エピソード62 挙兵
「大変見苦しい所を見せてしまいました」
アオイは耳に残る哄笑を振り払おうと軽く頭を下げて謝罪した。国民議会の議員トルベジーノが柔らかな微笑みを浮かべ「どうぞ」と急いで用意させた椅子を勧める。
促されるまま腰を下ろして、向かい合って座る議員の温厚そうな顔をしながらも隙のない雰囲気に感心した。清廉で高潔な人物であると安心させるだけの余裕はアオイが見習いたいと思うだけの才覚がある。
「ここまでくるのに苦労されたでは?」
あまりにも観察していたので呆れたのか、苦笑いで問われアオイは慌てて「いえ」と答え恐縮する。
「私が至らないばかりに布告無しの開戦となってしまいました。トルベジーノ殿やマラキア国の方には申し訳ないのですが、城の中の狭い世界しか知らなかった私は戦争という物がどういうものか、人の上に立つということがどういうことかを漸く知ることができました」
「そうですか」
穏やかにそう相槌を打たれ、何故か世間話をしている自分がそれを楽しんでいることに気付く。こうやって話している間にも戦場では銃を撃ち合い、命が失われているというのに。
「エラトマの暴挙を止められなかったのは私の落ち度であり、罪です。本来ならば私が捕虜として、罪人として裁かれなければならないのは解っています。ですが済し崩しに始まってしまった戦争に翻弄され、流されるまま進んでいた私を叱咤してくれたのは我が国では民として扱われず、無理矢理戦地へと連れてこられた青年でした」
自分たちよりもカルディアの人間の命の方が尊いと思っているんだろうと責めた後で、戦闘機の空爆から彼らに無理難題を言って戦わせていた張本人であるアオイを救い出してくれた。
戦場では毎日死にゆく命があることを教え、こんな戦争止めちまえと簡単に言ってのけたシオは声を嗄らして戦争の無意味さ、愚かさを伝えてくれた。
そして平凡であることの幸せを再確認させてくれたから。
彼らにはアオイたちにとっては普通のありふれたことすら手が届かないのだとスィール国の現状に気付かせてくれたのだ。
シオにも平凡を感じさせてやりたい。
国民がみな安心し、ありふれた幸せを噛み締められるような国にしたいと思ったから。
「彼の為にも私は国の立て直しをしなければならないのです。自分勝手な願いだとは重々解っていますが、それが私なりの罪滅ぼしだと思っています」
「そうですか」
トルベジーノが小さく首肯する。それから残念そうな表情を浮かべて「実は貴国から宣戦布告があれば我が国は譲歩案を提示する準備があったのです」と告げた。
「譲歩案ですか?」
「はい。実は外交官を通して何度も資源提供と技術支援、金銭的支援を申し出ていたのですが、まるで何者かに阻まれているかのようで伝わっていないのか貴国から同じ内容の協力要請が来るのです」
「そんな」
アオイも出席していた会議では総裁や外務大臣がマラキア国に資源、技術、金銭の支援を訴えているが金銭的援助しか取り付けることができなかったと弱りきったように報告していた。
だが実際はマラキア国の方から善意で支援を行うと申し出ていたという。
それが本当ならばスィール国の産業や工業は活性化し、長年苦しんでいた物価の上昇も安定し、隣国と無理な戦争をしなくても済んだはずだ。
政に携わる者たちが故意に情報を左右して戦争に向かわせたのか、それとも軍部の者たちがなんらかの思惑により開戦を望んだのか。
「一体誰が?」
疑わしい人物が多すぎてアオイは特定することができない。だが原因を究明しなければまた同じことが繰り返されてしまう。
「マラキアで昔暴動があったことをご存知ですか?」
「それは、もちろん」
知らない訳がない。
百五十年前に起きた暴動が国を動かし、誰か一人が権力を持たない国へと変わったのだから。
「王はどこからきたのか解らない祈祷師を重用し、その怪しげな力に心酔していました。他の誰の言葉も聞かず、信じずにただひたすら祈祷師の言葉に従って国民の血を流し続けた。あの時も貴国と同じように正しい情報が伝わらず、混乱を増長したと言われています」
「まさか、百五十年前と同じことが?」
トルベジーノがなにを言いたいのか解らないが、不意にアオイの耳に伸びやかな弦楽器の音が蘇った。美しい調べと、どこか物悲しい響きが胸を騒がせるのに父は何故か気に入り彼を傍に置き暇さえあれば音楽を奏でさせる。
