第4話 王座探偵と文化祭

「――俺はこの学園の王様なんだよ、誰がなんと言おうとそうなんだ」

「わかってる。でもなんでそこまでして王様になりたいんだ? 俺を家臣にしてこき使うためか?」

「違えし、近江に答える義理ねえよ」

「なんだそれは。仄、俺がどれだけお前のために奔走してきたと思ってる。家臣やら助手やら任命されてるんだから、そのくらい教えてくれてもいいだろう」

「近江お前、冷静なツラしてほんとすぐキレるな。お前に教えたくないつってんの!」

「不公平だろ! 俺がどれだけこき使われてると思ってる?」

「うるせえよ、もう黙ってろ!」

 そう言うと、仄は近江に向かって空のティッシュ箱を投げつけ、部屋を二分割するように備え付けたカーテンを乱暴に締め切ってしまった。お互いのプライベートを守るために設置したカーテンがこんな用途で使われるとは。近江と仄が同居するきっかけになった事件から一ヶ月後、二人は見事に大喧嘩をしていた。

 元凶は、仄が近江を家臣兼助手として使いまくったことだ。仄は元より大金持ちの家の息子だ。人を使うことには慣れているというか、それが当たり前の家庭で育ってきた。近江との間でギャップが生じてもおかしくはない。近江も、なんだかんだ仄の頭脳を買っていたり、意見がいつも正しいことを理解しているので基本的には助けてやるのだが、暇だからなんかしろとかゲームのレベル上げ代わりにしといてくれ辺りで流石にブチ切れた。近江は人に優しいし困っている人を放っておけないが、堪忍袋の緒は意外と短いという変な性格をしている。

 仄が王様なのは、百歩譲ってよしとする。だが、そういえば、なぜ王様を名乗るのか知らないことに近江は気付いたのだ。こき使うのなら、そのくらい教えてくれてもいいのではないか。そういう喧嘩である。

 仄に投げられたティッシュ箱の角で頬を軽く擦ったので、近江は保健室に向かう。どれだけ軽い傷でも治療する。近江のモットーだ。最近仄が解決する事件に巻き込まれるせいですっかり常連になってしまった保健室に入ると、保健教諭の藍村が近江を見て笑った。

「また事件に巻き込まれましたか?」

 藍村は保健教諭にしては珍しく男性であるが、物腰が柔らかいのとどんな些細な体調不良でも簡単に休ませてくれるので生徒に人気がある。つまり甘いので人気があるというわけだ。

「機嫌が悪い仄にティッシュ箱を投げつけられました」

「あら。それは良くないですね。僕から仄くんに言っておくので、あんまり怒らないであげてください」

「藍村先生は仄に甘くないですか」

「ふふ。生徒に優劣をつけるわけじゃないですけど、この学園の教師で彼と一番仲良しなのは僕なんですよ」

「仄は自分に甘い人が好きですからね」

「うーん。僕は彼ともう五年くらいの付き合いですけど、寂しいんでしょうね」

「え?」

 ぺたりと、怪我をした頬に絆創膏が貼られる。

「はい。おしまい。仄くんももう子供じゃないですから、今頃反省してると思いますよ」

 そう言われて、保健室から追い出される。

 寂しい、とはどういうことだろう。というかあいつ、五年もこの学園にいるのか。二年留年していることになる。今年こそは卒業させたいところだが、仄のいない学園生活が想像できないのも確かだった。もう十月。文化祭のシーズンである。文化祭の準備であちこちはざわついているが、近江は仄に振り回されるという役目があることを皆知っているので、特にお役目は回ってこなかった。いつの間にか影で霞寺当番なんて呼ばれているのを知っている。不名誉な当番だ。

 理事長室に戻ると、仄がカーテンにくるまっていた。

「何してるんだ」

「別に」

 謝ってくる様子もないので、そのまま放置することにした。謝ってくるなら許してやったが、そうでないなら知ったこっちゃない。

 そこからなんとなく、二人の間には距離が生まれ始めた。普段は放課後にたまに遊びに行ったりもするし、そうでなくとも会話くらいはあるというのに、それもない。カーテンを挟んで、別居状態なのであった。事件が起これば会話の一つや二つあったかもしれないが、こんな時に限って何も起きない。いや、事件が起こらないのは喜ばしいことなのだが。

 そんなある日、仄の元に手紙が届いた。仄はたまたま不在だったので近江が受け取ったのだが、差出人に『霞寺 晃輝』とあった。父親からだろうか。カーテン越しに仄のスペースに差し入れておいてやると、帰宅した仄はその手紙を読んだようだった。手紙の封を開く音がしてややあった後、カーテンの向こうから壁を殴るような音が聞こえてきたのだ。仄は確かにカッとなりやすいタイプだが、基本は飄々としている。ここまで暴れることはない。慌ててカーテンを開けて様子を見ると、仄は拳から血を流して項垂れていた。

