破の章2

 音の消えた世界で、俺はそんなことを思い出した。

 昔の話だ、と割り切ることができなくらいには鮮明に思い出に残っている。


 そのくせして彼女の名前だけは思い出すことができない。

 まぁ、そんなことは置いておいて、だ。



 ————これは。



 あれから、しばしばと日常の中に非日常が潜むようになった。

 例えば今のように。

 おそらくこの現象を引き起こした誰かが近くにいる。


 俺は経験に則ってそう考えた。

 音のない世界、ということは誰かがそれを拒絶しているのだろう。



「いったい誰が」



 さて、この不思議な状況に陥る都度に思うのだが、俺を巻き込んだこういう現象はどうにも俺が知っている人間の中でしか起こらないようなのだ。

 ……いや、それは少し語弊があるかもしれない。


 少なくとも俺が観測できるこの現象は、俺が知っている人間でなければ起きないのである。



「少なくとも、そんな気配のあったやつは……」



 チッ、と思わず舌打ちが漏れた。

 一人だけ、心当たりのある人間が存在した。


 そのことに無性に腹がたつ。

 どうしてお前がそっち側の悩みを抱えてるんだ、と俺はそのとき不自然にもそう思った。


 我らが志海高校の一軍女子、『石井結衣』。

 今朝聞こえてきた会話の中に、聞きなれた言い訳のようなフレーズが混ざっていた。



(リア充のくせに)



 ちなみにそんなんなとは関係ない。

 人が悩みを抱えるのは自然なことで、悩みのない人間の方が気持ち悪い。


 全くもって気持ちが悪い。



「ねぇ、君。セカイ君だっけ?」



 後ろから声をかけられて、びっくりするようなことはなかった。

 いや、むしろ声をかけてきた彼女の方が何が何だかわからないといっているかのようであったか。


 なれている。

否、なれてしまっている俺からすれば戸惑うようなことでもないのだけども、初めての彼女からしたら。



「一応確認するけど、石井結衣であってるよな?」


「……いや、どこからどう見てもそうだよね」



「あーいや。前にこんな不思議な状態になったときにな。憧れの人に返信してた奴がいたから念のため。で、どうしてお前は俺なんかに?」



 別に興味があるわけじゃないだろ、と突き放すようにいってみたが彼女は意外にも首を横に振った。

 ハッと、思わず嘲笑うかのような声が漏れてしまった。


 しかし、それでも彼女は真っ直ぐに俺の目を見つめてくる。



「君に興味がないわけじゃない。ううん。むしろ、興味はあったくらいかな」

「……なぜに」



「君が君自身を隠しているから。君はそんな人間じゃないって、私は知っているから」



 それには「なぜ」なんて問うことができなかった。

 それよりも、俺は彼女の言葉に息を詰まらせてしまった。


 どうして、どうして彼女は俺の本性を知っている? 

 中学のころの知り合いがいないように、全く違う県に引っ越して来たというのに。



「俺のことはどうでもいいけど、どうしてこうなっているのかわかるか?」


「いやぁ、それがわからないんだよね。不思議なことに、私と君の声は聞こえるんだけど」



 不気味だよな、と俺は笑った。

 そう、不気味だ。


 この現象も、この現象がないこの世界も。

 信用にたるものなのか、最近俺にはわからなくなってきている。


 俺たちが非日常と称するものが、そちらの方が正常だったりしないのか、と不安になってくる。



「でもね、君と話がしたいって願いは叶いそうだね」


「……この意味のわからん現象の正体がそれだったら嬉しんだけどな」



「過剰なまでに願った思いがこの現象を発現させるのだとしたら、これはおそらくそういうことなんだろうね」

 


 どこか食えない人間だ、と結衣にそんな感想を抱く。



「お話ししましょう? 心ゆくまでずっと」

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