「貴国にヒカリという名のヴァイオリニストがいるはずです」
「はい」
「彼は東のヴィアデル国の出身だと聞いていますが、彼の後見人とされている人物はヴィアデルを出てその後行方知れずとなっています。とても出自の怪しい人物です」
マラキア国に起きた王の異変とスィール国の総統に起きた物が同じだと結論付けるのは乱暴で危険すぎる。
否定する思いの裏で、もしかしたらと危ぶむ気持ちがあるのは否めない。
隣国であるスィール国が百五十年前と似たような道を辿ることを忌むマラキア国が手を尽くして怪しい人物を探ろうとする心情は解る。だが他国のことをあまりにも過剰に心配し過ぎではないかと訝ってしまう。
「別にいいのです。私たちは過去の経験から気になることはとことん調べねばいられぬだけですから。ただ、アオイ様にはそういう危険性もあると知っておいていただきたかったのです」
「はい」
「さて、雑談はここまでにして本題に入りましょうか」
笑顔を消したトルベジーノが油断のならない雰囲気となる。アオイの手元には交渉の切り札となるものは少ない。劣勢に追い込まれているスィール軍の方からの停戦または終戦の交渉なのだから仕方がなかった。
「こちらからの条件は人質を直ちに解放すること、そして現総統を退陣させ軍事国家から脱却すること」
できますかと問われ、アオイは眉間に指を当てて黙した。
人質解放ならば即応じることができる。だが父を退陣させることは難しく、軍部が強力な力を持っている現状では軍事国家を止めると宣言すれば反発が大きいのは目に見えていた。
「難しいでしょう?」
「……はい」
「ですがそれが条件です。譲歩はいっさいしません」
これ以上戦っても命を無駄に散らせるだけで、勝利など絶対に手に入らない。それが解っていて戦うことも、戦えと命じることはもうできなかった。
いつかはしなければならないと思っていた傾いた国の立て直しを、今からやれと言われているような物だ。だが父が健在の内に総統の地位を退いてもらうことは不可能であり、それができないのならアオイが総統になり理想の国を築くことは難しい。
「実はマラキアとスィール国が戦争を始めたと、周辺国はまだ知りません」
「え?」
「貴国が国民を集めて北の開墾を始めると知り、もしもの時の為にいくつか対策を考えていました。ディセントラの町の住人を親類縁者のいる安全な地へと移動させ、被害を最低限に抑えるように働きかけ布告を待ちました」
やはりマラキアには全て筒抜けだったのだ。
戦争を予測できていたからこそ、様々な策を講じることができたはずだ。この場所に国民議員のトルベジーノがいるのもそのためだろう。
「それでも町には百二十人近くの住民が残っていました。彼らの中で命を落としたのが二名であることは大変な救いです。両国にとっても」
深いため息を吐きトルベジーノは愁いを帯びた表情でアオイを見つめる。きっと住民百二十人全てが死んでいたらこの交渉の場は与えられなかったのだ。
少尉の機転に感謝する他ない。
「布告無しに戦争を始めればスィール国にとっては大打撃となる。違いますか?」
「……その通りです」
だからこそ慎重に動こうとしていたのに全て台無しになってしまったが。
「あまりにもお粗末な奇襲攻撃をしたかと思えば、駐屯地への攻撃は手堅く無理をしてこない。道路を挟んだ全線ではなかなか手ごわい戦いをする。全てがちぐはぐで戸惑ってしまいました」
「最初から手加減をしていただいたのですね」
マラキア軍が猛攻撃をしかけてこなかったのは、たいした敵ではないと思われていたからだ。人質を取られているということもあったかもしれないが、戦闘機を使用に踏み切ったことからも、それはたいした抑止力では無かったに違いない。
「それぞれの部隊を率いている方の機転や判断力が優れていたから、ここで朽ちさせるのは勿体無いと思っただけです」
「それはどういう」
「アオイ様。彼らを率いて総統の地位を手に入れてはいかがですか?そうすればこちらが提示した条件をすべて満たすことができるはず。勿論我が国の協力も惜しみませんよ」
「……トルベジーノ殿。それは謀反を唆していることになります」
「その通りです」
至極真面目に頷いて肯定する。
隣国の国民議員がスィール国の総統の息子に父を討てと進言するとは一体どういう了見なのか。
