エピソード56 自分で選ぶ


 駆け込んだトラックの影には陸軍兵士と私服姿の無戸籍者がいた。それぞれ銃を構え黒い煙を超えて果敢な攻撃を仕掛けてくるマラキア軍に向けて発砲している。

 混戦状態の中では誰もがみな自分の命を護ることに必死で他人を思いやる余裕などどこにもない。丸腰のシオは応戦できる武器を見つけようと辺りを見渡し、縦に並んで走っていたはずのトラックから脇に外れた場所に停車している車に気付く。

 その前を遮る様にトラックが少し離れて停まっているのにも違和感がある。

 考えるよりも身体が反射的に動き、シオはまるで四足で走るかのような格好で車まで駆けた。様々な気配と音と匂いが充満していた場所から遠ざかる度に頭の芯が冷えて行くのが解る。


 あそこは異常だ。


 脳の神経が知らず高揚して、感じたことも無いような興奮状態へと導かれてしまう。

 そんなものに支配されれば戻れなくなるという根拠のない恐怖を感じてシオは己の声で逸るな、飲み込まれるなと唱えた。

 そうすることで少し落ち着いた気になるところは単純だと自虐的に思う。

「止まれ!」

 威圧的な声と共に突き付けられた銃口はシオの眉間を確実に狙っていた。それも一つではなく五つ。一斉に向けられた銃の脅威に仕方なく立ち止まり、男たちの着ている軍服が下級兵士たちの身に着けている物よりも上等であることに気づき成程と唇を歪めた。

「なにが可笑しい?」

「別に?」

 ただお偉い奴らは安全な場所で高みの見物かよと思っただけだとは口にせずに意味ありげな視線で答える。

 それだけでも十分伝わったようで柳眉を逆立てて「貴様!愚弄するのか!?」と甲高い声で喚くので顔を顰めて右手で耳を抑えた。

「そういきり立つな。彼は俺たちの仲間だろう?」

「ですが!」

 腕に力を入れたままシオを睨みつける兵の肩をポンッと後ろから気軽に叩いて止めた男は陽に焼けたというよりも元々浅黒い肌をしているのだろう。凛とした雰囲気と精悍さが同時に共存する随分男ぶりの良い容姿をしていた。

 歳は二十代の後半のようだが、どうやらここにいる男たちの中で一番身分が高いようだった。

「あんた、誰だ?」

「そうか、自己紹介が必要か」

 にやりと人を食ったような笑顔を浮かべて「サロスだ」と名乗る。階級は告げずに名前だけで済ませてサロスはずかずかと歩を詰めてシオの前までやって来た。

「お前は?」

 問われて教える必要は無かったが、勿体ぶるほどのことでもないので「シオ」とだけ答える。するとサロスがまた破顔して気安く肩を抱いてきたので、そこまで気を許すことはシオの自尊心と警戒心が拒絶した。

「触んな!」

 左肩を大きく振り回して解き、半歩下がって睨みつける。その時にまた脇腹がずくりと疼いて、自分がまだ本調子では無いことを思い出し苦々しく臍を噛む。

 無茶をすればまたあの痛みに苛まれて苦しむことになる。

 そんなことは御免だ。

「おいおい。俺たちは仲間だろ?そんな邪険にしなくてもいいだろうに」

「お前らカルディアの人間とおれたちが仲良くできるとは思えねえからな」

 口にした途端に浮かんだのはホタルとアゲハの顔だったが、それは強く瞬きをして追いやり繰り広げられている戦いの激しさを背中に感じながら右手を前に突き出した。

 掌を上に向けて自分に差し出されたシオの手をサロスは不思議そうに眺める。

「こんな時に強請りか?」

「は?ふざけんな!戦って欲しいんならちゃんと銃を寄越せ!素手で戦えなんて無茶言うのならお前ら全員殴り飛ばして奪って、その銃で殺してやる!」

「ああ、そういうことか」

 おかしそうに肩を揺らして笑い、サロスは腰のホルスターに収められていた銃を引き抜くとシオの掌に乗せた。

「サロス准尉!それは過分すぎではっ!」

「うるさいな、お前ら。いいだろ別に。俺がシオにくれてやりたいって思ったんだからいちいち口出しするなよ」

 ぎゃんぎゃんと吠え捲る五人の男たちを面倒臭そうに見やって、サロスは「ちょっと待ってろ」と言い置いて車へと戻って行く。

 その間にシオは渡された銃をしげしげと見れば、サンの銃との違いは引き金の上に回転式の弾倉が無いことと、鈍色のボディーは全体的にすっきりとしていて無駄な物が排除されていることか。

