エピソード85 心の内
荒れる風と暗い空の間から冷たい滴がポツリと地面に落ちた。
粒は大きく、耐えかねたかのように降り出した雨はあっという間に激しくなり、地を黒く染め服を濡らしていく。
ザアザアと全てを消すかのような雨音に包まれてタキは酷い安堵感を覚える。
恵みの雨。
タキにとって幸いの雨だ。
水気を吸った衣服や髪が肌に張り付き、冷たい雨が体温を奪っていく。ただでさえ夜は気温が下がり野宿などすれば凍死しかねない程の寒さだ。いくら湿気を含んでいつもより温かさを感じる風があったとしても、濡れてしまえば意味は無い。
だがタキには戦う力を分け与えてくれる素晴らしい味方だった。
アキラからはまだ能力を上手く制御できないのだから、できるだけ慎重に使えと言われているが今使わねばいつ使うのかと言い訳した所で本人がこの場にいる訳でも無い。
それこそ無意味だろう。
「さあ、始めようか」
弟妹にも秘密にし、隠してきた能力を使うことに抵抗を感じるのは自分がまだ普通の人間であるということにしがみ付きたいがためだろう。
人が持ち得る力以上の能力を授けられた者は、その瞬間に人とは異なる者へとなるのか。それともその力を己の意志で使うようになって初めて別の存在へと変化するのか。
後者だと思っていたが、どちらもそう大差はないのだ。
きっと。
自分の細やかな願いのため、弟妹の幸せのためにこの力を使うことに異論は無い。
そしてそれが多くの人のためにもなるのなら余計に。
「喜んで人ならざる者へとなろう」
鬼にも悪魔にでもなる。
その覚悟がようやくできた。
大きく息継ぎをしてタキは滴を落とす指を握って再び拳を作る。男も新たな獲物を取り出して両手に短剣を持つ。
銃を使わないのは拘りなのか、それとも得意な刃物での攻撃を好むのか。
情報は少ない。
味方以外で彼の顔を知る者など今の所タキ以外にはいないだろう。
『タキ、なにが起きている?大丈夫なのか?』
途切れ途切れに聞こえてくるナギの声は耳障りだったが、無視できないほどではない。心を無にして、目の前の男に集中する。
それさえできればなんの問題も無かった。
閃光の後で鳴り響く雷鳴。
それを合図に二人同時に動いていた。
スピードはあちらが上。
だが力ではタキに分がある。
左からの攻撃を腕で絡め取るようにして止め、続いて襲う右からの攻撃の前に腕の付け根を狙って拳を叩き込む。勢いの削がれた刃の威力など恐くは無い。タキの肘の外側を掠めて行ったが濡れた服に滑って皮膚を裂くことはできなかった。
絡めて止めていた相手の右腕を巻き込んだまま身を返して後ろ手に捻り上げて固めようとしたが、男はわざと肩の関節を外し素早く体を変えてタキの拘束から逃れる。
濡れた地面に右手に持っていた短剣が落ちて派手な水しぶきを上げる中、男は大きく間合いを開けるように飛び退り器用に関節を戻す。
その一連の動作を表情ひとつ変えずにやってのける図太さと冷静さにタキは身震いした。
ただの軍人にそんなことができるとは思えない。
多分、軍の中でも特殊な部隊に所属していたのだろう。
だから経歴は全て抹消されていた。
「ロータスが情報を得られないはずだ」
呟き苦笑いすると、イヤホンの向こうでなにやらナギが叫んでいるようだったが放っておく。
ただでさえ戦闘訓練を受けている軍の人間相手でも素人であるタキにとっては手強い敵である。最初の頃に比べれば戦いの場に慣れてそれなりに戦えるまでにはなっていが、アキラやタスクから言わせればまだまだ危なっかしい物であるらしい。
戦いの専門家ともいえる相手を前に能力の出し惜しみをしていれば確実に負ける。
まるで叩きつけるかのように雨が肌を打つ。聴力を奪うほどの雨音は路地の壁に反響しながら何処までも広がり、また吸い込まれて行きそうになる。
大きく息を吸い、噎せ返るような雨に濡れた大地の匂いを肺に満たしていく。
有害であるとされる風も雨も全て身の内に取り込み力とする。
その行為が命を削る物なのだと解っていても、タキは全身を流れる雨水を受け止めてそれに意識を集中させた。
「…………言祝げ」
海辺であの美しい女性が発した言葉をそっと呟く。
その時は幼すぎてその言葉の意味を理解することはできなかったが、喜び祝福を述べるという意なのだと今では解る。それは優しげに聞こえたが、自主的にではなく、半ば強制的な促しを含む微妙な意味合いが込められていた。
それでも。
彼女の存在は稀有で美しく、唯一無二だった。
憧憬の思いを抱かせ、安らぎと和みを与えてくれるだろうと疑いの余地なく信じられるものだった。
あの瞬間世界は輝き、彼女の望むままに言祝ぎの歌が砂浜に鳴り響いたのだ。
力を使おうと意識すると必ず彼女との思い出に直結し、忘れていたはずのことすら鮮やかに思い出す。
まるでこの能力を使うことで彼女と繋がっているような妙な感覚に、くすぐったさと緊張が増していく。
そして同時に懐かしさも。
会いたいのだろうか?
