エピソード39 理に悖る


 ゲートの前はすごい人だかりで、それぞれが捲し立てる声が耳を聾さんばかりだった。近づきたくても人の壁に阻まれて先へ進むことはできない。

 治安維持隊が銀色のシールドを使ってバリケードを築いているが、押し寄せてくる人波に四苦八苦している。

 人々が手にしているのはテロリストがばら撒いたビラのようで、口々に北のマラキアと戦争するために市民を集めようとしているのは本当なのか、人工栽培所プラントハウスではなく武器工場で働かせると聞いたなどと叫んでいた。

 道路に散乱したビラをホタルも拾って眺めれば、総統はマラキア国との戦争を決めその戦力にするために無戸籍者を集め、戦えぬ者を武器工場で死ぬまで働かせると書かれている。

 戦争が激化すれば無戸籍者だけでなく、一般市民も理由をつけて徴兵され戦地に送られるようになるだろうと続いていた。

 総統は統制地区を捨てたように、カルディア地区にも見切りをつけて次の土地を求めようとしている。広がる汚染も、上がり続ける物価も食糧不足も全て放置して。国は民を犠牲にしながら平気で益を求める。自分たちに都合のいい利を。

 下々である我々の命など価値無しと軽んじて、無謀な戦を始める国を糾弾するのは今だと煽る。


 立ち上がれ。

 憤れ。


 国民の正当な権利すら奪う国に従う必要があるのか!


 声を上げろ――。


 集まった群衆の中にテロリストがいるのだろう。不安を抱えている人々の心の隙を突くように、あちこちから奮い立たせるような声が響いた。

「一人の力は小さいかもしれない!だが手を取り、力を合わせることで国をも動かす強大な力へと変わる!変革を恐れるな!失うことを怖がるな!我々は既に奪われている!」

 すぐ傍で聞こえた声は少女の声だった。純粋な気持ちを表すような透明な声は騒々しい中でも突き抜けて多くの人の耳に届けられる。

 声の主を求めるように視線を転じれば、勝気そうな瞳の少女と目が合う。どこか挑むような強い眼差しにホタルがたじろぐと、少女は口元を綻ばせて微笑んだ。

「人の命に軽いも重いも無い!国がなにをしてくれた!?護ってくれたか!?新たに生み出される法律は全て自分たちに都合のいい物ばかり!私利私欲ばかりで腐りはてたカルディアの人間に国を任せていては滅んでしまう!」

 拳を振り回して論じる少女は高揚したまま叫び続ける。

「治安維持隊は第八区を夜な夜な“駆除”と称して焼き払い、無抵抗の人間を殺している!行き場の無い孤児たちの拠り所である孤児院を潰し、“狩り”と称し逃げ惑う弱者を捕縛する!まるで害虫害獣扱いだ!そのうち歯止めを失い罪なき人間を無差別に殺戮するようになる!」

 ホタルの周囲にいた人たちも少女に惹きつけられ、じっと言葉に耳を傾けている。その目にじわりと反感と怒りが漣のように広がって行くのを見て寒気に襲われた。

 彼らの目が、どちらが害虫害獣だと言わんばかりに国への不満が募って行く。

 手にしていたビラを握り締めホタルは一歩下がる。その様子を見て少女は眉を跳ね上げ、人差し指立てた腕をゆっくりと前に突き出す。

 熱に浮かされたかのような複数の人間の視線が誘われるように動く。

「富と自由を独占しているカルディアの人間に思い知らせてやるのだ!我々は無力ではないと!いつまでも踏み躙られるだけの存在ではないと!」

「――――!!」

 指先が向けられた先にいたホタルへ鋭い視線が突き刺さる。荒ぶる狂気に満ちた目に晒されて一気に血が引き、咄嗟に逃げようと足が動く。だが身動きできない程の人の多さが災いして退路を見つけることができない。

 じっとりと浮かんでくる汗と、言いようのない恐怖に囚われてホタルは恐慌状態へと陥る。

 彼らと同じように国や総統に対して不満や疑問を抱いているのに、彼らと同じ温度では憤ってやることができないホタルは明らかに部外者だった。

 この場所に相応しくない、異端者。

「もう任せてはおけない!我々の支配者は我々が決める!自由と権利のために戦うのだ!」

「家族と自分たちの命のために!」

「友と仲間のために!」


 共に戦おう――!!