「仄、おい」

「……来んなよ近江。関係ねえから」

「関係ある。同居人が怪我をしているのを、放って見てはおけない」

「お前には関係ねえよ! 俺のこと何にも……なんにも知らないくせに!」

 そう言われては近江も引き下がるしかない。保健室には行けよとだけ言い残して、カーテン越しに様子を伺うしかなかった。

 さて、事件が起こったのはそれから一週間後、文化祭の日の事だった。あれから部屋にこもりきりの仄を部屋に一人にしたくなかったのと、文化祭にあまり興味もなかったので部屋で大人しくしていたのだが、いきなりドアがすぱあんと開き、教頭がばたばたと理事長室に入ってきた。

「か、霞寺理事長代理、校内で生徒が死んでます!」

 それを聞いた仄の反応は素早かった。流石探偵と言ったところだろうか。ソファーから車椅子に移ると、「身元確認は? 死亡場所は? 第一発見者は?」などと忙しく質問し始めた。こうなると、仄は早い。一週間近く塞ぎ込んでいたのが嘘のようにきびきびと行動し始めた。あれだけ口を聞かなかった近江にも、ついてこいと指で示す始末だ。いつもの仄で、なんだか安心してしまった。人が死んでいるというのに。

 亡くなった女子生徒の遺体は、文化祭で使われず物置になっていた教室にあった。使わない机を並べておいたところに、机にもたれ掛かるようにして、首を絞められて死んでいた。女子生徒の名前は二年の神田恵美。文化祭ではメイド喫茶を担当していたらしい。着替えに行ってくると立ち去ったのち帰って来ず、心配になった友人が学校中を探したところを立ち入り禁止区域で遺体になって発見されたらしい。遺体が見つかった棟は文化祭で使わない物を保管しておくため、一般客が入らないように立ち入り禁止になっていた。そのため人気はなく、殺害を目撃した者もいない。

 流石に今回は殺人事件ということで警察が入っていたため、仄の出る幕も少ないかと思ったのだが、そうではなかった。

「ここが立ち入り禁止になったのはいつからだ?」

 仄が教頭に質問すると、教頭は額の汗を拭きながら「二日前からです」と答えた。仄はいつもの笑顔ではなくどこか悲しんでいるような顔をしていた。

「二日前から文化祭開始まで、この棟に立ち入ったのは誰がいる?」

「机の搬入はもう終わってますから、生徒は立ち入っていません。教師もですが……ああ、放送機器の修理業者が昨日入っています」

「そいつを呼び出せ。その中に犯人がいる」

 仄の顔を見て、変だなと思った。仄は事件を解決するとき、いつもわくわくとした、自分の頭脳を誇るような顔をしている。それが、今日は怒っているような、悲しんでいるような顔をしているのだ。

「仄、お前今日何か変だぞ」

「いつも通りだよ」

「いつも通りって……違うだろ。何かあったのか?」

 近江の言葉に仄は無視をする。そっぽを向いた横顔は、まるで傷付いているようだった。

 やがて、教頭に呼ばれた放送機器の修理業者が到着する。修理業者は四人いて、全員呼びつけられたことに困惑しているようだった。仄は事件現場で証拠を取っていた鑑識に話しかけると、「こいつらの指紋全部取れ。被害者の絞められた首の指紋と一致するやつがいる」とぶっきらぼうに言ってのけた。当たり前だが、高校生の戯言を警官が信用するわけがない。迷惑そうにしている鑑識と、仄の推理能力を知っているだけに狼狽えている教師陣、いきなり謎の高校生に犯人扱いされて戸惑っている修理業者。それを見て、近江は思わず前に割って出た。体が勝手に動いて、自分でも吃驚したほどだ。

「すみません、こいつの言うことを信じてやってくれませんか。……こいつは探偵なんです。嘘のような話だと思うかもしれませんが、こいつは絶対推理を外しません。お願いします」

 そう言って、近江は頭を深々と下げた。

「おい、近江、お前が頭下げることないだろ、」

 それを見た仄が止めようとするが、近江は頭を下げ続けた。見かねた鑑識が折れるまで。

 ややあって、全員の指紋が取れた。その中の一人――井上という業者の指紋と、殺された少女の首についていた指紋が一致した。警官たちは慌てて井上を取り押さえ、手が空いているものたち全員の視線が仄に向いた。

 見つめられて、仄が口を開く。

「被害者は、文化祭でメイド喫茶をやっていたらしい。おそらく、空き教室でメイド服から着替えようとしていたんだろう。立ち入り禁止区域だということは知っていたと思うが、着替えるのに適当な部屋がなかったんだろうな」

