エピソード09 真夜中の騒ぎ
夜も更け静かな時間が流れている港には今日も多くの船が停泊し、作業員が総出で積み荷を降ろしていた。タキは率先して船に乗り込んでは箱に入った荷を肩に担いで下船する。
特別真面目でも働き者なわけでも無い。
身体を動かして仕事に集中している間は余計な事を考えずにいられる。
濁った海水が打ち寄せるたびに腐臭を陸へと運ぶので、港で働いているとその匂いが服や髪に染み付き、まるで体臭まで変わってしまうかのようだ。ねっとりと船体に絡み付く黒い海水には発電機で灯した灯りで照らしても見通すことができない。
足を滑らせて海へと落ちればどこまでも沈み込んで浮き上がれなくなりそうだ。
「タキ。お前先に休憩しろ」
荷物を倉庫の所定の位置へと運ぶと親方が登録番号とサイズを確認し、蓋が開かないように閉められている束帯がしっかりと止まっているかを確かめてから書類にチェックをして再び荷を取りに行こうとしていたタキを呼び止めた。
「まだ二艘分残ってる、それまでは」
「いいから、休め。お前のペースにみんなついて行けなくて文句言ってんだよっ」
いかにも海の男といった身体のでかい親方の骨ばった厳つい顔で語気を強めて言われればタキも素直に頷くしかなかった。
そのまま倉庫を出て行こうとすると「ちゃんと一時間休憩取って来いよ!」とまで念押しされたので苦笑いしてもう一度首肯する。
休憩する時間も惜しいぐらい忙しいのにきっちり休んで来いという経営者がいるとは。
荷を担いだ同僚が「お前が戻って来るまでに運び終えちまうかもな」とにやにや笑いながら通り過ぎて行く。
「一時間で二艘分降ろすのは無理だろ」
「言ってろよ!おれたちが本気だしゃあそれぐらい」
「俺のペースについて行けないって文句言ってたんじゃないのか?」
タキが休憩に行かされる原因とは真逆の男の軽口に矛盾を見出して突っ込めば、真顔で「そうだったな」と呟き、それならばのんびり仕事するさと返して男は親方の待つ場所へと大股で急いだ。
外へ出ると荷を肩や腕に担いだ男たちがどんどんと倉庫へと向かってくる。その誰もが笑いながら「お疲れさん」とか「ゆっくりしろよ」とタキに声をかけていく。親しげな様子にここで働き始めてもう五年も経つのだと改めて感慨深く思う。
孤児院を出て兄弟で住むための資本金を稼ぐために一番金になる仕事を求めていたタキは、近くにあった軍施設の顔見知りの軍人から港での仕事を紹介された。始めはダウタウンの子供を雇うことを親方は渋ったが、軍からの紹介ということもあって暫く使ってみてから決めると受け入れてくれた。
五年も雇ってくれているということは、タキの働きを認めてくれているということでもある。
純粋に嬉しい。
「あの頃はまだ」
軍人の中にも優しい人が多かった。ダウンタウンの子供に菓子をくれたり、絵本を持って来てくれたりもしたのだ。それだけじゃなく孤児院の子供に職の斡旋までしてくれたのだから、今からでは考えられない。
その軍が第八区に住む人たちを苦しめ、笑いながら殺しや暴力を行っているとは。
五年の間に一体なにがあったというのか。
大きな出来事はなにも無かった。
だが大きなことはなくとも、ごく小さな取るに足らない些細なことが積もり積もって人々の中に大きな火種を作ってしまったのは確かだ。
そしてなんの対策も講じずに、悪化させるだけさせた総統と軍上層部は無能なのか阿呆なのか。
国と市民を護るためにあった法や治安維持隊は国と軍のみを保護する物へと変わり、犯罪者や情報を取り締まるはずの保安部は市民すべてを反乱者予備軍と見做して警戒を強め疑わしき者を全て粛清する。
軍は腐敗し、総統は民と国土を見限った。
「ここには思いやりも優しさもあるのにな」
見た目と言葉遣いは悪いが共に働く者たちは仲間意識が強い。落ち込んでいる者がいればなけなしの金を使って飲みへと連れだし、困っている者がいれば出来るだけのことは助力する。具合が悪くて出勤できないと聞けば、休みでも代わりに出てきて働いてその穴を埋めた。
これが本来あるべき社会の姿なのではないのか。
タキには学が無く正しいことや、国の成り立ちや社会の在り方など解らない。どうすれば自分たちの生活が豊かになるのか、みんなが笑って生きていける世の中ができるのか、その方法を導き出すことはできない。
