エピソード38 等価ではない交換条件


 朝の会議には陸海空の国防軍司令官と参謀部から二名が揃い、政の長たる総裁と、外務大臣、司法大臣が出席していた。

 円卓の一番上座に総統であるカグラが鎮座し、その右手側に陸軍総司令官イサゴ、海軍総司令官ウネリ、空軍総司令官ツバサと続き参謀部から参謀長ラットと副参謀長ナノリの順で座っている。

 左手側に総裁コガネ、外務大臣イサキ、司法大臣レッジェと並び、末席にアオイの席があった。

 次期後継者として父に命じられ初めて出席したのは六歳になったばかりの頃で、遣り取りされる内容も言葉も難解でついて行けず、頭に知らぬ言葉を記憶させることで精一杯だった。それでも幼い子供には耳にする異言語のような言葉を全て理解することはできなかったが、毎日行われる会議に黙って座っていれば少しずつ解ることはある。

 世襲制では無い総統の地位がその息子に引き継がれることの要因として、幼い頃から会議に出席して国の情勢に明るく幹部たちとの面識が深いことが上げられた。それは総統の子息の特権であり、その時間を有意義に過ごす事で今後を有利に動かせるだけの能力を身に着けることができるという思惑の一部だ。

 アオイが実際に意見を求められることは無いが、常に権力者たちの目に晒されることで牽制し、又彼らの巧みな話術と交渉術は勉強になり、その中から透けて見える派閥や軋轢などを把握しておくこともまた重要なことでもある。


 互いが観察し、冷静に評価されていた。

 誰もが皆誰と手を組んだ方が得なのか、誰についたら利になるのかを考えている。


 背筋を伸ばして椅子に座り、ただ黙って会議の行く先を見届ける仕事はアオイにとって退屈ではあるが大切な物でもあった。

 議題の大体が経済、環境汚染、街の治安や資源の問題などについてだが、ここの所頻繁に口にされるのが北にあるマラキア国との国交についてだ。


 北の国マラキアは王を掲げてはいるが、国民の中から代表者を選出した議会と官僚と王族が力を合わせて国を支えている。誰か一人が権力を独占しないようにとその方針が取られるようになったのは、彼の国で百五十年前に起きた大規模な市民暴動の後からだ。

 当時の王はかなりの暴君で度重なる飢饉の際も税率を下げずに徴収した挙句、自分たちの食糧庫が空になりつつあるのを見て市場だけに飽き足らず、貧しい村からも小麦ひとつ残さずに取り上げた。民人は雑草や土を食べて飢えを凌いだと聞いている。

 限界を超えたのは、王がどこから来たのかも解らない怪しげな祈祷師の言葉を信じて大量虐殺を始めたからだ。

 度重なる天候不順により不作が続いたのは神の怒りに触れたからだと妄信し、その怒りを鎮めるためには民の血で大地を染めねばならぬと囁かれた王は集落ごとに毎日五人の首を刎ねろという布令を出した。国と民のためだと嘯く王の愚行に耐え切れず、市民は粗末な農機具や手製の槍で王城へと詰め掛け暴動を起こしたが、王の軍によってあっさりと粛清された。

 その際にも多くの血が流れたことで神の無聊が慰められ、赦しを得られる日も近いと王が歓喜したと言うのだから恐ろしい。

 市民の生死をかけた暴動が何度も起こったが、マラキア国全土を赤き血で染め続けた王を止めたのは今でも英雄と讃えられる王の従兄で、祈祷師諸共王を公開処刑にして国民の悲しみと怒りを抑えた。

 その後の話し合いにより国民主体の議会と官僚、王族が手を取り合って国の繁栄に尽力することを誓い今に至る。

 現在マラキア国は三十年前に見つかった貴重な資源となる希少金属を使った産業と工業で急速に栄え、その国力を確かな物としていた。


 スィール国とは違い百年以上戦争も内乱もない国はそれだけで豊かな国土と経済力を維持することができる。

 平和と安定を国民は望み、国はそれを叶えることで成長遂げるのだという良い見本だ。


 羨ましいと心からアオイは思う。


「労働力確保については正午には目標値に達するでしょう」

 陸軍総司令官イサゴが晴やかな顔で総統カグラを見つめ、いよいよですなと言わんばかりに口元に薄く笑みを浮かべた。

「ですがその中の大半は女子供や年寄りばかりで、北へと割ける労働力は僅かです。勝てる見込みのない戦いをするよりも、交渉を通じて技術的金銭的援助を求める方が確実で損失も少ない。どうか私共の意見も十分に検討して頂きたい」

 総裁コガネが身を乗り出して総統にこいねがうが、陸軍総司令官イサゴの冷笑と海軍総司令官ウネリの嘲笑に跳ね返されてまともに取り合ってもらえない。

 日付変更した零時に無戸籍者を国民登録義務法違反と称して捕える作戦が実行に移されたが、コガネが言うように彼らの中の半数近くは無力な女性や子供、老人であることは予測されていた。

 それでも軍の幹部たちは十分な戦力であると見做し、三百に満たない人数を兵としてマラキア国との国境に送り込もうとしているのだ。

 かつては豊かな国であったスィール国が、現在国として最盛期であるマラキア国に戦いを挑んで勝てるわけがない。

 しかも三百人の寄せ集め兵を投入して。

 誰が率いることになるのかは知らないが、気の毒なことだとアオイはそっと息を吐く。

「交渉など今までさんざんやってこられたのではないかな?だがマラキアは技術も資源も惜しんで出し渋り、金さえ与えておけば我々が満足すると思っておられるようだ。我がスィール国は物価上昇と食糧不足で息も絶え絶え。汚染による被害も年々大きくなる一方。これ以上話し合いなどで時間を無為にすることはできないのです」

