首領自治区 ~Primus~
エピソード93 何気ない日々を送れたら
白い砂を巻き上げながら風が吹き抜けて行く。乾燥し熱を孕んだ空気が肌を撫でる感触は意外と不快では無い。
膨らんだ袖がそよいで腕に触れくすぐったさを残していく。
「スイ」
名を呼ばれ見渡す限りの砂の大地から視線を外して振り返る。遠くに見える首領自治区の町並みを背負って歩いてくるアラタの顔には気安さと親しみがあった。
「またここで砂漠を見てたのか?なにが面白いんだかちっとも理解できん」
大股で近づいて来る十三代目首領であるアラタが隣に立つまで待ってから視線を戻し、風が吹くたびに形を変えながら砂が描く美しい絵画を再び堪能する。
人間の力では到底描き表すことのできない自然的な刹那の美は幾ら眺めても飽きないぐらいだったが、この風景を見慣れている
「すごいんだ」
「なにがだ?」
問い返してくる声の明るさに笑いながら「自然の雄大さが」と答える。
いつもビルに囲まれ息苦しいほどの圧迫感を感じて生活していたスイにとって、これほどまでに遮る物がなにも無く、ただ自然のままにある姿は気高く美しい。白金の大地と輝く太陽の光が覆う白い空、吹き抜ける風すらも尊く映る。
「汚染地区の風と大地をそんなキラキラした目で見る馬鹿な奴はお前くらいだな」
「せめて芸術家とか詩的な人間だって言ってよ」
「ここにはそんなもの必要ない。セリの飯食ってゲンのとこで治療してもらえ」
「……もうそんな時間か」
促され渋々スイは町へと足を向けた。踏み出すごとに砂に埋もれる足先が、次の一歩を出すまで沈んでいくことが楽しくて、直ぐに壮大な自然な絵画からこれから食べる昼食へと思考は切り替わる。
統制地区での生活に比べて供される食事は質素だが、だからと言って味が落ちるという訳でもなく、素朴な味付けと簡単な調理法で食べる食事はどことなく懐かしい感じがしてスイは好きだった。
「セリは優しくて気が利く、いいお嫁さんだね。アラタには勿体無い」
「うるせえな。ほっとけ」
頬を歪めて面白くなさそうにそっぽを向くが、アラタは意外と愛妻家でセリになにかと気遣い、戦いで長く家を空ける時は必ず贈り物をしているらしい。
スイは怪我をして転がり込んできた厄介者だったが、どうやら金の瞳が先々代の首領と同じだということで血縁者である可能性があるとしてアラタの家に世話になっている。その結果セリと仲良くする時間が多く、彼女から惚気話を聞かされることも多かった。
「ねえ、本当にアラタとは兄妹なの?」
「多分な」
素っ気無く返される声にはどんな感情も含まれていない。
アラタから「オレの親父が余所の女に生ませた子供がお前だ」と聞かされた時は信じられず、母親違いの義理の兄らしいと受け入れることは世話にはなっていても難しかった。
半年前に亡くなった十二代首領ダイチという男がアラタの父であり、スイたち兄妹の父でもあると言われてもピンとこない。
「オレには兄弟がいないから、親父が幾ら余所の女と寝ようが気にしちゃいなかったが」
まさか金の瞳を持つ子供が現れるとはな――と複雑そうな瞳を向けられてスイもどう反応していいか解らずに俯いた。
「まあ都合がいいっちゃ、都合がいい」
「どういうこと?」
「オレとセリには子供ができない。だから次の首領をどうしようかと考えてた所にお前が転がり込んできた」
アラタは太陽を見つめて目を細める。そうして強い日の光を当てると彼のオレンジ色に見える瞳が本当は金に近い色をしていることがよく解った。それがスイとアラタとの関係を証明しているようで酷く落ち着かない。
「できないって、それ」
「オレにもセリにも問題があるから、相手を変えた所で結果は同じってことだ」
首領は代々世襲制で五十年間やってきている。今更違うやり方で首領を立てるとなると問題は大きく、誰がなるかで揉めて分裂することも有り得た。
戦争で使われた化学兵器の影響で生殖器に重要な弊害が起こることは広く知られている。生まれてくる子供に奇形や障害があったり、重い病気を患っていたりと様々な報告が国へと上げられていた。
