エピソード92 一振りの曲刀
反乱軍討伐隊の本部は突如もたらされた情報に俄かに慌ただしくなった。
――いや。
慌ただしくなったというのとは少し違うかもしれない、とホタルは座っていた椅子から僅かに腰を上げた状態で頬の内側を噛む。
寝耳に水。
青天の霹靂。
「まさか、カルディアで」
謀反とは――。
マラキア国からの空爆により命を落としたと思われていたアオイが生きており、消息を絶っていた陸軍中将シルクと二千人の兵を率いて北では無くスィール国へと進軍してきたという信じがたい情報は瞬く間に軍部全体へと広まった。
要求は総統カグラの退陣と軍国主義からの脱却。
カルディア地区の外れで高らかに宣言されたアオイの言葉は、父である総統に一笑にふされたらしい。
厳格なる指導者の元で腐敗しながらも脈々と受け継がれてきた従属の徒である者たちは青臭い正義感を表向きでは「できもしないことを」と嘲笑いながら、自分たちが起こしたくとも起こせなかった謀反の意思を示した若いアオイを僻み蔑んで扱き下ろす。
ホタルは一度も総統の子息であるアオイを見たことが無く、どんな人柄なのかは噂で聞いたことでしかないが謀反を起こすような人物では無かったはずだ。
穏やかで心優しい、平和主義の後継者候補。
だからこそ影で謗られ、侮られていた子息が静かに牙を剥いたことにホタルは純然たる羨望を抱いた。
そして希望も。
アオイが率いる兵の中に、もしかしたらシオがいるかもしれない。生きてこの国へと戻って来てくれる可能性があるのならそれに賭けたかった。
手の届かない北の国ではなく、決して平和でも安全でも無く混乱の渦中であったとしてもカルディア地区へと来てくれさえすればなんらかの手を打つことができるかもしれない。
まだ、なにかできるはず。
そのことがホタルの心を支え、失いそうになっていたやる気を再び燃え上がらせてくれた。
現総統の退陣と軍国主義からの脱却を掲げたアオイの謀反が叶えば、反乱軍との融和も講和も不可能では無い。
討ち取ることだけが勝利では無い。
カルディアが変われば、国は変わる。
「始まったか」
ぽつりと聞こえたハモンの声は酷く落ち着いており、突然の謀反だというのにそれすらも予測していたかのようでうすら寒さを覚えた。だがホタルが座り直して横に立つ冷たい無表情の参謀を見上げると、彼はじっと壁にかかったモニターを凝視していたのだということに気づく。
総統の子息であるアオイが軍国主義と父に否を告げたことより、ハモンは現在受け持っている反乱軍討伐の方にしか関心が無いようだった。
「国の一大事だぞ?」
思わず険を籠めて責めると闇色の瞳が軽蔑したかのようにホタルへと注がれる。僅かに眉を寄せて嫌悪を表し「反乱軍が暗躍していることも国の一大事ではありませんか」と冷徹に言い放つ。
「だが、総統の御子息の謀反だ」
反乱軍の快進撃よりも余程重要な案件であると主張すれば今度は鼻で笑われ「まさか、総統閣下がアオイ様のような若輩者に討たれるような御方だと思っていらっしゃるわけではありませんよね?」などと嫌味な返答でホタルの浅はかさを指摘する。
確かにたった二千人の兵を連れてあの要塞のような城を攻め落とせるなどできはしないだろう。反乱軍の頭首並みの戦力と勇猛さや運を持っていても難しいのだから。
辿り着くまでに軍の主力部隊とぶつかり悉く討ち果てることになるのは目に見えていた。
それでも。
誰もが恐れて従う総統に反抗して毅然と立ち上がったアオイを愚かだとは思わない。
その気高い精神と志は眩しく、愛情も優しさも無い父を疎み拒絶を抱きながらも面に出すことのできない自分の弱さが逆に浮き彫りになって行く。
