エピソード61 退場


 日が沈むまで山の麓で待ち、星と月の光だけが輝く暗い道をシオは北へと向かって歩いていた。後ろにはアオイとその護衛隊五十人程がつき従い、胡散臭そうな男も一人いる。時折道路を挟んで向かい合うスィール軍とマラキア軍の戦う音がここまで聞こえてくるが、じきにこの銃声も聞こえなくなるだろう。

 ちらりと護衛隊長に護られているアオイを窺い、初めて会った時に比べれば幾らかマシな顔つきになったなと評価を改める。

 なにかを吹っ切ったかのようなアオイは晴れやかな表情で真っ直ぐに前を向いていた。長時間歩くことに慣れていないようで、護衛隊長から「少し休みますか?」と心配されているがその都度「大丈夫だ」と気丈にも答えている。

 さすがになにも遮るものの無いような場所で休憩したいと言い出したら怒鳴りつけてやるつもりだったが、ここが戦場であり前線に近いのだとは理解してくれているようなので有難い。

 マラキア国と交渉をする為にまずディセントラの町へ向かい、そこでマラキア軍と接触を図ると決めたアオイについて行くことをシオは決めた。一緒に行けばクイナやヤトゥと再会できると思ったからだ。

 だがその前にサロス准尉に会って事情を説明したいと頼んだが、それは陰険そうな男から「陸軍側に知られればシルク中将に邪魔をされかねない」と却下され、アオイもそれを危惧したのか申し訳なさそうに拒まれてしまった。

 マラキア軍の戦闘機に襲われた場所にシオが居合わせたかもしれないとサロスが心配しているかもしれないとちらりと思い、それから物資や人員の補充が望めないことを悲観しているだろうなとため息を吐く。

 予備の弾が心許ない中で戦う無戸籍者を尻目に町へと向かうのはやはり後ろめたい。彼らは失われていく弾を数えながら、自分たちの命の灯火が残り少なくなっているのを感じて恐怖に震えながら戦わなければならないのだから。


 でも、あと少し頑張れば必ず帰れるから。

 それまで生きのびて欲しい。


「シオ、君は特殊な訓練を受けていたのかな?」

 黙って歩き続けることに退屈したのか、それとも疲れや痛みを紛らせようとしたのかアオイが話しかけてきた。

 だがその内容が突拍子も無い物だったので「はあ?」と頓狂な声で返してしまう。

「なんだよ、それ。特殊な訓練ってのは」

「戦闘機が近づいて来るのに誰よりも速く気付き、エラトマの気配にも直ぐに気付いた。自慢じゃないけれど私の護衛隊は厳しい訓練と試験を受けて合格した者だけを集めた精鋭たちだ。その優秀な護衛隊が誰も反応できなかったのに」

 好奇心で煌めく紺色の瞳はまるで今の夜空のようだ。澄んだ空に星が輝き、どこまでも深く広がり美しい。

 だがその好奇心を満たしてやれるだけの話などシオは持っていなかった。特殊な訓練を受けたわけでもなければ、誇れるような特別な能力でも無い。ただ人より音や気配に敏感なだけだと伝えたが、アオイは納得できないようで「シオのそれは誰もが持てるものではない」と呟いた。

「羨ましいよ。私はとても平凡だから」

 自嘲気味に笑うアオイの横で護衛隊長が「そのようなことはありません。自信を持ってください」と必死で励ます姿はあまりにも自然で、きっと二人の間で何度も似たような会話が交わされているのだろうなと解る程だった。

 だが自分を卑下するアオイには同情など出来ず、苛立ちを籠めて言葉を叩きつける。

「平凡でなにが悪いんだ」

「え?なにがって」

 なにがシオの機嫌を損ねたのか解らずに戸惑うアオイを睨みつけた。

「平凡を嫌うのは恵まれてるからだろうが。おれたちみたいな底辺のなにも持たないやつらからしたら、その平凡って物がどれだけ貴重で羨ましいか。知らないからそんなこと言えるんだよ」

 シオたち兄妹は本当に小さな幸せしか望んでいなかった。カルディアに住む人間から見ればそんなものと笑い飛ばされてしまうようなささやかな物。

 兄と共に妹の才能ある将来を夢見て、それを支えながら慎ましい生活を送る。

 たったそれだけのことが難しいのに。

「平凡がどれだけ欲しいか」

 特別より穏やかで温かい物がどれだけ尊いか。

 何故解らないのだ。

「我儘言うな。贅沢言うな。お前の周りにはお前のことを心配して、護ってくれる人間がいっぱいいるだろう!」

 シオの勢いに飲まれているアオイは青白い顔で歩みを止めてぽかんと口を開けていた。その仕草がとても幼くて、自分よりも年上なのに何も知らない無垢な子供のように見える。

 綺麗で純粋なまま年を取った稀有な人間を前にシオは腹立ち任せに罵った。

「甘えるな!おれたちが欲しくてたまらない物をいっぱい持ってるくせに、もっと感謝しろ!自信を持て!お前がしっかりしてくれなきゃこの馬鹿馬鹿しい戦争は終わらないんだぞ!?これ以上誰かが死んだり、誰かを殺したりするのはごめんだ!!」

 誰もが好き好んで人を殺している訳じゃない。戦場では殺さなければ殺されるから、自分の心を殺して引き金を引くのだ。前線で戦うのはシオたちのような民間人や兵士だが、戦争を終わらせられるのはシオたちじゃない。

 勿論兵士でも無い。

 この軍の総大将であるアオイにしかできないのだ。

「決めたんだろ。この戦争を止めるって」

「……そうだ。そのためにディセントラへと向かっているのだから」

「じゃあ強気でいろ。終わるまで弱音吐くな」

 速く行くぞと言い置いてシオは大股で町へと向かう。もうあと少しで到着しそうなくらい近くに見えた。塹壕の中で動けず戦っていた頃には近くて遠かったあの町が直ぐ近くにあることが嬉しい。

 後の面倒なことはアオイが全てやってくれるのだから、シオはクイナとヤトゥとの再会を楽しもう――そう思っていたら、疲れていて足も痛いはずなのに後ろから走って追いついてきてアオイはにこりと微笑んだ。

「終わったら弱音は吐いても良いのだろう?その時はしっかり私の愚痴を聞いて欲しい」

「はあ?なんでおれが」

「今までシオの言い分ばかり聞かされたのだから、それぐらいは構わないはず」

 冗談じゃないと首を振ったが「決まりだな」と勝手に決めてアオイが晴れ晴れと笑ったので、呆れながらため息を吐いた。


 辿り着いたディセントラの街はシンッと静まり返り闇の中に沈んでいた。シオは見張りがいないかと辺りを窺ったが、それらしい気配もマラキア軍の兵士が入りこもうとうろついている不穏な空気も無い。

 少し離れた場所で両軍向き合って戦っているというのに、この町は何故か平和そのもののように見えた。ただ家々に住む者がいない空虚さだけがあちこちから漂ってきている。そのことがうすら寒さを覚えさえ、どこか落ち着かなくさせた。

「人質は町の中央の役所に集められ、交渉は南東の民家で行われていると聞いていますが」

 護衛隊長がこれからの行き先を決めるためにアオイに問う。この町を制圧する為に奇襲攻撃をしかけた少尉に会って交渉の場を整えて貰うのか、それとも直接マラキア軍に接触して交渉相手を呼びつけるのか。

「アオイ様が直々にマラキア軍の元へ赴く危険を冒す必要は無いと思いますが」

「……そうだな。だがここで臆病風に吹かれてしまえば時期を逸してしまうだろう。そして大切な自国民に犠牲が出てしまう」

 これ以上時間はかけられないと視線を町の中央では無く、ディセントラの警邏隊とマラキア軍がいる南東へと向けた。アオイがゆっくりと足を動かして進み始めると、護衛隊もその後ろをついて移動する。

 これから先はシオの出番は無い。

 だからそこで立ち止まり華奢で頼りない背中を見送った。アオイもついて来て欲しいとは言わなかったので、きっとこれでいいのだと言い聞かせる。

 闇に飲まれて一行の姿が見えなくなると、シオはきゅっと口を引き結んでクイナとヤトゥのいる役所の方を目指して走り出した。



◆◆◆



 沢山の異国の兵士が見つめる中を歩いて通されたテントは敗戦の将に相応しいほど小さかった。緊張した面持ちで中央まで進み、そこで佇むアオイをいい気味だとエラトマはほくそ笑む。