「だが!」

 参謀長のラットが小柄な身体を使って申し訳ないという気持ちを前面に出して総裁コガネの勢いを削ごうと口を出した。丸顔で色白の総裁は興奮で頬を紅潮させて言い募ろうとしたが「決定事項に口出しする事は赦さん」と低い総統の一喝で引き下がらざるを得なくなる。

 アオイはそっと父の顔を見た。

 黒々とした髪は短く刈られ、夏の空のような青い瞳は凛々しい眉の下に鋭く収まり、どっしりとしているが形の良い鼻と男らしい唇をした美丈夫。太い首に筋肉のついた上半身、長く逞しい脚は円卓の下で見えないが常と同じように組まれているだろう。

 雄々しい姿は迫力があり、低く唸るような声は聞く者を怯えさせるに十分だ。


 何故、と思う。


 どう考えても総裁コガネの言う通り勝ち目のない戦であるのに、父はマラキアと戦争を始めようと決めたのか。

 常軌を逸したのか、最早国の再建は無理だと諦めたのか。


 判断できるほど父のことを知らないアオイは、真意を測ることが無意味な気がしてそっと目を伏せた。

「そこで、御提案なのですが総統閣下」

 副参謀長のナノリが秀麗な面を向け、揺らぎの無い水色の瞳で総統カグラを見つめた。その背後に控えているカルディアでは切れ者と噂の高いハモンが口の端を持ち上げて不気味に笑みを浮かべたのに気付きアオイは眉を寄せる。

 いつも動かない表情が形作るのは心を騒がせる物だった。

 背中が総毛立ち震えると、ハモンの闇色の目がこちらを見る。

「っ!?」

 必死に動揺を隠して視線を外すと護衛隊長のヒナタが気遣わしげに「大丈夫ですか?」と身を寄せて尋ねてきた。それに「なんでもない」と応えて呼吸を整えていると驚愕の提案をナノリが口にした。

「北への指揮を是非アオイ様に」

 気の毒だと思っていた誰かにまさか自分がなるとは思っていなかったアオイは言葉を失い凍りつく。

 勝てる見込みのない戦の指揮を執り、北へと進軍するなど死ぬために行くような物だ。

「アオイ様は次期総統になる御方だ!そのような危険な場所で命を落とすことになれば国の損失です!アオイ様に指揮を執れとどのような意図で仰られているのか」

「ヒナタ、控えよ」

 ですが、と食い下がる自身の護衛隊長にアオイはもう一度名を呼んで静まるようにと目で訴えた。

 確かにアオイは総統の息子だが今はなんの権限も持たないただの若造に過ぎない。各施設を視察したり、外国の貴賓のもてなしをするぐらいしかしたことがないのに、身の安全を当然の権利のように主張することは愚かなことだ。

 法を犯したと国に戦争の道具として集められ、利用される者たちもまた死にたくないと思っているのだから。

「何故アオイを推す?」

 カグラは息子を死地へと差し出せと要求されているのに、平然とした顔で理由を問う。ナノリの参謀家としての能力を高く評価しているのか、それともアオイの生死などどうなっても構わないのか。

「アオイ様は慈悲深く御優しい。だからこそ兵の命をむざむざ消すような戦い方はされぬはず。コガネ殿が勝てぬ戦と断じたこの戦をいい意味で裏切ることができるのはアオイ様以外にはおられぬかと」

 恭しく頭を垂れて発せられた声は深く、だが冷たい。

 父はどう答えるのかとやきもきして待つが、顎に手を置いたまま黙している。

「勿論総統閣下の御子息にのみ重責を負わせるのは大変心苦しく、又私も同じ年代の息子を持つ身でありますから総統閣下の苦しみも迷いも承知しております。そこで」

 一旦言葉を切りナノリはそっと面を上げる。眉根を寄せた顔は悲しみに彩られているかのように見えるが、その瞳は炯々と輝き冷徹な表情をしていた。

 言葉と瞳が一致していないのはカグラも解っているだろう。

 だがそれはナノリが隠していなからだ。

 参謀部の優秀な男ならば他人も自分すらも簡単に偽ることができる。

「私の愚息を反乱軍制圧のために捧げとうございます」

「反乱軍制圧か」

「今回の大規模捕縛で反乱軍とテロリストたちの動きが活発になるでしょう。衝突は時間の問題であり、早急に対応しなければ統制地区の市民全てが反乱軍に与し、北の国のように市民大暴動が起こります」

 交換条件として自分の息子を差し出すとナノリは言っているが、反乱軍制圧と三百足らずの兵を率いてマラキアと戦うのでは比べ物にならない。

 アオイは絶望的な思いで父を見たが、カグラはひたりと副参謀長に視線を注いだまま思案している。

「アオイ様が此度の戦で戦果を挙げられれば、誰もが次期総統と認め尊崇の念を抱いて受け入れるでしょう」

 この国で絶対的権力を持つ総統であるカグラが否と言えばナノリの案など退けられる。

 理由などなくとも拒絶することは可能で、誰もそれに異論を唱えることはできない。

 円卓を囲む者たちの視線はカグラへと集まり、決断を待っている。

 生きた心地のしない時間はとても長く感じたが、きっと数分に過ぎないだろう。漸くカグラは一同を見渡し、面倒臭そうな口調で「アオイに北の制圧を任せる」と告げた。

「ありがとうございます」

 意見を聞き入れて貰えたことに対する礼をナノリが伝え、カグラはぞんざいに首肯する。

 目の前が暗くなりアオイはその後の会議がどのように終わったのか記憶になかった。

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