エピソード15 海底の巨石のように
幾つもの道を曲がり、どれほどの路地を出入りしたか。覚えらない程の数を移動して唐突に開けた空地へと出た。周りを建物で囲まれ一段下がった石の敷かれたその場所は、昔はそこから豊かな水が湧いていたのだろう噴水と排水の為の細い水路が今尚姿を留めている。
枯れ果てたのか、途中で水が堰き止められたのか。理由は解らないが使用されていないのが解るのは苔が生えた後で乾燥し、黒く退色した塊がそれらにびっしりとこびり付いていたからだ。
中央に立っていたのは火事場で見た、あの男だった。青い瞳にアキラを映し、次にタキを見る。苛立ったように眉を寄せて「どういうつもりだ」と低く唸る。
「君を追ってきた男だ。知り合いじゃないのか」
「はあ?」
語尾を跳ね上げて探る様にタキをジロジロと眺めるが、すぐに知らんと首を振り「適当なこと言ってんじゃねえよ」と毒づく。
それもそうだろう。
一方的にタキが男を見知っているだけで、面識があるとは言えないのだから。
「得体の知れん男をここまで連れてきやがって。前々から思ってたが、お前は信用できん。そんな奴が連れてきた男なんかもっと信用できるかっ」
「それを判断するのは君ではなく、頭首だろう」
「だーかーらっ!信用できない奴をタスクに会わせられるかよ!」
解らねえ奴だなと大仰に天を仰いで男は肩を落とす。まともな会話にならないと嘆きながら、ぶつぶつと口の中で「仕方ないよな」と言い訳を呟くと右手を腰の後ろに移動させる。
なにかを掴んで引き抜く動作にタキは身構えた。
真っ直ぐに向けられた銃口の先にいたのはタキでは無くアキラで、撃鉄を引いて狙いをつけた男は薄い唇を持ち上げて笑う。その下から覗いた犬歯の鋭さが獣じみていて、無邪気な瞳で引き金を引こうとしている姿はまるで狩りの時間だといわんばかりだ。
「仲間じゃないのか?」
「仲間ねぇ。信用できない奴を仲間と呼ぶ程おれは阿呆じゃないつもりだぜ」
思わず責めるような声をかけたタキに肩を竦めて男が軽く答える。元々気にくわない奴だしなとこれ幸い片付けられると喜んでいる様子に辟易した。
アキラは平然とした顔で銃を前に無防備なままで立ち尽くしている。逃げようとも、言い繕うことも反論しようともしないのはまともとは思えない。
「骨ぐらいは拾ってやるよ」
「当たらねば意味は無かろう」
「なんだと!?おれの腕じゃ当たらねえってのか!舐めんなよ!」
暗い中互いの顔がはっきりと解る程の距離で外す程の腕ではないだろう。それでもアキラは男の撃った弾が当たらないと確信しているかのようだった。その余裕たっぷりな表情に男は激昂するかのように引き金に乗せていた人差し指を引く。
「おいっ!待てっ」
制止する暇も無かった。
音が轟き、火薬の匂いが辺りに充満する。男は一瞬勝ち誇った顔をしたが、目の前に変わらず立っているアキラを見るや目を丸くして、再び撃鉄を起こして打ち込んだ。
「風が」
僅かに渦巻くように吹いた気がした。
アキラは一歩も動いていないのに、狙いをつけたはずの弾が届く前にほんの少し軌道が変わりすれすれを飛んで後方の壁へと吸い込まれていくのだ。
当たらぬことに腹を立てた男がムキになって次々と発砲し、六発目を撃ち込んだ後で「なんなんだよ!」と最後まで当たらぬ苛立ちを叫ぶ。
「意味は無かったようだな。行こう」
微かな笑みを浮かべてアキラはタキを促して噴水向こうの扉へと向かって歩き出す。勿論男の横を通ることになるのだが、そんなことは障害にならないとばかりに悠然と進む。
怒りに打ち震えている男はギラリと瞳を光らせて睨んできたが、それ以上は噛みついて来ずに道を譲る。
彼には気の毒だが、アキラには勝てない。
持っている物が違いすぎる。
何故当たらなかったのかを見抜けなかったのだとしたら、それは一生かかっても埋められない差だ。
「彼はハゼだ。血の気が多くて頭首も困っている」
扉を叩いて応えを待っている間にアキラがちらりと男を見て紹介する。ハゼは銃をしまい、段差を乗り越えて広場を出て行く所だった。直ぐに狭い路地に入って見えなくなるが、その背中は自信を失うどころか復習に燃えるかのようにいきり立っていた。
「何故挑発した?」
明らかにもっと穏便に済ませるやり方があったはずだ。ハゼの性格を知っていてわざと向かって来させようとしたように見えた。
「オレの力を少し見せておこうと思って」
それはハゼにでは無く、タキにだ。
初めて会った時に言っていた“風と共にある”という言葉はそのままアキラの力を表していたのだろう。
「お前はやっぱり、あの人の」
「タキ、愚問だ」
首を振りそれ以上の発言を制する。直ぐに扉の鍵が開き、重い閂が抜かれる音が響いた。分厚い鉄の扉が向こうから押し開かれて中へと招き入れられる。
アキラが頷くと一抱えはある閂を手にした大柄な男が深く一礼した。どうやら反抗的なのはハゼだけらしく、他の者たちはアキラを信用し一目置いているようだ。
「頭首はいつもの部屋に?」
確認すると男は短く「はい」と首肯し、カンテラをそっと差し出してくる。それを受けとり真っ暗な建物内を慣れた足取りで進む。
石造りの重厚な作りをしたアジトは夜の寒さをしっかりと遮断し、昼間の温もりを残しているのか温かい。左右に通路と部屋が広がっており、アキラは右手側へと誘導する。壁には細長い覗き窓があり、鉄の板で蓋がしてあった。真っ直ぐだと思っていた廊下はほんの少し弧を描きながら続いている。短い間隔で並ぶ扉の向こうから時折息を殺した気配が滲んできて、新参者のタキがどんな人物なのかと探っているようだった。
「随分と注目されているようだ」
足を止めてアキラは澄んだ紫の瞳を注いでくる。注目されているというよりも警戒されているような気がしてならないが、テロリストのアジトへと迎え入れられた者が普通はどんな感じで受け入れられているのか解らないので曖昧に濁すしかない。
「外で銃声がした後だからじゃないのか」
「それもあるだろう。だがきっと、君の堂々とした姿にみなが畏怖を抱いているに違いない」
満足そうに笑み近くの扉を引き開けるとそこは部屋では無く階段になっていた。成人男性が通るには圧迫感のある細く急な階段は、侵入者が大勢で一気に登ることができない構造になっている。邪魔な装備を身に着けていれば忽ちはまり込んで身動きができなくなるほどの狭さ。
駆け上ることができないほど足段は浅く、傾斜がきつい。
「堂々としているように見えるならそれは気のせいだ」
こうしてアジトへと誘われ、頭首に会おうという現状にただ戸惑っているタキは落ち着いているのではなく圧倒されているのだから。
「それも大切な素質のひとつだ」
なんのための素質なのか問い詰めることはできない。急かされるように階段を上らされて、踏み外しそうになる一段一段を必死で進んだ。後ろからカンテラを手に続いてくるアキラの影がゆらゆらと両壁に揺れて、まるで夢の中の出来事のように実感が薄かった。
上りきった先に細い廊下が伸びているがアキラが「すぐ左の部屋だ」と指示するので躊躇った後ノックをしてからそうっと開けた。
何も無い部屋の中央に見たことも無い色鮮やかな織物の敷物が広げられている。複雑な模様が編み込まれているようで、気が向くままただ適当に織っただけの偶然の産物のように見える壮大な敷物の上にぽつりと独りで座っている男が「遅かったな」と朗らかに迎え入れてくれた。
浅黒い肌に目鼻立ちのくっきりとした顔立ちは異国風で、癖の強いプラチナブロンドの髪は無造作に固められていた。翡翠色の大きな瞳がひたりとタキを見据えている。
「ようこそ。反乱軍のアジトへ。オレは頭首のタスク」
「タキだ」
口を開く前に横に立ったアキラが紹介し、タスクは苦笑いしてひとつ頷いた。
目の前の敷物の上をトントンと指先で叩いて座るようにと促されたので、上がる前に靴の汚れを床に叩きつけて落として移動しタスクの前に腰を下ろす。
「珍しく行儀の良い奴だ。どこで拾ってきた?アキラ」
「統制地区」
「生まれも育ちもここ
確かに出会ったのは統制地区のアパートだったので間違いではないが、出自は統制地区では無いことを伝えておかなくては後々困るだろうと付け加えておく。
「ここで育ったくせに、敷物汚さないように気を配れるとは。変わってるな」
「綺麗好きの友人がいる」
「成程」
友人の気質を尊重する気持ちがあるのはいいことだと頷き、再びじっくりと目の前に座るタキを眺めてくる。
「オレたちは小規模なテロリストや反乱軍を吸収し、共に力を合わせて本気で国と喧嘩をしようとしている。その為の協力者は幾らでも歓迎しているし、共に戦ってくれるなら同志として迎える準備がある」
猛禽類を髣髴させる鋭い鼻と瞳を持つタスクが、タキの反応を興味津々で見ながら言葉を重ねる。
「それぞれが胸に秘めている想いや苦しみは違っても、横暴な国と総統を排除したいという願いは一緒だ。アキラに銃を撃ったハゼは孤児院を軍に焼き出され、数名の生き残りと共にテロ行為を働いていたのをオレが引き入れた」
「孤児院」
