エピソード37 暴露された秘密
カルディアと統制地区の間に横たわる壁が厚いのは、国民が暴徒化し襲いかかってくることに脅威を覚えて作られたわけでは無い。巨大なビルと同じ幅はある壁は内部に軍の支部が存在し、それぞれ違う役目を負って職務に励んでいる。
統制地区での大規模な捕獲作戦が始まったことで各部署は忙しく、特に保安部は作戦の中枢を担っており上へ下への大騒ぎだ。
キョウは幾分顔色を取り戻していたが、それでもひっきりなしに車が
保安部は情報を統制し、国民を正しい道へと導くことを職務としている。統制地区に流れるあらゆる情報を集めて、人心を乱そうとする者たちを取り締まることで安全な街作りをしているのだ。
情報分析や情報収集などの花形の仕事は国防大学を卒業した者と高等技術を持つ文官たちが担っており、キョウのいる実動部隊は保安部の末端に過ぎず従えている部下や兵たちもどちらかと言えば粗野な者が多かった。
血の気が多いというか、野蛮というか。
高卒のキョウが上官として立つことも、自分たちより年若い小娘に偉そうに命令されるのも赦し難いと思っている部下たちは素直に言うことを聞かない。
殆どの者が国防大学を優秀ではないにしろ卒業した男たちばかりの世界では致し方ないことでもあった。今の職に就いて二年近くなるが、彼らとの溝は深まるばかりで一向に近づくことは無い。
馴れ合いなど御免だが。
普通女性の仕事は秘書的な役割が強い役職に就くことが多い。だがキョウは父ナノリの口利きで保安部へと入り、そこで実動部隊を率いる地位へと据えられた。
完全なる親の七光りで入隊し、なんの経験も知識もないままに強要される仕事は苦痛でしかなく父の意図も理解できぬまま我武者羅に働いてきたが、そろそろ緊張の糸が切れそうだ。
眉間を指で揉んで頭痛を和らげながら、ずらりと四列に並べられた罪人たちの背中を入口に立って眺める。
彼らは一様に暗い顔で肩を落として自分の順番が来るのを待っていた。多少の抵抗はしたのだろう。着衣が乱れているだけでなく、袖が千切れた者も靴が片方脱げている者もいた。殴られたのか口の端に血を滲ませ、顔を腫らした者もいる。
冷たい双眸で油断なく周りを歩いている保安部の兵たちを前に彼らの反抗心は消え失せ、事務的な手続きが済むまでの間ただじっと黙っていた。最前列の人間が別室へと連れて行かれて目の前の人間が一歩進むのに合わせて列が動くという、面白くもなんともない姿を見ているのは時間の無駄に思えたが、キョウがそれを口にしてはならないことぐらいは承知している。
それでもため息を吐き少し外の空気でも吸ってこようかと思っていると、廊下の向こうから新たな罪人が連れてこられたのが見えた。
派手に破れたジーンズの右膝から脛にかけて血を流し、後ろ手に括られた状態で足を引きずりながら無理矢理歩かされている。どうやらかなり抵抗したらしく、三人の兵が取り囲みその顔には苦々しい表情が浮かんでいた。
ぎらぎらと諦め悪く底光りする青年の金の瞳にキョウは眉を寄せる。
あんな目をした人間を一緒に働かせるなど許可できない。
ここにいるのは国民登録義務法を破った軽犯罪者ばかりだ。彼らは国のために奉仕することで得られる戸籍を求める善良な市民でもある。だが今連れてこられた青年は痩せてはいるが、しなやかな筋肉と反骨精神を持った反逆者のような雰囲気があった。
問題行動で規律を乱すばかりか、人々を焚きつけて逃げ出そうと企て、反乱を起こそうとするかもしれない。
「待ちなさい」
危惧する気持ちを抑えきれず、キョウは兵たちを制止する。怪訝そうにしながらも言うとおりにその場で立ち止まり、青年の手首を戒めている紐を掴んで抵抗できないようにした。
「この男はテロリストでは無いの?」
