第2話 王座探偵と爆破予告(後)

「ロッカーに仕掛けてあるのか。それは知らなかったな……さっき仄から事件の詳細を聞いたんだが、そこまでは聞かなかった」

「あの人も伝え忘れることくらいあるんじゃね? それより近江、急がないと五限遅れるぞ」

「ああ」

 そう言って走り出そうとしたとき、飯田の髪に菜っ葉の欠片が付いているのを見つけた。

「飯田、髪になにか付いてるぞ」

「え? ああ、これ兎の餌だ。俺生物部なんだよ。昼休みに兎に餌やってきたから、それだな」

 生物部なんてあるのか。流石は私立、色んな部活があるものだ。その時は特に疑問にも思わず、近江は飯田と連れ立って教室に戻った。ただ、「ロッカーの中に爆弾が仕掛けてある」という情報だけが、何となく心に引っかかっていた。

 

「――近江! 仄様が迎えに来てやったぞ!」

 放課後、チャイムが鳴った途端に轟音を立ててドアを開けて叫んだ仄を、大体の生徒はスルーしていた。皆この男の奇行には慣れっこということらしい。それはそれとして、急にでかい声で名前を呼ばれるのはかなり恥ずかしい。転校初日から、霞寺さんに気に入られたかわいそうな転校生だと認識されてしまったのも悲しかった。

「……お前……でかい声で名前を呼ぶな……」

「あ? 声と態度はでかい方がいいだろ。俺は王様だぞ?」

「王様である前に一生徒なんだお前は。今日は授業には出たのか」

「いや出ねえけど。いいんだよ試験は受けてるから」

「そういう問題じゃない……!」

 言い合いながら、仄の後を着いていく。仄は車椅子だというのに、身軽にすいすいと進んでいく。足が不自由になって長いのだろうか。車椅子の座面は赤いビロード張りになっていて、本当に玉座のように見えなくもない。

 仄のためなのか、それとも他に足が不自由な生徒がいるのか、この学校の階段は横にスロープが備え付けてあった。仄はそこを慣れた仕草で進んでいく。そうしてたどり着いたのは、職員室などが入っている別棟だった。別棟にはエレベーターがあるので、仄と近江はエレベーターに乗り込む。どうやら、目的地は最上階にあるらしい。

 最上階には理事長室と書かれた大きな部屋があった。ドアを開けると、中は完璧に仄によって私物化されていた。本棚には大量の推理小説が並び、ゲームや菓子の袋がそこら中に散乱している。簡単なキッチンには洗われていない皿が落ちていて、ベッドはシーツも掛け布団もぐちゃぐちゃのままだ。かろうじて綺麗な新品のベッドが隅の方に置いてあった。

「あの新品のがお前のベッドな。汚い部屋だけど、自由に使っていいから。気になるならカーテンでも引いて部屋二分割するか?」

「仄」

「あん?」

「掃除するぞ」

「え。絶ッ対やだ。俺は世界で二番目に掃除が嫌いなんだよ。一番嫌いなのは偽善者」

「そんなこと知るか。お前が掃除嫌いでも、俺がするからな」

「え、マジ? 掃除してくれんの? ラッキー」

「…………どつくぞお前」

 苛立ちを隠しもせずに、ひとまず安全な近江のために用意された新品のベッドに座る。はあ、とため息をついて、ふと、昼間に覚えた違和感のことを思い出した。

「なあ仄、爆弾が寮のロッカーに設置されてるって話は知ってるのか?」

 仄は振り向いて、ネコ科っぽいつり目をぱちくりとさせる。

「あ? なんだそれ。初耳だけど」

 この様子だと、本当に初耳らしい。理事長代理という立場を使って教師からも情報を得ている仄が知らないということは、本当に新事実か、噂が混線して出たガセの類なのかもしれない。

