反乱軍 ~Clarus~

エピソード63 それぞれの戦い


 扉が叩かれ座っていたソファから立ち上がり玄関へと向かう。覗き穴から訪問者を確認すると、国が営業を許可した印の入ったジャケットを着た男だった。見慣れたそのジャケットに胸がきゅっと締め付けられるように痛む。

 シオが働いていた会社の配達人だ

「はい」

 チェーンをかけたまま鍵を解錠し細く開けると、男はここまで上がって来て汗だくになった顔をスイへと向けた。「御届け物です」とペンと共に差し出された茶色の封筒を受け取って、表面に張り付けられている受領書に名前を書く。剥がしてペンと一緒に返すとぺこりと会釈だけして階段を駆け下りて行った。


 あんな風にシオも働いていたんだ。


 働いている姿など見たことが無かったが、不意に届けられた封筒と届け人からシオの仕事ぶりを想像して小さく笑う。

 扉と鍵を閉めてスイは廊下を通ってリビングへと戻る。

 いつもソファで寛いでいたシオの姿も、ベランダで喫煙していたタキの姿も消えたこの部屋はあんなに居心地が良かったのに今では誰もいない空虚さだけが満ちていた。


 寂しい。


 ドックタグを服の上から握り締め、北へと連れて行かれたシオと行方の分からないタキを呼ぶ。

 ひとり残された寂しさは、残して行った方には解らないだろう。帰りを待とうと励ましてくれるアゲハもまた、帰ってこないホタルを案じて時折瞳を翳らせる。

 タキはどうして帰ってこないのか解らないが、保安部に捕まった訳ではないだろう。意味も無くスイを放っておくような兄では無いことは良く知っている。きっとなにか理由があるのだ。

 だから今はこうして二人の帰りを待つしかない。

「なんだろう」

 届け先はここの住所とスイの名前が書かれてある。差出人を確認すると統制地区の役所からだった。怪訝に思いながらも封を開けて中から一枚の紙を取り出す。

 活字が並んだその紙を最後まで読んだが、理解できずにもう一度初めから読み直した。

「なに、これ。どういうこと?」

 何度読んだ所で内容は変わらない。

 そう文面も長くないのですぐに最後の文字へと到達する。

 紙を持つ手が震え、スイは左手を額に当てて唇を引き結ぶ。別に難しい言葉が並べられているわけでもない。正しく文面の理解はできたが、何故この紙がスイの名前宛てで届けられたのかが解らなかった。


 戸籍登録の準備ができたので役所へ手続きに来るようにという呼び出し状。


「なんで?」

 戸籍登録の為の金額は途方も無く高額で、とても支払える金額では無いことくらいスイでも知っている。なにかの手違いで送られてきたとは思えない書類に驚き、ただ怯えた。

 のこのこと甘い言葉に釣られて役所へ行った所を捕えようと思っているのかもしれないと勘繰りながら、どこかでそれはないと打ち消す自分がいる。

 理不尽なことは多かったが、こんなに不可解なことは初めてだ。


「いや、違う」


 初めてでは無い。


 あれは“狩り”と呼ばれている戸籍を持たない者たちを一斉に捕える作戦が決行された日。スイも学校の校門で保安部に捕えられ、車の中へと押し込められた。必死で抵抗したが、軍人に小娘がどんなに抗っても敵う訳がない。そのまま連行されるのだと覚悟した所で派手な顔立ちの男によって救い出された。

 保安部の人間になにかを渡してからスイを自由の身だと車から降ろしてくれたあの時が不可解の初めてだ。

「あの時に渡したのは、」

 金のような物だったのだろう。

 男はスイの絵を気に入ったと、買い取ったといった。金額は聞いていないが、学生の描いた絵にたいした値段などつくわけも無いと気にも留めなかったが恐らくあの男が支払った金額は戸籍登録料と同額。

「なんだよ、それっ!!」

 思わず封筒と紙を投げつけて叫ぶ。

 一体なにが起きてこうなったのか、誰か説明して欲しい。

 どうして顔も知らないカルディア出身の男がスイの絵に高額支払って、拘束されるのを助ける必要があるのだ。

 何故スイにだけ戸籍が与えられるのだ。

 なんで自分だけ安全な所にいるのか。

「―—いっしょにっ!」

 両手で頭を抱えて目を強く瞑る。カッと頭に血が上り目の前が朱に染まったが、憤りを抑えずにスイは叫んだ。

「一緒に戦わせてよっ!!」

 苦しくて、辛くて喉を震わせて力の限りに叫ぶ。いつだって兄たちはスイの安全を第一に考えて、危険な物から遠ざけようとしてきた。それを不服に思いながらも、自分がまだなにもできない子供だったから甘んじて受け入れてきたのだ。

 でももうスイは十六で、物事の判断もつけられる。


 一緒に戦えるのに。


 兄はそれを拒むのだ。

「い、やだ。嫌だ!もう、嫌だ!絶対に探し出して、一緒に」

 戦うのだ。

 帰る場所を護るだけなんてしたくない。

 有難いことに学校は事態が収束するまでの間は休校となっている。あらかた戸籍の無い人間を捕え尽くすまでの間スイは自由に動けるのだ。

「タキはどこに」

 迎えに来ないのはスイが放っておいても安全であると解っているからだ。つまり戸籍が与えられることをタキは知っている。

 この戸籍を手に入れるためにタキは危ないことを引き受けているのだ。

 だとしたら。

「危険な所に行けばタキを見つけられる?」

 思い浮かんだのは生まれ育った第八区ダウンタウンと蓮の花のビラを配っていたテロリストの男の顔。

「あとは、」

 シオが持っていた冊子を調べればなにか分かるかもしれない。

 冊子はアゲハがシオから取り上げて部屋へと持ち帰ったはずだ。それをなんと言って見せて貰えばいいのか。

 きっとどんなに頼んだ所でアゲハは冊子を見せることを許しはしないだろう。

 ならばやはり。

「まずは第八区に行って、ミヤマに相談しよう」

 そうと決まってしまえば久しぶりに会えるミヤマのことを想い胸が弾む。アゲハに言うと心配するので黙って出かけることにする。

 鍵を握り締めてスイは逸る気持ちを抑えきれずに玄関へと走った。

 国は北へと開墾の為に人を送り込むと言っていたが、それは北の隣国への侵略行為であると今ではみんなが知っている。そして人工栽培所プラントハウスではなく武器を製造するための工場で働かされることも。

 シオは北で戦っている。

 生きて帰ってこられるのか解らない。スイは戦争の経験はないし、北の隣国がどれほどの戦力を有しているのかも知らないから。

 それでもシオが簡単に死ぬとは思えない。

 今でも戦場を命がけで駆け抜けているはずだ。

 それならばスイも。

 それぞれの場所で、それぞれの戦いをしていれば、いつかはその先で巡り合えるかもしれないではないか。

 だからスイは諦めない。

「恐れるな」

 常に心で呟く言葉はスイの勇気を鼓舞する。

 命がけで戦わねばきっと、二人には出会えないから。

 チカチカと明滅する灯りと喧しい換気扇の音を聞きながらスイは階段を駆け下りた。未来を描くために手にするのは絵の具でも筆でも無い。

 己の強い意志なのだと念じて、太陽が照りつける下へと飛び出した。




 スイが乗った第四区の地下鉄から第八区へと向かう路線は、第七区の工場地帯の駅を三つほど通過して最終駅へと到着する。目的地へと近づくにつれて人がどんどん少なくなっていくのは当然のことだった。

 第八区は北の一部に軍の施設と西の海岸側に原子力発電所と軍の基地がある。統制地区では最近テロリストだけでなく、それよりも規模の大きな反乱軍が派手に活動していた。本来ならばそれを取り締まるはずの治安維持隊と保安部とは別に、国は反乱軍討伐隊を組織しその対応に当てている。

 治安維持隊と保安部は街の警備と監視を厳しくして、戸籍を持たない人間を見つけることに集中していた。

 国の見解では第八区ダウンタウンがテロリスト及び、反乱軍の温床になっているとして苛烈な捜査を行っているというから面倒事に関わり合いたくない者は近づくことを嫌っている。

 座席に座りぼんやりと闇を眺めていると、斜め前に座り薄い雑誌を見ていた男が不意に顔を上げた。薄い紫の瞳は正面の窓を凝視して直ぐに視線を雑誌へと戻す。


 なんだろう、今窓越しに見られていた気がする。


 車両の壁に添って並べられた座席は向かい合う形をしていて、座れば正面の窓に自分の顔が映る。鏡程はっきりと映るわけではないが、顔立ちやどんな表情をしているかくらいは判別できた。

 男は正面の窓に映ったスイの顔が向かい側の窓に反射して映っている物を見ていたように感じたのだが気のせいだろうか。

 この車両に乗っているのはスイと男の他に中年の女の三人だけ。それぞれが視線を合わせず少し距離を取って座っているが、互いに無関心という訳では無い。こういう閉ざされた空間で気を抜いているとなにをされるか解らないからだ。

 相手が少しでも妙な動きをすれば逃げられるように、抵抗できるように身構えていることが常に必要だった。

 そうしなければ泣き寝入りするしかないからだ。

 中年の女が腰を上げて入口へと移動すると、音が変化し前方から光が流れてくる。あっという間に真っ暗闇だった窓の向こうが白々しいほどの蛍光灯に照らされた景色へ変わって行く。

 こういう風に瞬時に世界が変わればいいのに。

 勿論悪い方では無く良い方へ。

 男も雑誌を閉じ丸めて筒状にして持つとゆっくりと立ち上がった。青白い顔は眠れていないのか目の下にくっきりと隈ができている。伸びっ放しの黒い髪は蛍光灯の光を浴びて緑色に見えた。

 スイのことを窺っていたように見えたので一応警戒して男が降り、たっぷりと距離を取ってから駅のホームへ下りる。久しぶりに訪れた第八区の駅はやはり空気が悪いのか、喉がチクチクと痛む。外の異臭が入り込んで漂い、閉塞感と換気の悪さから長居はしたくない場所だ。

 料金を支払い改札を出て階段を上ると、男は西の海の方向へと歩いて行くのが見えた。スイは東側の軍の施設の方へと向かうので逆方向だ。ほっとしながら通りを東へと進み、三年ぶりに歩く街並みの変化に眉を寄せた。

 昔は道の端々に粗末な敷物を敷いて座っていた人間が沢山いたが、その姿だけでは無く道を歩く人影すら見当たらない。

 施設側に近いこの付近は静かで治安も良くのんびりとした雰囲気が前はあったが、まるで息を詰めて通りを歩く人間を家の中から監視しているような緊迫感と視線があった。

「なに?」

 自然と早足になり、スイは目指す孤児院までの道程を急いだ。駅からはそう離れていない孤児院は直ぐに見えてくる。ボロボロの二階家は変わらずにそこにあり、スイの顔から緊張が解け口に笑みが浮かぶ。

「ミヤマ!」

 探るような視線はずっと追いかけてくる。姿は見えないがスイの動向をねばりつく様なしつこさで執拗に見つめて来ていた。

 それから逃れたくて孤児院の扉を少し乱暴に叩いてミヤマの名を呼ぶ。

 だが何度も叩いて呼びかけても、あの母親代わりの老女からの応えは無かった。

「畑かな」

 建物の横から裏庭へと向かったがそこにも腰を屈めて畑をいじっているミヤマの姿は無い。昔兄の似顔絵を描いた地面は陽射しに晒されて罅割れ、白く乾いていた。たいした作物は取れなくてもミヤマが耕し種を撒いて大事に育てていた畑も、過酷な環境で芽を出した若葉が強い太陽の光と乾燥した汚染風によって萎びて枯れている。

