エピソード70 気紛れのイゾラ


 情事の後の気だるさと湿った汗の他に動物的な臭いを纏わせて男がゆっくりと身を起こす。手を伸べてその首に絡ませ「もう行くの?」と甘えて問えば、先程何度も果てたはずの男の眼に情欲が再び灯る。

「いくら勤務時間外とはいえ、こんな時に女と寝てたなんてバレたらまずい」

 だが饒舌に目は色欲を訴えながらもこれ以上の行為を拒む言葉を口にし、男は己の首にしがみ付く白い腕を解いて寝台の端に腰かけた。そしてこちらに背を向けたまま床に脱ぎ散らかした黒い軍服を掴み上げ、手早く身なりを整え始める。

「なあに?そんなに上官殿は恐い人なの?」

 くすくす笑いながら制服に包まれてしまった広い背中に触れ、そっと頬を寄せる。

「イゾラ、そんなに笑うがセクス様の怒鳴る声を聞いたらどんな屈強な男でも縮み上がって、誰にも言いたくない秘密のひとつやふたつ暴露したくなるくらいの威力があるんだぞ?」

 肩越しに振り返る男の顔はさっきまで睦み合っていた時の情熱的な物から、軍人特有の鋭さと冷たさを持った物へと変わっていた。

 いつものことながら制服の持つ力には驚かされる。

 着るだけで普通の男を軍人へと変えてしまうのだから。


 きっとそうなるように訓練の一環として組み込まれているんでしょうね。


 心の中で嘲笑しながらもイゾラは表面では蕩けるような笑みを浮かべる。体力だけはあるものだから何度も相手をさせられ、あちこち痛いしゆっくりと眠りたかった。

 でも別れ際に拗ねたり、惜しんだりしなければ男は不満に思う生き物だ。

 腰を上げてイゾラを見下ろす男に「また来てくれる?」とねだりながら上半身を起こすと剥き出しの乳房が顕になる。それを恥じらうように毛布を引き寄せて隠すと、また男の眼がギラギラと輝き出す。


 本当に単純で可愛い生き物だこと。


「当たり前だ」

 低い声で返答しながら身を屈めて唇を重ねてくる。そのねっとりとした口づけに応えながらも、心の中ではさっさと終わらせて帰ってくれと悪態を吐く。

 自分の快楽を貪るだけが精一杯の男は女を悦ばせる技術など持っていない。がつがつと力任せに腰を振られてはこちらの身が持たないのに。


 でもどの男もこんなものだ。


 柔らかな肉の手触りと温もりを感じようと乱暴に身体を重ねてくる。所詮受け身の女の身体は男の欲望を受け止める道具でしかないのだろう。

 だがそれが嫌なわけでは無い。

 そうすることで得られる物も多いからだ。

 仕事だと割り切れば、それはまた違う意味を持つ。

「おれ以外に娼婦の真似事はしてくれるなよ?」

「ふふ、それならあたしが寂しくて他の男を誘う前に来て」

「ああ、すぐに」

 来るからと言い置いて男は足早に部屋を出て行った。イゾラはそのまま布団にもぐりこんで寝ようかと思ったが、体中から男の臭いがするのは気持ちが悪く仕方なく起き上がる。なにも身に着けずに部屋を歩き、隅に置いてある古くて粗末な衣装箪笥の一番上の抽斗を開けた。

 身体を拭くウェットシートとタオルを取り出し、狭い簡易台所へと向かうと蛇口を捻ってタオルを水で濡らす。硬く絞ったタオルで身体をごしごしと拭き、男の匂いが取れたところでウェットシートを使って再度拭き上げた。

 さっぱりした身体とは裏腹に髪からもあの男の匂いがして、堪らず冷たい水を流してその中に頭を突っ込んだ。

 金茶の髪は緩くウェーブを描き、白い頬に柔らかな影を作るイゾラの自慢だった。灰緑色の瞳は常に潤んで男を誘う色香を持っている。細身の身体に形良く深い谷間を作る胸とくびれた腰にきゅっと上がった尻。ほどよく肉のついた腿から脹脛にかけての美しい脚線美は男の目を引きつけて止まない。

 イゾラは娼婦ではないが身体目当てに近寄ってくる男は後を絶たず、その全てを相手にしていたのではとてもじゃないがこちらの方が参ってしまう。

 邪な男たちを寄せ付けないために考え出した方法は思いの外イゾラの性に合っていた。

 寄って来た男の金品を奪い、時には命をも頂戴する。

 そしてそれで食べて行けるほどの稼ぎを得ると共に、噂が広まると男たちが震え上がりイゾラへと近づかなくなった。

 この第六区でイゾラを知らぬ者はいない。


 泥棒猫のイゾラ。

 気紛れのイゾラ。


 盗みも殺しも別に苦にはならない。男の性欲を満たすためにその間イゾラの尊厳を奪うのだから、それに見合った物を奪ってなにが悪い。


 お互い様だ。


 その時に金目の物を奪うか、命を奪うかは気分次第。

 気紛れと呼ばれる所以だ。


「セクス様ねぇ」

 男が口にした上官の名前を呟いてイゾラは目を細める。

 現在第六区で反乱軍討伐隊を率いる将校の名前だ。

 ここ第六区にはふたつの反国主義勢力がある。西のアポファシスと東のフォルティアだ。リーダーのネロとヴァダには面識があり、少なからず因縁があるためイゾラはそのどちらにも与していない。

 だが軍の人間が歓楽街を我が物顔で歩き回り、騒がせているのは気にくわなかった。

「き~めた」

 次の獲物を確定させてにたりと笑う。

 ぽたぽたと水滴を零す髪の先をぎゅっと搾り、イゾラは寝台へと向かう。シーツと枕カバーを剥いで床に落ちていた自分のシャツで髪の水気を拭うとどさりと布団に倒れ込む。

 男の匂いの残る毛布に包まりながら頭の中では別の男を思う。

 疲労した肉体は思考を飲み込み眠りへと誘っていく。起きたらやらなきゃいけないことが山ほどある。

 洗濯と、空腹を満たすこと、空気の入れ替え、それから標的の下調べ。


 だから今は眠ろう。


 仕事の前に英気を養わなくては。

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