心の底でもう一度彼女と会える日を願い、心待ちにしているのかもしれない。
だがアキラの誘いの手を拒んだのはタキだ。
自分の中で占める割合は弟妹の方が大きく、またそうすることが当然であると言いたげなアキラの強い意志と思いに子供染みた反発を抱いているからでもあった。
降りやまぬ雨が髪と頬を伝い肩に落ち、腕を流れて掌に集まる。皺や窪みに溜まった雨水が握り締めた指の中へと侵入し、小さな水溜りを形成した。
タキが望む物は飛び道具ではない。
己の力や全身で相手を死に至らしめることのできる物がいい。そして美しく洗練された物では無く、武骨で禍々しいほどの異様さを持っていればなお望ましかった。
「――全てを切り裂く刃持て」
強く握り締めていた指を緩めながら、掌の水の塊を振り落とすかのように肘を後ろへと引く。雨を弾きながらタキの願いと力を籠めた水塊は軌跡を描きながらその形を変えてゆく。
「――――!?」
異能力を初めて見たのか、男が息を飲み驚いて目を剥いた。
幅広の刀身がぐいぐいと伸びて、その切っ先が背に届くかのように反り上がる。細く鋭い刃の向こうで、狂暴な鮫の歯に似た大小様々な刃が生えてきた。
澄んだ刀身に映り込むタキの金の瞳が喜色で輝いているのを自覚し、思わず苦笑いをしてしまう。
背の高いタキでも剣を下せばその先が地面に着くほどの大剣だった。重さは全く感じられず、確かに刃であるはずなのにその材質が水であるからか硬質さよりも流動的な雰囲気がある。
想像していたよりも凶悪で、残忍さがあった。
「自分の影の部分が具現化したのか」
だとしたら余程本来のタキは醜悪な心を持っているのだろう。
「望む所だ」
鬼でも悪魔にでも、なると決めたのだから。
柄を握り、水を跳ね上げて地を蹴った。横一線に揮えば雨を切り裂き、その飛沫すらまるで弾丸のように辺りに飛び散る。壁に吸い込まれ鈍い音を響かせた副産物にタキも男も驚愕し、それでも剣を薙ぎ、男が飛び避けた。
足が速く身のこなしも軽かった男だったが、雨の中での戦闘は不慣れなのか足を滑らせ、張り付く衣服に動きを阻害されている。
ちらりと男の意識がタキの背後へと向けられた。その時には後ろから迫る水に濡れた複数の足音がタキにも届いていた。
それでも彼らが乱戦してくるまでにはまだ距離があり、指揮官が戦っている中で無闇に銃を撃つほど愚かではないだろう。雨を纏っているタキにとって最早銃弾など恐れるほどの武器ではなくなっている。
討伐隊が合流する前に決着をつける。
動きの鈍っている相手を追い詰めて片を着けるのは簡単だ。先程までは相手の得意な舞台だったが、今はタキに有利な舞台が用意されているのだから。
「悪く思ってくれるな」
空が光り、脳裏に焼き付けるかのように激しい陰影が辺りを照らしだす。息を飲む男の持つ短剣があまりにも頼りなく見えて同情すら湧く。無表情だった男の顔には確かに恐怖と動揺が浮かんでいた。
呼気を吐きながら袈裟懸けに斬りおろし、肉を断つ感触が刃越しに腕に伝わってくる。男が受け流そうと捧げ持った短剣は半ばで折れ、弧を描きながら空を飛び地面へと落ちた。
返す刃を振り上げる勢いのまま身を返し、激しい雨のカーテン越しに向き合った討伐隊の面々に挨拶もせぬまま襲いかかる。
突然の凶刃に彼らは銃を乱射し、逃げ惑う。
悲鳴と硝煙は全て雨が包み、流れる血肉は洗い流していく。
鋸状になった刃には肉片が詰まり、刀身は赤く濡れている。
恐怖のままに逃げ出した数名の隊員を追うことまではせず、タキは動く者の無くなった場所で大きく息をつき暗い空を見上げた。
胸が悪くなるような殺戮の現場を作り上げたのが自分であることを胸に刻みつけて黙する。
これは己が望んで行ったこと。
だから全て受け止めなければ。
「う……」
苦しげな呻き声にはっと我に返り、タキは路地の奥へと急ぐ。倒れていた仲間の口元に手を当てて息があることを確認すると急いでイヤホンの向こうにいるナギへと呼びかける。
「ナギ。第三区討伐隊隊長トレースを討ち取った。仲間一名負傷。すぐに人を寄越してくれ」
『今までさんざん呼びかけを無視しときながらそれか。了解した。すぐに手配する』
「すまん」
機嫌の悪いナギの声に謝罪しながら仲間の腰の上に深々と着いた切り傷を押えて、さっきまで握っていたはずの大剣がいつの間にか消えていることに気づき嘆息するとそっと瞠目した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます