エピソード55 住民を捕えろ
町の奥から轟いた音に驚いて顔を上げると黒い煙が凄い勢いで空へと昇っていた。白み始めた東の空を背に不吉な色の煙は、そう間を置かずにもう一度爆音を響かせて新たに濛々と立ち上がった。
耳が一瞬聞こえなくなるほどの音にクイナは呆然と佇む。
まるで町が悲鳴を上げて抗議したかのように感じた。
自分勝手な理由で攻め込んできたクイナたちを拒むように、責めるように身を震わせて慟哭している。
足元が揺らぐような衝撃と音は次々と重なるように続き、聴力が完全に奪われてしまった。クイナの周りに男たちが寄ってきて不安そうな表情で空を見上げている。無防備に突っ立っている自分たちを敵が見たら一斉射撃で瞬殺されると気づき、慌てて「行くぞ!」と声をかけて町の奥へと進む。
始めて人を殺したあの家から随分町の中央へと近づいてきていたが、不思議なことに老夫婦以外の住民の姿をここまで見ることは無かった。
どの家も手入れされ、住んでいる気配はあるのに人間だけが忽然と姿を消しているかのような不自然さがあった。首を傾げながらも必要以上に人を殺めなくて済むことを安堵して、深くは物事を考えずにいたが流石にこれは異常だとひやりとする。
戦争中なら住民が町を捨てたり、隠れ住んでいるとしても不思議はない。
だがスィール国が攻め込んだのは今回が初めてのはずだ。だからこそ成り立つ奇襲攻撃なのだが、まるで襲ってくるのが解っていたかのように住民がいないこの町の姿は異様で恐怖心を煽る。
得体の知れない町だ。
そう思えば思うほど気味の悪い町に感じられた。こんなことならあの老夫婦を殺さずに捕えて、情報を聞き出せばよかったなと思いながら逆に冷静な自分がどうせ言葉など通じないだろうと嘲笑う。
頭を使うより身体を使う方がクイナには向いている。
考えても解らないのだから今はヤトゥかあの軍人と合流した方が良いような気がした。戦い方も銃の撃ち方も心許ない人間が右往左往した所でいい結果は生み出さないだろう。
どこへ行くべきか悩んでクイナは中心地へと足を向けた。交戦しているということはそこにヤトゥか少尉がいるはずだ。戦闘中だとしても少なくともそこに味方いるのだと思えば心強い。
普段親方に指示された通りに荷を運んだり降ろしたりする仕事に長く従事していたからか、誰かにこうしろと明確に伝えてもらった方が動きやすいのだ。言ってもらえればその通りに動ける自信はある。
だから誰かに指示を請いたかった。
任された十五人は小さな希望を目に宿らせて、クイナの後ろをついて来る。彼らはみな帰るのだと強い思いを抱いて戦いの場に立っているのだ。
死なせたくない。
一緒に生きて統制地区へ帰るのだ。
戦っている場所へと誘うクイナを信じて黙ってついて来る彼らの為にもこの状況をなんとしてでも切り抜けねば。
「おおーい!!」
開けた場所へ出た時に不意に大声で呼ばれクイナは反射的に銃を目の高さに持ち上げて身構えた。さっきまで老夫婦を殺したことを後悔していたくせに、声を上げて走ってくる人影を撃とうとしている矛盾。
「ま、待て!撃たないでくれ!おれは味方だぞ!?」
銃口を向けられた途端青くなり両手を挙げて立ち止まると必死で命乞いをする言葉が自分たちと同じ言語であることに遅れて気づき、念のために男の服装を確認すると薄汚れたシャツに茶色のズボンを履きポケットを手榴弾でぱんぱんにした姿だった。
同じだ。
ほっと息を洩らして銃を降ろすと、男も冷や汗を拭い安堵して小さく笑った。
「あの軍人から伝言だ。住民を発見したら絶対に殺すな。殺さず捕えろだとさ」
「殺さずに?」
どういうことだか解らないが、既に射殺した後だ。クイナの動揺を見てとったのか男が困惑した後で「まさか殺したのか?」と確認してくる。嘘をついても意味は無いのでゆっくりと首肯した。
「まずいぞー。あの軍人なんか必死そうだったし、何度も念を入れられたし」
「済んじまったことはしょうがないだろう。他にも住民がいるかもしれない。そっちを捕まえればいいだけだ」
「いるのかねー」
男の危惧は解る。
だが残っている住民があの老夫婦だけだと考えるのは早計だろう。
「あんたは少尉と一緒にいたんだな?どこから来た?」
確認すると自分の背後の東側を指して男は「軍人さんは民家の捜索を重視するみたいだ」と肩を竦める。