 今こそ立ち上がれ――。


 割れんばかりの声に怯んでいるのは治安維持隊とホタルだけだ。ゲートの向こうに立つ保安部の部隊は表情も無く侮蔑に満ちた眼差しを群衆に向けているのみ。

 ゲートのこちら側にいる人々の熱狂など、安全な場所にいる保安部には関係の無いことのように思っているのか。

「このままじゃ収拾がつかない」

 治安維持隊のみではこの混乱を鎮めることはできないだろう。だが保安部はゲートを超えて介入するつもりはないようだ。


 どうすれば。


 困惑したままホタルは必死で頭を動かすが、思考がまとまる前に霧散してしまい妙案など浮かぶわけもない。

 苦し紛れに周りを見渡すが、沢山の顔や頭が並ぶ景色の隙間から近くて遠いゲートが見え隠れするだけだった。

 後ろからも横からも押されて揉みくちゃになりながら、必死で転ばぬようにと足に力を入れるが、身体が密着したまま上半身は前へと流れ自然と足が宙に浮く。

 いつの間にか少女の姿も消え、声も聞こえなくなっていたが、彼女の思いに触発された変化への渇望に火を点けられた人々は手を伸ばして治安維持隊へと襲い掛かる。

 頑丈に作られているはずの銀色のシールドでも、人間が次から次へと飛びついて重なるようにして押し倒せば所詮支えているのは人の力だ。隊員を下敷きにしながら踏みつけられればひとたまりも無い。

 あっという間にボコボコにへこみ、無残な姿へと変わったシールドの下から鮮血と奇妙な方向に捻じ曲がった脚が見えていた。

 暴徒と化した市民に治安維持隊は逃げ腰になったが、背後にあるゲートの中へと退却することはできない。

 武器を持たない人々に隊員は銃を構え一斉に発砲する。その目には迷いや逡巡など無く、身を護るための手段として銃を撃つという行為に疑問の余地も無いようだった。

「だめだ」

 逆効果だ。

 今はそれでこの暴徒と暴挙を止めることはできるかもしれないが、市民の安全を護るための治安維持隊が丸腰の市民相手に銃を向ければその大義名分が失われる。

 もともと薄い信頼も、存在意義も無くなる。

 彼らは一層頑なになり、反発を強める。

 対立が深まる。

「そうか、それが」


 目的。


 今朝方からの治安維持隊と保安部の強固な取り締まりを受けて、戸籍を持たない者だけでなく全ての市民に緊張感が高まっている中で撒かれたビラ。最初は連れて行かれた友人や仕事仲間の安否を尋ねようと集まった人々が詰めかけ、その人垣にビラを見て不安を抱いた者たちも集まってくる。

 真実を知りたいと求める声に維持隊は返す言葉が無い。

 そして彼らを煽るテロリストたち。否定も肯定もしない治安維持隊と、保安部の威圧的な態度は今までに積もり積もった市民の不満や苛立ちが徐々に冷静さを失わせる。

 どうせ変わりはしないのだと諦め、我慢していた彼らの想いが爆発するように焚きつけるだけ焚きつけて、テロリストたちは姿を消した。

 治まりきれない怒りを原動力に拳を突き上げて維持隊に襲い掛かるようにと仕向けたテロリストの作戦は薄汚く理にもとる。

手を汚さず、集まった罪も無い人たちの死を利用して反国の意思を揺るぎ無い物として植えつけるなど。

「こんなもの、正義じゃない」

 悲鳴と怒号の合間に銃声が鳴り響く。人の波に揉まれながらなすすべも無くホタルは漂っていた。時折流れ弾が横切り、斜め後ろ辺りで悲痛な助けを求める声が聞こえる。


 まるで地獄だ。


 いつ終わるとも思えぬ悲劇は次の瞬間新たな展開を迎える。

 爆風と爆音で地面と空気が揺れ、興奮状態だった人々の顔に人間らしい表情が戻った。突然のできごとに戸惑い、なにが起きたのかと動きを止めて様子を窺う。

 爆薬の匂いと黒く巻き上がる煙と粉塵がゲートの左側から空に吸い込まれていくのが見えた。白くひらひらと舞っているのは紙のようで、よくよく見れば壁が大きく崩れ、そこから中へと入ろうと五人程の男たちが走って行く。

 流石に保安部もそれを見過ごすことはできないと、ゲートから飛び出して駆けつける。五人のうちに三人が銃を手に応戦して、残りの二人は中へと向かう。

 一人は黒髪の男。

 そしてもう一人は――。

「タキ!?」

 見間違うはずがない。

 煙の向こうに消えて直ぐに見えなくなったが、茶色の髪に覆われた背の高い後ろ姿はタキの物だった。

 正気に戻った人たちが自分たちの引き起こした暴動の結果を見て慄いて、急速に熱を失っていきホタルの身体にも自由が戻ってくる。殆どが逃げ出し、少数が怪我人を助けようと動く。呆然と立ち尽くす者が数名。

 悲劇は唐突に終わり、道路には圧死した者と銃弾を浴びて倒れた死体が無残に転がっていた。ホタルは濡れた血で滑りながらも穴の開いた壁へと走る。

「駄目だ!止まれ!」

 威嚇の声と共にホタルは二人の隊員によって行く手を阻まれた。腕を掴まれ、乱暴に突き飛ばされて地面に転がる。すぐに身を起こして壁の内部をよく見ようとするが、入口は既に保安部に包囲されていた。

「タキ!!」

 呼んだ所で届かないのは解っていたが、必死でその名を叫んだ。そうすることで事態が良い方へ向くのではないかと期待しながら。

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