 外から聞こえてくるマラキアの言葉は早口で、語尾が上がる独特のイントネーションが洗練さも上品さも欠けており田舎臭く感じられる。

 今は先進国として名を連ねてはいるが、喋り方や粗野な民族性から他国から敬遠されていると聞いていたが全くその通りだった。

 しかし空から爆撃を受けた時は死を覚悟したが、どさくさに紛れて逃げ出すことに成功し、更にカルディアへと戻る道を塞がれ仕方なく逃げ込んだ山の中で幸いにもアオイたちと出会えたことを神に感謝する。


 まだ運はエラトマを見捨ててはいないのだ。


 深い安堵感と共にこれからの策謀に思いを馳せながら、いかにこの世間知らずを上手く利用して己の未来を安泰な物にするべく努力せねばならないと奮い立つ。

 あの忌々しいシルク中将をマラキア国に宣戦布告する前に奇襲攻撃の命令を下したとして突き出し、エラトマの罪を無かったことに出来れば大手を振ってカルディアへと戻れる。更に勝利を望まれていたマラキア国への侵略戦争をたったの五日で敗戦したアオイは当然次期総統の権利を失い、カルディアでは次の総統の地位を巡って熾烈な戦いが起こるようになるだろう。

 そこでじっくりと見定め、次の総統になりうる人物に取り入ればいいのだ。

 思わず込み上げてくる笑いを必死で堪えていると護衛隊長が嫌悪感丸出しの顔でこちらを睨んでくる。

 たかが護衛隊の隊長ごときが偉そうな態度をしていることは腹立たしいが、ここはぐっと飲み込んでおく。総統の息子だろうが利用するだけ利用して捨てるだけだ。それまでの辛抱だと思えば小者の一睨みなど虫に刺されたほどの威力も無い。

「お待たせして申し訳ありません。私はマラキア国、国民議員の一人トルベジーノと申します」

 入口の布を跳ね上げて入って来たのは柔和な顔をした男で、流暢なスィール国の言葉で挨拶をする。国民議会の議員であると名乗った通り男は軍服ではなく、黒いジャケットに真紅のタイをした品の良い格好をしていた。

「私はスィール国総統が嫡子アオイ。突然の訪問を受け入れて下さり感謝いたします」

「貴方が総統閣下の」

 男が驚いた様に目を瞠りアオイを眺める。まさかマラキア軍へ総統の息子自らが交渉にくるとは思っていなかったのだろう。

 アオイの身分に戸惑っている間に交渉を始めた方が得策だとエラトマはずいっと前に出て腰を折って挨拶をした。

「私は参謀官のエラトマと申します。この席を通じて是非我が国との停戦を聞き入れて頂きたくお願いに参りました」

「はて?おかしなことを申される」

 眉を寄せてトルベジーノは柔らかな面を少し不可解そうに歪めてエラトマを見つめる。

「先に国境を超えて戦闘行為を働いたのは貴国の方ではありませんかな?」

 それを今度は一方的に停戦の申し入れとは――失笑した国民議員はちらりとアオイを横目で見た。

 その瞬間に悔しそうに面を伏せて、小さな拳を握るアオイの姿は見ていて心が躍る程にエラトマの嗜虐的な部分を擽る。もっと無様に取り乱す様や、苦しみ涙する姿を見せて無聊を慰めて欲しい。

「宣戦布告無しの開戦をしたのですから、それ相当の覚悟と強い意志ありと私共は認識していたのですが」

 首を捻ってトルベジーノは意味ありげに深いため息を漏らす。どちらかというと地味な雰囲気の男だが、主導権がどちらにあるかは解っている。そうでなければこの場に出ては来ないだろう。


 なんだ?


 妙な引っ掛かりを覚えてエラトマは自分の爪先を見つめる。

 戦場での交渉の席につくのは両軍の将校位が普通だろう。しかも交渉をしたいという申し入れをしていたわけでもないのに、この場に国民議会の議員がいること自体がおかしい。

 政治的な交渉になるので軍の人間がするよりも、政に携わっている人間の方がより円滑に話し合いを進められるが、戦争をしている現場に政治家が都合よく居合わせているなど万にひとつも無いだろう。


 早々に決着がつくことが解っていたのか。


 国力も兵力も火力もスィール国より遥かに上回るマラキア国は、手ひどく痛めつけて屈伏させ負けを認めさせるよりも、やんわりと実力の差を見せつけて白旗を振って降参してくるのを待っていたのか。