「うちのクラスの飯田はわかるか? あいつに聞いた。寮のどこかの部屋のロッカーに爆弾があるらしい」

「そんな話聞いたことないぜ? 飯田ってあいつか。ふうん……」

 仄は腕を組むと、何か考え込んでいるようだった。こうしていると確かに探偵らしい。近江は探偵なんてホームズくらいしか知らないが、探偵は椅子に座っているイメージがあるから、車椅子に座っている仄は確かに探偵らしかった。残念なことに探偵としての実力を知らないので、いまいち信頼はおけないのだが。

「その飯田ってやつの情報、他にあるか。些細なことでもいい。事件に関係なさそうなことでもだ」

 仄は珍しく真面目な顔で、そう問いかけてきた。と言っても、飯田のことなんて正直ろくに知らない。生物部に所属していることくらいだ。それを素直に伝えると、仄はまるでいきなり目の前で柏手を打たれた人のようにぱっと目を見開いた。茶色がかった瞳が光を反射してきらきらとする。しばらくその顔をしていたと思うと、近江を見てにやりと笑う。仄が何かに気付いたのは明白だった。

「何か分かったのか」

「そう焦るなって。俺は探偵だからな、もうこの事件の真相はわかってる。けど、俺はお前みたいに善人じゃあない」

「じゃあ、真相を教えてくれ。そうしたら後は俺がどうにかする」

「お前、お人好しすぎるだろ。何のためにそこまでする?」

「たくさんの人が、寮が使えなくて困っているはずだ。それだけだ」

 近江がそう言うと、仄が微笑ましいものを見るような顔をした。そしてゆっくり窓辺に近付いていくと、右手の指輪を外し、外に向かって勢いよく放り投げたのだ。全力投球だった。

 絶句する近江をよそに、仄は意地悪く笑う。機嫌が良さそうな笑いだった。何が楽しいのか。

「お前の善性とやらを試してやるよ。あの指輪を拾ってこれたら、事件を解決してやってもいい」

「……わかった。本当にだな」

「俺は気まぐれだけど、嘘はつかねえよ」

 そう言った仄は笑っていたが、なんだか困惑しているようにも見えた。あの指輪は、仄にとって不要なものなのだろうか。それにしてはきちんと身につけているし、素人目にだが手入れされているようにも見受けられる。

 近江の善性を試す、と仄は言った。食堂で会話したときの、『無償の愛は、おとぎ話の中にしか存在しない』という仄の言葉が、やけに思い起こされてならなかった。おとぎ話の無償の愛。シンデレラを舞踏会に連れていった魔女や、竹取物語の老夫婦のような?

 指輪が投げ捨てられたのは、学園の裏の雑木林だった。草が生い茂っていて、この中からあの指輪を見つけるのは困難に思えた。正直絶望したが、探さなければならない。文字通り木の根草の根をかき分けて指輪を探していると、人影が視界の端に写った。

「飯田?」

 そこにいたのは、件の飯田だった。

「近江? お前、こんなとこで何してるんだ?」

「ああ、ちょっと探し物があってな……お前こそ、こんな所で何をしてる?」

「あー……これだよ」

 そう言って飯田が指さした地面には、こんもりとした土饅頭があった。「モモ」と書かれた棒切れが立ててある。どう見ても、小動物の墓だった。そういえば、飯田は生物部に所属しているのだったか。飼育していた動物の墓に、墓参りに来ていたのだろう。どういう反応をしていいかわからなくて、視線をさ迷わせる。

「亡くなったのか……」

 無意識のうちに手を合わせながら呟く。尋ねた訳ではなかったのだが、飯田はぽつりと、ぎょっとすることを呟いた。

「殺されたんだ」

「……え?」

 驚いて振り返ると飯田は、嘘嘘、冗談だから気にすんなよ、と笑い飛ばしてきた。その顔は引き攣っていて、冗談には見えない。どう声をかけていいか悩んでいると、あちらから先に口を開いてきた。

「俺はもう帰るけど、近江も捜し物頑張れよ。お前は仄さんと同室だから門限なくていいよなあ。じゃあな」

 手を振って飯田と別れると、近江は墓を眺める。土の山の大きさ的に、ハムスターやヒヨコではないだろう。少なくとも、ニワトリほどのサイズに見える。いつまでも墓を眺めているわけにはいかないので、指輪探しを再開する。