そして蓄積していった毒のせいか、子供を作る機能が失われている人間も多くなっていると警鐘がならされているのだ。
つまりアラタもセリも健康に見えるが、その一点に置いて通常の人間とは異なるのだ。
「じゃあ、都合がいいって」
スイが代わりに次の首領になれというのか。
それとも自治区の人間と結婚して子供を産んで欲しいと望んでいるのか。
「冗談きつい!」
「嫌なら無理強いはしないが、オレの目にはお前がここの暮らしを楽しんで受け入れ馴染んでいるように見えるが、違うか?」
確かにここは居心地が良くて、どことなく懐かしい匂いがする。
初めてなのに、昔から知っているような気がするのも認める。
でも。
「自分たちだけが、問題のある身体だと思わないで欲しい」
スイは疼痛が走る右腕を擦って唇を噛み締める。撃たれた場所が悪かったのか、それとも一過性の物なのか解らないが、肩から指先まで痺れていてなにかを掴みたくても思うように力が入らないのだ。
一生このままなのかもしれないし、動かせるように解しながら訓練を続ければ回復するかもしれない。
それでも元通りになることは不可能だと医師であるゲンには言われていた。
「身体が小さいのだって、理由がある」
真っ直ぐアラタを見つめてゆっくりと言葉を紡ぐ。
この国は五十年間浄化されず、その病魔を進行させていた。
それは誰彼かまわず、老若男女全てを飲み込んで。
誰も逃れることはできない。
「学校の健康診断で医者に言われた」
君には生殖機能が無いと。
「だから成長が途中で止まって小さいままだし、
アラタの期待には応えられない。
「……悪い」
バツが悪そうに目を反らしアラタが謝罪するが、彼とて似たような立場なのだから謝る必要など無かった。
だがタキやシオにも言っていなかった身体のことについて、義理の兄だという不確かな男に打ち明けることについての滑稽さは拭えずスイは弱々しい笑みを浮かべた。
「でも、この町や風景は好きだよ。だから離れがたく感じるんだろうね」
足を包む砂地が硬い大地へと変化してスイは一度だけ振り返る。どこからか吹いてくる風に砂が波跡を残して姿を変えていく。
幻想的な情景だ。
いつまでも眺めていたいが、ここはスイの望む場所では無い。
タキを探して共に戦おうと思っていたが、この腕ではそれも叶わないだろう。
それでも会いたい。
傍に居たいと求め、願うのは兄の近くだ。
「数日後には出て行く。第八区へ戻る」
「また、討伐隊に襲われてもか?」
「あそこが故郷なんだ」
ここじゃない。
「セリが寂しがるな」
「セリにはアラタがいるだろ」
「じゃあ、スイには?」
アラタの心配そうな眼差しと、浮かべられた悲しげな表情に満面の笑顔で応える。
「ちゃんと、いるよ」
――大切な家族が。
「それからお節介で心配性な隣人も」
いつしか彼らも大切でかけがえのない存在へと変わっていた美しい兄弟のことも忘れてはいない。
また朝食を一緒に囲んで何気ない日々を送れたら。
それだけで幸せな気分になれる。
「全部元通りは難しいけど」
痺れた肘を掴んでスイは起こってしまった取り返しのつかない事柄を数え上げるが、そんな中でも得られた物があることを確認して破顔する。
「大丈夫。やり直すことはできるから」
「そうか。そうだな」
つられたように微笑んでアラタはほんの少し速度を上げて町へと入る。スイも空腹に後押しされて急いでアラタの家へと向かう。
市場から離れた場所にあるアラタの家は住民と大差ない作りで、首領といっても普通の生活を送っている。ただ慕われているのは確かで、道を歩けばみんなが声をかけ挨拶をしていく。
子供たちも気軽に駆け寄って「遊んで、遊んで」とせがむ姿に思わず頬が緩む。
「アラタ様!」
そんな人たちを推し退けるようにしてやってきた若い男衆が声高に首領を呼ぶ。子供はきゃっと声を上げて逃げて行き、女たちは道を開けて遠巻きに様子を見ている。
「どうした?」
「不審な人間を捕えました。同時に、異能の民が本拠地の岬から出てきたと報告が」
