エピソード52 開戦の狼煙


 用意されていた簡易ベッドは固く、寝心地は悪かったが地面の上にシートを敷いて毛布に包まって眠っている無戸籍者を思えば文句は言えない。浅い眠りの中でテントの入口の向こうから「失礼します」という声掛けの後で、入室してくる気配に薄らと目を開けた。

 近づいて来る靴音は荒々しく、声の主である護衛隊長の物とは思えない。怪訝に思いながら布団を押し退けて半身を起こす。

「アオイ様、おやすみの所申し訳ありません。緊急事態です」

 衝立の向こうから聞こえたヒナタの声は動揺と怒りで激しく震えていた。

「緊急事態とはなにが」

「申し開きは本人からお聞きください」

 吐き捨てられた言葉にアオイは怯えた。普段は朗らかでいつも笑っている男だけに、このような物言いをされると酷く傷つく。

 例えアオイ本人に向けて放たれた物ではないとしても。

「一体なにが起きているんだい?」

 教えて貰わなければ解らない。

なにがそんなにヒナタの逆鱗に触れたのか。

「あの中央参謀部から派遣された参謀のエラトマ殿が、アオイ様の決定を無視して陸軍の少尉と五十名の無戸籍者に麓の町への奇襲攻撃を命じました」

「な、なんと――」

 宣戦布告をすると発言したアオイに面と向かって反論してきたが、まさか決定に背いて独断で奇襲攻撃を敢行するとは。

 堂々と反抗するということは、それだけアオイを甘く見ているだろう。

 父の様に断罪することは無いと思っているのか。

「ちゃんと、見張っておくべきだった」

 どこにでも反乱分子はいるのだと解っていたのに。

 あんなにも解りやすく、納得していない顔でアオイを見ていたエラトマの雰囲気でこうなることもあり得ると頭に入れておかなければならなかったのだ。

 自分の思惑通りに進めるためにはそれだけの配慮や布石を打ち、邪魔をされないように注意深く周りを見なければ何事も上手く行かないのだと思い知る。


 やはり甘いのだ。

 自惚れていた。


 総統の息子であるアオイの決定事項は必ず護られると。

 痛恨の失敗に思考が停止する。

「アオイ様、既に攻撃は始まってしまっています。これから如何なさいますか?」

「始まって、いる?」

 耳から入る情報が脳へと浸透するのに時間がかかった。信じたくない気持ちと、受け入れたくないという拒絶。

 だがこれが現実だ。

 宣戦布告が間に合わなかった以上、国際条約を破ったこととなり周辺諸国からの風当たりは厳しくなる。そしてスィール国は輸出入を拒まれ、国民全てが飢えとの戦いになるのだ。


 もう後戻りはできない。


 頭を振って逃避をしようとする脳に正常に活動せよと命じる。戦争を知らないアオイでも、戦況は一分一秒を争うことくらいは教えられていた。

 そして総統になった暁には求められる迅速な判断力と決断力を、今は必死でひねり出して対応しなくてはならない。

 アオイは父ならどうするだろうかと考え、ベッドから立ち上がる。そしてシャツとズボンという薄着の上に黒いコートを羽織って衝立から出た。

「エラトマの拘束は?」

「シルク中将が」

「町の現状と情報は?」

「詳しいことはまだ解りません。ですが町から煙が上がっているのは確認できます」

 ヒナタは不本意そうな顔のまま背筋を伸ばして立っている。その横を通り過ぎ入口へと向かうと、その後ろを護衛隊長は健気についてきた。

 外へと出ると何故今まで気づかずに寝ていたのかと思える程に騒がしく、兵たちが慌ただしく行き交っている。ヘルメットと防弾チョッキを着用し、小銃を持った姿は今すぐにでも出撃できるだけの緊迫感があった。

 それぞれ小隊ごとに声を掛け合って準備をしているようで、それを遠巻きに無戸籍者たちは兵たちの気迫を見てテントの下で毛布を抱えて慄いている。

 陸軍兵士たちの殆どが下級兵士である統制地区の人間で、戦闘訓練を受けた彼らは職務と命令に従順だ。同じ地区出身であるが無戸籍者たちは訓練など受けたことが無く、銃の扱いすらも覚束ない者たちである。

