エピソード17 俺たちの
反乱軍のアジトを後にして細い路地へと入ったが、複数の小道が存在する迷路のような場所でタキは方向感覚を鈍らせながら闇雲に進んだ。
目につく道へと入り込んで足の向くままにぐるぐると歩き回る。
空を見上げて燃える火を目印に進めば大きな通りへと出られるが、頭の中を駆け巡るさまざまな感情と思考に翻弄され今は無駄に足を動かしていたかった。
完全に道を断たれた未来をこうして歩き続けることで、どうにか進路を見出そうとしているかのように。
無様だ。
所詮タキ一人では弟妹の将来を護りきることは出来ないのだから。自分よりも経験豊富で、自信あふれる者に委ねて楽になりたいと思ってしまった。
自分で考えるよりも、他人が考えたそれに盲目的に従っている方が格段に容易く責も軽い。
逃げてしまえば、任せてしまえば楽になれる。
心のどこかでそう常に思っていたに違いない。
「情けない」
お前たちのことは俺が護ると約束したのに、一瞬でもその重責から逃れようとしたのだから己の愚かさに愕然とする。
自分たちの人生を他の誰かの手に預けることはやはりできない。
今まで三人で力を合わせて生きてきたのだから、これからも共に身を寄せ合って補いながら生きて行くべきだ。
これはタキ一人で決められないこと。
三人でよく話し合い、意見を出しあって決断しよう。
今まで通り。
心が決まればタキの足は勝手に火事で騒々しい方へと向かって行く。小道が路地へと交わり、その路を明るい方へと辿れば直ぐに通りへと出ることができた。
どうやら随分首領自治区寄りの道へと出てしまったようだ。バリケードの柵が遠くに薄らと見えている。タキは仕方なく火の出ている中心部を迂回するように通りを二本ほど横切り、東へと進路をとった。
火の脅威は無いが煙は通りに流れ込んでいて、どさくさに紛れての火事場泥棒が身を屈めて走って行く。道端に積み重なるように焼けた人間が転がされ、胸の悪くなるような匂いが充満していた。
赤黒く浮腫んだ手足と身体に張り付いた衣服らしき黒色の物。炭化した棒のようにしか見えない縮れた身体の一部。
どれもこれもが痩せていて脂がないので焼けるのに時間がかかっただろう死体にまで手を触れて、なにか金目の物が無いかと見ている人影に普段ならばそれほど困窮しているのかと辛くなるが、今はただ強欲のための行為にしか思えず腹が立った。
なにを怒ればいい。
どこにこの想いをぶつけたらいいのだろう。
国か、人か、法か、運命か。
「っまたか!」
蹲る若い男に小汚い中年の男が様子を窺いながら声をかけているのが目に入った。油断のならない黄色い眼は若い男の荷物をどうにかして奪おうと虎視眈々と狙っている。
身なりの整った若い男の服や靴でさえも、ここ
明らかに隙だらけの男の姿にカルディアの人間はこんな所には来ないから、恐らく統制地区の者だろうと予想を付ける。こんな時間にうろついている男にも非があるが、調子が悪そうな人間に付け入って持ち物を奪おうという中年の男の薄汚さの方が許し難かった。
「だい、じょうぶ、ですから」
よろよろと立ち上がった若い男の銀色の髪が夜の闇に光り輝いて浮かび上がる。奪われまいと肩にかけた鞄の紐をぐっと握った右手の指が真っ白い。綺麗な肌と、美麗な顔立ちが仄かに見えてタキは驚きに目を丸くする。
ホタル?どうして。
だが数歩進んで膝から倒れ込んだホタルは悔しそうに歯を噛み締めてしつこい男の手を振り払おうとしたが目の前に転がる好機を逃す程第八区の人間は優しくは無い。
「じいさん、悪いが俺の友人だ。他を当たってくれ」
この時間にホタルが何故ここにいるかは皆目見当もつかないが、心優しい隣人が盗人に鞄を引っ手繰られるのを黙って見ている訳にはいかなかった。
足早に歩を詰めて男の肩を叩いた。
「なっ!?」
自分の獲物が横取りされるかもしれないと声を荒げて振り返ろうとする前に首根っこを鷲掴みして引き剥がす。勢いが良すぎて地面に男は尻もちをついたが、それでも諦めまいと柳眉を逆立てて口を曲げる。
剣呑な表情を浮かべてこれ見よがしに腕まくりをして指を鳴らせば、己との体格の違いに気づき青くなると「覚えてろよっ」と捨て台詞を吐いて転がるように逃げて行った。
無駄な争いをせずに済んでほっとし、タキは助けた人物が本当に友人かを確かめるべく傍に腰を下ろした。焦点の合わない目でのろのろと上げられた顔は、やはり隣人の物だったので「やっぱり、ホタルか」と苦笑する。