「どこで捕まえた?」
「第八区と陸軍基地の境目のバリケード付近」
連れてこい、と報告を終えた男が命じると後方から二人がかりで引きずられアラタの前で跪かされた男の姿にスイは目を丸くした。
長い銀の髪は汚れて灰色になっているが、アラタの前に引き出され面を上げた瞳は美しく澄んだコバルトブルー。着ている服も肌もボロボロで、それでも首領を前に一歩も譲らず毅然と見つめ返す横顔に今までにない強さがあった。
まるで罪人のように連れてこられたのに、屈せず、恐れずその優美な顔立ちは周りの目すら奪い知らずため息を零させた。
「――――アゲハ」
まるで別人のような表情と雰囲気を纏っているのに、彼はよく見知ったはずのアゲハで、スイは戸惑いながらも名を口にし思わず駆け寄ろうとしてアラタに止められる。
左手一本で抗うには無理があったが、必死で暴れてアゲハを求めた。
「ちょっと黙ってろ。安全かどうか確かめてから、」
「アゲハが危険な奴なわけないだろっ!アラタよりアゲハのことはよく知ってるんだから!」
「もし、異能の民の擬態だったらどうすんだ!?」
「知るか!そんなこと!」
揉み合いながらスイはアラタの腕に勢いよく噛みついた。「このっ!」苛ついた声と共に振り払われて地面に転がるが、その隙にアゲハの元へと這い寄ってその腰にしがみ付いた。
「アゲハ、アゲハ――ごめん。ごめん、アゲハ」
いつも穏やかに微笑んでいた彼が陸軍基地や第八区のような危険な場所に近づいたのは間違いなくスイを探し出すためだろう。そのせいで手荒に扱われ、侮辱的な扱いをされなければならなかったことと、心配をかけたことを謝りながら胸に顔を埋めた。
「……スイちゃん」
頭上から降ってくる優しい声にスイはおずおずと顔を上げる。すると困ったような表情を浮かべて「無事でよかった」と囁いた。
「感動の再会はそれまでだ」
「ちょ、放せ!」
首の後ろを掴んで引き離され、スイはアラタを睨んだが乱暴に近くの男衆に渡された。その扱いを不当だとアゲハが抗議し「ちょっと!スイちゃんに乱暴しないでくれる?」と叫んだが、「うるさい、気色悪い喋り方すんな!」一喝したアラタと睨み合いへと発展する。
暫く火花が散るような視線の応酬を続けていたが、引いたのはアラタの方で「異能の民にこんな気持ち悪い喋り方する奴なんかいないだろ」と解放するように指示した。
ゆっくりと立ち上がるアゲハの元へ再び駆け寄り、どこにも怪我は無いかを確認してスイは漸くほっと息を吐く。
「本当にごめん。いっぱい無茶させたみたいで」
「大丈夫よ。どんな苦労も今こうしてスイちゃんと巡り合えたことで全部帳消しだから」
「言うこと聞かずに飛び出してごめんなさい」
悄然と項垂れるとアゲハが「本当にね」と呟く。その声に苦渋と後悔が滲んでいてスイは視線を上げる。
「私の方こそ謝らないと。スイちゃんの気持ちも考えずに自分の意思ばかり押し付けて、タキちゃんたちがいない寂しさに寄り添ってあげられなかった」
アゲハの両手がそっと肩に乗る。右肩がズキリと痛んだけれど顔に出さないようにしてじっと綺麗な瞳を見上げる。
「でも、間に合った」
なににとは聞けなかった。
それはきっとアゲハの中だけにしかない答えだ。
だからスイは頷いて応える。
「スイ、オレたちは異能の民を叩き潰しに行く。その間、セリを頼む」
「……解った」
無事にアラタが戻って来るまではここに留まろう。
そう決めて騒々しく準備のために去って行く後ろ姿を見送る。
「アゲハ、ごめん。もう少しここにいることになるけど」
隣に立つ青年を見上げると柔和な笑顔で受け止められた。
「私はスイちゃんを連れ戻しに来たんじゃないのよ。一緒に」
戦うために来たんだから。
スイは目を瞠り、そしてその言葉がじわりと胸に染みわたった時には沢山の涙を流して「ありがとう」を何度も繰り返して泣きじゃくっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます