エピソード72 盗み聞き



「北の地で隣国マラキアの空爆が行われたらしい」

「その空爆で総統の子息が死んだんだとよ」

「ざまあねえな」

 路地の奥で笑い草となっているのは愚かな戦争を始めた総統の息子が命を落としたことについてらしい。

 囁かれている声は三つ。

 良く耳をそばだてないと聞こえないくらいの声を路地の入口で息を潜めてスイは聞いていた。

 ここ数日あちこちを歩き回って手に入れた情報はマラキア国との戦争はどうやら劣勢であり、連れて行かれた戸籍を持たない者たちと陸軍を率いて戦っていた総統の息子が先日の空爆以来行方知れずらしいということのみ。


 シオは大丈夫だろうか。


 胸の内側を掻き毟られるかのような痛みにスイは眉を寄せてドックタグを握り締める。兵を率いていた人物が死んだのだから、この戦争は終結するのではないかという淡い期待と逆に生き残った戸籍無き人間と兵たちはどうなるのかと不安も過る。

 戦争で負けた方の兵は戦勝国の捕虜となるらしい。

 そうなってしまえば帰って来ることなど更に難しくなる。どんな扱いをされるのか解らず、労働力として酷使されて死んだり抵抗して殺されたりするとも聞く。

 恐ろしさで震え上がりながら必死で兄の無事を祈る。

 この願いが叶うのならばスイはどんなことでもするだろう。


 だから、お願い。

 どうか無事に帰ってきて。


「これでマラキアがこっちへ侵攻してきたらどうするんだろうな?」

「敵う訳ねえだろう。相手は豊かな強国だ。抵抗するだけ無駄ってもんさ」

「いっそのこと総統もカルディアの人間も排除してくれないかね?」

 そうなれば願ったり叶ったりだなと笑い日頃の鬱憤を晴らしている男たちは、それでも戸籍を持った国民であり国に護られているのだ。

 歯噛みしながらそれでも息を詰めて話を盗み聞きする。

 これが一番の情報収集方法だった。

 スイがどんなにタキの行方を捜して尋ね歩いても誰も相手にはしてくれない。知りもしない子供にテロリストや反乱軍の話をする迂闊で軽率な人間は誰もおらず、胡乱な目をして邪険に追い払われることが多かった。

 だからこうして暗がりで交わされる会話から情報を得るくらいしか方法は無く、そして安全で効率的だった。

 時には気づかれて治安維持隊や保安部に情報を売る子供だと勘違いされて追われたり、目障りなスイを少々手荒に脅してくる人間もいた。

 最近では顔を覚えられたのだろう、様々な商品と共に情報が集まる第三区をスイが歩くだけでみなが口を閉ざして明らかに人々が避けていく。

 面白いほどに。

 だが面白がっている場合では無いこともまた事実。

 スイには情報が必要であり、テロリストや反乱軍とどうにかして接触したいがその方法が解らない。

 あんなに街頭でビラを配ったり演説していたテロリストたちは、討伐隊との戦いに忙しいのか姿を消してしまっていた。

「どこに行けば会えるのか、」

 誰か教えて欲しい。

 ほうっと溜息を吐いた気配が伝わったのか路地の奥で喋っていた声が止まり、慌ただしく去って行く靴音だけが残された。

 欲しい情報が聞けないまま逃げられてしまったことに脱力し、スイは路地から抜け出す。ぶらぶらと歩きながら大通りへと向かい、整然と並んだ店舗の入り口から中を窺えば客の姿は無くどこも閑散としていた。

 “五名以上が一箇所に集まることを禁じる”とはなんと強引で勝手な法律なのか。

 そのうち外出禁止令が出されるぞと囁かれていた噂はきっと遠からず施行される。外へ出るなと言われても、食べる物や必要な物をどうやって手に入れるのか。

 国が配給してくれるわけでもないだろうに、そんな無茶を通そうというのだから呆れてしまう。

「蓮の花、革命を象徴する花」

 その花は一体どこに咲いているのか。

 探しても見つからないなんて、仲間に加わりたいと思っている人間はどうやって彼らの元へと辿り着くのだろう。

 立ち止まりビルに囲まれた街を見上げる。覆い尽くさんばかりの高いビル群のどこかに彼らはいるのか。

 それとも別の場所で活動をしているのだろうか。

「ここにも、いるはず」

 反乱軍討伐隊はここにも兵を派遣し、夜毎テロリストと戦っているらしい。

「……夜?そうか」

 それならば夜に街へと出て、戦っているテロリストに近づけばいいのだ。

 危険だからと怖気づいていてはなにも手にすることはできない。

 暗くなる前に家に戻り夜間は出回らないことと言う兄との約束も、それを注意する者がいなければ守る必要性はどこにもなかった。

 兄を探して危険に身を投じることを止めて欲しければタキが出てくればいい。

 迎えに来てくれればなんの問題もないのに。

「ちっともタキは解ってない」

 スイの性格を知っていれば約束などおとなしく守らないと簡単に想像できるのに。

 それを責めることはできない。

 ここ数年タキは身を粉にして夜間に働き、顔を会わせるのは朝と夕方に帰宅したスイとすれ違う数分程くらいだったのだから。

 その間ずっと言いつけを守る利口な妹であろうとしていたスイの姿を成長したのだと勘違いしているのだ。

 本当は孤児院の頃からなにひとつ変わっていないのに。

 タキよりも一緒にいた時間が長かったシオならば、放っておいたらまずいことになると予想がつき迎えに来ていただろう。

 渋々と言った体で。

 部屋に戻って出直せばアゲハが心配して止めるだろう。だから帰らずに夜まで時間を潰して待とう。

 当ても無くスイは歩き出す。

 少し動いただけでも吹き出す汗を拭いながら影のある休める場所を探していると、シャッターを閉めた店舗が路地の入口にあるのを見つけた。

 青と白が交互に配色されたテントがついた店先には三段ほどの階段があり、そこへちょこんと腰かけてスイは吸い込む風の熱さを感じながら嘆息する。鼻と喉を抜ける呼気まで熱い。乾燥しているので粘膜が乾いて水分を欲するが、高価な水を買う余裕などスイには無かった。