ハゼと共に二十数人の子供たちが軍の武器を奪った現場を思い出して胸が暗くなる。きっとあの子供たちも軍に孤児院を潰されたに違いない。その恨みの為に子供たちは動き、革命の手助けをしようとしているのか。
「中には純粋にこの国を憂えている奴もいる。理由も身分も様々だ。お前はどうする?」
三十代半ばの一番脂の乗った年代であるタスクは、均等の取れた美しい体躯をしている。しなやかで長い手足と、ゆったりと喋りながらも相手から一度も目を離さないしつこさ、リラックスしているようで決して油断していない様子は、
猛然と敵を倒す姿を容易に思い描けるほど、タスクの身体は今にも戦いたくてうずうずしているように見えた。
「なにを求める?」
「平穏を」
昔から望んでいるのはそれだけだ。
弟妹と共に静かな生活を。
たったそれだけなのに、それがとても困難なのだ。
「いいだろう」
タスクが立ち上がり首に巻いていた赤いバンダナを取りタキへと差し出す。
真紅の布はまるで血のようだ。
「必ずオレがその平穏を与える。その代わりにタキ、お前は忠誠を誓え。決して裏切らぬ誠意を」
力強い声にタキは知らず手を伸ばしていた。
どこにもこれ以上進めないのなら、必ずと約束してくれる相手に全てを委ねても良いような気がして。
「――だめだ」
手が触れる前に正気に戻る。
ここで安易な道を選べば後悔する。深く考えずに流されて決めてしまえば二度と引き返せない。
自分一人の人生ならそれでもいいだろう。
だが弟と妹がいる。
二人の為に最善の道を選ばねばならない。
「少し、時間が欲しい」
「否、と普通ならいうんだが。アキラが連れてきた初めての同志だ。いいだろう。できれば開戦までに参戦してくれることを願っている」
ほっと息を吐いてタキはのろのろと立ち上がる。握り締めた拳が小刻みに震えているのは恐怖か、安堵か。
「行こう」
返答を先延ばしにしたことを残念がるでもなく、アキラはタキの背中を押して部屋を出る。
上りよりも下る方が難しい階段を慎重に行き、カンテラが左右に揺れるのをぼんやりと眺めた。不安定に炎は形を変えながらそれでも周りを照らしてくれる。
タキは弟妹のために道を照らし導いて行けているだろうか。
「難しいな」
思わず洩れた弱音にアキラが笑う気配がした。
「なにがおかしい?」
「いや、なにも。ただ珍しいと思っただけだ」
「珍しい?」
階段の先の廊下へと出たアキラは、来た方では無く更に奥へと進んだ。段々と部屋数が減り鉄格子のついた窓が壁に並ぶ。そこから外を見れば中央に壊れた噴水を据えた広場があった。
どうやらアジトはあの広場を囲うように建っているらしい。
「何事にも動じず、まるで海底の巨石のように揺るがないはずの君が弱気になるなど珍しいという他になんと言えばいい」
「海底の巨石?どういう比喩だ。お前の感性は少し硬すぎる」
「良く言われるが、些末なことだ」
行き止まりに扉があり、そこに人が二人立っているのが見えた所でアキラが歩を緩め身体ごと向き直る。
「頭首の傘下に入ることを拒むつもりか」
小声で確認されたことにタキは逡巡し「すぐには決められない」とだけ答えた。
国の法律で戸籍を持たぬと強制労働を課せられれば、スイを学校に通わせ続けることができなくなる。妹の戸籍だけでもと思ってはいるが、戸籍を持たぬ兄の存在は知られており逃げ果せることもまた難しいだろう。
一番いい方法は三人分の戸籍を取るだけの金を作ることだが、過酷な労働を二年や三年続けて手に入る戸籍の値段は想像を超える額である。稼ぐ方法などあくどいことをせねば無理だった。
「君の望む平穏はどうやらこの国の元では手に入らないようだな。そろそろ諦めたらどうだ?我々と共に歩めば苦しみも、悲しみもやがて泡と消える」
「“我々”か」
アキラは神妙に頷き「この際“こちら側”でも構わない」と続けた。
「要求するばかりでは信用も得られないだろう。まずは信頼の証として妹君への救いの道を用意しよう」
「スイの?どういうことだ」
「我々には幾つもの道筋と方法が用意されている」
ではまた、とアキラは微かな笑みを残してタキの横を通って戻って行った。余計な世話だと跳ね除けられない自分がいる。
相手が国ではタキ個人ではどう足掻いても勝ち目がない。弟妹にこれ以上の苦労を味あわせたくないという自分勝手な想いで、彼らと手を組むことになることを赦してくれるだろうか――。
「くそっ」
誰を頼ればいいのか。
道の無い先に、果たして道はあるのか。
選べぬまま立ち尽くして。
確実に革命の日は近づいているのに。
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