エピソード94 死が隣り合わせの場所


 首領の自宅だとスイに案内されて辿り着いた家は普通の平屋で、土間を囲むようにして部屋が並んでいる。壁は少なく、布や衝立で仕切られただけのあっさりとした間取りからは首領の妻だと紹介されたセリという笑くぼの可愛らしい女性との温かな生活が漂ってくるようで面映ゆい。

「こっちはアゲハ。友達なんだ」

 にこりと微笑んで嬉しそうにアゲハを紹介するスイの姿を苦笑いして眺める。弾むような声で友達だと言われると、友人としてなにかしてあげられたことがあっただろうかと暫し悩む。

「友達、ねえ」

 なにかを含んだような視線が注がれたが、スイはきょとんとした顔で「なに?」と首を傾げるのでアゲハも知らぬふりで「さあね?」とだけ返しておく。

「ま、いいか。素敵な客人が増えたこと、歓迎するわ」

「すみません。暫くお世話になります」

 丁寧に頭を下げると驚いたようにセリがやめてちょうだいと懇願するので、そっと視線を上げれば彼女は日に焼けた肌を赤らめて「そういうの、慣れてないからさ」と呟いた。

「セリ~。お腹空いた」

 土間から靴を脱いで板の間へと上がり、足の短いテーブルの前にちょこんと座り込んでスイは昼食を催促する。

 その姿が統制地区での毎朝の光景を思い出させ、アゲハは目を眇めて見つめ生きてスイと再会できた喜びを噛み締めた。


 本当にここまでよく来られたものだ。


 教え子のひとりであるサビオからスイが第八区へと向かう電車に乗ったと聞いてからずっとダウンタウンの街を彷徨い探し求めた。

 初めて足を踏み入れた第八区は想像よりも不衛生で、貧しさと死が隣り合わせの場所であり、出会った少ない住民の眼窩は落ち窪み淀んだ双眸でアゲハを値踏みしていく。時には襲われ、激しく罵倒され、討伐隊に助けられたり、また気の毒そうな顔で子供から施しを受けて空腹を満たしたりしながら過ごした。

 まるで家を飛び出した時のような暮らしに身を落とし、それでも倦まず諦めずに進めたのは自分の中でなにかが吹っ切れたからだったと思う。


 だからスイとの再会を果たすことができたのだ。


 反乱軍頭首が第八区担当の討伐隊隊長を倒したことで一斉に歓喜に沸いた街に、どこに隠れていたのかと目を疑うほどの人間が通りへと出てきた。晴やかな顔と、笑顔が溢れた彼らの目には確かに夢と希望が輝き、束縛からの解放から誰彼かまわず抱き合って喜びを分かち合う。

 どさくさに紛れて喜んでいると、アゲハが金の瞳の少女を探していると聞きつけた女が遠慮がちに声をかけてきた。

 二週間ほど前に討伐隊の男に追われている女の子が首領自治区へと逃げて行ったと。その子の目が金の瞳だったと思うと告げられ手を握り締めてお礼を述べると、その足でバリケードを越えてやって来たのだ。

 手荒い歓迎を受けたがその結果スイと再会できたのだからよしとしよう。

 あのまま首領自治区の人間に捕まらなかったら、この広大な砂漠を当ても無く放浪し命を落としていたのかもしれないのだから。

「本当に友達なの?」

 疑わしそうな顔のセリに苦笑いで誤魔化すと靴を脱ぎテーブルの前に立ったが、どうやって座ったらいいのか解らずに戸惑ってから両膝をくっつけ足を折り曲げるようにして座っているスイにならって腰を下ろした。

 硬い板の間に脛が当たって痛いので、長時間座っておくことは難しい。食事が終わるまで我慢できるだろうか、と危ぶんでいると運ばれてきた料理を前にして現金にも腹がグウッと音を鳴らした。

「たいしたものはないけど」

「そんなことない。セリのご飯は美味しいよ。素朴で味わい深い、セリみたいな料理だから」

 またスイは料理から作った人間の本質を見抜くような発言をして、アゲハは両手を合わせて出された大皿料理から魚に味噌を塗って焼いた物を取り頬張った。海で取れたのだろう魚の生臭さと苦さは味噌をつけて焼くことによって緩和され、焼き加減が絶妙だからか身が柔らかく舌の上で難なく解けて行く。