 それを無理矢理戦争に駆り出そうというのだから、その恐怖や不安は想像を絶する物だろう。

 シルク中将のテントの前は特に人が集まっており、忙しそうに将校たちの元へ下士官たちが報告をして指示を仰いでいた。

 これだけ兵たちが動いているというのに、アオイだけ蚊帳の外で少し腹立たしく思いながら中将のテントの入り口に立っていた兵士に取り次ぎを頼むと直ぐに通された。

「どうやら私の思いとは違った方向に事態が進んでいるようだが」

 地図を広げた机を囲んで数人と作戦を立てている様子のシルクを軽く睨んで声をかけると、中将以外はさっと身を引いて下がり敬礼をする。

 シルクは難しい表情で「申し訳ありません」と謝罪し、ちらりと後方へ視線を移動させた。机と大柄な中将が壁となって気付かなかったが、椅子に座り背凭れに腕を固定されて身動きのとれないエラトマの姿があった。

 鋭い奥目をギラギラと光らせ、猿轡をされている喉の奥でなにごとか喚いている。

「気づいた時には町への攻撃が始まっており、後手に回りました」

「……成程」

 真摯な態度で軽く頭を下げるシルクは自分の落ち度を主張して謝っているように見えた。だが壁際に退いた士官たちの顔にはどこか空々しさを感じ、よくよく考えればアオイよりも経験も人を見る目もあるシルクがエラトマの行動を察知できなかったとは思えない。

 シルクは敢えてエラトマを止めなかったのだ。

「……どうやら周りは敵だらけらしい。今後は気を引き締めて当たらなければならないな」

 中将を取り立てて信用していたわけではないが、止めようと思えば止められたはずを黙って見逃していたのだと思えば落胆もするし、アオイの意見を尊重しているように見せかけて裏ではそれに反する行動をしているのだと知れば信頼に足らない男だと認識を改めもする。

 できれば互いに信頼関係があった方が、困難な任務を遂行する際に優位に働くだろうと思っていたが、それすらアオイの甘さと弱さを露呈し足元を掬われることになるのならば自制し諦めるしかないのだろう。

「アオイ様、これからどうなさいますか」

 苦言と皮肉にシルクは明確な発言は避け、これからについて問う。

 自分は敵では無いので信じて欲しいと取り繕ったり、媚びたりしない所は潔くて好もしく感じる。

 だがこれからどうするかと意見を伺いながらも、兵たちは出撃の準備を整えており、アオイが尋ねて来るまでなんらかの作戦を練っていたのだ。今更なにを言おうが覆らないのだろうと苦い思いで机の上の地図を見る。

 麓の町には赤い丸印が付けられ、色のついた押しピンが所々に配置されていた。

 視線を転じて士官たちの顔を見ると、無表情が四名、自信に溢れ戦いに逸る目をした者が二名、緊張している者が一名、アオイの視線の意図を探ろうとしている者が二名。

 もうすでに手遅れだ。

 アオイの命令など誰も聞く耳持つ者はいない。

 そもそもここに集められている兵は陸軍の物でシルク中将に信を置き、序列の厳しい縦社会の軍の人間は余所者であるアオイの言葉などより上官の命令を重視する。

 解っていたことだろうに、こうして経験しなければ正しく理解できないとは情けない。

 ただここでアオイが言うべき言葉と示すべき態度を父の姿から学んでいたことは幸いと言わざるを得なかった。


 父のようになりたくないと願っていたアオイが、最終的に手本として真似なければならないのが父の姿だとは皮肉な物だ。


「エラトマの愚行を止められなかった責を取り、直ちに兵を動かし町を押さえよ。奇襲攻撃を命じられた不幸な者たちをできるだけ救出し、我が軍の損失を最小限に勝利へ導け。二度の失態は無いと思え」

「御意。エラトマ殿の処遇はどのように」

「私は言い訳も命乞いも聞かぬ。後は好きなようにするが良い」

 恭しく頭を下げたシルクがどんな顔をしているかアオイには見えない。アオイから出撃命令を引き出したことを喜んでいるのかもしれないし、若僧が偉そうにと憤慨しているかもしれなかった。

 どうでもいい。

 もう始まってしまったのだから。

 アオイが踵を返してテントを出ると、聞き耳を立てていたのかそれとも覗き見ていたのか将校たちが慌てたように居住まいを正して敬礼をした。

 一瞥をしてそのまま横切り、少し開けた場所まで移動する。東の空が明るくなり、筋状の雲が太陽の日を受けて白く輝き始めていた。木々の間から真っ直ぐに棚引く煙を見てアオイは眉間に皺を刻む。

 それは一本では無く何本も空に向かって上がっていた。

「狼煙が、」

 開戦の狼煙が。

 上がってしまった――。


 こうして宣戦布告なしに戦争は始まってしまったのだった。

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