エピソード84 嵐の予兆
「退け!遅れるな!」
声を上げて駆ける男の背を追って武器を持って戦っていた男たちは、身を隠していた壁から即座に離れ暗がりへと駆けて行く。
第三区のビルには灯りが灯され、道を照らす街灯にも電気が通り周囲は驚くほど明るかった。時刻は既に真夜中を超えており、普通ならば送電が止められているはずだが、タスクが軍の基地を占拠して原子力発電所を手中に治めてからは、夜の寒く長い闇を払拭するために送電は止むことなく続けられている。
送電が止む前に電気を消すことが習慣になっている住民たちは、最初そのことに全く気付かなかったようだ。
街灯が夜中の間ずっと点いていることに気付き始めたのはその数日後。
気付いてからも電気を点けることで軍から目をつけられるのではないかと恐れ、高い電気料金の支払いが嵩むことを渋った国民の殆どは使用を控えている。
電力供給を止めないことで彼らの支持を得ようとしていた思惑は外れたが、反乱軍の行動を押え込もうと矢継ぎ早に出される無意味な法律が逆に住民たちの国への反感を強めてくれた。
国は誤算をしたのか、それとも民の悪感情などどうでもいいのか。
「急げ!退け!!」
声高に退却を告げる声が響く。
討伐隊の撃つ小銃の音がその上に被さるようにしてけたたましく鳴り、逃げる足が速まる者と足が縺れて遅れる者とに分かれる。
送電が止まないことで市街戦の戦い方は変わった。
圧倒的に暗がりが有利なことと、街灯にはカメラが取り付けられ討伐隊や自軍の動きをナギたちロータスが把握できるようになったことだ。
更にナギは機械に強く、便利な道具を作り出すことに成功していた。
『タキ、討伐隊は二手に分かれて追って来ている。西側から十二、背後から八』
耳に着けた小型のイヤホンから流れるナギの声に「了解」と答えタキは走る足を止めて仲間を先に逃がした。最後尾の男が通り過ぎる時にその背を力づけるように叩いてやる。
「西から敵が来る。そっちには行くな。後ろは、気にしなくていい」
男は喘ぐように呼吸しながらも大きく頷く。
急いで横掛けにしている鞄から手のひらサイズの四角い箱を取り出して壁の下部に設置すると蓋を開けて小さな起爆スイッチを押す。長居は無用とさっさと立ち上がり仲間の後を追った。
「ナギ、今日も第三区討伐隊隊長は出てないのか?」
『正直どいつが隊長なのか解らないというのが本音だ。討伐隊全て皆殺しにした方が早いだろう』
乱暴な物言いにタキは首を振る。
余計な戦いは双方にとって損害を大きくするだけだ。討伐隊を全滅させるためにどれほどの弾倉と仲間の命を失うか、考えただけでぞっとする。
武器を作るために無戸籍者の女子供がどれほどの苦役に耐えているのかを知ってしまえば無駄な弾などひとつもなく、手にした銃の重さは彼女たちの命の重さに等しかった。
「……速く終わらせたい」
どうすれば戦いを終えられるのか。
第三区の担当討伐隊隊長を討った所で、また次の戦いが待っている。カルディアの総統の前に辿り着くという途方も無い野望が叶えられるまでタキはあとどれくらい戦い、人の命を奪えばいいのだろうか。
うんざりだ。
心は叫ぶ。
それでも拳を握り、その場に留まって最後まで戦わねばならないのだ。
第三区担当の討伐隊隊長の名はトレース。
彼は用心深いのか、それとも極度も面倒くさがりなのか。解っているのは名前のみで、年齢も容姿の特徴すら情報が無かった。真実を追い求め、カルディア地区の情報をも手に入れる執念深いロータスたちにもトレースが一体なに者なのか掴めていない。
「本当に存在するのか?」
そう思いたくなるほど彼に纏わる逸話は見つからないのだ。
少なくとも学校へ在籍していたことがあるはずなのに、手を尽くして学校の履歴を調べてもなにひとつ得られない。
『全く以て探れば探る程まるで煙を掴むかのような人物だよ』
素直に賞賛してナギが拍手する音がイヤホン越しに聞こえた。
光り届かぬ暗い道の中を東へと曲がる路地へと進んだ所で仕掛けてきた爆弾が爆発し、空気の乱れを肌で感じ、火薬の混じった埃っぽい臭いが鼻を刺激する。
『解っていると思もうが、路地の中はカメラでの監視ができない。なにが起こるか解らない。十分警戒してくれ』
「了――、なんだ?」
『どうした?』
強い血の匂いが漂い、思いがけず元凶がかなり近くに感じられ肌が粟立つ。呻き声が聞こえ、それが先程見送った最後尾を走っていた仲間の物であることに気付く。湿気を含んだ風が黴臭さを連れて西から吹いてくる。
タキはごくりと唾液を飲み下して指を握り込む。
「……誰だ?」
誰何した所で相手が応えるなど思ってはいない。だが答えはなくともなんらかの変化は感じ取ることができる。
吐息を洩らすような微かな音に相手が笑ったのだと勘付いた時には、確かな体温と質感を持ってタキの直ぐ目の前まで迫っていた。
「くっ!」
暗い中でも硬質な輝きと鋭利さを持った刃が左脇腹下から右の肩上に向けて跳ね上がってくる。それを半歩下がりながら上体を反らして避けると、返す刃で左斜め下へと素早く振り下ろされた。