 スイが言うように懐かしく落ち着く味だった。

 きっとセリはそんな女性なのだろう。

「美味しいです」

 素直に褒めると照れたように恐縮して温かい薬草茶を淹れた陶器を差し出してくる。

「セリのご飯も美味しいけど、アゲハの作る料理もなかなか面白くて美味しいんだ」

「そうなの?食べてみたいわ」

 男の人が料理をするなんてここでは考えられないからと興味津々で身を乗り出してくるセリに一応「独特で好みがわかれるような料理ですけど」と警告しておく。

「スイちゃん曰く固定観念に囚われない独創的な料理らしいです」

「それは一度味わってみたいような、遠慮したいような」

「そんなこと言ってないよ!癖になる味だし、毎回色んな発見があって楽しいとは言ったけど」

 慌てて言い繕うスイをセリと二人で顔を見合わせて笑いながら食べる料理は本当に美味しかった。どんなに材料を惜しまず作られた手の込んだ料理でも、たった独りで口にする物は味気なく感じる。

 普通の家庭料理を気心の知れた人間と笑って食べる食事はそれだけでどんな高級料理すら及ばない至高の味となるのだ。

 そんなことを実感しながら食事を終えて薬草茶を飲んでいるとスイが「ゲンさんのとこ行ってくる」と立ち上がる。一緒に行こうと腰を上げかけるとすぐ戻って来るからと断られ、余りにも所在無げな顔をしていたのかセリが風呂にでも入ってゆっくりしたらと勧めてくれた。

 スイが出かけて行き、痺れた脚を宥めながら立ち上がったアゲハをセリが竈の傍にある潜り戸の奥へと案内する。腰を折って入った先には鉄製の浴槽があり、竈の熱で温められた鉄が溜められていた水を湯とまではいかないが熱くしてくれていた。

「鉄の部分は触らないでね。火傷するから。中に浸かる時はそこの木の板を沈めて入って。これもひっくり返らないように気を付けて」

 指差された板は浴槽の半分を覆っている木で、それを足で踏んで沈めながら浸かるらしい。半分見えている湯を使って身体を洗うようになっているのだろう。

 久しぶりに湯船に浸かれるのかと嬉しく思いながら、セリがタオルや着替えを用意してくれ出て行ったのを待ちかねたかのように服を脱いだ。湯を桶に汲むとツンと鼻に着く薬草の匂いがしたが気になる程の匂いでは無い。

 逆に疲れが取れそうな湯に感謝して身体にかけて数週間分の汚れを流した。白い石鹸を泡立ててあちこち擦ると面白いほど垢や汚れが取れて見慣れた白い肌が戻ってくる。灰色になっていた髪も丁寧に洗えば元の色を取り戻す。

 そして慎重に板を踏みながら湯に浸かるとそれだけで身体から余計な力が抜けて行った。

 ほうっと息を吐きながら再会を遂げた少女の様子を思い返す。


 スイは怪我をしている。


 懸命に覚られないようにしていたようだが、食事中スイはずっと左手でスプーンを使いその間右腕は一度も動かさなかった。

 首領の前に突き出され、アゲハの元へ駆けつけようとスイがアラタの手から逃れようとした時も右手は使わなかった。左腕のみで抗い、そして這い寄ったアゲハに縋りついた時も右の指一本動かなかったことも気づいていた。