 大丈夫だ。

 飢えや乾きを我慢するのには慣れている。


 いや。


 飢えを我慢するのは慣れているが、喉の渇きを我慢したことが無い気がする。

 はたと考え、スイは孤児院の裏にある手押しポンプから流れる水を思い出した。あの水は甘くて美味しい。澄んでいて、綺麗で。軍の施設から引っ張ってきている水だったので大っぴらに言えなかったが、スイはミヤマの家で飲んだ水より美味しい水を口にしたことは無い。

 高価な値段で売られているペットボトルの水すら敵わないほどの美味しさ。

「あれを売ればお金になったのに」

 味を思い出すと余計に喉がカラカラに焼ける。

 だがタキはあの水のことは絶対に誰にも言ってはいけないと真剣な顔で何度も言い含めてきた。

 そして自分たち以外に誰にも飲ませてはいけないとも。


 何故だったんだろう?


 他人に知られては軍に捕まってしまうからだったのかもしれない。もしくは奪われてしまうと懸念していたのかも。

 どちらにせよあの頃は悩みも無く幸せだった。

 スイが欲を出して夢など見たせいで兄たちに苦労をかけることになってしまったのを今更ながら後悔する。

「のど、かわいた」

 今日は特別熱く乾燥している。

 膝を抱えてその上に頭を乗せると途端に眩暈がした。こんな所で意識を失えばどうなるのか子供でも知っている。

 だから必死で薄れゆく意識を引き寄せて込み上げる吐き気を飲み込んだ。

「おい」

 不機嫌そうな声が聞こえたがそれが自分に向けられているのか、それとも他の人間へとかけられたのか確認するのも億劫でスイは無視する。

「起きろ」

 頭上から黒い影が落ち、白い地面に濃い影を作る。どうやらスイに用があるようで、のろのろと顔を上げると眼前が暗黒に包まれた。

「ふっ……!」

 くらりと頭が仰け反ってスイは慌ててなにかに縋ろうと手を伸ばした。だが指先は空を掻き身体は力なく横倒しになる。

 ざらついた硬い階段に倒れると覚悟したが、その前に肩を掴まれ背中を支えられたので事無きを得た。

「世話の焼ける」

 舌打ちが聞こえそうな声にスイはぼんやりとした意識の中で少しシオに似ているなと笑う。だがシオよりも落ち着いた声とゆったりとした喋り方は耳に心地いい。

 ようやく視力の戻り始めたスイの目に映ったのは眼鏡をかけた線の細い男の顔だった。

「熱中症に因る脱水症状だ」

 じっと見上げてくるスイが不安そうに見えたのか男は端的に説明して荷物から半分しか入っていないペットボトルを取り出しキャップを外して渡してくれる。

 受け取り透明な容器の中で揺れる水は半分しか入っていないとしても貴重な物だ。それを飲んでも良い物かと悩んでいると、眼鏡の向こうで細い眉を寄せて黒い瞳を一瞬だけ動揺したように反らす。

「飲みかけを嫌がる状況じゃないだろう」

「あ、ちがう」

 そうじゃない。

 男の飲みかけの水を飲むのが嫌で逡巡していたわけではないのだが、逆にそう言われてしまうと意識してしまって飲みにくくなる。

 それでも喉は乾いていて、口に含むと後のことなど考えられずに全て飲み干していた。

「外を歩くなら水を持ち歩くくらいの配慮をした方が良い」

 死にたくなければ。

「ありがとう。親切なんだね。なにかお返しがしたいけど、残念ながらなにも持ってないんだ」

「別に見返りが欲しくてしたわけじゃない」

「それこそ貴重な人間だ」

 そんな人間もいるのかと目を丸くして見上げると何故か男はスイの瞳を食い入るように見つめてきた。

 そして「そうか」と自嘲気味に笑って軽く頭を振る。

「なに?」

「いや。なんでもない。それよりここでなにをしていた?」

 問われてスイは正直に兄を探していると答えた。

「ここにはいない」

「え?なんで?もしかして、知ってるの!?」

 立ち上がろうとして脚に力の入らなかったスイは階段に逆戻りする。へたり込みながらもここにはいないと断言した男の手を引いて知っているのなら何か教えて欲しいと繰り返す。

「そんなに目立つ金の瞳をしているやつがこの第三区にいればすぐに解る。最近そんな目をした子供がうろついているって噂しか聞いたことが無い。それは君のことだろうから」

「じゃあ、どこに行けば」

「……第八区で見た者がいると聞いたことがある」

第八区ダウンタウン?」

「だが今もそこにいるのかは解らない」

「でも、可能性はある」

 スイは空のペットボトルを握り締める。

 そしてよろよろと立ち上がりながら男に笑いかけ「ありがとう」と礼を言った。

 ようやく手にした情報にスイの心は浮き上がる。

「だがあそこは危険だ。討伐隊も他より多い」

「大丈夫。危険を恐れてちゃなにも手に入らないから」

「……そうか。気を付けて行け」

 首肯し何故か見送ってくれた男に頭を下げてからスイは移動を始めた。


 やっと会える。

 タキと。


 そして新しい戦いの日々が始まるのだ――。


 昂揚感を胸に歩き出し、再会の時を焦がれてスイの足は一歩一歩前へと進んで行った。

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