エピソード80 新たな仕事


 治療中はタキに出来ることなどなにもない。

 痛みにのた打ち回り手が付けられない程に暴れまわるのであれば押さえつけるための助力はできるが、ここへと運ばれる人間は殆どが重症者で意識が無い者ばかり。

 言葉少なに助手であるソキウスに指示を出し、リラ自身は目と手先を集中させて弾の除去作業と縫合をてきぱきと済ませて行く。傷が浅い首の縫合はソキウスが担当していたが、驚くほど丁寧なのに迅速で改めて優秀な助手なのだと感嘆する。

 金茶の髪の女は青白い顔で固唾を飲んで手術を見守っていた。リラの腕を疑っていたようだが、実際治療を始めた彼女の迷いの無い動きに安堵したように息を吐いた後は黙って無事に終わるのを待っている。

 汗が額から落ちるのを見てソキウスがすかさず布を持ち、手を伸べてリラの顔に浮かんだ汗を全て拭った。

「……血が」

 掠れた声で呟き、ちらりとタキを女医は窺う。

「血が?」

「多く流れすぎている。もしかしたらそのショックで死ぬかもしれない」

 リラの言葉に女が息を飲み、唇を引き結ぶ。

 ここまで連れて来るまでに息があっただけでも驚愕すべきことだったのだ。理解はしているが、受け入れられるかはまた別物だろう。

「弾を摘出して無事に生き伸びられるかどうかはこの男の体力と運次第だね」

 最後の弾を腹部から抉り出してソキウスの左手に持っている平らな容器の中に転がし、釣り針のように先が曲がった針に糸を通した物を右手で差し出されリラはそれを受け取った。

「悪いんだけど、ここは狭いし余分なベッドも無いから治療が終わったらさっさと連れて行ってくれる?」

「解ってる。これ以上は迷惑かけられない」

 慣れた手つきで鉗子を使っての縫合をしながら、いつものように長居せずに帰ってくれと懇願されタキは小さく微笑んだ。

「迷惑かけられないって思ってるのなら、これ以上患者を連れてこないでくれたら助かるんだけど」

 眦を吊り上げて剣呑な口調で述べるリラには悪いがそれは約束できない。彼女ほど有能で、治療が早い医者はいないと第六区に住む人たちが口を揃えて言うようにタキもそれは実感として抱いている。

 だからまた怪我を負った仲間を見つけたらここへと運ぶだろう。

 迷惑だと言いながらもリラから治療を拒まれたことは無かった。

 討伐隊の軍人を連れてきても今までと同様に治療を施すのだから彼女の職業意識の高さは尊敬に値する。

「なんなのよ!その態度!本当に今度重症者を連れて来たらただじゃおかないんだから!」

「なんなら居留守でも使いましょうか?」

 縫合を終えた鉗子を受け取りソキウスが気の毒そうな顔でリラに提案するが、きっと一睨みされてひゃっと竦みあがる。

「ここから一歩も出ないって知られているのに居留守なんか使える訳ないでしょ!」

「そうでしたっ!」

「この、間抜け!」

 軽快なやり取りまで息があっていてタキの頬が自然と緩む。閉鎖的で小さな世界に住んでいるはずのリラだが、暗さも孤独も感じさせない。快活さと自意識の高さで己の才能を糧に生きている力強さはタキには眩しすぎる。

 命を奪うタキの能力とは違い、彼女は人の命を繋ぐ力を持っていた。

 地下鉄の暗がりで知る人ぞ知る存在でありながら、誇り高い仕事を生業とすることのできるリラは恵まれている。

 そして助手として傍にいて支えてくれるソキウスの存在もまた欠くことの出来ない物だった。


 二人が揃って初めて命を救う力になる。

 羨ましい。


 タキは庇護する対象を失い、そして心の支えとなる弟妹と共にいることのできない寂しさに打ち震える。

 平穏を得るために戦い、生き抜くために他人の命を奪い、多くの屍の上に立つ自分を弟妹たちは赦してくれるだろうか?