 何と腹立たしい。

 何という屈辱。


 まるで子供をあしらうかのように余裕を見せて、そしていつ泣きついて来るかと笑って見ていたのだ。

 だがスィール国の低迷と弱体化は周辺国の中では明らかで、憐みの目で以て事態を静観されていたのだろう。

「くっ」

 思わず零れた呻き声は悔しさを飲み込もうとして失敗した物だ。

 アオイが紺色の瞳を瞬かせてこちらを窺い、そして意を決したようにトルベジーノを振り仰ぐ。

「宣戦布告無しの開戦を私は望んではおりませんでした」

「望んでおられなかったのでしたら何故今回このようなことになったのでしょう」

 心底不思議そうな口調で国民議員はアオイを正面から見つめる。その視線を受け止めてごくりと唾液を飲み「それは」とゆっくりと唇を動かした。何度も打ち合わせをした答えを言うべくアオイが口を開く。


 舌を動かす。


 エラトマが押えようとしても浮かんでくる笑みを隠すために面を伏せる。

 さあ、言うのだ。


 シルク中将が勝ちを急ぎ、命令に背いたからだと。


「この男が、私の命令に背き勝手に町へと奇襲をかけるようにと命じて兵を動かしたからです」

「は!?なにを、アオイ様!?」

 慌てて顔を上げると冷めた瞳のアオイがエラトマを真っ直ぐに指差していた。後ろに控えている護衛隊長も侮蔑の籠った視線を向けてくる。

 トルベジーノ議員が「この者が、ですか」と呟き、振り返った顔には既に裏切り者を見る様な目が輝いていた。

「ち、ちがっ!」

 事実は違わないが、約束が違う。

 アオイはシルク中将を売ることに賛成したはずだ。

 それが、何故。

「愚かにもこの男は、中将に自分の罪を着せて逃れようと画策した。私を裏切っただけでなく、中将すら裏切り、マラキア国をも欺こうとした救いようのない男です。どうか貴国で厳罰に処して頂きたい」

「アオイ様!話が違います!」

 腕を伸ばしてアオイの袖を引こうとしたが、その手を護衛隊長が激しく振り払う。だが必死に掴もうと身を乗り出すと、間に身体を入れて阻まれ「お前を殺さずにここまで連れてきたのは、交渉の為だ。大人しくマラキア国で裁かれるがいい」と低い声で言い渡された。

「エラトマ。裏切られることの辛さが身に染みて解っただろう?」

「そんな」

 縋りつき命乞いなど無様すぎてできない。それでも諦めきれずに護衛隊長を推し退けようとするが、鍛えられた身体はびくともしなかった。

「よろしいのですか?」

 トルベジーノが確認し、アオイはいっそ清々しいとも受け取れる笑顔で「そちらのいいようになさってくださって構いません」と言い放つ。

「この、私が、どうして!」

「どうしてかはご自分が一番解ってらっしゃるのでは?」

 微苦笑を浮かべてトルベジーノは優雅な動きで入口へと動き、外の兵士に自国の言葉で語りかけると二名の兵士を中へと招き入れた。無表情の兵士が近づいてきてエラトマの腕を掴むと易々と持ち上げる。そうされると足に力が入らずに抵抗できずにぐいぐいと引きずられるまま入口へと連れて行かれてしまう。

「やめろ!放せ!」

 運はまだ見捨ててはいないはずだと心で叫ぶ。

 あの空爆すら生き延びた強運がエラトマを護ってくれると信じていたのに、こんな所で敵国に売られてしまうなんて有り得ない。

 背中を悪寒が駆け上がる。


 これで終わりだと?

 冗談では無い。


 エラトマの人生は順風満帆で、人より賢く、誰よりも富み、羨望されながら地位を築いて幸せの絶頂を築くはずだった。

 それを、あの弱々しい男に邪魔されるとは。


「忘れるなよ!貴様が売ったエラトマという男を!そして後悔すればいい!智謀すぐれた私ではなく、愚直な中将を選んだことを!」

 裏切ったと非難するならば中将もまた非難せねば道理が通らないはずだ。

 同じ裏切り者を囲うならどちらが有利か。

 後で後悔すればいい。

「ふ、はははは!」

 哄笑しながら退場するエラトマの姿を脳裏に焼き付ければいいのだ。

 永遠に。

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