 洗練されているのだろうが、どちらかといえばサンの銃の方がしっくりと手に馴染んでいたような気がする。

「替えの弾倉とライフルも持って行け。防弾チョッキもあるが着て行くか?」

 なにやら色んな装備も持ってきたらしいサロスの様子にぎょっとしたのはシオだけでは無かった。兵士たちも目を丸くして「それは行き過ぎた行為です!」と窘めているがサロスは聞く耳持たずにシオにずいっと防弾チョッキを押し付けてくる。

「……これはいらない。重すぎて逆に動きづらい」

 なにも防護できる物を身に着けずに闘う無戸籍者たちのことを考えれば、シオがそれを装備して戦うことには抵抗があった。明らかに鉄板か何かを入れ込んである防弾チョッキは重く、シオの動きを損なうに違いないのも拒否した理由のひとつだ。

「だが、これは貰っとく」

 ライフルを受け取るとサロスは親切にも使い方まで教授してくれた。そして最後に小振りの背負い袋を手渡して「健闘を祈る」と敬礼して送り出す。

 なんだか調子が崩れる相手で、シオは心の中で苦手だと呟くと再び戦場へと舞い戻った。

 本当は直ぐにでも町の方へと行き、クイナやヤトゥがどうなったのか知りたかったが今はこの場所でマラキア軍をなんとかしなくてはならない。

 シオたちが目の前の敵を押し止めなければ、山を下ってきている部隊が町へと辿り着くことができないだろう。

 どれほどまで持ちこたえればいいのかはシオたちには知らされておらず、また知っていた所で時間の経過など気にして戦っていては自分の命を手放すことになる。

 集中力を持続できるかが生と死の分かれ目になるのだ。

 相変わらず喧しく、弾が飛び交い、爆発による粉塵で前が良く見えない。

 無理やり連れてこられた地で、自分の意思で戦うことを選んだ。

 カルディアの人間の為に戦うのではないのだと言い訳しながら、シオはライフルを教えられたとおりに右手を銃把に添えて指は引き金に。左手は被筒を握り銃床に肩を当て固定し、銃身の上に着けられた照準器で狙いをつける。銃が体に垂直ではなく少し斜めにするように構えて後は。

「……引き金を引く」

 重い衝撃が腕と肩に伝わり肘がじんと痺れる。音よりも撃った後の反動に驚き、態勢が崩れそうになるのを必死で堪えた。撃った弾は敵に着弾しドッと倒れ伏したのを確認する。別段自分の中でなにかが変わった様子も無いことに勇気づけられ、近づいて来る敵の影を見つけるたびにシオは引き金を引いた。




◆◆◆




「アオイ様」

 呼びかけられた声に直ぐには応えられず、広げられた地図の上を黙って眺めていた。太陽は中天に達しようとしており、山の麓では明け方から戦闘が繰り広げられているというのにここはこんなにも静かだ。

 シルク中将は陸軍七百名を残してマラキア軍の国境傍にある駐屯地を攻撃に出ている。連れてこられた無戸籍者たちも全て引き連れて行ったため、この自陣にはアオイとヒナタと七百名の陸軍兵士しかいない。


 いや。

 裏切り者のエラトマがいるか。


「アオイ様、カルディアより物資と午前中に捕えた補充人員が到着しました」

「……補充人員か」

 新に捕えられた無戸籍者たちはここへ送り込まれてくるのだ。死ぬために、利用されるために。

 今も戦場で散って行く命を思えば胸が苦しく、黙って座っていることなど出来ない。だがうろうろと落ち着きなく歩き回って陸軍の兵士に弱みを握られ陰で笑われるのは癪だった。

 なにもすることも、考えることも出来ずにただぼんやりと作戦本部のテントでシルク中将からの報告を待つしかない。

「他に方法は無かったのだろうか、本当に」

 命令違反をして勝手に奇襲攻撃を企んだエラトマをマラキア国に突き出して許しを乞うても、初めから一人の参謀のせいにして布告無しの開戦をするつもりだったのではと勘繰られて終わるのが目に見えていた。

 ただでさえ五十年前の戦争で化学兵器を数度に渡り使用したことを批判され、スィール国は国際社会の中で立場が弱い。

 結果化学兵器の使用により自国の国土の半分以上を砂漠に変え、汚染地域の拡大を止められずに首を絞めているのだから言い訳はできないだろう。更に隣国へと攻め入ろうとする暴挙に、批判は強まり我が国は国際条約から弾き出される。

