3.夢

「初めまして。それと──ありがとう」


 すらりと立つ少女の姿には、傷の一つも見えない。

 思わず手を口へとやりながら、イルは半ば呆然と尋ねる。


「……驚いたな、傷はもういいのか?」

「うん。たぶんだけど、大体は回復したと思う」


 そんなやり取りも、怪我など感じさせないように流暢りゅうちょうだ。

 よく似た別人かと勘ぐるものの、髪色や瞳から同一の存在だと分かる。やや眩暈めまいすらも覚えつつ、イルはさらに口を開こうとして──。


「何にせよ、治って良かった──」


 ぐいと肩を掴んで、少女を自分もろとも洞窟の中へと連れ戻した。

 鈍い音が響いた直後、村から足音が響いてくる。どうにか、見つかってはいなかったようだ。服に着いた汚れを払って、イルはやって来た村人の方へと顔を出した。


「なぁ、イル! 明日のことだけど、まさか忘れてやいないだろうな!?」

「……きちんと覚えているよ。だろう?」


 収穫祭。

 普通の農村では、作物が得られたことを祝う祭りだが……当然、この村では違っている。

 人喰い村での、収穫。それはつまり、人間を捕えたことを祝うものなのだから──。


「ま、無ェとは思うけどよ? 目ぼしいが手に入ったんだったら、ちゃんと祭りに持って来いよ?」

「……あぁ、分かっているよ」


 収穫祭……それは、およそ一ヵ月に一度の催し事。

 捕えた旅人や冒険者の中でも、見目が良かったり、魔術士や神官だったりするモノを持ち寄り、村の中央に焚いたかがり火の下で食する祭りだ。

 大抵は生きたまま使われるため、祭りの最中は……生まれた頃から慣れているイルであっても、しばらくは呆然としてしまうような様相を呈する。


「んじゃ、それだけだ。おっと、そうだ──」


 そのまま村人は立ち去ろうとしたようだが、何かを思い出したのか踵を返した。

 イルの肩を強引に寄せて、きょろきょろと辺りを見渡して。それから、囁くようにこう伝える。


「──亜人あじんが手に入ったら、俺に教えろよ? いや~、前のは壊しちまったからな」


 イルが無言で頷けば、今度こそ村人の気は済んだようだ。

 ひらひらと手を振りながら、彼は上機嫌で村の方へと消えていく。


(……亜人、か)


 森人エルフ鉱人ドワーフなどの、いわゆるの人間である祖人ヒュームからは離れた存在を指す名称だ。

 数は少ないことから、収穫祭では特に喜ばれる。それも……削ぎ落した肉の戻る、再生能力の強い種族などは、村全体での宝物のようなものだ。何度でも食べられるのだから、これ以上のものはない。


(それなら、彼女は──?)

「……えっと。その、終わったの?」


 震える手を口元にやりながら、イルは洞窟へと戻った。

 入口から差し込む月明かりに、少女の顔がぼんやりと照らされている。付いていたはずの傷は全て治った、綺麗な綺麗な肌が。


「あぁ。村の人と、少し話をしていただけだ」


 彼女からは数歩だけ離れた場所に、イルはゆっくりと腰を下ろした。

 体中の力をだらりと抜いて、傍らの少女の方をさりげなく見る。改めて確認してみても、欠けていたはずの四肢も指も全て揃っていた。


(亜人。間違いなく、彼女はその類だろう。それも、傷の治りが異常に早い)


 村にはあまり関わっていないイルであっても、その特異さは理解できていた。

 明日持っていけば、間違いなく歓迎されるだろうとも。収穫祭は、村人の中でも神聖な行事だ。村八分にされていた者が、魔術士を一人持っていっただけで副村長にまで登り詰めた事例だってある。もし仮にこんな優秀な肉を持っていけば、間違いなく村での扱いも変わるだろう。


(それなら、俺もきっと──)


 指先が震える、視線が迷う。

 ただ、視界が曇る寸前のこと。コツン。うつむいていくイルの額に、誰かの指先が触れていた。


「──良かった。熱は、無いみたいだね」


 顔を上げれば、少女は自分の傍へと寄っていたようだ。

 宝石のような瞳が、彼のことをじっと覗き込んでいる。警戒の色はあるが、黙りこくっているさまを心配してくれたのだろう。少なくとも、敵意や害意は見えなかった。


「その。ひとつだけ、聞いてもいいかな?」


 強く首を振って、イルは脳裏によぎった想定を振り飛ばした。

 その様子を不思議そうに眺めてから、少女は続けてこう尋ねてくる。


「キミの名前は、何ていうの? 色々と話はしてもらったけど、聞いてなかったから」

「……イルだ。姓は無いから、適当に呼んでもらって構わないよ」

「分かった、イル」


 先ほどから分かっていたことだが、凛とした声だった。

 どこか気品があると、そう評するべきだろうか。少なくとも、毎夜のように人を生きたまま食って喜んでいる村人とは違っている。


「それじゃあ、君は?」

「私、か。私は、そうだね……」


 ただ、イルは同時にふと気が付いた。

 少女の瞳を覗き込んでみても、見えてくる感情はどこか虚ろなもの。両手を握っては開いてを繰り返し、何かを探るように視線を惑わせているばかり。

 少しばかり悩んでから、彼女は自分の名前を口にした。微かに吹き込む夜風に紛れるように、そっと。


「……私の名前は、エンド。それ以外は、殆ど何も覚えてない」


 嘘や誤魔化しの類ではないのだろう。悩むような無表情から、イルにはそう察せられた。

 何せ、あんな状態だったのだ。他に所持品は無かったし、亜人の可能性が高いものの、角や牙などの特徴らしい特徴があるわけでもない。


「ここがどこなのかも知らなかったし、私がどこから来たのかも分からない。確かなことは、自分の名前と──」


 自分の腕をそっとなぞって、深呼吸をひとつ。

 そしてエンドは、洞窟の外へと目を向ける。空の湖の底に広がる、巨大な地下空間へと。


「──外に、出てみたい。そう思ったことだけ、不思議と覚えているんだ」


 伸ばした指先は、ほのかに輝く太陽擬きよりも遥か上。

 この大空洞を抜けた先の、遠い地上へと向けられていた。


「……外、に?」


 考えたことも無かった。そう言ってしまえば、嘘になるだろう。

 イルの村での生活は、やはりお世辞にも楽しいものではなかったから。何度も何度も、村の外へ、そして地上への旅を夢想したことはあったが……。


(……いや、よそう。全て無理だったんだ)


 連れ戻されることもあったし、村の外に出る魔物に殺されかけたこともあった。

 イルは、ただの体の弱い青年なのだ。街に出てやっていけるはずがないし、地上へのトロッコの切符にも莫大な金がかかると知っている。


(それなら、この人を収穫祭へ連れていけば? まだバレていないようだし、簡単だろう。そうすれば、俺の生活も──)

「──どうかしたの、イル?」


 そこまで考えたところで、振り返ったエンドと目が合った。

 輝くような、琥珀の瞳。それは、今までに見たことのない色だ。


「……いや、なんでもないよ」


 自分の生活と、その延長線上に鎮座する現実的な選択肢と……そして、叶えたい夢。

 複雑に絡み合ったか細い糸の中で、イルは迷っていた。


「食べるものを持ってくるから、待っていてくれ」


 棒のような足を動かして、彼はこの場を後にした。

 洞窟の外は、やはり肌寒い。収穫祭は、明日の夕方に迫っている。

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