 ……二時間ほど経っただろうか。雑木林の木の枝に、きらりと光るものが見えた。月明かりに照らされて、何かが光ったのだ。背伸びをして目を凝らしてみると、あの指輪だった。これが近江でなかったら、喜びの声を上げていただろう。木を揺らすと、引っかかっていただけの指輪はぽろりと地面に落ちてきた。急いで拾い上げる。もう見つからないのではないかと内心焦っていたので、よかったと胸を撫で下ろす。

 よく見ると、指輪の内側にはHというアルファベットが刻んであった。仄のイニシャルだろう。仄にとってこの指輪がどのような存在なのかは知らない。安物で無価値で、取るに足らない指輪なのかもしれない。だが、イニシャルが刻まれているということは、誰かからの贈り物である可能性が高いのではないだろうか。本当は大切なものだという可能性も、僅かにはあるだろう。それなら、近江はこの指輪が噴水にでも雑木林にでも砂漠にでも落っこちたって見つけ出す。それで仄が助かるなら、近江はどこに行ったって見つけ出す。困っている人を放っておけないし、困っているかもしれないなら手を差し伸べる。仄は嫌がるだろうが、近江朝陽はそういう男なのだ。

 指輪を持って理事長室に帰ると、仄は窓辺で窓の下の雑木林を眺めていた。まるで近江を心配していたかのようで、少しは可愛い所もあるんだなと思い直す。

「……よお近江。無理しなくていいぜ。元より無理難題だったしな」

「あったぞ。指輪。もう投げるなよ」

「は?」

 仄は口をあんぐり開けて、近江の手の中の指輪を見つめている。せっかくの整った顔が台無しだ。硬直しているその手の中に指輪を落としてやる。

「……お前、本当に……なんで……? そんなに事件の真相が気になるのかよ。お前には関係ない事件だろ」

「違う。これが無いとお前が困るかもしれないと思ったから探してきた。事件の真相も気になるが、それは二の次だ」

「……わかんねえよ。お前。どうしてそんなに他人のために動ける?」

 そう問われて、近江はちょっと困ってしまった。人を助けるのは、近江にとって幼少期からずっと当たり前の事だからだ。何か影響を受けた出来事がある訳でもなく、ただ、自分がそうしたいからそうするのだ。それでも、強いて言うなら。

「信じているからだ。無償の愛は、この世にあると信じている。お前が信じていなくても、俺は信じている」

 仄は珍しく真剣な顔をしていた。そしてそっと口を開くと、「この指輪、母さんに貰ったんだよ。……ごめんな、試すようなことして」と呟いた。

「そうか。大切なものならもう、雑に扱ったりするなよ」

 仄は頷く。まるで幼い子供のようだった。もう二十歳を越えているらしいが、もしかしたら精神年齢はいくらか幼いのだろうかと考える。仄はすっかり俯いてしまって、指輪を人差し指でそっと何度も撫でている。慈しむような仕草だった。この様子では、事件の解決は明日になるだろうと近江が考えていたとき、仄がぐしゃぐしゃと勢いよく自分の髪をかき混ぜ始めた。

「あー!! 湿っぽいのは性にあわねえ! 近江、事件の真相解いてやるから、ちゃんと聞いてろよ!」

 急に元に戻った。もう少ししおらしくしていてくれたほうが助かったのだが。

 仄はずれた王冠を戻しながら、いつも通りの王様ムーブで「さて、」と口にした。王様兼探偵を自称するだけあって、その姿には確かに威厳が感じられた。これから優雅な解決編が始まるのを予感させる、そんな雰囲気がそのときの仄にはあった。ミステリを嗜まない近江は知らなかったのだが、「さて、」とは探偵が事件を解決する時のお決まりの台詞らしい。

