エピソード11 二つの影


 第八区ダウンタウンの一番南端には有刺鉄線と柵でバリケードが築かれている。金網越しに見える白茶けた大地と、その向こうにバラック建ての家が固まり、更にその奥に街と評してもいいくらいの集落があった。

 ホタルは柵に指をかけて眺めながら、淀み熱せられた空気を吸い込む。喉の奥がひりつくように痛んで思わず咳き込んだ。絡み付くような熱風が南から吹くたびに、きらきらと砂の粒子が大気に滲む。

 水質検査キットを入れた鞄を斜めにかけて、柵に添ってゆっくりと歩く。

 このバリケードは海のある西から隣国との境にある東の山の麓まであり、徒歩で端から端まで到達するには一日半かかるが、遮るもののなにも無い場所が続く上にこの暑さと空気の悪さでは二日は十分かかるだろう。

 バリケードの始まりである海側には突き出すようにして原子力発電所がある。そこには軍の基地があり特に武装した兵士が常に目を光らせて不審者がいないかと見張っていた。

 第八区からバリケードの向こう側に行くには軍の作った入り口から入る方法が一番安全だ。そこで名前と住所を記録簿に記入し、理由を述べれば通行証を発行してくれる。どれほどの時間滞在するかを事前に伝えておけば、その時間に戻らなかった場合は何らかの事件に巻き込まれた可能性があるとして捜索してくれるのだ。

 ホタルのような人間がバリケード向こう側の首領自治区を通って汚染地区まで行くにはそれぐらいの保険をかけておかなければ無事に戻れない。

 遅くなったからと言って軍が動いても、手遅れになっている場合も多いだろうから気休めにしかならないかもしれないが。

 小さな事務所を併設した入口に立つ兵士は時折訪れるホタルの顔を覚えてくれているようで、微かな笑みを浮かべてペンと記録簿を差し出してくれた。

「今日も研究か?」

 ライフルを肩にかけている兵士はアイボリー色の軍服を着ている。陽に焼けた顔は精悍で鍛えられた身体はホタルの一回り以上大きい。記入しながら「はい」と答えると男は「酔狂だな」と苦笑いする。

「わざわざ汚染地区まで足を運んで水質検査とは。どうせ変わりゃしない。高濃度の化学兵器で汚染された水の浄化なんて夢のようなもんだ。もしそれができれば、あんたは英雄だぜ」

 悪気はないのだろう。

 兵士は不可能だと断言し、実現すれば英雄と讃えられるぞと笑い飛ばした。

「例え夢物語だとしても僕は実験を重ね、結果を出さなければならないんです」

 ホタルには研究を進める理由がある。

 みんなが無理だと笑っても、諦めず少しでもいい成果を出さなければならないのだ。

「まあ、頑張りな。気を付けてな」

「ありがとうございます」

 丁寧に頭を下げてホタルは記録簿とペンを渡し、開けてくれた入口を潜った。バリケードを越えて入っただけなのに、さっきよりも焼けつくような太陽と乾いた風が襲ってくる。被っていた帽子を深く被り直して少し俯き加減に歩けば、硬い地面に黒くはっきりとした影が刻まれ、汗腺が刺激されて汗が一斉に吹き出す。

 肺の中まで熱い空気で満ちて、吐き出す息も鬱陶しいほどの温度だった。

「すごいな。みんなこんな所で生活してるのか」

 バラックまで近づけばそこで走り回って遊ぶ子供の姿が目に入る。上半身裸で短パン姿の少年達はホタルに気付くと好奇の目を向けてくるので「こんにちは」と挨拶をすれば驚いたように走って逃げて行った。

 首領自治区に住む者の多くは故郷が砂漠化したり、戦地になり故郷が汚染地域になって追われた者ばかりだ。国は彼らを統制地区へと入れることを渋り、バリケードを築いて閉め出した。

 第八区ダウンタウンの住民で手一杯だと跳ね除けて、戦争の被害者でもある彼らの保護をする義務を怠ったのだ。

 彼らはバリケードの傍にあった街の廃墟に手を入れて、仕方無く住みはじめた。乾燥した土地を耕して畑を作り、統制地区から出されたゴミの山から使える物を掘り出して器用に溶接や手を入れて修理したり作り替えて独自の街を形成していったのだ。

 やがて首領と呼ばれる街のリーダーが圧倒的な統率力で住民を纏め上げ、総統も無視できぬほどの規模の勢力になり、こちら側へ侵攻してこないことを条件に彼らの自治を認めた。

