第2話
しとしとと雨が降る夜。私は作品のアイデアを落ち着いて練れる場所を探していた。もうすぐ日付も変わる。こんな時に開いている店は無いだろうが、微かな希望を抱きながら路地裏に入っていった。
しばらく歩くと1つだけ灯がともっている店を見つけることができた。躊躇なくドアノブを回すと、鈴の音が鳴り、中から1人の店員が出てきた。案内された席に座るとメニュー表にも目をやらず、すぐにスケッチブックを開き、絵を描き始めた。
「うわっ。」
どのくらいそうしていたのだろう。目の前で顔を覗き込んでいた店員のあまりの近さに、素っ頓狂な声を上げて後ろにのけぞる。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
そうだ。ここはお店だ。あまり何かを食べるような気分ではないが、注文もせずに我が物顔で席を使ってしまった自分への羞恥心が溢れそうになりながらやっとのことで唯一目に留まった商品名を述べる。
「ラムネを…。」
「ラムネですね。」
店員はそう述べながら、私のスケッチブックをまじまじと見る。そこにはぐちゃぐちゃに塗りつぶした風景画が描かれている。余計に恥ずかしくなりながら、
「美大に行ってて…。」
とボソボソ答える。店員は大して興味もなさそうに笑うとカウンターの奥へ戻っていった。
やっぱり私の絵は誰にも興味を持たれないのだ、と落ち込みながらもう一度向き合ってみる。
何分か経ち、喉の渇きを覚え、いつの間にか目の前に置かれていたラムネに口をつける。その瞬間、視界がぐにゃりと曲がった。どこかで猫の鳴き声が聞こえた。
気付けば目の前に塗り掛けのキャンバスが置かれていた。私はその絵がいつのものか、何のために描かれたものかがすぐにわかった。自分が美大受験の推薦に使った大きな絵だ。自分は制服で、そしてここは高校の美術室。夢でも見ているのだろうか。ぼんやりとした頭で状況を整理しようとするが、それを待たずに体は動き始めた。
塗り掛けの空白に絵の具を塗っていく。心が満たされていく。美大には無事に合格した。しかし、それと同時に今まで絵が上手いと思っていた自分自身よりも上手い人が大勢いることに気づかされてしまった。自分の絵に自信を持てなくなり、いつのまにか絵を描くことが苦痛になってしまった。しかし、この時間が今は死ぬほど楽しい。絵を描くことはこんなにも楽しいことだったのか。時を忘れ、私は白を埋めていった。
「んー…。」
「お客さん、お目覚めですか?そろそろ店を閉めたいんですけど…。」
目が覚めると、店員さんが迷惑そうにこちらを見ていた。先程までいなかったはずの黒い猫が膝の上に乗っている。
「わ、ご、ごめんなさい!」
慌ててスケッチブックを閉じ、荷物をかき集めて外に出る。
暗闇の中、駅の光を目指して走る。
今なら何か描けるかもしれない。
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