エピソード71 悔しいけれど


 キョウが請け負っている内務の仕事は殆どが執務室での作業であり、時折書類を持って事務官が訪れるくらいなので気を張らずに済んで楽だ。

 ここに詰めている時は礼節も規則も弁えないリョウでさえ基本的には放っておいてくれる。同じ年齢なのに子ども扱いする生意気な青年が傍に居ないことを少し心細く思うのは、保安部で唯一味方だったクラウドを喪ったからかもしれない。

 彼は部下に慕われる立派な人物だった。

 持たざる者である統制地区の人々を差別せず同等に扱い、無慈悲なことは極力しないように務めていた。

 そんなクラウドだったからこそ親の七光りでここにいるキョウのことも、他の人間とは違って特別扱いもせず同じ保安部の同志として普通に接してくれていたのだ。


 失って初めてその存在の大きさと優しさを知るなんて。


「私は一体なにを見ていたの……」

 強がって虚勢を張らねば舐められるからとクラウドに対しても強情な態度を貫いていた。ちゃんと素直な気持ちで受けていれば彼が思いやりから発言した言葉であることも、キョウを心配していてくれたことも解ったのに。

「いつから私はこんな風になってしまったのか」

 父の口利きで今の職を得た時からでは無いはずだ。記憶を遡ればそれは母の死へと行きつき、庇護を失ったことから始まった父からの直接的な圧力が原因だと解っていた結果に嘆息する。

 厳しい顔で値踏みするような目で子供たちを見ていた父は、母が間に入ってくれていた頃はまだ良かったように思えた。

 柔らかな声と眼差しでその場を和ませることができた母の偉大な愛はキョウの父であるナノリと子供に分け隔てなく注がれており、それが緩衝材となって家族という形を構成することができていたのだ。

 母亡き後、あっという間に偽りの家族の形は瓦解した。

 それから兄のホタルは妹弟を護ろうと間に立ち必死で父の希望に添えるような子供であろうと頑張っていたが、父の求める理想の息子像には到底及ばないのだろう。

 いつだって失望と諦念の二つを左右の瞳に浮かべて言葉も無く去って行く。

 キョウも兄にならって必死に優等生を演じたが、それすら見抜いていたのだろう父の眼には滑稽に映っていたに違いない。


 認められたいと願う子供の気持ちを、父は理解できないのだ。


 元々気の小さなアゲハがそんな父の威圧に耐えられずに家を飛び出してしまったあの日。普段なら頼みごとなど恐ろしくてできないが、弟を探して欲しいと頭を下げた。

 だが父は「代わりなどいくらでもいる」と撥ねつけて、「お前も辛ければ出て行っても構わん」冷たく続けられた言葉にキョウは愕然とした。自分の代わりもいるのだと暗に仄めかされ、ああそうでしょうと妙に納得した。

 キョウよりも優秀で使い勝手の良い人間など幾らでもカルディアにはいるのだ。

 父との間にあるのは血の繋がりでしかなく、最早同じ屋敷で生活するただの同居人と言った方が間違いはない。


 だからアゲハの気持ちを察して、汲んであげることができない。

 邪魔になる存在ならば斬り捨て、他の人間で代用する。


 情が無いのだから簡単だろう。


「それでも、」

 キョウは父に認められたいと願う。

 優しくしてもらったことなど一度も無いのに、父を恨むことができないのだ。嫌うことができずにただ一言「頑張ったな」と言ってもらえればそれで満足できるのに。

「きっと一生聞くことの無い言葉ね……」

 悔しくて虚しくて惨めだ。

 折角誰の視線も僻みの声も聞こえない安全な執務室にいられているというのにキョウの心はささくれ立ち、一向に穏やかな気持ちになれずにいた。

 兄すら結局思い通りに操り、反乱軍討伐隊などという無理難題を押しつけて。

 それでも同じ壁の中に兄がいるのだという安心感はキョウの支えになっている。会おうと思えばいつだって会いに行ける。たったそれだけで孤独だったこの世界で確かに立っていることができるのだから。

 その点では父に感謝をしている。

「ホタルには悪いけど」

 ペンを置いてキョウは大きく腕を天井に向けて突き上げる。固まった筋肉と血流を良くするためにゆっくりと伸びをしてから肩を回す。

 書類ばかりと向き合っていては気が滅入ってしまう。

 座りっぱなしでは腰も痛む。

「よし。気分転換しよう」

 机に両手を着いて椅子を膝裏で後方へと押し下げて立ち上がる。窓の外は太陽が輝きじりじりと道路を焼き尽くさんばかりに照らしていた。

 冷暖房が完備されている壁の内部は昼の熱さも夜の寒さも関係なく快適な温度になっている。そんな中で生活をしているせいで、外勤で統制地区へと出た時はうだるような暑さに参ってしまう。

 いっそのこと冷暖房を切り、外気温と同じ環境にいた方が身体は楽になるだろうに。

 そうしないのは快適さを失いたくない欲と、統制地区の汚染数値がここ数年危機的な物へと跳ね上がっているからだ。

 窓を開けて空気を入れれば、それは肺や気管を病む恐ろしい毒を吸い込むリスクを増やしてしまう。

 だからカルディアの人間は外出時には車に乗り、外を歩くなどしない。歩道も整備されているがそこを歩くのはカルディア地区では最下層に当たる、大店に勤める人間か富裕層の屋敷へと奉公している人間たちくらいだ。