「……ミヤマ」

 しゃがんで土に触れるとぼろぼろと崩れて水分が全く含まれていないことをスイに教えた。茶色に枯れた芽も脆く千切れ、管理者の長い不在を訴える。

「そうだよね」

 両手を地面に着き指を曲げて爪痕をつけようとしたが、硬い土はまるでスイを拒むようにびくともせず爪が剥がれて痛みを負ったのはスイの方だった。

 第八区に住む者のほとんどが戸籍を持たぬ人間たちで、路上生活者が最底辺であり、その次に不定期だが多少の収入がある者、仕事を持つ者と続き住む場所がある者となる。この国では戸籍が無くても仕事に就けるし、住む場所を求めることができる。

 孤児院を経営し、住居があっても戸籍を持っているとは限らないのだ。

「ミヤマは、」

 “狩り”で捕まり、武器製造を無理矢理させられているのだろう。軍の施設のすぐ傍にあるのだから誰よりも速く捕まったに違いない。

 そのことに思い至れない愚かで稚拙な自分が憎かった。

 こんなことなら三年も放置せずに会いに来ておけば良かったのにと今更後悔しても遅い。

「ごめ、」

 ミヤマは高齢だ。

 武器工場での辛い作業は身体に堪えるだろう。この第八区で健康な人間などそういないが、痛みや病を抱えていても病院にかかるだけの余裕は無くただ我慢し、自分の身体を宥めて懸命に生きて行くしかない。

 ミヤマもそうだった。

 だからきっと、彼女は生きてここへと戻ってくることはできないだろう。


 スイは絵が上手だね――そう言って一番最初に誉めてくれたのはミヤマだった。畑仕事をしている横で地面に棒を使って描いたのは丸の中に目と鼻と口をつけただけの幼稚な物だったが、「凄いよ」と頭を撫でてくれた。

 それから得意になって地面に「これがミヤマでこれはタキとシオ」と家族の顔を描いたのだ。何度も、何度も、暇さえあれば毎日。

「家族だったのに」

 ミヤマは巣立っていくスイたち兄妹を涙で目を潤ませながら「頑張るんだよ」と応援してくれた。

 スイの一番古い記憶の中にもミヤマはいて、兄と共に温かい思い出を刻んでくれたのに。

「なんで、三年間も放っておいて平気だったんだろう」

 あんなに世話になったのに、一度も顔を出さずにいたなんて恩知らずな行動に疑問も抱いていなかった。

 お腹が空いたと泣くスイに内緒だよと言いながらべたべたに溶けた飴をくれたこと。靴下に穴が開いたと言えば直ぐに針と糸で繕ってくれたこと。三カ月に一回裏庭で三人の髪を切ってくれたこと。一年に一度スイたちが孤児院にやって来た日には肉の入ったスープと普段は食べられない柔らかいパンを用意してお祝いしてくれたこと。悪いことをした時には容赦なく叱り、泣いていると「どうしたんだい?」と寄り添ってくれた。兄妹三人でベッドに入り眠りにつくまで色んな伽噺をしてくれたことも、全部全部覚えている。

「ミヤマ!」

 母を知らないスイにとってミヤマは母親代わりでは無く、母そのものだった。貧しくても温かな愛情と優しさで見守り、育ててくれた。簡単な文字の読み書き、計算も教えてくれたのはミヤマだったから。

「ごめんなさい、ほんとに」

 あふれる涙と思いは届けられずに地面に吸い込まれていく。

 本当に謝りたい人に謝れないことが続いていることが悔しくて、もどかしくて自分の不甲斐無さを呪う。

 振り返り三年前までは帰る場所だった家を見る。

 そこにミヤマはいなくても、彼女の深い愛情と温もりがあるような気がした。

「ここが始まり」

 ぐいっと頬を拭ってスイは立ち上がる。

 泣いていてもなにも解決はしない。

 蹲っていては戦えない。

 後悔を何度繰り返しても諦めなければ先へは進めるから。

「もう、泣かない」

 決意を胸に、スイは大きく息を吸い込んで一歩を踏み出した。

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