「我が国の変革の始まりは国民暴動と王の従兄であるアルヒが起こした王の弑逆です。そこからマラキアは変わり、百五十年かけて今の豊かな国へとなりました。マラキアの救世主であるアルヒの様に、アオイ様がスィール国の英雄となられることを我が国は望んでいるのです」
内容は正気を疑いたくなるような物なのに、トルベジーノの瞳には相変わらず穏やかな光が讃えられている。
「できるだけスィール国には平和であってもらいたいのです。そしてどうか汚染が広がるのを防いでほしい」
それ以上は望んでいないと訴える国民議員の申し出は有難い物ではある。
少しでも早く国を変えたい。
その為にはマラキア国の条件を飲み、援助をしてもらい父を討つしかないのだ。
討てるのか?という疑問は尽きないがシルク中将やプノエー少尉、サロス准尉を説得して挙兵できれば可能かもしれない。
「そちらの条件を全て飲みましょう」
「ああ、よかった」
ほっとした顔でトルベジーノは胸を撫で下ろす仕草をしてから立ち上がる。そして右手を差し出してくるので、アオイも慌てて腰を上げその手に己の手を重ねた。
力強く握り返される手を心強く思いながら、直ぐに次の戦いの準備をしなくてはと気持ちを新たにする。
来た道を違う目的で兵を率いて戻ることになるのだ。
ぶるりと震えるのは恐怖だろうか。
それとも興奮で昂ぶっているのだろうか。
きっと両方だと言い聞かせてアオイは大きく息を吸い込んで激しく鳴り響く鼓動を抑えて頷いた。
スィール国総統の子息であるアオイとマラキア国国民議会議員トルベジーノの交渉がディセントラの町を包囲しているマラキア軍側で行われた後、護衛隊隊長ヒナタにより速やかにプノエー少尉に連絡が行き人質となっていた町の住人の解放が成された。
同時に全線となっていたサロス准尉の元にマラキア軍からの使者が訪い、その場で終戦が告げられ満身創痍の無戸籍者たちは歓喜に沸いた。サロス准尉は「助かった」と熱く使者の手を握り共に戦った仲間と喜びを分かち合った。
アオイはトルベジーノとマラキア軍駐屯地へと赴き、駐屯地司令のシュトゥルムと会談し改めて協力を取り付けることに成功した。
またその頃両国の境で陣を張っていたシルク中将は自国側から侵入してきたマラキア軍により背後から攻撃を受け苦戦し、自軍の兵士に大量の死傷者を出していた。
マラキア軍からの空爆により大将であるアオイの生存は難しいだろうと判断し、この戦争をいかに終わらせるかを考えていたシルク中将と参謀官のオネストの元に駐屯地司令シュトゥルムからの終戦通達が使者によって行われ、その後すぐに駐屯司令を伴って現れたアオイの姿を驚きと共に迎えた。
その場でマラキア軍の空爆の可能性を訴えずアオイを危険な地に留め置き続けたことを言及され、シルク中将は謝罪すること無く頭を垂れて断罪を受け入れる姿勢を見せた。
「シルク中将の今回の責任と罪は重く、断じて許し難い。拘束し、四十年の禁固刑もしくは死罪にも等しいだろう。だが中将ほどの人徳者を無駄に牢獄へと投じることや死を言い渡すことは我が国にとって損失となる。よってこれより私の臣下となり、国のために尽くしてほしい」
アオイの判決にシルク中将は黙して応じ、オネスト参謀官は己の信じる人物が厳しい処断を受けずに済んだことを安堵した。
無線を通じてアオイを旗印に現総統と政権打倒の元に戦うことが各隊へと伝えられ、 無戸籍者たちはこれから変わるかもしれないという期待を持ってこれを受け入れたが、殆どの者たちが新たな戦いが始まることに不満を持っていたが表面化することは無かった。
町は解放され、前線となっていた荒れた地の舗装にマラキア軍が動き出す。
マラキア国からの補給を受けてアオイは総統打倒の為に挙兵し、スィール国の心臓部であるカルディアへと進軍した。
アオイ率いるスィール軍とマラキア国との戦争は僅か五日でスィール軍の敗北ということで決着がついたが、戦争の事実はマラキア国により伏せられこの歴史的な短い戦いとなった「たった五日の戦争」が正式な記述に残ることは無かった。
ただ父である総統カグラの悪政を憂えた総統の子息であるアオイが隣国に助成を求め、快く快諾したマラキア国の支援を受けて挙兵したということのみが歴史書に書かれているだけである。
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