 カルディアと統制地区に格差があるように、カルディア地区内部でも格差は存在する。

 どんな国にもどんな場所にも必ず格差はあるのだから。

「みんなが幸せで不満も無い国を作るなど不可能なのかも……」

 それぞれが違う意志を持ち、違う思考力で動くのだから全員が同じ水準で満たされることは難しい。

 人は欲深く、満たされたと思ったら直ぐに次を求めるから。


 執務室の扉を開けて廊下へと出るとそこも涼しく、少々寒く感じられるほどだった。多くの兵士が働くこの場所では人とすれ違うことを避けることはできない。

 その度に囁かれる下卑た会話や、通り過ぎた後でも追ってくる気色の悪い視線に正直辟易しているがそれを面に出すことはできなかった。

 聞こえないふり、もしくはそんなことなど全然気にならないのだという態度を通さなければ精神が持たない。

 気分転換にと出たはずが、更に気鬱を増し執務室から出てきたことを早々に後悔し始める。

 廊下を抜け階段へと出ると珍しく誰の姿も無くほっと息を吐く。

 のんびりと一階まで下り廊下へと出ると流石に多くの気配と騒がしさが押し寄せてくる。気を引き締め直し、表情を消すとキョウは早足で廊下を進んだ。


 ここでクラウド殿は――。


 爆弾の威力で壁が壊され、燃えた個所は直ぐに修繕されそこだけが真新しい。この場所を通るたびにキョウの心は掻き乱され、つい歩みが遅くなってしまう。

 綺麗な花がいつも飾られているのを見ると、それだけ部下に愛されていたのだと嬉しく思う反面悲しくなる。

 そして自分がそうなった時に花を手向けてくれる人間がいないことに気付かされ虚しくなるのだった。


 仕方がない。

 ここでは心を開いて仲間を作ることなどできないのだから。


 それができるようになるのはキョウ自身に保安部で働く能力が備わり、自信が持てるようになった時。

 まだまだ先のこと。

 自分は未熟で拙い。

 年齢を思えばそれも仕方のないことだと飲み込み、キョウは一旦壁の内部から出るために両開きの入口から外へと出た。

 ホタルは統制地区から見て保安部のある左側の壁では無く右側の壁にいる。会うためには外へと出て巨大なゲートを横切らなければならない。

 門は厳重な警備の元、沢山の車両や人々が出入りしている。その波を掻き分け避けるようにしながら歩いていると、門の端に見慣れた人物が立っているのに気付いた。

「リョウ?」

 帽子を被っていない金茶の髪が熱を含んだ風にそよいで輝いている。こちらに背を向けるようにして立っているので彼の色気のある目元と意外と精悍な頬の線しか見えない。

 それでも紺色の制服を着た後ろ姿は毎日見過ぎて間違いようがなかった。

「誰かと、話してる?」

 リョウの前に立つ人物は鮮やかな金の髪を綺麗に整え、切れ長の碧色の瞳をした美貌の男だった。楽器の入ったケースを持ち、上品なスーツに身を包んだ姿はどこか貴公子のような雰囲気がある。

 立ち尽くして見つめていると男がキョウに気付いたのか美しい微笑みを浮かべて、今まで親しげに話していたリョウに意味ありげな視線を寄越してから統制地区の方へと歩き去って行く。

 その姿を追って首を巡らしていると、いつの間に傍まで来たのか紺色の制服が視界を遮った。

「こんな所でぼんやり立っていたら反乱軍に襲われても文句は言えませんよ」

「ぼんやりだなんて、してない」

 こんな往来で、しかも警備の兵が大勢いる所が危険ならばどこも安全とは言い難い。

 むっとして言い返すとリョウはにやりと笑って灰青色の瞳をちらりと後ろへと向け「あいつ綺麗な顔してるから」見惚れてしまうのも解りますが、と続けて揶揄してくる。

 頬が熱くなりキョウは慌てて顔を背け「別に見惚れてなんか」と反発しながら道を横断する。当然のようについて来るリョウの気配にどこか安心しながら来なくても平気だと返すが鼻で笑って流された。

「誰と話していたの?」

「気になりますか?キョウ様もやはり女性ですね」

「違っ」

 そういう意味で尋ねたわけではないのに、リョウはいいんですよと艶やかな目元を細めて微笑む。

「あいつは古い友人なんです」

「貴方にそんな人がいるなんて思いもしなかった。奇特な人だから大切にしないとね」

 嫌味を籠めて言ったはずなのにリョウは何故か嬉しそうに頷いた。

「そうやって私のことを憎からず思ってくれるようになったようでなによりです」

「だから、ちがっ!」

「照れない、照れない」

「照れてません!」

 ムキになって言い返せば言い返すほどリョウのにやにや笑いは深くなる。からかわれているのだと解っているのに、どこかそれが心地よくてキョウは苛立つ。

 同じ歳なのに余裕綽々で生意気で。

 でもその軽口に救われている自分がいる。


 悔しいけれど。


 自分では彼には勝てないのだと痛感する。

 男だから女だからとか、経験や育ちの違いだとかでは無い部分で。

 だから悔しいけれど認めよう。


 彼がいてくれて、良かったと。

 絶対に口にはしないけれど、心の中では素直に。


 後ろをついてくるリョウとの会話を打ち切って左の壁の入り口へと向かった。


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