アオイとて挙兵することに対しての戸惑いや恐怖はあったに違いない。国のトップであり、実の父に対して反旗を翻すのだから。その親子間はきっとホタルと父ナノリとの間よりもずっと壁や深い溝があり、畏怖し目標とする存在として常に目の前にあったのに違いない。
それを超えてアオイは
ホタルが心の底で願いながらも何度も諦めた困難な道を選んで。
自分よりも取り巻く環境が複雑で一番の権力を持つ人間と戦わねばならないアオイが決死の覚悟で挑もうとしているのに、何故ホタルは父と向き合うことを避けて逃げてばかりいるのだ。
悔しい。
情けない。
解っていたはずだ。
なにをしなければならなかったのか。
それを勇気がないばかりに今の今まで引き延ばして、自分の意思を飲み込むことでやり過ごそうとしている。
「第一区が騒々しい」
第六区、第八区、第三区と来て次は第一区を攻めて来た反乱軍は防衛線を張っていた討伐隊へと攻撃を仕掛けて、その兵と交戦しながら退却を始めた。明らかに誘き出しが目的の反乱軍に一個小隊を追っ手として差し向けて逆に退路を断ちながら壁際へと追い詰めたまでは良かった。
その間に数か所からの奇襲をかけてきた小規模の反乱軍たちが防衛線を乗り越えて侵入し、工場へと果敢に進んでいる。
「今回の戦闘に反乱軍頭首が参加していると聞いているのですが……」
モニター全てを第一区に設置している複数の監視カメラの映像を映し出しながら頭首の姿を探しているハモンの顔は珍しく苦々しい表情を浮かべていた。
「単独行動を好むらしいから、きっと防衛線を攻めている方に参加はしていないだろう」
「恐らく、隊長の命を狙っているでしょう。第八区の時のように」
「確かに頭を潰すのが一番手っ取り早い」
歴戦の将であるウヌスをそう易々と討ち取れないとは思うが、たったひとりで軍の基地を落とすような男だ。
侮っては痛い目に合う。
反乱軍頭首とはどんな男だろうか。
荒々しい戦いぶりに尻込みしてしまいそうになるが、それでも虐げられた民のために立ち上がるのだから崇高な意識を持った立派な男に違いない。
多くの人々の信頼や支持を得ている所からも膝を突き合わせて語り合えば、きっと友好的な関係を築くことができるだろう。
「――捕えた」
左端の上のモニターにちらりと映った白っぽい影。道路を横切って行き直ぐに画面から消えるがハモンが機械を操作する兵士に指示して、白い服を着ている人物の映ったエリアのカメラの映像へと八つのモニターを全て変えさせた。
不鮮明なので細かな部分は解らないが、それでも暗がりで目立つ白い服はくっきりとその動きを映し出す。
「どこの辺りだ?」
「第一区のエリアA付近です」
「……近いな」
カルディアと統制地区を区切る大きく高い壁は
直ぐ近くに反乱軍頭首がいる――。
そのことに怯えている兵士が数人いることを素早く認め、ホタルはそれも仕方がないことだろうと眉を下げる。
立ち上げ当初は野心家の集まりであった討伐隊も、反乱軍の根絶を目標に日々戦っていたが目覚ましい成果も出せず、優秀だと一目置かれる参謀部ハモンの力を持ってしても苦心している現状では彼らの意欲が軒並み沈み込んでもおかしくはなかった。
曲刀一本で戦場を駆ける非常識な男が相手では戦意喪失も当然だ。
「……今が好機か」
なにやら呟いてハモンが自分の机へと足早に近づき受話器を上げた。どこへとかけたかは解らないが、ただ短く「作戦決行せよ」とだけ述べて直ぐに受話器は戻される。
「ホタル様。私は少し出てきます」
「どこへ」
行くのかと問えば「以前任されていた陸軍基地奪還の件です」と薄い唇を持ち上げて微笑む。背筋の凍るようなその笑みにホタルが青ざめていると美しい敬礼を残して出て行った。
反乱軍の頭首が遠い第一区にいることを良いことに、手薄な場所となった陸軍基地を取り戻すつもりなのだ。
