およそ82億と7つの世界

木山喬鳥

第一章 異世界転送

第1話 末吉末吉 異なる世界へ行く

 目の前で夜空が砕けた。


「キレイだな」


 明らかな異常事態を、のんきに見とれていた自分に少し笑ってしまった。

 危機感がまったくないよな。

 こんなありさまでは緊急事態に生き残れないとも思うが、生まれもった性格はどうしようもない。


 崩れた景色の後ろには、暮色ぼしょくに包まれた空間が見わたすかぎり、どこまでも広がっていた。

 どこまでも広がっている? なんだこれ。

 わけがわからない。


「さっきまで夜だったのに、また夕暮れどきに戻ったのか? まさかなぁ」



 なんてことがあり────

 そしていま、オレは22人と一緒に、広い円の中に座っている。


 22人と言ったけど、正確に言うと目の前には10代らしき若い男がいるだけだ。

 他の21人は、半透明の人の形の薄い板、立て看板の形になって並んでいる。


 オレの前には、人の形の薄い立体映像が21枚並んで、おのおのがバラバラに動いていたんだ。


 もちろん自分の言っていることが、意味のわからない話だってことは、わかっているし、ちゃんと自覚もしている。

 でも、そう表現するしかないのだからしかたがない。

 いて例えれば、屋外の薄暮はくぼの円形劇場で3D映画をみているような感じか?


 困ったな。

 目の前の事がらを、どう解釈し理解しようとしても不自然さが残る。

 訳がわからなくても、人型パネルからは目をそらすことができなかった。


 輪の外へ目を向ければ、明かりの明滅する空間にグチャグチャの立体が連なって流れている。


「気持ち悪い」


 この模様をずっと見ていると、ひどい頭痛がする。

 円の外は、見ないほうが良さそうだ。


「現実、だよな……これ」


 異常事態ではあるけれど、現状に問題はない。

 息はできる。身体には痛いところもない。寒くも暑くもない。明かりもある。

 いま、この場で生きるのに問題はない。


 だけどこの後は、どうなるのだろう?

 まったく安心はできない。

 横の若者は、うずくまって盛んに肩を震わせている。


「どうして繋がんないんだッ!」


 彼はずっとスマートフォンを叩いている。

 警察や消防へ連絡しようとしているが、どこにも繋がらないと、なげいている。


「残念だけど、ここへ助けを呼ぶのは、不可能だと思う」

「ど、どうしてですかッ!」


 目を向けないように、あたりを指さした。

 彼も、すぐに周りの状況に気がついたのか肩を落として頭を抱える。


「いったいなんだよ。この場所は……」


 オレたちのいる場所は〝ふしぎな空間〟だ。そうとしか言い様がない状況だ。

 消防なり警察なりの救助の人が、こんな奇妙なところへ来られる方法はないだろう。


 とはいえ、オレがこの事態から自力で生きて帰る手立ても、まったく浮かばない。

 ただ困っているだけだ。

 死ぬかもしれないほどの危機的な状況だと、理解はできている。

 でも、怖くはなかった。

 この自分の落ち着きが、不自然だとはわかるけど、どうにもできないのだ。


「とりあえずは、落ち着いたほうがいいと思う」

「あ、ああ、はい。わ、わかっています」

「オレは末吉末吉すえよしまつきち、39歳、独身。会社員だ。特に持病もないし、いまのところはどこもケガしていない」


 やはりこんな場面での自己紹介に適した言葉は、そうそう浮かばないな。


「ボ、ボクは、花地本利文かじもととしふみです。大学生で18です……持病もないし、ケガもないです。でもいまここで自己紹介とかすることに、どんな意味があるんですか?」

「そうだな。もしも救助されたとして、被災中に会った人物を伝える際に必要だと思う。万が一、どちらかが死んだときに遺族を探す手がかりになるから」

「し、死んだとき……」



 花地本の顔色がすでに死んだみたいな色になった。

 悪かったな。嫌なこと自覚させて。

 気持ちは、わかるけどさ。

 オレも、人生の終わりなんて意識せずに日々を過ごしてきた。

 ついさっきまでは。

 ほんの1時間前までは──────




 予想どおり今日も残業だった。

 出張先の残務処理の分量が、予想よりも多かったんだ。


「もう、21時も過ぎているか……」


 かなり眠いし、足取りは重い。

 遅い時間にもかかわらず、夕飯に好きな惣菜が買えたのは、まだしも幸運だった。


 東京の日本橋へ出張したときの良い点は、宿泊先の近所で旨い料理のテイクアウトが買えることくらいなものだ。

 東京のど真ん中だけに、良さげな飲食店は多い。値段は高いけどさ。

 ついつい、今晩の分だけでなく明朝の分の弁当や惣菜までよけいに買ってしまった。


「やっちゃったなぁ。この金額だと経費で落ちないかもな」


 一日の労働を終えた30歳過ぎの身体に、余力はない。

 トボトボとした重い足どりで出張先のビジネスホテルへ帰る途中に、それは起こった。


「非常ベルか?」


 ビルの正面玄関から金属音が鳴り響く。立ち昇る黒い煙も見えた。

 銀座の近くなのだが、あたりに人は歩いていなかった。


「火事、だよな?」


 近くに寄って火災現場の様子をうかがう。

 近づくと刺激臭と煙でせきがとまらなくなった。

 咳きこみながらポケットを探り、手にしたハンドタオルで口を覆う。

 ビルから漏れでた黒煙は、道路まで濃く立ちこめていた。

 渦を巻いた煙が目にしみて、涙がとまらない。


 燃えているビルは、1階から2階まで火と煙がおおっている。

 目をらせば、2台の車が建物のエントランスに突っこんでいた。


「自動車事故か? あれは、人の影だよな?」


 車のなかには、まだ人がいるようだ。とにかく早く引っ張り出さないと。


 黒煙が充満して車内の様子がわからないから、しゃにむに手探りで人らしきものをつかんだのだけど────


「ダメだッ引き出せない! 誰か手を貸してくれ」


 どこからも返事はない。あたりには人がいないのか?

 こうなったら、オレが独力でやれるだけやるしかない。


 何度となく腕を引くが、引き出せない。もう火がそばまで迫っていて、かなり熱い。

 引いているうちに手が隙間から抜けた。尻もちをついて、とっさに握っているモノを見たら上着だった。


「これまでかッ、もう近づけない。火の勢いが強くなっている!」


 服が地面に落ちてゴトッと硬いモノがたてるような音がした。

 ん? ポケットの中から、なにかが転がり出た。

 え? なんだこれ、工具こうぐか? 違うな、これは────拳銃?


 まさか本物か?

 驚いて拳銃と思われるモノを握っていたら、サイレンが聞こえてきた。


「火事だけでも危ないっていうのに、拳銃まで出てきたのかよ」


 実物なのかは、わからないけど。これが、本物だとすると、この騒ぎはただの交通事故じゃないのかもしれない。


 予想外の事態で、いろいろ考えていると、救急車の光と夜空が急にヒビ割れた─


「空中が割れた? どういうことだ? 空に無数の光がジグザグに走っているぞ?」


 燃えていた車が爆発したのか? 

 でも爆発って感じでもない。音もほとんどしなかったし、痛くもない。


 見渡す限りの夜空がガラスみたいにパリンパリンと砕けて、破砕音はさいおんと同時に目眩めまいに襲われた。



 で、気がつけばここ。大きな円盤の上だ。

 そうしていまは、眼の前に並んだ人型のパネルを見ている。



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