あなたコントローラー

ぐらたんのすけ

あなたコントローラー

 夕日がもう沈もうとしている。学校の生徒はほとんど皆帰ってしまった。

 完全下校を告げるチャイムが、カラスを驚かせている。

 消灯された正面玄関は、少し薄暗くて不気味だ。

 でも僕の気持ちはその景色と相反するように明るいものだった。

 

 ――一緒に帰ろ!

 

 二人きりの教室。笑顔で彼女に告げられて、少し浮足立っていたのかも知れない。

 何を話せばいいだろうか。天気の話とかかな。いや、ありきたりすぎる。

 この前死んだペットの話は?……それを聞いて喜ぶ人間はいるのだろうか。

 悶々とした気持ちを抱えながらも、刻一刻と時は近づいてゆく。

 

 僕は密かに、彼女に恋をしていた。

 それこそ、ありきたりな恋であって、他人にひけらかすのも躊躇うような幼稚なものであった。

 いつか彼女に。そう思う気持ちばかりが募って、一向に距離は縮まらない。

 だからこそ今日、二人で帰ることは快挙であったし、僕にとっては偉大な進歩であるように感じられた。

 

「おまたせ! ごめんね待たせて」

「ううん、全然」


 彼女が階段から早足で降りてきていた。僕は下駄箱を開くために、その鉄の扉に手を掛ける。

 その重さがいつもと違った気がした。いや、本当にただの気のせいだったと今でも思う。でもその中身には確かに1つだけ異変があった。雑に梱包された茶封筒が入っていたのだ。


「んー、なにそれ?」


 不意に彼女が下駄箱の中を覗き込んできた。顔が近い、息もかかりそうな距離でドギマギする。


「いや、なんだろうね。分かんないや」


 そう言ってそのまま靴だけ取り出すと、下駄箱の扉を締めてしまう。


「中身、見ないの?」


 彼女は不思議そうにして僕の顔を覗き込んでくる。

 焦る僕の心情を、少しだけ見透かしているかのようだった。

 

「いや、いいんだよ。どうせ悪戯」

「見ようよ、ラブレターかもしれないじゃん」


 そう言うと彼女は勝手に僕の下駄箱を開けて、奥に詰め込まれている茶封筒を取り出してしまう。

 そこで自分が焦っていた理由がようやく分かった。本当にラブレターだったらどうしよう、と。

 そんな心当たりは一切無いし、貰えるわけもないのだけれども、ただそれが彼女に見られてしまうのは嫌だった。

 けれどそんな僕の気持ちをよそに、既に彼女はその封筒の封を開けてしまっていた。


「なんだこれ」


 言いながら彼女が取り出したものは、黒くて四角い、録音機のようなもの。

 それと同時に、安っぽいネックレスと小さな紙も取り出した。

 彼女はそれを読むと、顔を顰めたまま僕に渡した。


 ――あなたコントローラー!


 :好きな人を操ります。

  ネックレスをかけた相手に向かって、機械を通して命令して下さい!


「馬鹿みたい、なんだよこれ」


 そう言って説明書らしきものを突き返そうとするも、彼女は受け取らなかった。

 キラキラと光を反射するネックレスをただ見つめていた。

 

「えー、ちょっと面白いじゃん」


 ニヤつく彼女の横顔を風が撫でる。睫毛さえ、風に揺れるのが見えるようだった。


「おーい!もう学校閉まるぞー!」


 職員が遠くから僕らを見つけて叫ぶ声が聞こえた。


「はーい!……ちょっと寄り道しようよ」


 何か企むような彼女の首には、既にネックレスが着けられていた。


 学校から少しだけ歩いた場所にある、公園のベンチに二人で座る。

 子供たちの姿が遠くに見えるが、既にぽつりぽつりと帰宅しているようだった。

 彼女は黙って先程の機械の電源をつける。それは確かに録音機であったらしい。


「これ、かけてみてよ」


 そう言いながら渡されたネックレスを、渋々首にかける。

 彼女は少し天を仰いで、考えた素振りを見せたあと録音機に向かって呟いた。


「右向け、右!」


 しかし何も起きない。静寂を破るためにも、僕はわざとらしく右を向いてみせた。


「効果抜群じゃん!」


 彼女は笑った。くすぐったい笑い方だった。


「次、私に催眠術。かけてみてよ」


 それが本当に催眠術なのかは疑問だったが、彼女とじゃれ合えている事実が少し心を踊らせていた。

 


「はい、どうぞ」


 ネックレスを渡すと、彼女はそれをゆっくりと首にかけた。

 そうして目をつむると、両手を広げて僕に言った。

 

「いつでもいいよ!」

「それじゃ、右手上げてみて?」


 恐る恐る口にすると、彼女は確かに右手を上げた。

 それが少し可笑しくて、今度はどうしてやろうという考えが頭の中を支配する。

 

「んージャンプ!…………踊って!」


 僕の言う通りに正確に動く彼女が面白かった。

 そうして暫く彼女で遊んでみて、満足した頃合いに僕は言った。


「もういいよ、ありがとう」

「…………」

 

 笑いながら言ったのだったが、彼女は何も言わなかった。

 どころかその場から動く気配すら見せなかったのだ。

 怒らせてしまったのか。そんな考えが頭によぎる。


「ご……ごめん。ちょっとやりすぎたかも」


 そう言っても相変わらず彼女は何も言わなかった。

 寧ろ心配になってきて僕は言った。

 