第一区が例え反乱軍に落とされようとも、基地を取り戻し拠点として反乱軍のアジトのある第八区を襲う。
そして反逆者たちを根こそぎ駆除しようと考えているのか。
あの笑みは仄暗い感情が渦巻いていた。
「ウヌス第一区討伐隊隊長は?」
「それが――」
何故か隊を離れエリアAへと数名の兵を連れて向かっているのだと困惑した声が告げた。
まるで誘い込まれるかのように。
「どうなって、」
混乱するばかりのホタルの見つめるモニターに再び白い影が現れた。そして黒い人影と銃弾と思われる発光が入り乱れ、その中で一際光を弾く帯状の物。
それが反った刀身だと気づいた時には見失い、次の一閃で兵士が斬られて倒れ伏した。速いというよりは力強い太刀筋にホタルは小さな違和感を覚え、そして輝きの軌跡を残して揮われる曲刀の鮮やかな動きに魅入られる。
どの銃も彼を傷つけることはできないのか、無闇に放たれる鉛の弾は全て闇の中へと吸い込まれて行った。
鬼気迫ると言った戦い方に必死さを見出してホタルは再び違和感に心揺さぶられる。
流麗で予想できない動きと速さだと聞いていたのに、これは。
確かにモニターに映る白い影が操る曲刀の動きは軽やかさと力強さを兼ね備えた見事な物だった。だが予想不可能だと言わしめるほどではなく、実直で正確さすら感じられる戦い方は聞いていたものとは別物のようだ。
「まさか」
別人?
目を凝らすようにして見つめれば、粗い映像の中でも顔の上半分を覆う仮面の形や暗い中でも頭部を覆う髪が暗い色をしているのが解った。
顔は仮面に覆われているのでどんな顔立ちなのか知らないが、頭首の髪は確かプラチナブロンドだと聞いている。白金の髪ならばどんなに暗く、映像が不鮮明でも闇に飲み込まれてしまうことは無い。
「では」
本物はどこへ?
ハモンが頭首不在だと思い込んで出かけて行ったが、もしかしたら第八区でのんびりと影武者が勝利をおさめるのを酒でも飲みながら待っているのかもしれない。
そうならばハモンは破れる。
知らせるべきかと迷っている間に、モニターを見ていた者たちが息を飲み慌てて意識をそちらへと向けた。
黒い軍服を着た大柄なウヌスが銃を捨てて腰のサーベルを抜いた所だった。余計な脂肪のついていない立派な体格のウヌスの前に立つ男の身体もまた見劣りしない程の恵まれた肉体を持っている。
ゆったりとした衣装は異国風の作りで、胸元が重なり合うようにしてあり逞しい首筋が見えていた。
その首になにかかけてあると気づいたのは偶然でもあり、またよく見慣れた物であったため目が行ったのだとも言えた。
あまりにも頻繁に彼らがそれに触れて確かめているのを見ていたからかもしれない。
苦労の末に生きてきた兄妹の絆の証であり、漸く得た安住の地を記した物。
「タキ」
友人の姿だと思ってしまえば、モニターの向こうにいるのはもうタキにしか見えなかった。
一振りの曲刀を持ち、理不尽な物と戦うその姿にホタルは羨望と悔恨の想いを同時に抱く。
知らぬこととはいえ自分が友の前に立ち塞がり、その希望や願いを潰えさせようとしていたことを今更ながら自覚して打ち震えた。
タキは知らないのだ。
ホタルが反乱軍討伐隊を率いていることを。
「……知られたくない」
絶対に。
それでもいずれはタキも知るだろう。
その時に胸を張り、顔を上げて対峙できるようになにかを成さねばならないと静かに胸に刻んだ。
「ウヌス第一区討伐隊隊長、殉職致しました」
沈鬱な声の後、静まり返る部屋でただひとりホタルだけが新たな決意を胸に心を激しく燃やしているのだと気づく者は誰もいなかった。
そのことにほっと安堵してホタルは拳を硬く握り締めた。
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