エピソード54 それぞれの思い


 ディセントラの町は住民僅か六百人程の小さな集落だ。農耕と放牧で生活をしている長閑な町だが国境がすぐ傍にあり、環境汚染が悪化する一方のスィール国と接していることもあって若者たちや小さな子供を抱えている家族は皆この地を離れている。

 住民の殆どが老人や生まれ育った土地から離れたくない中高年。

 ディセントラの町から少し離れた東の国境近くにマラキア軍の駐屯地があり、そこに駐屯する軍人の数は六千人と言われている。

 本陣から離れ東寄りの山の中腹にある迫り出した巨岩の上から町へと向かう道路を双眼鏡で見やると、スィール軍のトラックが縦列に並びディセントラへと走行中だった。

 町から細長い煙が棚引いているが、最初の頃に比べれば勢いがなく薄れかけていて戦闘が収束に向かっているか、膠着状態に陥りつつあるのだろう。

「……来たな」

 シルクが低く笑うと隣で同じように戦況を窺っていたオネストが首肯して「そうでないと困ります」と返答した。

 護るべき町が攻撃されているのに駐屯地から兵を出さない愚かな指令官はいないだろう。それでも兵を動かすのが遅すぎるなというのは正直な感想だが、それがなにかの意図を持ってのことなのか、それとも王族・閣僚・国民議会の三者で運営されているマラキア国では迅速な対応が難しいのか。

 装甲車が次々と草原を抜けてスィール軍へと近づいて行く。北上するトラックを目掛けて東から進んでくるマラキア軍の勢いは驚くほど速い。

「いいエンジンだな」

「マラキア国は先進国の仲間入りを果たしておりますから当然かと」

「……悔しいか?」

 オネストの口調に羨望が混じっているのを聞き取り、くっと喉を鳴らして笑う。そうするとなにが可笑しいんですかと拗ねたように呟くのでシルクは「別に」とだけ返す。

「悔しくもなります。我が軍にもあれだけの技術と財力があれば互角に戦え、兵を無為に喪わずにすみますから」

 零れたため息は誰を思ってなのか。

 これから始まる戦争で喪われるだろう旧知の陸軍兵士たちなのか、それとも無理矢理集められ連れてこられた持たざる者たちへの憐れみか。

 オネストの中では無戸籍者たちも兵の数として認知されている。そうしなければ作戦を立てる際に大きな穴となるからだ。訓練された兵と、そうでない兵をどのように配置すれば損失少なく勝利を得られるかを考えなければならない。

 できるだけ戦う能力の高い者が生き延びられるように、一番数のいる最前線には無戸籍者たちを多く編成しつつ寄せ集めの彼らを導けるだけの才覚ある下士官をつける。陸軍の兵は主要な戦いに投じて――。


 目まぐるしく頭を働かせながら喪われて逝く者への哀悼を忘れない男だ。


「だからお前は物事全てに細かい男だとみなにからかわれるのだ」

 同僚と飲みに行けばきっちり割り勘をし、書類を頼めば渡した資料の間違いを指摘され、備品の在庫の残りに常に気を配り、みんなが忘れているような事柄を日付や場所なにを話したかに及ぶまで覚えているというのだから恐れ入る。

 そんなオネストを揶揄しながらもみなが慕って止まないのは、その全てに相手を気遣う心配りが見えるからだ。


 信頼に足る人物だ。


 シルクは手放しでオネストを褒めるが、それは心の内にだけ留めて決して彼の耳には入れない。

 伝えずともオネストは解っている。


 そういう男だ。


「どれほどマラキア軍を引きつけて誘き出してくれるか」

「装備が違い過ぎて直ぐに敗走せざるを得なくなるかもしれませんが、頑張ってくれると期待して次の一手に移ります」

 敬礼したオネストに軽く頷いて了承の意を伝える。

 機敏な動作で身を翻し参謀官は巨岩の上から飛び降りて、森の中へと入って行く。八百名の陸軍と無戸籍者二百名が森の中を東へと向かっている。それが現在のスィール軍の主戦力。


 それを駐屯地へとぶつける。


「攻め落とすことが目的ではないが、上手く行くかは」

 オネスト次第。

 薄笑いを浮かべてシルクはその場で太陽の光を浴びる。乾燥したスィール国とは違った蒸し暑さに辟易するが、その湿気は喉から手が出るほど欲しい飲み水がこのマラキアには潤沢にあるという証拠でもあった。

「彼らも同じ心境だったのだろうな」

 五十年前にスィール国に戦いを挑んだ南の国の者たちも同じ気持ちで、豊かな水の国である我が国に恋焦がれたに違いない。

「……歴史は繰り返される」

 人を変え、国を変えて。

 そして時を超えて。



◆◆◆



 おかしい。


 プノエーは昂ぶった異常な神経の中で呼吸を荒げながら道を駆けて行く。後ろから続く靴音は薄汚れたボロボロの靴から聞こえ、国を超えた見知らぬ土地で置いて行かれるのを恐れるように必死で追って来ていた。

 銃と手榴弾を手渡した時にもしかしたら襲われるかもしれないと思ったが、彼らはプノエーを殺して逃げるよりも同国の兵と行動を共にする方が幾らかましだと判断したらしい。

 戸籍を持たないにしろ生まれも育ちもスィール国であり、他国の言葉も通じない場所を逃げ延びられるとは思っていない。そしてやはり彼らも帰りたいと思う場所はスィール国の統制地区なのだ。

 その面で言えばプノエーも、彼らも違いは無い。

 仲間といえるほどまだ信頼関係も無いが、共に戦ってくれる協力者ではあった。


 やはり、おかしい。


 町の西の方から夜空に吸い込まれるような銃声が聞こえる。大柄な方の男か、それともおとなしそうな男の方か。

 解らないが寝静まった町の中に異質な銃の発射される音が響いている。


「気付かれていた?」

 角で立ち止まり壁に背を当てて大きく息を継ぐ。

 これだけ銃の音が鳴り響いているのに全く動きが無い。家屋自体は庭や畑を有しているため隣家と距離があり、なんらかの騒ぎが近くであったとしても気づきにくくはあるだろう。

 それでも普通は誰かが気付く。

 家の外を知らない気配が走り回り、銃を乱射していれば。


 プノエーは自分の疑問の答えを得るために背を預けていた建物の玄関へと移動した。当然だが扉には鍵がかけられており、中へと侵入するには力づくしか方法は無い。拳銃を構えてノブの下の鍵穴へと弾を撃ち込む。

 ドンッという重い衝撃音が空気を震わせて辺りに伝えるが、やはりどの家も静かでまるで誰もいないかのようだ。

 分厚い靴底で思い切り蹴りつけると勢いよく扉は内側へと開き、蝶番が壊れたのかそのまま傾いて止まった。

「お前は上、お前は隣家を見てこい」

 すぐ後ろにいた男に二階を見に行くようにと指示し、一番離れた場所にいた男には隣を見てこいと命令する。他の人間にも周囲の家を同様に調べてこいと言えば、恐怖を押し殺したような顔で全員が動き出す。

 銃を片手に玄関から廊下を通じて奥へと進むと居心地の良さそうなリビングとよく磨かれたキッチンがあった。更に先へと向かえばバスタブの置かれたバスルームと、ふかふかのタオルが置かれた棚と真新しい洗濯機。

 住んでいる者の息遣いが聞こえてきそうな家具と部屋の生々しさとは逆に、住人の気配は皆無だった。

「……間違いない」

 天井を仰いでプノエーは脱力する。

 靴音を忍ばせて近づくという基本的なことにすら思い至れない無戸籍者が二階を捜索し終わったのかやって来て「あの、誰も」と戸惑った声で報告した。


 やはり。


 町の住民の殆どが避難しているのだろう。

 だから誰も騒がない。


 いつから気付かれていたのか。


「そんなことは知らなくてもいいことか」

 問題は気づかれていたのなら、奇襲や攻撃に対してなんらかの対策や罠を仕掛けられている可能性があるということ。

「完全に無人にはしていないはず。それならば、」

 バスルームを飛び出して玄関へと走る。丁度隣家を調べに行かせた男が戻って来ていて不安げな顔をしていた。プノエーを認めるとほっとしたように目を緩ませて「誰もいなかった」と告げた。

「今から手分けして民家を捜索しろ。住民を見つけたら殺さずに捕えるんだ。いいか。絶対に殺さずに捕まえろ」

「殺さずに?」

「そうだ」

 不思議そうな顔で殺し合いに来たのではないかと困惑している男に再度念押しする。そしてバスルームからプノエーを追ってきた男を振り返り「他の場所から攻撃を仕掛けている奴らにもそう伝えろ。絶対に殺すなと。行け!」声を張り上げると途端に怯えたように身を竦ませたが、背中をグイッと押すと慌てて駆けて行く。

 その後ろ姿を見送ってプノエーは軽く舌打ちをする。

 他の奴らが貴重な住民を殺している可能性は高かった。今更探して見つかるかどうかは解らないが、なにもしないよりはましだ。

 東の空は夜明けの兆しを見せている。


 時間がない。


 焦りながらプノエー自身も住民を見つけるために道を駆けて新たな民家の扉へと飛びついた。



◆◆◆



 普通どんな町でも大切な施設は中央にある。役所や大きな商店、そして町の治安を護る組織も例外なく。

 ヤトゥは真っ直ぐに十五名を連れて町の中心を目指した。民間人を襲うことを躊躇ったことと、クイナやあの軍人が攻撃を始めればまず動くのはスィール国でいう治安維持隊のような組織だ。

 少しでも足止めをする為と、町を制圧するのなら武器を持つ組織を倒さなければならないことは明白だった。

 たかだか十五人で組織を倒せるとは思っていないが、突然の攻撃に浮足立っている相手ならば敵の数を減らすことは簡単だろう。

 家々の間を抜けて市場が開かれているのだろう広場と通りへと出る。ちらりと視線を走らせれば、メインの通りだけでなく小道や路地に至るまでここに集まっているのが解った。間違いなくこの辺りが町の中心地。

 走り続けて上がった呼吸を整える暇も無くヤトゥは広場を突っ切った。柔らかな草の感触が足裏に残り、この国の豊かさを足元から感じた気がして胸が突かれる。

 マラキアのほんの少しでもいい。

 水と温暖な気候をスィール国に分けて貰えれば、こんな戦争など起こさずに済んだかもしれない。


 否。


 きっと業が深いカルディアの人間たちは我慢できずに攻め込んでいただろう。

 現状など関係ない。

 心根の問題だ。

 同じ国民として悲しいことに、スィール国を統べる者は浅ましく強欲だ。


「あった――」

 荒い呼吸の合間から掠れた声で呟き歩を止める。正面に大きな横長の建物。そして右手に三階建てのどっしりとした建造物があった。玄関に灯りが灯っているのは右手の建物だけ。

 つまり正面は役所で右隣りがこの町の安全を保障する為に置かれている組織。

「なあ、どうするんだ?」

 怯えた顔に今は疲れを滲ませて汗を拭いながらヤトゥに問う彼らは、痩せていて頼りなく見える。それは自分も同じなので文句は無い。

 だが彼らと自分との違いは見た目では無く、未来を切り開こうと奮い立つだけの意地があるかどうかだ。誰でもこんな状況で冷静でいることはできないし、恐れるなという方が間違いである。

 それでもヤトゥは統制地区へ帰るのだという願望を捨て去ることができない。戦うことで少しでもその道が開けるのだとしたら努力し希望に縋りたいと思う。そうしなければ欲しい物が手に入らないのだから。

「貴方たちは帰りたくないんですか?」

「帰りたいって、統制地区にか?そりゃ帰りたいさ。帰りたいに決まってる」

 次々と上がる声にヤトゥが頷く。

 彼らにも家があり、家族や友人知人がいただろう。又は恋人も。

「私は帰りたい。なんとしてでも。その為に戦えと言われれば戦うし、殺せと言われれば人を殺します。どんなに勝ち目のない戦いでも、不利な場面でも全力を尽くして生き抜く」

 そうする事でしか叶わないのならば血に塗れ、這いつくばり死肉を喰らってでも生きて見せる。

「あそこは治安維持隊のような組織の事務所だと思います。そこを落とせばこの町で抵抗してくる者たちはいなくなる」

 だから。

 叩く。

 全力で。

「中に攻め込まず外から攻撃に徹しましょう。その方がリスクは低いですから」

 沢山渡された手榴弾。

 連発できない銃で戦うよりも外から手榴弾を建物にぶつけて、出て来た所をまた手榴弾と銃で撃退すれば十五人でも少しはまともに戦えるだろう。

「半分は建物の裏手に回ってそこから攻撃をしてください。それを合図にこちら側からも直ぐに手榴弾を投げ込みますから」

「ほ、本気なのか?」

「冗談を言っているように見えますか?」

 質問に質問で返すと男たちは口を噤んで逡巡する。自分たちでは決められないようなのでヤトゥは八人を適当に指名して大量の手榴弾と弾倉の入った袋をひとつ渡す。それを受け取った男は震える腕に抱えて「じゃ、じゃあ行ってくる」と応じた。

「御武運を」

 小さく頷いた男たちは辛うじて闇の支配が残っている道を必死で駆けて行った。ヤトゥたちはほんの少しの間だけ身体を休めるために建物から死角になっている場所でひと心地着く。

 統制地区よりも綺麗に澄んだ空を見上げてヤトゥは口元を歪めた。


 大丈夫だろうか、と案じるのはまるで手負いの獣のような孤独な青年のこと。稀有な金の瞳は猜疑に満ちており、純粋な親切すら信じられないのだと見ただけで解る。

 きっと彼は斜に構えて生きてきたのだろう。

 クイナと同じ職場で働いていたという兄しか心を開けないような状況で。


 不憫だ――。


 ヤトゥとて同じような環境だったが、それでも周りの人たちは厳しくはあったが温かみがあった。医師である父と優しい母がいて。幸せで恵まれていたのだと思う。

 あの青年のような人間は統制地区にごろごろ存在する。

 全てに手を差し伸べることはできないが、怪我や病気で苦しむ人々の手助けが少しでもできればと思っていた。

「気味悪がられるだろうな」

 きっと彼からは手酷い拒絶を受けるだろう。

 そんな光景を想像するとなかなか楽しい。


 だから。


「頑張らないと、な」

 生きる理由、戦う理由、それぞれ色々あるだろう。

 死にたくないから。

 生きたいから。


 必死で願う。


 轟音と共に建物が揺れてヤトゥは我に返る。

 立ち上がり手にした手榴弾のピンを抜いて肩を大きく後ろに下げ力一杯投げつけた。

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