 全員が、探偵の話に耳を傾けている。何度経験しても近江はこの緊張感には慣れない。まるで王の話を聞くように、全員が仄の話を聞いている。

「そこを狙ったのが犯人だ。この棟一帯が立ち入り禁止区域になっているから、被害者にどれだけ乱暴をしても声は外に届かない。……胸糞悪りぃ」

「つまりは、ここが立ち入り禁止区域になっていることを知っているやつが犯人ってこと……か?」

 流石の近江にも理解ができたので、仄に向けてそう問う。仄は静かに頷いた。なるほど。だから立ち入り禁止区域が制定されてから中に入ったことのある人間に絞られるのか。

 気を使ったのだろう、仄は、被害者が何をされたのかは皆まで言わなかった。

 警官たちの目が仄に集まる。当たり前だ。仄は、本職の警官より早く犯人を当ててみせたのだ。今回は派手なトリックがあったわけでもない。だが、あまりにも手際が良すぎた。この青年は何者なのだと問いかける目線が、不躾で煩わしかった。近江は、仄を庇うように立った。それが助手の役目だと思ったからだ。

 奥の方で、何人かの警官に囲まれて容疑者が自首をしているのが見えた。すんなりと事件が解決してしまって、近江は少し拍子抜けをした。

 翌日。

 事件は解決したというのに、仄は浮かない顔をしていた。やがて、カーテンをそろそろと開けて、こちら側に顔を出してくる。

「近江。あの時……ありがとな」

「あの時?」

「俺が鑑識に駄々こねたときだよ。頭、下げてくれて……ありがとな。お前がいなかったらもうちょっと難航してた」

 仄が鑑識に指紋を取れと訴えたときのことだろう。別に、礼を言われるほどのことでもない。と近江は思っている。

「礼を言われるほどのことでもない。助手として当然のことをしただけだ」

「は? お前、助手扱い嫌なんじゃなかったのかよ」

「違う。こき使われるのが嫌なだけだ」

「似たようなもんだろ……まあ、これからもよろしく頼むわ、助手兼家臣」

「家臣はやめろ。何か嫌だ」

 ぎゃあぎゃあ騒いでいると、ふと仄の表情が曇った。いきなり表情が変わったので、こちらも拍子抜けする。

「なあ近江、今回の事件、俺が文化祭中に見回りとかしてたら防げたんかな」

「なんで急にそんなこと聞くんだ。いくら見回りをしていても、防げないこともあるだろう」

「そっか。そうだよな」

 仄は、ゆっくり目を瞑った。やがて目を開くと、決心したように口を開いた。その一連の動作がやけに美しくて、少し見蕩れる。仄が王を名乗って違和感がないのは、その顔立ちもあるかもしれない。仄は、金髪とネコ科のようなつり目も相まって、ライオンに似ているのだ。百獣の王である、ライオンに。

「近江。なんで俺が王様になりたいのか、気になるんだろ」

 近江は驚いた。数日前に揉めた時には絶対に教えてくれなかっただろう内容だからだ。仄はまだ言うか迷っているように視線を数度左右にやって、やがて覚悟を決めたように口を開いた。

「存在している意味が欲しいんだ」

 意味が欲しい。切実な言葉だった。

「俺は次男だから家も継げないし、足もこんなだから両親にも疎まれてる。この学園しか、もう俺の居場所はないんだよ」

「……だから、ここの王様に?」

「そ。まあ、もう王様失格だけどな!」

「失格って……お前は十分やってるだろう。今回だって、警察より早く解決したのはお前だ」

「でも殺してしまった」

 仄が目だけ笑わずにそう言うので、近江は何も言えなくなる。

「俺は王様なのに、民を守れなかったら存在している意味ないだろ。俺が貰っているのは有償の愛だ。価値のない愚王は、すぐ捨てられる」

「存在している意味がないとまで言うのはどうなんだ。お前は立派にやっている。今回は少し出遅れただけだ。誰にでも失敗はある。どんな賢王でもだ」

「……本当にそう思うか?」

 仄は少し困ったような顔をして、こちらを見あげてきた。仄はいつも車椅子に座っているから、仄と目を合わせようとするとこちらが目上のような形になる。それでも、近江は仄の助手であり家臣であり、友人だった。霞寺仄は、近江朝陽の名探偵なのだ。

「お前はいい王様だよ。これからの事件は未然に防げばいい。出来るだろ。お前は最高のさ探偵なんだから」

 近江が言い切ると、仄は目をぱちくりとさせて、じゃあお前も最高の助手になったなと言って笑った。

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