「大丈夫?一旦、座ろ?」


 そう言って肩に触れた瞬間、彼女は動き始める。

 そしてそのまま機械的な動きでスッとベンチに腰を掛けたのだ。

 まるで、本当に僕の言いなりであるかのように。

 

 もしかして。


「本当に……操られてる……?」


 動かない彼女を見ると、少しの恐怖と、それを全て覆い隠してしまう好奇心に襲われた。

 ただ、どこか悪いことをしている気分になって、一度ネックレスを外す。

 そうしたあとも彼女は暫く動かなかった。その事実が少し恐ろしくなってくる。      

 そんな頃合いのときに、彼女はゆっくりと、少しだけ口を開いて言った。

 

「……まだ?催眠術」

「え、覚えてないの?」


 彼女はキョトンとした顔でこちらを見つめるのだった。

 僕は静かに彼女にネックレスをかけ直した。

 

「動かないで」


 そう命令する。こういうときだけ冷静な自分が少し後ろめたかった。

 彼女はやはりスンとも動かなかった。

 どうして僕には催眠術のような、この魔法がかからなかったのだろうか。

 ふと、封筒に同梱されていた小さな紙のことを思い出す。


 ――好きな人を操ります。


それが“誰でも”、という意味の“好きな人”では無かったのだと。

 合点がいった。ただそれは同時に僕にとって絶望的な知らせでもあった。

 彼女は僕のことなど気にも留めていないのだろう。その事実が重くのしかかる。

 まぁ、そりゃそうだろう。彼女が僕なんぞに気を引かれるわけもなかった。

 秀麗耽美、質実剛健、文武両道。

 どんな褒め言葉でも枠を超えてしまうような彼女は、学校でもかなりの人気を得ている。

 

 まさに高嶺の花。

 

 常日頃思っていた。こんな叶わぬ恋は、諦めてしまえばいいのにと。

 何度もそう自問自答していた心の谷に、ヒビが入っているのは薄々気づいていたのに。

 彼女は今自分の掌の上であるというのに、それはとても小さくて、どんどん見えなくなっていくようだった。

 

 それでも、あぁ、やっぱり可愛いなと。その端正な横顔を見て思うのだ。

 今ならその髪に、頬に触れても許されるのだろうか。

 その澄み切った瞳の色も、知ることの出来なかった唇の味も。

 

 そんな邪な考えばかりが浮かんでは消える。


 今、この録音機に向かって告白すればどうなるのだろうか。

 この時間は、正直言って奇跡だ。この機会を逃せば二度とチャンスはない。

 そんな気がしていた。

 言ってしまえよ。心の中で僕が囁く。

 一歩踏み出す勇気など、持っていなかったはずなのに、こういうときだけ体が動いてしまう僕は酷く惨めだ。

 息を吸う。


「ずっと好きでした、僕と――」


 僕と。それ以上は言えなかった。

 舌が、まるでコンクリートにでも沈んでしまったかの様に動かない。

 付き合って下さい。それを言って仕舞えば、彼女は僕のモノになるのだろうか。

 しかしそれは本心からではなくて、ただ催眠された結果に過ぎないのはとうの昔に知っていた。

 阿呆らしい、こんなモノ。酷い悪戯だと神を呪う。


「ごめん、今の忘れて」


 録音機に告げて、彼女からゆっくりとネックレスを外そうとした時だった。

 彼女の肩が小刻みに揺れている。僕はその緩んでいる口元に気付けていなかった。

 それは瞬きをする間もなく崩壊し、彼女はぷっと吹き出した。上目遣いで僕の顔を見つめている。


「ホント可笑しい、なんで気付かないの?」


 彼女は大口を開けて笑っていた。

 それを見てようやく、僕は今までの行動やセリフが全て彼女に聞かれていた事に気付いたのだ。

 恥ずかしさと後悔で声が出なかった。


「私のこと、好きなの?」


 悪戯っぽく僕に問う彼女の目が、ただ濡れていた。

 ただ僕には動く彼女を目の前にして、はい好きです。付き合って下さい。なんて言える度胸は無かった。


「いやっ......その、ごめんなさい......」


 何故か謝ってしまう僕を見て、彼女の笑いは再び勢いを増す様だった。

 そうしてひとしきりに笑った後、ゆっくりと僕を見て言うのだった。


「大丈夫、全部知ってたよ」

 

 彼女の言葉の真意は、何処から何処までを指していたのだろう。


「その録音機、誰が君の下駄箱に入れたんだろうね?あれは、本当にラブレターだったんじゃないかな」


 含みを持ったその言い方に、ただ、操られていたのは僕の方だったと。それだけが胸の内で乱反射する。

 彼女はネックレスを外すと、再び僕の首にかけるのだった。

 そして僕が呆然と握りしめていた録音機を取り上げ、少し赤面する口元を隠しながら、恥ずかしそうに呟いた。


「んー、じゃあさ。私と――」


 ただ、その言葉は思いもよらぬ言葉で、ただ彼女と重なる夕焼けが綺麗すぎて。

 彼女の影と僕の影が闇に溶けて消えるまで、僕達はそこを動けなかった。


 

 あれから随分経った今でも、彼女がたまに録音機を取り出して来ることには、少し困らされる。

 録音された自分の告白を聞かされる事に関しては、ただ赤面をせざるを得ないのだから。

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