それは全部国を統べる総統や為政者たちが成すべきことだ。
だがその総統が全てを放棄しているのだとしたら一体どうすればいい。
誰が考えるのだ。
「ミヤマ」
こうしている間にもダウンタウンでは命を失っている者がいるのだ。もしかしたら自分たちを育ててくれたあの年老いた女が軍や国への反心を高らかに叫んで射殺されているかもしれない。
事務所の前まで歩いて来た所でタキはぐっと喉を詰まらせた。
穏やかな生活を求めているだけなのに、世情はどんどん不穏な色を濃くして危機感ばかりが強くなっていく。
国が乱れればタキの望む静かな暮らしなどあっという間に吹き消されて、ダウンタウンでの生活がまた繰り返されるだろう。
「考えても仕方がない」
頭を振って暗い思考を追い出そうとするが、他に集中することがないと脳は決まって一番気がかりなことへと労力を割こうとする。
「――なんだ?」
静かなはずの闇の奥から立て続けに銃声が聞こえた。なにかを指示する男の声。それに応える声は無いが騒々しい気配と靴音が響く。
この辺りは居住区である第四区と工場地帯である第七区を跨ぐ様に港が広がっている。夜間は送電が切られるので工場はとっくの昔に操業を終えて無人となっているはずだ。居住区もさすがに死の海ぎりぎりにまで建物を建てることはなく、雑草が生い茂る空き地があるのみ。
真夜中に騒ぐのはよからぬことを考えている者だけだ。
近づけば巻き込まれる。
タキは事務所のドアに腕を伸ばしてノブを掴んだ。引き開けて中へと入ろうと力を入れた時だった。
エンジンを吹かしながら闇の中からこちらへ近づいて来る車が一台。黒色の車体の後ろには幌付きの荷台がついていて、そこから顔を出している男の姿が見えた。運転席のドアには軍の意匠と国名が刻まれていることから、その車は軍のトラックであることは間違いない。
だがその荷台に掴まり身を乗り出して、背後に向ってライフルを構えている男はどう見ても軍の兵士では無かった。
黒いTシャツの首元に赤いバンダナを巻いている。ぼさぼさの黒い髪の下の顔には炯々とした野蛮な瞳を輝かせ、口元には薄らと笑みまで浮かべていた。
銃声が鳴り闇奥で火花が光ると幌の屋根に着弾する。男が何かを毒づいて運転席に声をかけると、前輪のみブレーキをかけて車を横滑りさせ停車した。
「バラバラに逃げろ!固まればそれだけ狙われる!地の利はおれたちの方にある!いいな!捕まるなよ!」
幌が跳ね上げられ、その中から銃を手に一斉に飛び降りてきたのは子供だった。男は子供たちに逃げる際の注意事項を言い含めながら銃と弾を持たせながら急かす。
どの子供たちも薄汚れて痩せているが、動きは俊敏で無駄口も叩かずに言われた通りにそれぞれが別々の方向へ向かって走って行く。その首には男と同じ赤いバンダナを巻いていた。
二十人ほどの子供たちを送り出して男は再び後方へとライフルを連射すると「出せっ!」と運転手に命じて車を発車させる。ライトを点灯させずに進んで行くトラックの進む先は第四区。子供たちの多くは工場地帯へと向かったので恐らく追ってくる兵士を引きつける狙いがあるのだろう。
タキは固唾を飲んで成り行きを見ていたが、「追え!」「逃がすな!」と叫ぶ兵士たちの声が近くまで来たのに気付いて慌てて事務所の中へと入った。
誰もいない暗い部屋の中でぐっと拳を握り込んだ。
たった数分の出来事だったはずなのに、随分長い間見ていた気がした。
「子供を、」
胸がむかむかする。
息が上手くできない。
「巻き込んで」
成される正義があるとは思えない。
戦うべきは子供では無く、大人のはずだ。不満があるのなら、思いがあるのなら、正義があるというのなら子供を危険な場所に置くべきでは無い。
拳を突き上げて抗議するのならば。
やり方があるはずだ。
子供の権利を守れないのなら、国を糾弾する資格は無い。
「そうまでして、戦うのか」
理解できない。
理解したくない。
タキは握り締めた拳を腿に叩きつけて浅くなっていた呼吸をゆっくりと吐き出した。決して優しくないこの国の、醜い部分を垣間見た気がして何故か緩んだ涙腺を天井を見上げて誤魔化した。
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