エピソード79 彼女との邂逅


 第六区歓楽街。


 総攻撃を仕掛け終わり、討伐隊の隊長を討ち取ったと大騒ぎしているアポファシスとフォルティアの両陣営が宴会をしている中をアキラはクラルスのメンバーを探して歩き回る。

 黒いTシャツに赤いバンダナを着けている仲間を探すのは簡単なようで難しい。

 凍てつくような寒気にさらされて上着を着込んでおり、その下になにを着ているかなど知りようがなかったからだ。

 好んで反乱軍に所属する人間たちと親しくなろうとは思っておらず、顔を覚えていないことも困難さに拍車をかけていた。今では巨大な組織に成長し頭首タスクの求心力で更に規模が大きくなってきているので覚えていようが無かろうが大して違いはないかもしれない。

 ハゼのようにアキラを目の敵にしているような男であれば忘れようも無いくらいの印象を持つことができるが、殆どの人間がなんの特徴もない凡庸な者ばかりだ。

 反乱軍討伐隊が借り上げていた宿は投げ込まれた爆弾や銃弾で損傷しており、先程ちらりと中を見たが血だらけの兵士の躯がそのまま放置されるなど凄惨な場所と化していた。これでは営業の再開のめどなど立たないだろうが同情の余地なしである。


 軍に寝床を提供するからいけないのだ。


 脅されたか、それとも大金に目が眩んだか店主の悪口を口さがなく第六区の人間は言うに違いない。


 愚かなことだ。


 提供せずとも軍は力づくで搾取する。

 そうならないように言われるがまま差し出すことのどこが悪いのか。

 所詮は他人事。

「すまないが、タキという男を知っているか?」

 いつまでもあてどなく探し回るのも馬鹿馬鹿しい。アキラは早々に自力で探すのを諦めて、安酒を呷っている男に声をかけた。篝火と焚火で闇を払い、通りに座り込んで宿の厨房から食べ物や飲み物を遠慮なく運んでの祝杯を下ろして赤い顔をした男は「タキ?」と首を傾げる。

「ああ、あのクラルスから来た男だな?知ってるぜ」

 ややあって大きく頷き男は上機嫌で答えた。一緒に飲んでいた男たちも知っていると会話に入ってくる。

「体格のいい兄ちゃんだろ?あいつ銃も持たずに討伐隊に向かって行くんだから、最初見た時は頭おかしいんじゃないかって思ったけどな」

「こう、拳とか蹴りとか投げとかで力押しっていうのかな。そんな戦い方して」

「引きこもりのリラんとこに毎日怪我人せっせと運ぶもんだから、いい加減にしろってこの間怒鳴られてたわ。そういや今日も厄介な人間を担いで行ったからなー」

「ありゃまずい」

「確かに」

 アキラのことなどそっちのけで喋り倒し、男たちは顔を見合わせて渋面を作った。

 なにがまずいのかよく解らないが、どうやらタキは銃を嫌い己の力のみで戦い抜いているらしい。もとより異能力を授かっているタキにとって銃など恐れるに足らずだが、アキラの知る限り能力を自在に使いこなすまでには至っていないので油断は禁物ではある。


 銃を畏れず戦う男はタスクだけでいい。


 それが頭首タスクに神秘性と揺るぎ無い強さを裏付けるために必要な演出だからだ。

 一応そのことは警告しておかなくては。


 しかし、タキという男はどこまでも甘い。


 怪我人を放っておけずにどこかへと運んでいるようで、それがタキらしくもありアキラの顔にも苦い笑みが浮かぶ。

 タキが素手で戦うのは人を殺めたくないからでは無いだろう。彼の腕力が簡単に人の命を奪えることを知っているのだから。

 銃を使わないのは奪う命の重みを軽んじてしまいそうになるからに違いなく、タキはその拳や肩、背中や腰、足に至るまで相手を殺す感触と衝撃を受け止めようとしている。忘れないように身体の隅々に刻みつけて。


 不器用で、真っ直ぐな男。


「頭首からの言付けを預かって来ている。何処にいるか解るか?」

「反乱軍のか?」

 そうだと首肯すると男はアキラをしげしげと見つめ「あんたクラルスのメンバーか?」と確認してきた。見て解るように黒いTシャツに赤いバンダナを巻いているのだが、彼らは不思議そうな顔で杯を中途半端な位置で止めている。

「……なにか不都合でも?」

「あー、いや。クラルスの奴らはみんな若くて威勢の良い奴らだから意外というか」

「なあ?」

 成程。

 アキラの容姿が普通とは言い難いので男たちは言葉を濁して目配せをし合う。


 仕方がないのだ。


 顔色が悪いのも、病の影が色濃いのも、痩せているのも、死せる運命だったアキラを強引に現世に留めた名残なのだから。

 死の病に因り命の炎を燃やし尽くそうとしていたあの晩、心安らぐ天上の音楽に乗り天へと還るのだと身を委ねた時、意識薄れる中で聞いた海鳴りの音が勢いよくアキラの身体を深みへと引きずり込んだ。

 暗く一条の光も射さぬ水底は小さな気泡があちこちから立ち昇り、密やかな眠りと命の誕生を予感させた。

 ただ漂うばかりのアキラが途方に暮れ、祈りと共に救いを求めた声は海水に吸い込まれ泡になって消えて行く。


 ――疾く参れ。


 優しい声が誘い、アキラはふと面を上げる。闇色だった海が紺色へと変わり、辺りが薄らと明るくなった。


 ――穢れし地を我が手に。


 女の声だと思った。

 高くも無く低くも無い。心地良く響くその声はまるで子守唄のように微かな抑揚があり、アキラの心をそっと揺さぶった。


 ――これは世界の意思である。我が手足となり、思いのままに吹く風と成れ。


 疑いようも無くアキラは是と答えた。

 笑ったのか漣のような明るい声が響き渡る。


 ――では、疾く参れ。


 光が降り注ぎ、アキラは満たされた。

 汚染地区で生まれ育ち、幼くして病を得た身を呪い苦しんだ心と身体に受けた輝きは全てを浄化して行く。

 差し伸べられた白い腕と白皙の美しいかんばせは神々しく、直視するのも憚られ知らず膝を折り跪いていた。

「来たな。風を起こし者。名は?」

 問われアキラは己の名を告げた。

 それが、始まりだ。


 幸福に満ちた彼女との邂逅。


「おい、兄ちゃん大丈夫か?」

「……すまない。大丈夫だ」

 肩を揺する手の感触にアキラは我に返り、心配そうに顔を覗き込んでくる男たちに薄らと笑いを浮かべて応える。

「何処にいるか解るか?」

「ああ。まだリラの所だろうよ」

「リラ、とは?」

 女性名だが、タキが特定の女を惚れ込んでいるという情報は得ていない。そこに怪我人を運んでいるというのだから、治療ができる技術を持っている女なのだろう。

「地下鉄の線路を少し南東へ下った場所に緊急連絡機がある。その狭い通路の先に住んでる女医者だ」

「地下鉄、南東、連絡機、了解した」

 重要なことだけを繰り返し、アキラは礼も言わずに男たちに背を向ける。彼らもまた興味を失ったように酒を飲み交わし実の無い会話を再開した。

 彼女との手足となり働いて数年経つが、未だにあの時の幸福感を忘れることはできない。

 一瞬でアキラの全てを理解し、満たしてくれたのだから。


 死をも歪める力とは、神の力そのものである。


「世界の意思であり、オレの願いでもある」

 天へと還るのではない。

 海へと還るのだ。

 全ては海から始まり、海へと還る。


 それが理だとアキラは信じている。

 強く、硬く。

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