「まず、爆弾の場所から話すとするか。爆弾は寮のロッカーの中だ。それも、飯田ってやつのな」

「飯田の? どうしてだ」

「まあ待て。続きがある。あと、行方不明の生徒な。こいつも飯田のロッカーの中にいる。おそらく、腹に爆弾でも括り付けられてるんじゃねえかな」

「待て。行方不明の生徒は書き置きを残して消えたんじゃなかったのか。それはどうする」

「書き置きくらい脅して書かせりゃいいだろ。それより、問題はその文面だ」

「文面?」

 そう言われて、近江は書置きの文面を思い出す。『探さないでください。償いの旅に出ます』

「……償いの旅……」

「まあ、読み方によっちゃあ死んで償うとも読めるな。ここで重要なのが、行方不明になった生徒は――高橋って言うんだが、飯田と同じ生物部だったってことだ。それで、高橋は二週間前、不注意で部で飼育してたモルモットを一匹殺してる。抱き抱えてたところをうっかり落としちまったらしい」

「おい、待て、それじゃあ……」

「そうだよ。モルモットの仇討ちってわけだ。……飯田は、死んだモルモットを我が子のように可愛がっていたらしくてな。一週間も学校を休んだらしいが、ある日突然ぴんぴんした様子で学校に来たらしい。復讐方法を思いついたんだろうよ。監禁して爆弾で殺すなんて手法にしたのは、爆発させてしまえば指紋もDNAも燃え尽きて証拠隠滅になるだろうと思ったんじゃねえかな。今どき爆弾の作り方なんてネットで調べられる」

 つまり、雑木林で見たあの墓は、事件の原因になったモルモットの墓だったというわけだ。飯田がどのくらいモルモットをかわいがっていたのか、転校生の近江には知る由もない。人を殺せるほどの愛というのは、一体どれほど重いのだろう?

「……仄、そうと決まれば行くぞ。爆弾がいつ爆発するかわからない。早く助けに行かないと」

「や、俺はパス。王様が爆弾なんて危険な現場に行ってどうするんだ。こういうのは家臣が動くべきだろ。頼んだぜ近江」

「誰が家臣だ」

「それにまあ? 俺は足がこんなだからな。何かあった時に逃げ遅れたら困るだろ」

 車椅子に乗せた足をとんとんと叩かれては、こちらも何も言いようがない。確かに、仄を現場に連れていくのは危険かもしれない。いくら仄が車椅子で自由自在に動くといっても限度がある。犯人は現場に戻ってくるというし、もし飯田と鉢合わせたら近江は仄を担いで逃げられるか怪しい。仕方ないので、仄は置いていくことにした。

「危なくなったら逃げろよ、お節介」

 そう言われて、襟首の辺りをぽんと叩かれる。言われなくてもそうするつもりだ。流石の近江も、命は惜しい。

 仄から護身用のために持たされたナイフを持つ。なんでこんなものを持っているんだと尋ねたらはぐらかされた。立ち入り禁止の寮に向かう。入口には警備員が立っていたが、霞寺さんの指示ですと伝えればすんなりと入ることができた。あいつの権力は一体どうなっているんだ。

 できるだけ足音を立てないようにしながら、事前に教えられていた飯田の部屋に向かう。何があっても対処できるようにスマホを操作し、ワンタッチで警察に通報できるようにしながら、そっとドアを開ける。中に誰もいないでくれと祈ったが、祈りは叶わなかった。

 中には、飯田が立っていた。飯田はこちらを振り向くと、「近江?」と人あたりの良さそうな笑顔でこちらを見つめてくる。

「どうしたんだよ近江。まさか霞寺さんに頼んで入ってきたのか? 俺は忘れ物を取りに来たんだけどさ、お前はどうしたんだよ」

 ポケットに隠したナイフを握り直しつつ、できるだけ動揺が悟られないように近江は告げる。落ち着け、今の自分は仄の代理で、忠実な家臣だ。

「犯人はお前だろ、飯田」

 飯田の雰囲気が変わった。今までの人当たりのいい笑顔はすっぽりと抜け落ちて、能面のような表情だった。生理的な嫌悪感を感じて、鳥肌がぞわりと立つ。

「霞寺さんの差し金か?」

「そうだ。俺が代わりに被害者を救出しに来た。……死んだモルモットの復讐だったのも、そのロッカーの中に高橋が監禁されてるのも、もう全部割れてる。罪を認めたほうがいい」