躊躇いも迷いもない動きと攻撃に息つく暇も無くタキは更に半歩下がり拳を構えたが、そこを狙ったかのように白刃が閃いて左の二の腕を服の上から切り裂いた。
『タキ、なにがあった?』
切羽詰った問いかけに応える余裕など無い。
押されている理由が、視界がきかないことだけだとは思えなかった。気配が希薄で息遣いも殆ど聞こえない相手の攻撃を予測することは難しい。闇に眼を凝らしてもうっすらとしか物の形しか見えないタキとは逆に、敵はまるで見えているかのように動いている。
そして暗い中で戦うことに慣れているように感じた。
不利だ。
互いの様子が解っている状態ならばタキとて後れを取ることは無い。相手の得意な舞台で戦うことは命取り。
なんとかして活路を見出そうと思うが、攻撃の手を緩める気は更々無いらしい。
『なにがあったか知らないが、西側からくる奴らがそこへ辿り着くのも時間の問題だぞ』
忠告は有難いが、今は目の前の敵に集中させて欲しかった。
先へと進むことよりも後退させられている時に、背後に迫る危険に気を付けることなど出来るはずがない。
せめて少しでも光りがあれば。
互角に戦えるのだが。
じりじりと下がるしかないタキに焦りが生まれ、動きの見えない状況で全ての攻撃を避けることなどできない。
深手を負わずにいられることが幸いとしか言いようがなかった。
これだけ激しい攻撃をしているのに相手の足音も息遣いにも乱れは無く、ただ身動きするときに擦れて聞こえる衣擦れの微かな音が路地に木霊する。
どうすれば。
逃げ道を探したくても背後は十二人の討伐隊に、前方を戦い慣れた手練れに阻まれては上手く行かない。
なにかないのか。
灯りとなる物が。
この場を一瞬でもいい、輝かせるなにかが――。
「……雨?」
数時間前までは冷たい北からの風だった物が今は西からの湿った風へと変わっていた。海から吹く湿気を帯びた風は生臭い臭いと共に雨の匂いを連れてきている。
「そうだ、雨だ」
空から落ちてくる雨は汚れ、有害物質を多く含んでいることから人々から嫌われていた。だが雨が降らねば地面や空気は乾燥して、砂漠化が一気に進む。嫌われてはいても憎まれてはいない。
「―――――来い」
願えば叶う。
それが水に関係することならばタキの祈りは間違いなく届く。元々空には雨の源になる物がぎりぎりまで集められ、今にも降りそうになっているのならば尚のこと。
「今、すぐ」
西側の空が閃光で染まる。
それは遠くの空を走った稲光だったが嵐の予兆を秘めており、頭上の雲は厚く重なった物へと変化していた。
「―――――!」
対峙している相手のなかに雨に打たれることを嫌がる気持ちがあったのか、攻撃が性急になり今までよりも若干雑な物になる。
それとも暗闇が払われることが嫌なのか。
急がねば。
どちらにせよこちらにも猶予は無い。
挟み撃ちされれば切り抜けることは、より困難になる。
「来い!」
見えない布を強引に胸元へと手繰り寄せるように神経を集中させて乱暴に呼ぶと、黒い雲が渦を巻いて闇を濃くした。
最期の好機と見たか、相手は深く斬りつけて不用意に懐へと入り込んでくる。ぶつかってくるような勢いで鋭く、重い一撃を見舞おうと刃を立てて。
突き出される刃物が腹に届くか否やの時に轟音と共に空が光り輝いた。
明滅しながら雲を照らし、そして地上も遍く照らす雷光に浮かび上がったのは表情の無いのっぺりとした男の顔。無表情の癖に暗い眼窩の奥に幾人もの命を屠って来た心の闇と残虐さを湛えている。
顔を見られたことに驚愕し、一瞬だけ苛立ちに似た感情を垣間見せた。
「そうか、お前が」
第三区討伐隊隊長トレース。
最後まで言わずともタキがそのことに気付いたことを覚り、男は強い殺意を持って腹に刃を突き立てた。
刃先がめり込んでくる感触は気持ちの良い物では無い。身体が異物を察知して血液と脈が忙しなく動き始める。ぐっと腹筋に力を入れてそれ以上の侵入を拒み、タキは目の前の男の脇腹目掛けて上半身のバネだけで拳を見舞う。
肋骨は意外と脆い。
タキの腕力で殴れば折れた肋骨を肺に刺さらせることも容易だ。
ミシリ――。
確かな手ごたえがあったが、男は武器を手放して後方へと飛んで退く。その身軽さに痛みや怪我にさえも慣れているのだと感じ、厄介だと嘆息した。
「ここで倒すことができれば、願ったり叶ったりだ」
それでもタスクに託された仕事である第三区の制圧が、速やかに終わらせられる方法が目の前に転がって来た幸運を逃がす手は無いだろう。
自分がこの街を解放できればミヤマを救い出すためにタスクが来てくれる。
そのためならば多少の怪我など厭わない。
「さあ、さっさと終わらせよう」
一対一で戦えるのならば負ける気はしない。
邪魔が入らないうちに終わらせよう。
再び稲妻が走り、辺りが白く浮き上がる。ゴロゴロと熱量を持て余しながら空で巨大な獣のような力が蠢いてタキは薄らと微笑みを浮かべた。
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