第3話 番外編 王座探偵とカラオケ

「なー近江、カラオケ行こうぜ」

 仄が突然、そんなことを言い出した。まあ、仄が放課後遊びたがるのはいつものことだが、カラオケに誘われるのは初めてだ。確かに、カラオケが好きそうなタイプの男ではある。だが、残念なことに、近江はカラオケがあまり好きではない。歌うのが不得意なのである。

「嫌だ。一人で行け」

「お前なあ。俺を一人で行かせるなんて薄情なこと言いやがる。事故にでも遭ったらどうするんだ」

 反論できないのが悔しい。車椅子の人間を一人で外出させるのは確かにリスキーだ。仕方ない、ついて行くだけ行って歌わなければいいだろう。

「分かった。けど、俺は歌わないぞ」

「お? もしかして近江、歌下手なのか?」

「……うるさい。そういうお前はどうなんだ」

「ちなみに俺はなー、めちゃくちゃ上手い」

 腹が立ったので頭を軽く叩いておいた。まあということで、近江と仄はカラオケに行くことになったのである。

 仄の車椅子を押してやりながら、カラオケ店への道を進む。仄は近所ではかなり有名人なので、車椅子で移動していても奇異の目に晒されることはなかった。ありがたいことだ。

 カラオケ店に着くと、まず何時間歌うかで揉めた。普通三時間パックだと思うのだが、仄は六時間パックを余裕で選択しようとしてくる。カウンター前で揉めに揉めた結果、三時間にし、必要になったら延長するということで丸く納まった。

 カラオケの室内に入り一息つく。近江は歌う気は無いので仄にだけマイクを渡す。仄は意気揚々とタッチパネルを操作し始めた。歌が上手いと自分で言っていたが、さてどのような腕前なのだろうか。イントロが流れ始め、仄が歌い出す。

 上手かった。

 冗談抜きで、プロの歌手かと思うほど上手い。元々張りのあるいい声をしているのだが、歌うとさらに良かった。どう言葉に言い表せばいいのか分からないのだが、ロックシンガーのような歌声をしている。

「……上手いな」

 歌い終わったあとにそう呟くくらいには、仄の歌は上手かった。

「だろー? 昔から歌も上手いんだよ、俺は」

 歌も、という言い方がむかつくが、上手いのは事実だ。自分が歌わない以上つまらない三時間になるかと思っていたが、これなら聞いているだけで楽しい。と思っていたのだが、仄はそれでは許してくれないらしい。

「近江も歌えよ。ほらマイク」

「は? 言ったろ。俺は歌わないぞ」

「いいじゃん歌ってみろよ。そもそもカラオケって上手い下手を競うところじゃないだろ?」

「嫌だ。歌わない」

「歌ってくれよー。俺も一人で歌い続けるの寂しいんだって。困ってんだよ、な?」

 それが本心かどうかはわからないが、そう言われると助けてやりたくなってしまうのが近江という人間の性である。仕方なくマイクを受け取り、有名なアーティストの、できるだけ簡単そうな曲を入れる。仄がタンバリンを構えているのは無視した。

 一曲歌い切ると、妙な達成感があった。確かに、少し楽しいかもしれない。

「え、普通に下手じゃなくね?」

「……いや、下手だろう。お世辞はやめろ」

「いや俺がお前にお世辞言わないだろ。上手くはないけど、普通くらいだぞ。別に胸張っていいと思う」

 そう言う仄の顔がやたら真面目なので、からかわれていないことだけはわかる。普通、なのだろうか。自分ではよくわからない。ただ、もう一曲歌ってみたいと思ってしまった。それを見抜かれたのか、交互に歌おうぜ、と提案される。しぶしぶを装って頷くと、仄は嬉しそうにタンバリンをシャンシャン鳴らした。うるさいからやめろ。

 二時間後。

 三時間パックで取ったにも関わらず、近江も仄も二時間で疲れ果ててしまった。二人だときついものなのかもしれない。仕方ないのでポテトを食べながらだらだら話していたのだが、ふと仄がこんなことを言った。

「密室って信頼の証だよな。俺は足もあれだから余計に」

「は? どういう意味だ」

「そのままだよ。だって、今ここで近江が俺を殺そうとしたら一発で殺せるぜ?」

 物騒なことを言う。近江が顔を顰めると、「もしもの話だって」と仄が笑った。

「密室にいられるって信頼の証だなって、そう思っただけだよ」

「信頼してるのか」

「してるに決まってるだろ。助手で、家臣だぜ?」

「……そうか」

 照れくささを隠しながら食べるポテトは、少し味が薄い気がした。

 さて、帰る時間になり、会計を済ませて外に出た。いつも通り仄の車椅子を押してやっていると、いきなりパン!という音がして、ガタンと衝撃が腕に伝わる。仄が「うおっ」と呻いた。

「うわ、これパンクしたな」

「は?」

 仄が地面を指差す。すると、地面には曲がった鉄釘が落ちていた。釘を踏み抜いてしまったのだろう。車椅子は片方のタイヤの空気がすっかり抜けて、使い物にならなくなっていた。これでは仄を乗せて走ることはおろか、抱えなければ動かすことも出来ないだろう。

「うわ、どうすっかなこれ。タクシーは……走ってなさそうだし」

 残念なことにここは裏路地だ。タクシーは拾えそうにない。とりあえず道の脇に仄を座らせて、どうするか考える。が、答えが出ない。仄も近江も一人暮らしで迎えは呼べないし、近くに助けを求められそうな建物もない。近江が頭を抱えていると、仄が面白いことを思いついたように顔を上げた。

「近江。お前俺より二十センチくらい背高いよな。筋力もまあ確実にかなりあるよな?」

「まあそうだが……お前、何かよからぬことを考えているんじゃなかろうな」

「おぶって帰ってくれよ。車椅子は路地裏に隠しといて後から取りに来ればいいし」

「……落っことされる心配を考えていないのか? 高校一年と成人男性だぞ」

「さっきも言ったろ。信頼してるんだよ」

 そこまで言われてはもう何も言えない。物は試しと、とりあえず抱えてみることにした。これで無理なら車で二時間の距離にある仄の実家に電話しようと提案しつつ。絶対に無理だろうと思いながら、仄をおぶってみる。……意外と軽い。これなら学園まで帰れるかもしれない。

「お前、軽いな……」

「少女漫画みたいなセリフ言うなよ」

 こいつはもっと食事を摂った方がいいのではないだろうか。結局、近江は仄を背負って学園まで帰り、その後車椅子も回収して帰った。おんぶしている間、仄がやけに楽しそうだったのを覚えている。あれが信頼だというなら、まあ、悪くはない。

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