 飯田は動揺も逆上もせず、ただ黙って微笑んでいた。飯田はたっぷり三十秒ほど押し黙って、やがてゆっくりと頷く。

「わかったよ。自首する。高橋も解放する」

「本当か?」

「ああ。待ってろよ、ロッカー開けるから」

 飯田がポケットから鍵を取り出し、ロッカーを開ける。すると、意識のない一人の男が倒れてきた。近江は顔を知らなかったが、これが高橋だろう。腹には爆弾らしき黒い鉄の筒が括り付けられていた。急いで高橋を部屋の真ん中に寝かせて脈を摂ると、僅かだが脈拍があった。気絶しているだけのようだ。よかった、と一息ついたのが隙になったのかもしれない。

 視界の端で、飯田が爆弾にセットされたボタンに手をかけようとしているのが目に入った。

「ッ、待て!」

 その瞬間、目を開けていられないほどの凄惨な爆発が――起きることは、なかった。代わりに、大量の水がじゃばじゃばと降り注いできたのだ。近江も飯田も、目を丸くする。沈黙を破ったのは、校内放送から聞こえる仄の笑い声だった。

「よお爆弾魔! スプリンクラーの味はどうだ! いやー、近江に盗聴器つけといて正解だったぜ。あ、そろそろ警備員が来るころだから、近江はもう帰ってきていいぞー」

 呆然とする。そういえば、ここに来る前に仄に襟首を叩かれたのだった。そのときに盗聴器を仕掛けられたのか。近江が声を挙げなかったらどうするつもりだったのだろう? というか、どこまで読んでいた? 全くもって末恐ろしい男である。

 

 さて、後日談だ。

 飯田は警察行き、高橋は気絶させられていただけだが、念の為入院しているそうだ。

 そして、仄と近江の活躍により、寮は無事に使えるようになった。のだが、相変わらず近江は仄の部屋に住んでいる。理由は一つで、仄に心底、本当に心底気に入られてしまったからである。部屋を出ていくなら理事長代理の権限で留年にするとまで言う始末である。仄とは仲が悪い訳でもないので構わないのだが、強いて言うなら五日に一回喧嘩をする。喧嘩の様子はこうだ。

「だから、助手なんだから大人しく捜査してこいって。人のためになることなんだから、お前の得意分野じゃねえか」

「だからって女子更衣室を調べさせるやつがいるか! 女子に頼めばいいだろうに、仄、お前、女友達がいないのか?」

「お前よりかは多いわ。もうふざけんなよ近江、お前は助手失格だ!」

「俺の方こそ願い下げだ。助手になった覚えもないしな。せいぜい次の助手を探せ」

 このような具合である。ちなみに、大体翌日頃に仄の方から謝ってくる。近江という便利な助手を無くすのが大層惜しいのか、次の日の仄は割としおらしい。

 これを仲がいいと言っていいのかわからないが、まあ、仄のことは嫌いではない。

 今回の爆破騒ぎのことを、近江は時折思い出す。

「どうしてあんな事件が起きたんだろうな」

「さあな。でも、人には誰にも理解されない愛ってもんがあるんじゃねえの?」

「お前にもあるのか? 仄」

「あるよ」

 そう言うと、仄は照明に指輪をかざしてみせる。金の指輪はきらきらと光って、まるで仄の髪の色のようだった。これを贈った人間は、仄の髪の色を想ってこれを選んだのかもしれない。

「それにさ、お前が言ったんだろ? 近江」

「?」

「無償の愛を、俺が信じていなくても、お前が信じていてくれるんだろ。だからそれでいいんだよ」

 仄の言葉が、近江が前に彼にかけた言葉をなぞっているのは分かった。けれど、何故今仄がそれを口にしたのか、それはもう少し後に分かることになる。今分かるのは、近江はいつだって仄のために指輪を拾いに行くだろうことと、それを愛情と呼ぶのかもしれないということだけだった。 

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