「いいえ。無戸籍者です。銃を所持してはいましたがテロリストではないです」
「銃を持っていたのにテロリストでは無いと言うの!?」
この国で銃を持つには国の許可がいる。許可なく所持しているだけで罰せられることになるが、戸籍を持たぬ者が許可を取っているとは思えない。申請しても国は銃を没収し、退けて終わるだろう。
それなのに兵士は単なる無戸籍者だと言い張る。
銃を持っていただけで十分な罪を犯しているというのに。
「銃を許可なく所持していたことがなによりの証拠でしょう?何故収監せずここへ連れてきたの」
「この男はテロリストの名簿に載っていなかったからです」
にやつきながら兵士たちは平然と言い訳をする。品の無い顔つきに反吐が出そうだがキョウは目尻を吊り上げて睨み上げた。
「
「おや?保安部の情報収集能力を疑っておられるのですか?」
「我が保安部には全ての情報が集まってくるのに、その
「それは自らの所属する保安部への侮辱ではありませんか?」
「貴方たち!」
保安部が全ての情報を掌握できるわけがないことなど自明の理である。だがそれを窺わせるような発言をしたキョウの揚げ足を取り、からかって喜ぶ人間性の悪さに身震いする。
口々に揶揄を含ませて責め立てる兵たちを何故か青年が首を巡らせて眺め「お前ら最低だな」と舌打ち混じりに吐き出した。
「なにをっ!」
「あんたも、こいつらはおれを戦地に送り込みたいだけだ。その方が銃を持ってた罪を償わせるよりも遥かに有益だからな」
「どういう、こと?戦地って」
キョウは青年の瞳を覗くように見上げたが、その美しい金の瞳に偽ろうとする思いなどどこにも無かった。
「戯言に耳を貸す必要はありません。さっさと並ばせて手続きを」
「戯言かどうかを判断するのは私です。黙りなさい!」
顔に焦りを浮かべて兵たちが青年の背中を押して進もうとするのを前に立ちはだかって阻むと一喝する。流石に押し退けてまで進むことはできないのか兵たちは顔を歪ませて目を反らす。
「なんだよ。知らねぇのか。なら教えてやる!総統は北の国と戦争するためにおれたち戸籍を持たない奴らを集めたんだよ!戦える者は北の戦地へ、女子供や老人は武器を作るために工場で働かせるためにな!」
「この野郎!何を根拠に!」
「ははっ。お前が焦ってるのが証拠だろうが!ここに連れてこられた人間に聞かれちゃまずい情報だもんな!!」
「黙れっ!」
右にいた兵士が怪我をした膝を思い切り蹴り飛ばし、背後にいた兵士が体重をかけて床に引き倒す。だが青年は嘲笑を上げ続け押え込まれた状態でも憎まれ口を叩く。
「残念だったな?全部聞こえちまった」
「わざとでしょう……」
キョウは呆れてため息を吐きながら青年を見下ろす。廊下だけでなく無戸籍者たちが並んでいる場所まで聞こえるように張り上げられた声は確実に動揺と恐怖を煽った。先程までは重苦しい沈黙に支配されていた部屋にざわざわと小声が交わされて疑心暗鬼に包まれている。
「この男を彼らと一緒にすることは危険だと貴方たちにも解ったでしょう。別の部屋に連れて行くか、牢へ入れておきなさい」
「はっ」
次は逆らわず短く返答して青年を無理矢理立たせると兵たちは来た廊下を戻ろうとする。その背中にもう一度「待ちなさい」と声をかけると、煩わしそうな顔で兵の一人が振り返った。
「
単純な好奇心だった。
兵はちらりと引っ立てられて行く青年の背中を見て「シオ」と答えた。
「そう。危険人物として覚えておくわ。仕事に戻りなさい」
自分が呼び止めておきながら冷たく突き放すと、兵の顔に怒りが満ちる。それを無視して背を向け、騒々しくなった人々をおとなしくさせるために持ち場へと戻った。
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