青白く震えている姿にどうやら相当具合が悪いらしいと判断して、不思議そうにタキの名を呼ぶホタルに頷いて見せながら「顔色が悪い。煙を吸ったのか?」と原因を確認する。
「色々、多分」
曖昧な返答だが、夜分遅くにダウンタウンにいる時点で色々とあったのだろうと察することは出来た。今は詳しく事情を聞いている場合では無いだろう。静かな場所で少し安静にする必要があった。
だがアパートは遠く、今は電車も動いていない。
ダウンタウンで助けてくれそうな人物が一人しか思いつかずにタキはどうするか迷ったが、まるで蝋のように白いホタルの顔にその迷いを断ち切った。
「少し移動する。我慢してくれ」
ホタルの左腕を取って自分の首に回し、腋の下から抱えるように支えて立つ。細身のホタルは軽々と持ち上がり、ぐったりと頭を肩に預けてきた。できるだけ揺すらないように気をつけながら歩き出すとホタルが「ありがとう。いつも」と苦しい吐息の向こうで何故か礼を言う。
「気にするな」
助けられているのはいつもこっちの方なのに。
当然のように用意される朝食や、何気ない会話、細やかな気遣いと時には口喧しく礼儀やら行儀やらを注意してくれて。
兄弟三人だけの暮らしの中にミヤマ以外の他人が入り込んできたのは初めてのこと。
それが新鮮で、居心地が良くて。
友人だとタキは思っているが、ホタルはどうだろうか?
面倒な隣人だと、厚かましい隣人だと思ってはいないのか。
きっとホタルはそんなこと微塵も思わずに、朝食は自分の分を作るついでだから気にしないでと言うだろう。毎日が明るく楽しいからと笑って自分たちを受け入れてくれる。
タキたちがダウンタウンの孤児院で育ったのだと知っても気にしない。
だから。
あの時と同じように真夜中に扉を叩く。
何度も何度も、出て来るまで。
「ミヤマ、ミヤマ!」
炎はやはりここまでは届いておらず、随分手前で兵士たちが鎮火作業をしていたのが見えていた。煙も喧騒も遠い孤児院のドアはタキが力一杯叩けば壊れてしまいそうだ。
「なんだい、どうしたんだい。こんな遅くに」
呼びかける声がタキの物だと解っているからかミヤマは閂式の鍵を開けて直ぐにドアを開けてくれる。自分より随分下にある真っ白な頭に包まれた顔を見下ろして「中に入れてくれ」と懇願した。
「一体なにが」
「煙を吸ったらしい。顔色が悪い。ミヤマ以外に助けてくれそうな人を知らなくて」
「タキ、ちょっと待ちな」
少し落ち着きなよと老女の小さな手がタキの胸を軽く叩く。垂れ下がった目蓋の下から栗色の瞳が覗き、困ったように口を綻ばせる。
「珍しいこともあるもんだ。そんな風にあんたが取り乱すなんてね」
つい先ほどアキラにも言われたが、自分はそんなに動じないように見えるのだろうか。
怪訝そうな顔をしていたタキにミヤマはやれやれと首を振る。
「厄介な人間じゃないだろうね?見た所ここの住民じゃなさそうだ」
「ああ」
担ぎ込んできたホタルが何者か説明していないことに気づき、タキは随分動転しているのだと理解した。
面倒事は困るとミヤマが懸念していることに思い至らないとは。
ダウンタウンを離れて三年しか経っていないのに、ここの人たちが余所者に対して警戒心が強いことを忘れていた。
「俺の友人で、隣人のホタルだ。大丈夫だ、彼は害をなす者じゃない」
「信じていいんだね?」
深く首肯するとミヤマは漸くタキを中へと招き入れた。閂をかけているミヤマを残して短い廊下を進んで居間へ行く。そこには粗末だが横になれるだけの大きさのソファーがあり寒さを凌ぐための暖炉がある。
そっとソファーに横たわらせてやるとホタルがそっと目を開けて「ここは?」と問うてくる。ぐっと息を飲み「ここは俺が育った孤児院だ」と返すと「俺たちの、だろ?」弱々しい笑みを刻んで突っ込んできた。
「そうだ。俺たち兄妹が育った場所だ」
「そっか、迷惑かけて、ごめん」
痛みを堪えるような重いため息を吐いてホタルは目を閉じる。
きっと、薄々勘付いていたのだろう。
自分たちの生い立ちを。
驚きもしないホタルの様子にそう結論付けて、それでも変わらずに接してくれていたその優しさに感謝して。
「電車が動くまで、休んでから帰ろう」
聞こえているのかいないのか、曖昧な「うん」にも「ああ」とも聞こえるような声を囁いたきりホタルは眠ったかのようだった。
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