男を率いていたプノエー少尉が東側の住宅地にいるのなら、あの爆破を行って交戦しているのはヤトゥなのだろう。少尉の命令に従って住民を探す方が安全ではあるし、なんらかの作戦なり思惑があっての指示に違いない。
それでもクイナはヤトゥが戦っているのならそこへ行きたかった。
振り返り十五人の男たちを見ると、じっとクイナの決断を待っている。彼らの命を危険に晒すことなど出来ない。
だがクイナはヤトゥを助けに行きたかった。
ぐっと喉に力を入れて頭の中で天秤にかけるのは彼らの命とヤトゥの命。
「おれは、戦っているヤトゥに加勢に行く。あんたたちは選んでいい。おれと行くか、それとも少尉の命令を遂行するか。どっちでもいい」
結局選べずに彼らに丸投げしてしまう自分の弱さに呆れながらも、それでいいのだと納得する自分がいた。
誰かに命を預けたり、預けられたりするのは違う。
命は誰の物でも無く、自分の物だからだ。
奪うか、奪われるかも自分で決めなくては。
無慈悲に老夫婦の命を奪っておきながら、友人と仲間の命を尊ぶのは身勝手であると解っている。
それでも彼らには死んでほしくない。
生きていて欲しいと願うのだ。
ただでさえ統制地区の最下層の部類である自分たちの寿命は短い。だからこそ悔いの無いように生きて、自分らしく人生を終えたいと足掻く。
「ついて来たい奴だけくればいいから」
責めたりはしないと告げてクイナはヤトゥの元へと走る。誰一人ついて来なくてもいいと思い、ついて来ないでくれと願う。そして同時に一緒に戦って欲しいと欲深く求める己がいる。
常に相反する気持ちが存在するのだと思い知らされながら、クイナは後方から幾つかの足音が続くのを耳にして嬉しさで背中が震えた。
「伏せろ!!」
怒号が響いて咄嗟にクイナは地面に身を投げ出す。硬いアスファルトの上を滑りながら痛みよりも衝撃に苦しんでいると、身体の脇を銃弾が薙いでいく。
あのまま立っていたら確実に蜂の巣だった。
頭だけを起こして首を捻ってクイナの後をついて来てくれた仲間を振り返ると、同様に地面に伏した姿が六つ見えた。
「怪我は!?」と問うと、一人が「足に……」と涙に濡れた声で答える。クイナは攻撃が止んでいる間に更に頭を巡らせて、先程注意を喚起した声の在処を探す。銃撃された方向にある建物の斜め前の角から手まねきする男がいた。
距離はあるが、走り込めば銃弾からは逃れられる。
「おれが手榴弾を投げたら、あそこだ!あそこに走り込め!」
指差して示すと五人が頷き、残り一人が苦しそうに顔を歪めた。走れそうにないのだろう。その男に視線をやり強く頷き大丈夫だと元気づけた。
そして手榴弾を取りだし口にピンの先の輪を銜えて抜くと上半身を起こして目の前の建物の壁目掛けて投げつける。すでになんども爆破の憂き目にあっているのか黒く変色し壁が半分崩壊しているその場所に上手いこと転がり込んだらしい。
派手に爆発して煙と赤い閃光が走った。
「行け!急げ!!」
五人は立ち上がり頭を低くした姿勢で全力疾走する。その横を逆走して動けない男の元へと近づくと、歯を食いしばりながら必死に右腿を抑える右手の指の隙間から赤い血が流れているのが見えた。
「痛むだろうが、我慢しろよ」
男を肩に担いでクイナは中腰のまま駆け抜けた。別の窓から狙って撃たれた弾は幸運なことに避けて飛んでいってくれたようだ。
みなが待つ路地へと頭から飛び込み、奥へと進んだ所で男を下した。
「戦闘が落ち着いたらヤトゥが手当てしてくれるからここでじっとしてろ」
「ご、め……役に立とうと、で、も。足引っ張っちまった」
男の肩を叩いて「いいって」と笑いかける。
「生きて帰るんだろ?おれがなんでも奢ってやるって約束したんだから、痛みなんかで弱音吐かずに我慢しろ」
「そう、だったな」
痛みを堪えながらも笑い返してきたので、これなら大丈夫だなと安心して持っていた袋の口を縛っていた紐を引き千切る様にして抜いた。その紐で傷口の上を硬く縛って止血してから立ち上がり「ゆっくりしてろ」と労ってから入口の方へと移動する。
この路地にいる人数は後から押しかけてきたクイナたちを抜いて三人だった。ヤトゥの姿も無い。生き残りがこれだけなのかと冷やりとしたが、建物の裏手で爆音と単発の銃声が聞こえて来たので人数を分けて攻撃しているのだと知る。
