第3話 未解決
「ちょっと、どいて」
京子は洗面を終えた高良を脇へ押しやった。その下の両開扉を開けると、ビニールケースに入れられた、旅行用の歯ブラシと歯磨き粉セットを取り出した。
開けた扉を足で蹴って閉めた京子は、まだ高良が持っているピンクのヘッドの歯ブラシを無言で奪い、洗面所用のゴミ箱へと投げ入れた。
「えっ? なんで?」
という、驚いたような、それでいてどこか抗議めいた口調で問われる。
「なんでじゃないわよ」
たとえ家族であっても本当は、チューブ入りの歯磨き粉を共有するのも、嫌だなあと思っている。ましてや他人が、しかも男子が使った歯ブラシなんて汚らしくて使えない。
京子は廊下を踏み鳴らしながらキッチンダイニングに戻って来た。母が朝食の後片づけに追われている。
高良がその日によって目についた歯ブラシで歯を磨く
京子は半ば諦めの境地に入っている。
叱責されると、しばらくのうちは気をつけようとしているらしいが、面倒くさくなってくると、また元に戻るのだ。
「お母さん。私、歯を磨きたいんだけど」
高良の癖が治らないなら、こちらで対処するしかない。
ついには歯ブラシと磨き粉がセットになった旅行用の物を買い、常備している。
「歯磨きだったら洗面所ですればいいでしょ」
「今、高良が使ってる」
「だったら待ってなさいよ。二時間も三時間も洗ってるわけじゃないんだから」
「時間がないの! 遅刻するから」
「お母さんは、キッチンのシンクで歯磨きされるの嫌だって、ずっと言ってるじゃないの」
料理するシンクの所で歯磨きするのは、確かに気分はよくないだろうが、だったら洗面台に放置された毛先バサバサの末期の歯ブラシ、捨ててくれよと、声には出さずに反論する。
こちらが勝手に捨てたりすると、「あれはまだ使えるから置いてあるのに」「もったいないことするんじゃないの」と、叱られる。要は断捨離できない母なのだ。
そうこうするうち、廊下の方から高良の「洗面所、空いたから」という声がした。うおーい、空いたぞ、みたいな無邪気な呼びかけ。
仕方なく京子は洗面所へと引き返す。
旅行用のビニールケースから歯ブラシと歯磨き粉を出し、がしがしと歯を磨く。
こうした潔癖症に近いような感覚は、いつのまにか増幅していた。潔癖症はストレスが要因らしいが、何が、誰がストレスなのかは明白だ。
京子には、高良が使った歯ブラシなんてゴミでしかないのだが、それを欲しがる女子がいる。ランチを奢ってあげるからなどと、せがまれる。
ちょっとびっくりするぐらい、高良がイケメンだからだろう。
女子の推しへの情熱は、ほとんど狂気だ。
推しメンの物なら歯ブラシだろうと、激レアコレクションになるらしい。
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