「……終わりだ」

 遠い目をしたアオイの横に人が立ち、護衛隊長だろうかと視線を上げた胸倉を乱暴に掴んだのはヒナタでは無く護衛隊員のカタクだった。

「そんなに簡単に終わらせないでください!本当にアオイ様は諦めるのが早すぎる」

 口調と共に喉元を締め上げる力が強くなる。仕えるべき相手であるアオイにこんな不敬な行動を取るのはカタクぐらいだ。

 容赦なく叱咤してくれる存在は貴重であると常々感謝している。

「カタク!失礼だぞ!」

 後ろから護衛隊長の堅い拳骨をくらいカタクは右頬を歪めて手を離す。そのまま頭頂部を抑えて呻くので、相当な力で振り下ろされたのだと解る。

「いっ、てぇ」

「それぐらいで済んでよかったと思え。撃ち殺されるか、斬り捨てられるか。どちらにせよ通常なら命はない」

「腑抜けた顔をしていらっしゃるからいけないんです」

「お前なっ」

 反省してないだろっとヒナタが再び拳を握るのを見て、カタクは慌てて姿勢を正して口を閉ざす。

 二人のやり取りは城で過ごしていた時と同じ空気と明るさがあり、アオイの倦んだ心を少しだけ癒してくれた。唇の端に微笑を浮かべて「もういいから」と取り成せば、ヒナタもそれ以上叱ることはしない。

「補充人員は五百七名です。午後からの人員も増えていたので、昨日よりはここへ投入される無戸籍者の数も増えるでしょう」

 だから簡単に諦めるなとカタクの茶色の瞳が訴えている。それに首肯して応えると厳しい表情を幾らか緩めて笑った。

「そうそう。ウツギ副隊長も準備でき次第こちらに来るそうですよ。よかったですね、ヒナタ隊長」

「ウツギが?」

 名を聞いて迷惑そうな顔をするヒナタだが、彼が護衛副隊長のウツギと仲がいいのは誰もが知っている。幼馴染で小さい頃から互いに張り合っていたのだと聞いていた。いつも軽口を叩きあい、じゃれ合っている姿を見るたびに彼らの強い絆を感じて羨ましく思ったものだ。

「護衛隊員も半分は俺と来ましたから、アオイ様」

 それ以上は言わなくても解っている。

 アオイは深く首肯して「心強いよ、」の後に、ありがとうと続けようとして飲み込んだ。それに気付いたカタクが満足そうに目を細めて「光栄至極にございます」と恭しく頭を垂れた。

 つられたように微笑もうとして飛び込んできた伝令に顔を引き締める。

「失礼します!シルク中将より報告です!」

「なんだ。町を落とせたのか?」

 途端に「いえ」と目を泳がせる伝令を、眉間に力を入れて眺めると敬礼をしたままで男はごくりと唾液を飲み込んだ。

「駐屯地攻撃のため山中で陣を張り、そこで指揮を執るので本日の帰還はできないと伝えろと」

「他には?」

「町に続く道路での戦闘は押され気味ではありますが、なんとか持ちこたえているようです。山から町へと援軍に向かった隊は無事先発隊と合流。住民を人質にして警邏隊を町から追い出すことに成功したと」

 警邏隊を追い出しても町を制圧したことにはならないのかと不思議に思いながら、どの段階で制圧完了と見做すかは司令官次第なのだろうと判断して「終わりか?」と促す。

「兵と物資の補充を」

「解った手配しよう。引き続き作戦を実行せよ」

「はっ!」

 入って来た時と同様に飛び出して行く伝令の後ろ姿を消えるまで見つめ、足音が去った後で漸く嘆息した。

 これからどう戦況が動くかは解らない。

 戦争など愚かなことだとアオイは思っており、できれば避けたかったことでもあった。だがもう拒むことも、逃げることもできない。

 無理やり連れてこられたのはアオイも持たざる者も同じだ。

 それならば彼らが権力という暴力に抗えずに従うしかないのだとしたら、アオイもまた父に命じられた通りに兵を纏めて指揮を執り戦わねばならない。

 自分で選び、判断し、人を上手く使う術を身につけねば。

 奮い立たせるために指を掌に握りこむ。そうすることで未来を変える力を手にすることができるかのように、必死で。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る