 街の中に入れば市場もあり、それなりに賑わっている。身に着けているのは質素な物だが、色とりどりの布を使っており住民の表情は明るい。露店に並ぶ野菜や果物も見たことの無い物が多く、値段を見れば統制地区よりも安価で新鮮だった。

 彼らは積極的に貿易も行っており、情報操作されている統制地区の人々よりも他国に精通している。学校がなくても首領自治区の子供たちは、多くの文化に触れ豊かな知識を手にしていた。

「まるで楽園だな」

 ホタルは複雑な思いで街を見つめる。国に護られているはずの統制地区コントロールシティより、彼らの方がよほど自由で満ち足りていた。

 街は汚染地域に近く砂漠も直ぐ傍にあるのに、そんなこと関係ないと言わんばかりに逞しく生活している。

 統制地区に暮らす者たちが暮らしの安寧を委ねているはずの総統に、この現状を打破するつもりは全くない。停滞しているスィール国はゆっくりと確実に衰退しているのだと解っていても、国民にはなすすべもないのに。

 統治者に恵まれない国は不幸だ。

 そしてそのことに気付けない国民もまた不幸だった。

 市場を目の端で捕えながら真っ直ぐに街を通り抜けて砂漠へと向かう。暫くは乾いた土だったが、三十分も歩かないうちに足首まで砂に埋もれるようになる。ホタルは上着のポケットから地図と方位磁石を取り出して照らし合わせながら、進路を南東へと向けた。

 金色の砂が描く複雑な模様と砂丘ばかりが視界いっぱいに広がる景色は幻想的にも絶望的な物にも見える。

「ミヅキから怒られるな」

 防護マスクを着けずにいることを自嘲して、汚染地域を訪れる時はマスクを着けろと約束させられていたことを思い出す。そんな物を着けていれば逆に首領自治区の者たちに胡乱な目で見られ、下手をすれば難癖つけられて揉め事に発展しかねない。

 彼らはこの環境を受け入れ、身体に悪いと解っている空気と土壌に根差して生きているのだ。

「この辺だったはず」

 今回で六度目だが、どこまでも同じ景色が続く砂漠で迷わずに辿りつける自信など持てない。何度も地図と磁石で位置を確認して漸く見えてきた、砂の中にぽつりと緑色を覗かせる場所へと重い脚を動かして急ぐ。

 そこはかつて人が住んでいた場所だったのだろう。灰色の石を積み上げて丸く囲った井戸がぽつりと残っていた。

 板の上に重しを乗せた蓋はホタルが見つけた時からあり、来るたびに他の誰かが開けた形跡があるので今でもこの水を使用している者がいるのだろう。砂漠の中にある水が非常に貴重なのは想像しなくても解る。

 砂漠を彷徨って限界まで喉が渇いていれば、ホタルでさえ身体に害があると解っていても水を飲むことに躊躇いは無い。

 重しを抱えて砂の上に置き、二枚ある木の板を一枚だけずらして開けると暗い穴の奥からひんやりとした空気が上がってくる。湿気を含んだ風にまだ枯れていないことを覚りほっと胸を撫で下ろした。

 覗き込むと下の方で液体が揺らめき、太陽を背にしたホタルの影が映っているのが見える。

「あとは濃度が少しでも変わっていれば」

 水面に映り込んでいる影が二重に見えた気がして目を瞬かせ、よく見ようと身を乗り出す。風が吹くはずも無く、流れがあるわけでもない水の表面が影を乱す程に動くとは思えない。

 一体なにが。


 違う。


 二重に見えたのはホタルの影が動いてそう見えたのではない。ふっと息を吐き出して笑うような気配が背後でする。


 そう、影は二つあるのだ。


「誰―—!?」

 振り返ろうと身を乗り出していた身体を起こそうとしたが、それを拒むように後ろから後頭部を掴まれた。そのまま砂の上に引きずり倒され、焼けた粒子が頬に張り付く。息をすることも、抵抗することも、声を上げることも出来なかった。

 全ては一瞬。

 砂の熱さに首を反らして逃れようとする目の端に、赤茶けた髪と金に輝く瞳を見た気がしたがそれも定かでは無かった。

 重い衝撃が掴まれていた後頭部に叩き落され、ホタルは呆気なく意識を手放した。

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2024年9月21日 18:00
2024年9月22日 18:00
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C.C.P いちご @151A

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