エピソード64 悲しみの雨
正式な軍服に身を包んだ参列者が並ぶ人垣から外れて立ち、粛々と進められていく葬送の儀を見守った。空もクラウドの死を悼むかのように灰色の雲で覆われ、今にも降りそうな不穏な気配を漂わせている。
険しい顔の下に思いやり深い一面を持っていた上官をツクシは尊敬していたし、苦労人であったことを傍で見ていてよく知っていた。クラウドの下について僅か二年程だったが、彼は余計なことに口出ししない理想的な上官であり、職務に徹する厳しさはいつ見ても頭が下がる思いがした。
もう、あの背中を見ることができないのだ。
ツクシたちを後ろに従えて歩くことを厭うていたクラウドは、いつも隙あれば振り切ってひとりになろうと緊張感を纏っていた。すっと伸びた美しい立ち姿を斜め後ろから眺め、どこまで逃げようともついて行ってみせると決めていたのに。
二度と届かぬ場所へと逝ってしまった。
クラウドの優しさはツクシたちにだけではなく、統制地区の貧しい人間にまで及んでいた。そのことを不満に思いつつ上官の唯一の欠点だからと目を瞑っていたが、その所為で命を喪ったのだから悔やんでも悔やみきれない。
鐘が鳴り響き、集まった人々が目を伏せて慟哭する。ツクシも制帽を脱いで胸に当てて俯き、固めても直ぐに落ちてくる柔らかい栗色の前髪をそのままにして唇を噛んだ。
赦さない。
例え天へと還ったクラウドが赦し、己を殺した男を責めなくても。
ツクシから追うべき背中を奪った男を決して赦さないと地面を睨みつけた。
ポツリ――。
冷たい滴が頬に触れ、直ぐに体温と同じ温さになる。土が濡れる黴臭い匂いが立ち昇り、濡れることを嫌悪する人々が小さな囁き声を交わし始める。
汚染され死した海の水を含んだ雨水は危険である。カルディアに住む者たちはそのことを承知しており、雨の降る日は外出を避けた。
悲しみで包まれていた場を一瞬で現実へと引き戻した雨のために葬送の儀は切り上げられ、爆発に巻き込まれて損傷の大きかった遺体の入った棺は車に乗せられる。
別れの儀式が中途半端になったことにツクシは強い憤りを覚え、怯え逃げるように帰って行く軍の人間たちに非難の目を向けた。
本格的に振り始めた雨の中、残っていたのはツクシと若い女性とその部下の青年だけ。
銀色の髪をきっちりと結い上げ、細い項に当たっている雨のせいで白い肌が赤くなっている。泣いた後だと解る赤く腫れた目元と、澄んだコバルトブルーの瞳が今日は悲しみで暗い色をしていた。
膝上のタイトスカートの下から覗く美しく真っ直ぐな脚はストッキングに包まれ、足元から跳ね上がった泥水で汚れ始めている。
美しい――。
中央参謀部に所属する副参謀ナノリの長女は高卒で、完全なるコネを使って今の地位に就いている。士官学校を出ずに将校の位を得ることは異例であり、それが周りの批判をかっており少なからずツクシもやっかみの気持ちを抱いていた。
それでも彼女の美しさは看過することができず、保安部の男たちはみな陰で口汚く悪態を吐きながらその可憐で清純な彼女を下卑た目で眺めて狙っているのだ。
勿論彼女を手に入れることができれば副参謀ナノリの強力な後ろ盾を得られるという打算も含んでいる。
「クラウド殿は素晴らしい方でした……」
桃色の唇が言葉を紡ぎ、それがツクシに向けられていることに気付いたのは間抜けにも彼女の声を繰り返し堪能し声すら綺麗なのかと苦笑いした後だった。
「みなが私を侮蔑と嘲笑と共に評価し、なにもできぬ小娘が偉そうにと囁く中で彼だけは平等に扱ってくれた。軍人として、人として彼は讃えられるべき人物だった」
それをこんな風に終えてしまうなんて、と葬送の儀が打ち切られてしまったことへの苛立ちに眉を寄せて不満を顕した。
「仕方ありませんよ。この雨ですから」
普通ならば部下である青年は彼女の少し後ろに立たねばならないのだが、堂々とした態度で隣に立ち明け透けな物言いで平然と言い放った。
その様子を不快に思ったのはどうやらツクシだけらしい。彼女は部下の傍若無人な振る舞いを無視してこちらへと歩んでくる。黒いパンプスが水を蹴り上げて足元を汚していくが気にはならないらしい。
はらはらしているツクシに青年がくすりと笑ったのが見え、頬を強張らせて軽く睨んだ。
「惜しい方を亡くしました。部下であり常に傍にいた貴方の心が穏やかでないことは解ります。ですが彼の志を継いで、貴方が彼の成し得なかったことを果たすことが供養になると思います。どうか、」
彼のような素晴らしい軍人になってください――。
懇願というより祈りだった。
ツクシは胸に去来する悲しみと、虚無感を拭い去るために顎を引いて頷く。言われなくともクラウドは目標であり、将来超えるべき大きな壁である。
「……必ず、クラウド様の無念を払って見せます」
反乱軍を討伐するための組織が新たに作られたと聞く。ツクシは保安部に移動を願い出て、既に反乱軍討伐隊へ志願していた。
あの憎き金の瞳の男を討つ。
やはりあの時感じた強い危機感と脅威は間違いでは無かったのだ。クラウドの制止と命令に背いてあの男を始末していれば、今ここで悲しみにくれることは無かったのだと思えば余計に恨む気持ちが昂ぶってくる。
「キョウ様、そろそろ戻らないと」
「ええ。解ってるわ」
部下の声に彼女は応じて「それでは」と一声残して雨の中を去って行く。やはりその背中が凛としていて、クラウドの姿勢の良い背中と重なって見える。
これほどまでに自分の中でクラウドという男の存在が大きかったのだと気づかされ、ふと涙腺から流れた熱い涙に歯を食いしばった。雨に濡れた髪から額や頬を伝って汚れた顔ではどれが涙か雨かなど傍目には解らない。
どんなに有害であると言われていても今日だけは雨が降っていてくれて良かったと肩を震わせてクラウドが乗った車がいなくなった方向を見、暫くは深い悲しみの内に囚われていようと独り涙した。
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