は、もう誰も……」
「ごめんな……心配掛けた……ん?」
ふと、彼女が開いたままにしていたパソコンのスクリーンに、ドローンが撮影したであろう映像が映っているのが目に入った。
穂澄、と瀬川は改めて彼女の名前を呼ぶ。彼女の背中がピクリと震える。
前園は彼から目を逸らすように、顔を伏せる。その濡れた瞳は小刻みに震えていた。
「なあ、お前はドローンで何を撮影していた?」
「……セイレイ、君……」
スクリーンに映っていたのは、集落の最期を捉えた映像だった。魔物の猛攻に為す術無く、人々が無残にも殺される姿がその映像の中には鮮明に映っている。
瀬川の表情が、徐々に陰りを帯びる。やがて、その眉間に青筋を立て始めた。抑えきれない怒りが、彼の心の内に燻る。
そして、ついにそれは弾けた。
「穂澄、お前は何を撮ってんだ、って聞いてんだよ!!何を悠長にドローンなんて触ってんだ、何で皆が死ぬ姿を撮影してんだ!!!!」
「……わ……私だってこんな撮影したくなかったよ……!」
前園は呆気にとられながらも涙を滲ませ、瀬川の義憤に満ちた声に反発する。涙と鼻水でぐしゃぐしゃに顔を濡らし、掠れた声で長い黒髪を左右に揺らしながら叫ぶ。
「記録に残さなかったら、この集落で生きた人達の痕跡が何も遺らないんだよ!?私達を育ててくれた、私達にご飯を与えてくれた、私達を大切にしてくれた人達の生きた痕跡が!!!!」
「だからって、何もこんなものを撮ることが大切なのか!?助けに行くことよりも、逃げることよりも、記録に残すことの方が大切なのかよ!!!!」
「いい加減にしろ!!」
加熱する二人の舌戦の間に、千戸が割って入る。
彼の言葉に、二人は口を噤む。だが、お互いに睨み合うことは止めなかった。
「……お互いの言い分は分かる、けどな。今は口論をしている場合じゃ無いだろ」
「……でも……」
尚も食い下がろうとする瀬川。千戸は彼の肩をぽんと叩いた。
「今はお前が生きて戻ってきたこと……それだけで良い。穂澄が集落の最期を撮影したという記録も、決して無駄にはならない。今はそれじゃ駄目か?」
「……」瀬川は神妙な面持ちで頷いた。
「……私は……」前園は何かを言いたそうに口篭る。
「お前らが理由をもって、行動してる事は知ってる。だけど、それだけじゃあどうにもならないこともあるんだ……改めて言うぞ、“魔物てんでんこ”だ。まずは自分の命を守ることを、大切にしろ」
「……わかったよ……」
歯を食いしばり、悔しそうな表情を浮かべながらも瀬川は千戸の言葉に同意した。
☆☆☆☆
俺は、その日。己が如何に無力な人間かを知った。
夢見ていた、世界を救う勇者様が現れる、もしかしたら俺がその勇者になるんだ、って思っていたのに。
現実はそう甘くはなかった。
魔物が巣喰う世界なのに、勇者はこの世のどこにも存在しなかった。
☆☆☆☆
あれから、三年の月日が経った。
かつてテナントの並ぶ高層ビルであったであろう建物は、入口のドアのみを残して瓦礫の山を積み重ねていた。
辛うじて形を残している建物の壁面にはホワイトボードが置かれ、掠れた文字で各々が自分の居場所を書き記した痕跡が残っている。
有志達が作ったであろうA4用紙で作られた手書きの新聞は、五年前を境に更新が止まっているようだった。
焼け焦げた建物の陰には、衣類を身に纏った骸骨が積み重なっている。
深く穿たれ隆起した、恐らくかつては公道として使われていたであろうアスファルトの上に、三人は座っていた。
「穂澄、この先って何かある?」
目の前の景色をスケッチしていた瀬川はその手を止める。そして前園のノートパソコンをちらりと覗きつつ、問いかけた。近辺の情報収集を終えたドローンが彼女の元へと戻る。
「所々に基地局が残ってるのが見えるかも。で、道路を外れて、海沿いに集落がありそうに見えるかな……」
「基地局?」
単語の意味が分からず首をかしげる瀬川に、千戸が苦笑いしながら答える。
「基地局ってのは、インターネットが使えるように電波を発信するところだな。インフラの潰えた今は機能することもないけどな……」
「インターネット……か」
どこか遠い目をして瀬川は呟く。前園は彼の呟きに対し、首をかしげた。
「どうしたの、セイレイ君?」
「……いや、昔さ。姉貴と”将来ネット配信したいな”って約束したのを思い出してさ……果たせなかったけどな」
「……ふぅん」
前園はそれ以上深く問うことはせず、再びパソコンの操作に集中する。だが、その時彼女デスクトップ画面の中に見慣れないマークがあることに気付いた。
「ねえ、センセー」
「ん?どうした?」
「なんだか、見慣れないマークがあるんですけど……このマークって何ですか?」
指し示したマーク。それを見た千戸の目が大きく見開かれる。
「……おい、二人とも。これは大きなニュースかも知れないぞ……!」
「センセー……?」
「おい、一体何だよ」
明らかに態度が豹変した千戸の様子に、二人は困惑の顔色を浮かべる。じっと二人が自分を見ていることに気付いた千戸は、改めて驚きと、喜びに満ちた声音でその言葉を発した。
「見間違いじゃ無ければ……“インターネットが使える”はずだ……!」
三人が見つめる先には、電波マークが表示されていた。
To Be Continued……
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