ヤトゥの連れていた男三人は異様な興奮状態で瞳孔が開き切っているが、血迷っている訳では無く恐怖を突き抜けた集中力と冷静さで、初めての戦闘だというのに相手の攻撃が止んだら手榴弾と銃での攻撃を落ち着いて繰り返していた。
逆にクイナたちは未だにどこか現実感を伴わないふわふわとした心地がある。少しでも長く戦っている者たちとの差を見せつけられ、改めて戦場の異常性を認識させられた。
きっとこうならなければ戦えないのだ。
まともな精神状態では人を平然と殺すことなどできない。
「ヤトゥはどこだ?」
三人のうちの一人の隣にしゃがんで問うと、血走った目でちらりともうひとつ先の路地へと視線を移す。それは今攻撃している建物の真向かいに当たる。そこへ向かうには敵の目の前を無防備な姿で進まなければならない。
ヤトゥの元へと行くのは難しいか――。
諦めようと視線を三階建ての建物へと転じようとした視界の端に動いた物が目に入った。一瞬だが確かになにかが動いた。
もじゃもじゃの茶色の髪に指を入れて掻きながら目を凝らす。動いた物を確かめるためにゆっくりと移動させながら。
「なんだ?」
三階建ての頑丈な建物の奥に建つ横長い建物がある。装飾など皆無の実用性重視の建造物はどこか役所めいて見えた。そしてその二階の一番奥の窓辺に朝日の光を弾いて映るひとつの影。
「人が――」
ここの住民が隣国からの攻撃を察知することができたとして、それでも全員が町から逃げることなど出来ないはずだ。逃げ遅れた住民は避難場所としてどこかへ身を寄せるだろう。
例えば隠れる場所の多い大きな建物。地下室。軍などの武力を持った組織やその近く。
「そこにいたのか」
クイナが浮かべた笑みは見る者が見れば背筋を凍らせるに違いないが、今は誰も気に留める者はいない。
プノエー少尉の命令にも背かずに済むことができそうだ。
「隣の建物に住民が避難している可能性がある。今からそこへ向かう」
「住民?」
高揚した顔の男たちが三人怪訝そうに聞き返す。
「少尉からの命令だ。住民は殺さず捕えよと」
「じゃあ、あいつらは?」
無表情に斜め前の建物を顎をしゃくって示す彼らに「あいつらは敵だ。問題ない」と請け負ってやると小さく頷き再び攻撃を開始する。
「援護を頼む」
「了解」
その受け答えは既に軍の兵士のようだ。クイナは苦笑して五人を振り返ると「ついて来たい奴だけでいいからな」と再び念を押してから路地から躍り出た。
途端に降り注ぐ銃弾を避けるなど器用なことはできないので、当たらないようにと祈りながら走った。後方の路地から手榴弾が投げられ、前方の路地からヤトゥが驚いたように顔を出して銃弾を向かいの建物へと浴びせる。
なんとかヤトゥの元へと滑り込むと「なんてことを」と呆れられた。
「少尉がなにか企んでるらしい。住民を殺さず捕えろだと」
「住民を?」
「あっちの建物に誰かいるのは確かだ」
「あっち、ですか」
日の昇りきった通りは土埃と硝煙と爆薬の匂いで満たされている。清々しさとは無縁の場所になったが、それでも変わらず太陽は空へと戻るのだ。
見つかるからと引っ込んだのか、それともクイナに見つかったのに気付いたのか。先程の場所に人影を見出すことはできなかった。
クイナに遅れて駆け込んできたのは二人。あとの三人は路地に残って攻撃を手伝うことにしたのだろう。
十分だ。
「一気に行く。援護してくれ」
「解りました」
生真面目な返答の後で仕方ないですねと言わんばかりでヤトゥは微笑む。そして「よければ少し弾と手榴弾を置いて行ってくれれば助かります」と要求する。
重くて邪魔になるものを持ったままでは走りにくいので、有難くクイナはポケットに入るだけ詰めた後は全部置いて行くことにした。
「行ってくる」
「気を付けて」
短い挨拶を交わした後でクイナは再び通りへと飛び出した。
アスファルトはすっかり剥げて、崩れ落ちた壁や土埃で覆われている。銃弾はそれらを巻き上げながらクイナを追ってくるが捕まえることはできないようだった。
まだ順番は先なのだ。
クイナが死ぬのはここでも無く、今でも無い。
それが心強く鼓舞してくれた。
今はただやるべきことを考えて走った。戦いの土煙の中をただひたすら。
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