 自分を赦せるだろうか――。

 きっと難しいだろう。


 どんなに正義を振りかざして罪を誤魔化しても、自分の心までは偽れないのだから。

 正当化した所で変わらないし、消えない。


 反乱軍やテロリストたちは戦うための武器を得るために軍を襲い、国に優遇され協力している大手企業を襲撃して資金源とする。闇取引で得た武器で軍と戦い、また次戦うための武器を手にする。

 ただの略奪行為で、盗賊となんら変わらない。

 掲げているのが虐げられている国からの脱却であり、権利を取り戻す民のための戦いという大義があるから反乱軍として人々に認められているのだ。


 戦うと決めたのはタキだ。


 だから後悔はしない。

 でも全てを赦せるかはまた別の話だ。


「世話になった。この支払はいつものように?」

「そうして。今は価値の低い金よりも薬や消耗品の方が有難いから」

 治療を終えた軍人を肩に担ぎながら確認すると、リラはぞんざいに頷き現物報酬を希望する。

 討伐隊の持ち物から医療用の物資をリラへと全部回せば、今回の治療費に不足は無いくらいにはなるだろう。了承の意を告げてタキは狭い入口の上部を掴むと、傾斜になっている部分に右足を乗せぐっと腰に力を入れ、膝に身体を引きつけるようにして潜る。

 頭をぶつけないように十分注意しながら緊急連絡機の通路へと出ると、冷たい空気が汗をかくほどに熱を持った身体を包んだ。

 手を貸そうかと振り返ったが、女は身軽に入口を出てきてタキの横を擦り抜けると線路の脇をさっさと歩いて行く。あまりの素っ気無い態度に拍子抜けしながらもその背中を追ってホームへと向かう。

 闇に沈んだ線路と、奥深くまで続くトンネルは時間の感覚を失わせる。そして距離感すら曖昧にさせていくので、黙々と歩いている行為が苦痛に感じられていく。

 狂わされたとしても身体に染み付いた感覚は健在で、そろそろホームだということくらいは解った。左手を伸ばしてトンネルの終わりを指先で捉え、胸の高さにあるホームの縁にセクスを一旦横たわらせてからタキは両腕を這わせて一息に上る。

「……大丈夫か?」

 女に声をかけると既に上った後なのか「平気よ」とつれない答えが返った。安心してもう一度将校を肩に担ぎ直して改札へと向かう。

「ねえ、どうして助けてくれたの」

 純粋な疑問として口にされた言葉にタキは面食らって答えに窮する。

 女がセクスの死を拒んだからともいえるし、女と第六区討伐隊隊長の不可思議な関係に興味があったからともいえる。

 仲間からも敵からも恐れられていた男の人間的な部分を見たからかもしれない。

「……解らない」

 タキは結局答えを出せずに首を振る。

「ただ……。カルディアの人間も統制地区の人間も同じ人間で、少しのきっかけで解り合えることがあるのだとしたら」

 それに賭けてみたいと思ったのだ。

 ホタルとタキが生まれた場所も育った環境も違うのに友人になれたように。


 希望を抱いたのだと。


「どうかしら。セクスはこのことで軍を裏切るようなことはしないわ」

「……だろうな」

 堅物と呼ばれた男だ。

 命を助けて貰ったからと言って忠誠を誓っている軍や総統に反するとは思えない。

「信じる物が違っても、絆を持つことはできる」

「絆……」

 陳腐な言葉だわと続けて女はくすりと笑ったようだった。改札を抜けると階段の先に散りばめられた星空が四角く切り取られて輝いていた。身を震わせる冷たい風が容赦なく叩きつけてくる。

「セクスはあたしの部屋へ連れて行く。こっち」

 女が掌をそよがせて誘う。

 その後を着いて行こうとして「タキ」と呼び止められた。振り返ると討伐隊の宿があった方向から生気の失せた顔が闇の中で浮かび上がる。

「……アキラ」

「漸く見つけた。頭首からの言付けだ。第三区の討伐隊を殲滅し、一気に第一区の工場を解放せよ」

「またどこかのテロリストと共謀するのか?」

 質問にアキラはふわりと微笑み「君が中心となれ、だそうだ」と簡単に返答するが、直ぐには理解できずに固まる。


 俺が中心――?


「冗談じゃない」

「勿論冗談なんかじゃない。大丈夫だ。第一区を攻める時は頭首も出る。その前準備を整えろということらしい」

 頭を振りタキは受け入れられないと仕草で示すが、アキラの薄紫の瞳は鋭い光を帯びる。

「命令は絶対だ。忠誠を誓ったのならば命令に準じろ」

「くっ」

 決して裏切らぬ忠誠を。

 誓ったからには従う義務があった。

 ぐっと堪えて頷き、タキは困惑顔で歩を止めて待っている女の元へと歩き出す。気の重い仕事を命じられたことであっという間にどん底に突き落とされたような心地になった。

 どんどん難しいことを求められるようになっていく。

 それは信用からくるものか。

「ロータスに協力を求めろ」

 それだけ伝えるとアキラの気配は掻き消える。

 風と共に。

 ため息を零しそうになるのを飲み込んで、また新たな戦いへと挑まなければならないことに落胆しつつ拳を握る。


 振い落されないように。

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