 そう。

 動かさないのではなく、動かないのだ。


「ゲンさんは、医者かしら」

 食事の時に出された薬草茶も、この湯に薬草を使っているのも全てスイの怪我を思ってセリが用意していたのだろう。

 それをこうしてアゲハが先に使うことを申し訳なく思いながら、治療へと向かうスイの同行を断られたことを詮索させまいと気を使ってくれたセリの思いが嬉しかった。


 スイはここでも温かく受け入れられ愛されている。


 そのことが心底有難い。

 落ち込んでいる素振りもなく明るく振る舞うスイの姿は空元気であろうとも、前向きで逆にこちらが元気づけられてしまう。

「大丈夫。どんな困難も乗り越えられる」


 まだ、戦える。


「スイちゃん自身がまだ諦めていないから」

 足りない部分はアゲハが補えばいい。

 そのために来たのだ。

「共に戦うために」

 胸いっぱいに薬草の匂いを吸い込んでから上がるとタオルで身体を拭い、用意してくれていた服を身に着ける。アラタの物だろうか、少々大きくぶかぶかだが汚れた服を折角綺麗にした身体に纏いたくは無いので感謝しておく。

 着ていた服を丸めて持って潜り戸を出るとセリが片付けの手を止めて顔を上げ、ぽかんと口を開けてアゲハを見つめた。

「あの?」

「ああ、ごめんなさい!あんまり男前だからびっくりしちゃって」

 誉めているのだろうが、この容姿で損ばかりしていることが多いアゲハはこういう時どう反応していいか解らない。

「前にもアゲハみたいな銀髪の綺麗な若い男をアラタが拾ってきたことがあって」

 確か名前がホタルとかなんとか――と続けたセリに今度はこちらが驚く番だった。

「それ、兄です」

「え!?そんな偶然があるの!?」

「ホタルは大学で水に関する研究をしていたから、こちらにも水を調べに来ていたのかもしれないですね」

「ああ、そうそう。そんなことをアラタが言ってた気がする」

 すごいわねぇと微笑んで、洗濯は後でするから汚れ物は置いてていいわと言われたが下着も入っている洗濯物を他所の奥さんとはいえ若い女性に洗ってもらう訳にもいかず、手持無沙汰なのでと固辞して外へと出た。

 家の横に広い空間があり、そこに石が敷かれてポンプ式の井戸があったので渡された洗濯石鹸と衣服を置いてハンドルを握り上下に押し下げする。

 勢いよく流れる水は少し濁っていて、独特の匂いを放っておりここが統制地区では無いのだと改めて思い知った。貧しいと言われながらも第八区ダウンタウンの水はここの物より綺麗で最低限の消毒がされていた。

 ここはそこまで完備されず、こんな水でも生活に必要な物なのだ。

 信じられないが、きっと飲料水としても使用されているだろう。

「これが、私たちのもたらした最大の罪であり、結果なのね」

 喉や気管がひりつくような不快感をもたらす汚染された空気と灼熱の太陽。そして生命を繋ぐために不可欠な水がこれほど汚れている。

 目に見えるだけでは無く五感に感じる汚染地区の現状は想像していたよりも酷く荒れ果て、病み衰えていた。

 憤り悔やみながら決して見ようとはしなかった現実を目の当たりにして、アゲハはこの地に暮らす人々の姿を目で追う。

 生き生きと楽しげにしている者もいれば、戦いへ赴いて行った男たちを心配する者もいた。子供が声を上げて走り回り、軒先の椅子で腰かけている具合の悪そうな人の姿もある。戦いで失ったのか手や足が欠けている者も居て、顔が変形してしまっている男も普通に道を歩いていた。

 不思議なことに厳しい現実の中、彼らは悲観せずに逞しく生活をしている。

「もっと、見なくちゃ。目を反らさずに」

 そうすることで罪を明らかにし、なにができるかを考えなくては。

 ホタルは水を研究することで贖おうとしている。


 ならばアゲハはなにをして贖罪とする?


 それを見つけるためには汚染地域を知らねばならない。

 この地に根付いて暮らす人々の願いや想いを知らねば。


「そこから、始まる」


 全てはこれから。

 贖罪も。


 アゲハは意識を衣服へと向けなおし、石鹸を擦りつけて無心で洗濯を始めた。どれだけ擦ってもなかなか落ちずに躍起になっていたら、日が暮れていて帰ってきたスイから呆れた顔をされたが、それすら楽しくて笑えば「気持ち悪い」と引かれてしまった。


 そんな風にしてプリムスでの生活が穏やかに、だが残酷な現実を包括して始まったのだ。

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