エピソード16 火の脅威




「大丈夫か?」

 昼間に手続きをしてくれた兵士が懐中電灯でホタルの全身を照らして目視で無事を確認しながら一応問答でも尋ねてきた。

「はい、頭が少し痛いぐらいで」

「頭?どれ、見せてみろ」

 眉根を寄せて兵士は手で後頭部辺りを探りながら灯りで傷の具合を診る。ホタル自身さっき触ってみて出血などはしておらず傷も無かった。瘤ができているぐらいで、数日もすれば痛みも無くなるだろう。

「冷やしておけば明日には腫れも引くだろう。大丈夫だな」

 ちらりと瘤の原因になった襲撃者を見やれば男は素知らぬ顔で「酷い奴もいるもんだ」と返した。

「だから気をつけろと言ったのに」

「すみません」

「最近は物騒だからな。砂漠に一人でいれば襲われても文句言えないぞ」

「すみません」

 襲った張本人がいる前で兵士はホタルに説教をくれるが、その矛先を別の方へと向けて欲しいと思いながらも男と約束した手前「すみません」と返答するしかなかった。

 釈然としないまま何度か反省の旨を伝える言葉を繰り返した後で漸く兵士の気持ちが治まったのか「それじゃ帰るか。随分遅くなったから家族が心配しているだろう」とホタルの背中を押す。

「じゃあ、またな」

 男が軽く手を振って再会を約束する。ホタルは肩越しに振り返り「お世話になりました」と嫌味たっぷりに返した。

 口の両端を持ち上げてニッと笑うと「いいって。気にすんな」どこまでも勝手な言い方だったが、あまりにも明るい声にホタルも怒る気が失せてしまう。

 硬い大地を踏みながら第八区と首領自治区との境界線を兵士と目指す。そう離れていないはずなのに、こう暗くては距離感が鈍ってしまう。懐中電灯は進むほんの少し先を丸く切り取ったかのようにしか照らしてくれない。

 冷たい地面に転がされていたので未だに身体が冷えていて、歩いているのに一向に温まらない。

「良かったな。拾ってくれたのがあの男で」

「良かった?」

 兵士が何故そう評したのか解らずに同じ言葉で問い返すと「なんだ。知らないのか」と苦笑された。

「あの男の名はアラタ。この首領自治区の若きリーダーだ」

「首領自治区の、リーダー」

 この地区を取り締まり、リーダーと呼ばれる人間はたった一人しかいない。

 つまり。

「首領!?」

 あの男が――というのが正直な感想だが、納得がいくような気もする。大らかというには大雑把な感が否めないが、それでも飄々と兵士を前に嘘をつきホタルに軽口を叩くのだから大物に成り得る可能性は高い。

 実際彼に悪印象を抱いていない自分がいる。

 悔しいが。

「十三代目首領だな。前の首領が戦いで死んだのは確か半年前だったか」

 兵士もあの男に少し同情的なように見えた。暗くて何も見えないだろうその先にある岬と海を眺めるように西の方へと視線を向ける。

 逆に正面にある統制地区と、その向こうにあるカルディアへ俯けていた顔を上げたホタルの目に鮮やかな朱色が帯状に広がっているのが映った。

「――火!?」

 思わず足を止めて息を飲む。

 兵士も異常に気付き「なんだ!?駆除にしては規模がでかい」と慌てて地面を蹴って走り出す。“駆除”という言葉が気になったが、引き止めて聞いていいような内容では無い気がする。

「火事、ですかね?」

 この闇の中で一人取り残されては進むべき道を間違えるだろう。置いて行かれないように走りながらバリケードの向こうで夜空を染める色の原因をそれとなく問えば「解らんが、恐らくは」と兵士は硬い声で答えた。

 検査キットの入った重い鞄を抱えホタルが必死で走っても、普段から鍛錬している兵士の足に追いつくこともついて行くことも難しい。徐々に離されて彼が持っている懐中電灯を目印にしながらなんとか進み、漸くバリケードの切れ間へと辿り着いた。

 事務所の前に別の兵士が二名立ち第八区の方を見やりながら「あれは、やばくないか?」「消化に向かった方が良いんじゃないか?」と小声で相談している。

「なにがあったんだ!?」

 ホタルを迎えに来てくれた兵士が仲間に向かって説明を求めるが、彼らもずっと門の番をしてここから動いていないのだ。詳しいことは解らないのか曖昧に首を振る。

「無線で状況を確認する」

 懐中電灯を消して兵士は事務所の中へと入って行く。軍の施設や基地に対しては送電が切られることは無い。この事務所も小さいながら送電が来ており、蛍光灯の白々とした灯りが灯されている。

 無線のあるらしい奥の方でなにやら遣り取りをしているが外にまでは聞こえない。

 ホタルは走ったことで痛み出した首の付け根と後頭部をそうっと両掌で押え、じっと空を焦がす炎と黒い煙が濛々と立ち昇っているのを見つめる。

 肩に食い込む鞄の重さや、走ってもちっとも温まらない身体、止まない頭痛、怠い足、その全てが逆に現実感を薄れさせていく。

 メキメキと音を立てて梁がしなり、屋根が重りに耐えかねて崩れる音、時折軽い爆発を交えて火の粉が散り炎が躍る。圧倒的なまでに猛威を振るい、次々と隣家へと広がって行く。

