第2話 透明な棺の少女
朝早く起きた俺は小屋を出て食糧調達へと出かける。祖父は体調が悪いのかまだ寝かせてくれといっていた。特に心配ないと本人は言うが、今度街に降りた時に医薬品とかビタミン剤なんかを探してこようとは思う。もちろん街がそんな状況にないことは分かっているが、じっとしていても仕方がない。遠くのまだ煙の立ち昇る街の方向を横目に進む。でも今は飯のために頑張らねば。イノシシやシカの肉の備蓄はあるが冬に向けての保存食を作るのに多いに越したことはない。祖父は年齢からかあまり食べないが、俺は育ち盛り。苦手な山菜もしっかり食べるようにしてはいるが、必要なのはやはり肉だ。
仕掛けた罠を見て回るが何もかかってはいなかった。仕方なく目に付く山菜や薬草になる野草を見つけては背中の竹籠に放り込んでいく。
「何だろう、あれは?」
山の木々が大きくなぎ倒されている。ここまで平地のロケット砲なんかは届かないって聞いてたけど。ミサイルだったらこの辺り一体吹き飛んでいるはずだ。不発弾の可能性も頭にいれながらその場所へと上っていく。
焦げ臭い匂いが辺りに立ち込めている。木は倒されているだけでなく抉られ焦げ、赤く燃えている部分もあった。山火事にならないかと心配しながらも先へ向かう。
「ん?」
地中にめり込んでいるのだろう地面も削られた先に何かある。俺はそれに近づき慎重に石や土を払いのける。
「人……!?」
ガラス? いやこんな状態に耐えられないだろう。手で触れるとひんやりとしたその透明なまるで棺のような物体の中に、何も身につけていない少女が横たわっていた。女性の裸なんて死んだ母親以外で見たことはない。街に忍び込んだときに同世代の女の子を見かけたことはあったが、不思議とそんなときの性的な興味やちょっとした興奮のようなものは感じなかった。ただ美しいと見惚れてしまった。眠っているのか、それとも死んでいるのか……。
より覗き込んで確認しようとした時、突然眩しい光にその物体は包まれた。突然のことに驚いた俺は何歩か下がった。
「何だ!?」
すると少女と俺の間に白っぽく輝く銀色の長剣のようなものが刀身を下に向けて浮かんでいた。
『ᛈᚱᛟᛏᛟᛣᛟᚪᚾ ᛚᛁᚠᛖ ᚠᛟᚱᛗ ᚳᛟᚾᚠᛁᚱᛗᛖᛞ ᛏᚱᚤ ᛏᛟ ᛗᚪᚴᛖ ᚳᛟᚾᛏᚪᚳᛏ』
聞いたこともない言語が直接俺の頭の中に響いた。
『ᚳᛟᚾᚠᛁᚱᛗ ᚺᛁᚵᚺ ᚪᛈᛏᛁᛏᚢᛞᛖ ᛋᛏᚪᚱᛏ ᚳᛟᚾᚾᛖᚳᛏᛁᛟᚾ』
普通なら逃げ出してしまうような状況だが、なぜか俺はその剣に魅入られてしまっていた。手を伸ばしそれに触れようとする。同時に剣はふわりと切っ先をこちらに向けて俺の目線の高さで静止した。
「あっ!? ぐあっ……」
次の瞬間、銀剣は俺の胸を貫いていた。あっ、これは死んだ……。胸の焼けるような痛みとは別に頭は冷静になっていた。何してんだ俺……。剣が浮かんでるんだぜ、常識的にヤバいに決まってんだろうが……。ああ、馬鹿すぎだ。頭の中には自分が死ぬという後悔より、祖父をひとり残して逝ってしまうことのほうが悔やまれた。
「爺ちゃんの晩飯、作ってやれなかったな……」
死ぬ間際ってのは痛みも感じなくなるんだな。意識が薄れていくのを感じながら俺は前のめりに倒れ……、なかった。
「あれ?」
胸のあたりに突き刺さっているはずの剣に触れるはずの右手は何も……。胸の部分の服は切り裂かれていたが、出血も怪我もない。自分のまわりを見てみるがどこにもあの剣は落ちてなかった。幻覚だったのか? 何が起きたのか全く理解できない。俺はその場にへたり込む。それが夢でもなんでもよかった。俺はただ生きていることに安堵した。
ふと、ブーンという音がするのに気づく。
「やばっ!」
これは国軍の軍事ドローン、『ブラックホーネット』のプロペラ音だ。偵察用のそれはドローンとしてはかなりの静音だが、注意していれば自然界の音とは異なるので気づける。俺は木の陰へ転がり込み身を隠す。連中と関わってもロクなことはない。それに武装蜂起が起きているこのご時世、レジスタンスだと疑われたら一巻の終わりである。俺は息を潜めてじっとする。あれには熱感知センサーみたいなものもあるんだっけか? 祖父から教わった知識が頭をよぎる。だが、あちこちで木が燻り煙を上げているから、それに紛れてやり過ごせないだろうか。
偵察用小型ドローンは俺の真上を通過していく。遅れて数人の大人の足音。
「対象を発見。回収作業に入る」
ピー、ガーという音とともに無線で軍人がやりとりしているのが聴こえた。続いて大きなプロペラ音が近づいてきた。見上げると大きな軍のヘリからワイヤーのようなものが降りてくるのが見えた。体感では随分長い時間隠れていたような気がしたが、実際は連中は速やかに行動を終えたのだろう。あの女の子の入った透明な棺のような物体は回収されてしまっていた。
誰もいなくなったのを確認して俺は立ち上がる。
「何がなんだか……」
不思議なものを見たし、怖い思いもした。晩飯の動物もこんな騒がしい状況では遠くに逃げてしまっているはずだ。俺は肩を落として帰路につく。
軍人たちは俺達の住んでいる小屋の方へは来ていないようだ。念入りに足跡を確認しながら引き返してきたので間違いはない。祖父から教わったトラッキングの技術で野生動物さえ追える俺にとってそれは容易い。
「爺ちゃん、ただいま! 今日は散々だったよ」
まだ寝ているのだろうか返事がない。祖父の寝室を覗くがいない。歩行用の杖はベッドの横に立てかけたまま。祖父が杖なしに歩き回るはずがない。俺は小屋のまわりなど必死で探すが、どこにもその姿を見つけることはできなかった。
その日、祖父は俺の前から姿を消した。
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