エピソード10 暇潰し
第三区は商業施設が多く、色んな品物を求めて人々が集まってくる。メイン通りに面した店は正規品を扱っており少々値が張るが、その分信頼のおける物ばかりだ。ただその正規品が買えない者たちが殆どで、品質は落ちても値段の安い物を求める者はメイン通りから一本も二本も入り込んだ路地裏に並ぶ店へと向かう。
治安維持隊や保安部の目の届きにくい店舗で取引されるのは商品だけでは無い。
情報や映像、雑誌、他国からの密輸品等法に触れる物も多かった。
シオは座り心地の悪いソファーに腰かけ、薄い冊子のページをめくる。今読んでいる冊子も表通りには並ばない類いの物だ。
タキが心配し、ホタルやアゲハが懸念したあの冊子の最新号。
「随分気に入ってるみたいだな」
ダイニングテーブルいっぱいに広げて置いた写真のできを一枚一枚拾い上げて確かめながらサンは呆れたようにため息を吐く。
「暇潰しには丁度いいんだよ、これ」
「暇潰しね」
鋭い視線を写真にでは無くシオに向けて棘のある呟きを洩らした。だが本から目を上げないことに業を煮やして眼鏡を押し上げると再び自分の撮った写真と向きあう。
サンの部屋は二階にあるはずなのに窓の外から聞こえてくるのは、隣に建つビルの換気扇がたてる微かな音だけだった。人の気配も、騒音も少ないこの部屋は居心地がいいので配達の途中の空いた時間に嫌がるのも無視して強引に入り込んでいた。
細長い作りの部屋は玄関から入って直ぐに右手に便所があり、左手の壁に沿って台所がある。食器棚と食品棚が並んで置かれ、湯をかけて食べるタイプの食品と飲み物ばかりがストックされていた。便所横に二畳ほどの写真を現像するための部屋があり、暗室の壁にぴったりとくっつけてダイニングテーブルが据えられている。
壁には棚とそこに並ぶ美しい風景の写真集や本の数々、サンが撮ったと思われる凪いだ海に沈む歪んだ夕日の大きな写真がかけられていた。ベッドは一番右奥の暗室の壁に隠れるようにして置かれており、更に周囲を棚に囲まれているので寝ている時にはかなりの圧迫感を感じるだろう。
綺麗に片づけられ、掃除も行き届いている部屋はサンの性格を的確に表していた。
「
勢いよく冊子を閉じて表紙に書かれている煽り文句を読み上げると途端に陳腐な響きに感じられる。沢山の写真と共に軍が人々を虐げている内容が書かれていたり、次々と出される理不尽な法案が市民の知らぬうちに可決され、そのまま暮らしに影響を与えていると警告する。
流通している食べ物の安全性を危ぶむ記事、高官の目を疑うような優雅で豊かな暮らしぶりを暴露までしていた。
「どれもこれもなにが真実で正しいのか全く解んねえよ」
床に乱暴に放り投げるとシオは背凭れの上部に頭を乗せて天井を仰ぐ。そこすら汚れひとつないことに気付き、綺麗好きもここまでくれば病的だと苦笑いする。
「おれ頭悪いし」
「理解しようと努力しないのと、天然の阿呆とは意味が違うぞ」
眉間に皺を刻んで写真をざっと纏めて片付けるとシオの方へと身体ごと向く。眼鏡の向こうから注がれる強い眼差しと、糞真面目な硬い表情が今から聞きたくも無い御説教の時間だと告げていた。
「無知は無力だ。だからこそ総統は統制地区に住む者たちから学ぶ機会を奪った。現にシオ、お前も考えることが面倒だから理解しようと努めるのを止めた。学が無いから、頭が悪いからと言い訳して」
「あんたが好きな真実だろ。言い訳じゃねえよ」
「違う」
サンがゆっくりと頭を振る。断言された短い言葉に怒りを滲ませて立ち上がると、床に落ちている冊子を拾い上げページを繰る。
「これを見て何を感じた?」
「なにって糞みたいな国だなって」
率直な意見だったがサンには皮肉気に聞こえたらしい。口元を綻ばせて「まるで他人事だな」と呟く。
まるで責めているような口ぶりにムキになってシオは返答する。
「そりゃ他人事だ。政治やら経済やら、社会やら軍やらはおれたちが望まなくても勝手に決めて動いてんだから。しかも難しい言葉ばっかり使いやがって言ってることの半分も解りゃしない。理解して欲しけりゃもっと解りやすく言えっての」
「それが狙いなんだよ。国の」
「はあ?」
理不尽な法案が次々と可決されているという記事の部分を開いてシオに差し出すと、黒い双眸を和らげて憐れむような表情をする。
「国民登録義務法とは戸籍の無い者全てに関係のある法案だ。登録されていない者はこの国の民とは認めない。つまり保護する義務も、人として扱う義務も無い」
「それって!」
シオたち兄弟にも関係のある法律だ。国が率先してシオたちから人として存在する権利を奪えばどうなるか。
今でも怪しきは罰せよの風潮があるのだ。戸籍の無い者は真っ先に囚われ処罰されるだろう。
極端に言えば人ではないのだから、殺した所で罪にも問われないと戸籍のある者が戯れに暴力を揮うことも考えられる。
雇用主が戸籍無き者を雇っても賃金を払う義務は発生しないこともあり得た。働いて正当な対価を得る権利を奪われれば、どうやって金を稼げばいい?
どのように生きていけばいいのだ。
「この国に戸籍の無い者は国民の三割を占める。国はこの三割の人間を見捨てるよりも利用しようと考えている」
「利用?」
「新たに登録すれば戸籍は与えられる」
だが、ただでは無い。
かなりの高額を要求し、それが払えない者は
「食料自給率を上げるために
それを拒めば戸籍を貰えず、国から人に非ずと決められ命の保証を失うのだ。
「滅茶苦茶だ」
「それがこの国なんだ。お前はこの記事を読んだはずなのに、理解することを無意識で拒んだ。難しい言葉や理解の及ばなさそうなことに拒否反応を示すのは逃避だ。考える力を奪い、正しい情報や選択肢を与えられないことに慣れさせ、思い通りに民を動かす。それがこの国のやり方だ」
シオは愕然としたままもう一度文章を目で追ったが、やはり内容は頭の中に入ってこずに自分達に関係のあることなのだと受け入れることは難しかった。
「しかも、無償で?」
「そうだ。その代わりに戸籍を手に入れられるという触れ込みだからな」
「それは、困る」
そこで漸くシオは現実的な障害に思い至って青ざめた。
シオたち兄弟は全員戸籍が無い。戸籍を得るためには無償で働かねばならないが、折角通っている学校をスイは辞めなくてはならない。そのためにタキが必死で金を作り、あちこち頭を下げて入学を取り付けたのに。
せめてスイの分だけ戸籍を得られる金額まで作ることができれば。
「だめだ」
スイが戸籍を得て学校へ今まで通り通うにはタキとシオの稼ぎが必要だ。無償で働いている間の学費が払えなければ意味が無い。
「三人分?」
兄弟全員分の登録料を稼ぎ出すなど不可能だ。
暗闇が襲う。
「暇潰しに読むような物じゃないだろう?」
サンの静かな声に足元を掬われた気がしてシオは瞠目すると小さく頷いた。
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