 通りを三つほど隔てた場所が燃えているのに熱と匂いを運んでくる。足の先から頭まで伝わる震えは純粋な恐怖。

 一度点いた炎は初動鎮火ができねばこれほどまでの凶暴さで襲ってくるのか。

「勝てるわけがない」

 善悪も無い。

 容赦も手加減も知らない、自我の無い力に人は無力だ。

「消火には別の隊が向かっているらしい。おれたちは変わらずここを護る」

 無線を終えて事務所から出てきた兵士が上官からの支持を伝える。

「了解」

「助かったな」

 明らかにほっとした顔の兵士たちに、ホタルは通行証を差し出した。記録簿に現時刻を書き入れて「ご迷惑とご心配をおかけしました」と深々と頭を下げる。

「今帰るのは危険だ。ダウンタウンは火事で混乱して危ない。少し落ち着いたら軍の車で送ってやるから」

「大丈夫です」

 彼らの世話にこれ以上なりたくないと無性に思った。「送電の時間も終わって、電車もないぞ?」と不可思議そうな顔で念を押されたが、意固地なまでに大丈夫だと断り歩き出す。

 火はいつから燃えているのか通りには煙が充満し、煤があちこちの家の壁についている。火事場のどさくさに紛れて盗んできたのか、沢山の荷物を抱えた人間がこそこそと走って何度も擦れちがう。

 親とはぐれた子供が泣き、助け出された人間が路上に転がされて手当てもされずに放置されていた。明らかに死因が焼死では無い死体があちこちにあり、ホタルはさきほど兵士が口にした“駆除”という言葉の意味が少しだけ解った気がした。

 風向きを見ながら移動していく人の姿に、こういうことが日常茶飯事なのだと覚る。

「惨い」

 同じ人間なのに第八区に住む人々をまるで害虫や害獣のように扱っているのだ。ホタルを心配して捜索してくれた兵士も、第八区ダウンタウンの人間を蔑み排除されて当然だと思っている。

 どう違うというのか。

 国の失策や愚かな行為の煽りを受けて民が苦しむのならば、カルディアで生まれ育ったホタルたちのような人間の方が責を負わねばならないのに。

 どこまでも優遇する。

「――気分が悪い」

 濃い煙のせいだけではない吐き気と眩暈にホタルは膝を着く。冷や汗と間断無く続く頭部の痛みに意識が混濁する。

「大丈夫かい?兄ちゃん」

 気配も息遣いも直ぐ近くにあるはずなのに、それらはすごく遠い所から届けられるようだった。ぐるぐる回る視界の中で裸足の指先が見える。それを辿ればボロボロに解れたズボンの裾に、更に上に行けば継ぎあての当てられた膝と紐で縛られた腰。サイズのあっていない上着の上に薄い頭髪の中年男の顔。

 心配そうな表情をしてはいるが、その目に宿る狡猾な光はホタルの荷物を奪おうと狙っているのが見え見えだ。

「だい、じょうぶ、ですから」

 ここでじっとしていては高価な検査キットの入った鞄を盗まれてしまう。よろよろと立ち上がりホタルは数歩進んだが耐えられない眩暈と嘔吐感に再びしゃがみ込む。

「本当に大丈夫かい?そうは見えないけどなぁ」

「ほうって」

 肩を掴んできた生温い汗ばんだ手がシャツ越しに触れてきて背筋が凍る。逃れたくてもホタルの身体には余力が無く、痩せたその手を振り払うことすらできなかった。

 第八区ダウンタウンで他人を助けるような酔狂な人間はいない。

 そんなこと解っているのに。


 悔しい。


 秘かに憤ることしかできない勇気無き者である自分が。

 ここでたいした抵抗もできずに奪われる弱い自分が。


 大嫌いだ――。


「じいさん、悪いが俺の友人だ。他を当たってくれ」

「なっ!?」

 突然割って入ってきた声にホタルは耳を疑った。

 男は自分の獲物が横取りされるといきり立って声を荒げたが、逞しい腕に首根っこを掴まれて引き剥がされ、すごすごと引き下がる。

 一応「覚えてろよ」と捨て台詞を残してひたひたと裸足で逃げて行くのが実に小者だ。

 のろのろと顔を上げて回る目で確かめようとしたが、その前に「やっぱり、ホタルか」と心休まる声を聞いてやはり空耳では無かったのだと安堵した。

「タキ」

「顔色が悪い。煙を吸ったのか?」

「色々、多分」

「少し移動する。我慢してくれ」

 ホタルの左腕を取って自分の首に回し、腋の下から抱えるように支えて立ち上がる。タキの力強い肩に頭を預けて必死に吐き気と眩暈を我慢した。

 何故ここにタキがいるのか解らない。

 きっとホタルがこの時間に第八区にいるのをタキも訝っているはずだ。

 それでも理由などどうでもいい。

 助けてくれたのがタキだということが重要だった。

「ありがとう。いつも」

 助けてくれて。

 始まりの出会いもタキがホタルを助けたことからだった。

 自分はいつでも助けられる立場で。

 いつかそれを返すことができたなら。


 いいな。


 そう思いながらホタルは言葉を飲み込んで、強く目を閉じた。

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