第9話 重ねて重ねて

 岩を穿ち、湿った石を積み上げた暗いカレーズ(※水を引くために彫られた水路)の中を抜けたとき、あたりの眩しさにイッザは目を覆った。

 水路から水の流れる音が響き、甘い花の香りが漂っている。光にならすために恐る恐る目を開くと、水路の先、泉の中央に緑金に輝く木があった。

「こんな木、初めて見た」

 水路はタイルを重ねた傾斜のある道に続く。水を汚さぬように窪みから離れて濡れたタイルの道を滑らぬようにゆっくりと歩を進めて泉に近づく。

 まっすぐ上に伸びる葉があった。木には宿木が一つ生えて金の葉を纏っている。

 砂漠では椰子の木こそあれ、このような大きな幹のある木は珍しい。気を引かれて近づくと、彼の頬が僅かに濡れた。霧雨が降り注ぐ。

 薄い黄色の空から、輝く粒が降っていた。

 そのものは木の葉を通り抜けて泉に雨として降り注ぐ。縁をぐるりと囲んだタイルから水路の間には奇妙な生き物を象った彫刻が口を開けて水路に水を流していた。

 泉の淵を覗き込むと木の枝とイッザの顔が映る。

 カレーズを抜け砂漠でこんなに澄み通った泉を見ることになるとは、とイッザは自分の砂に汚れた顔を見返した。

「鏡みたいだ……」

 呟くと同時に彼はあることに気付いた。水面に枝の間からイッザに良く似た顔がこちらを見ている。

 顔をあげると枝の合間に1人の少女が座り込んでいた。体を覆い隠す袖の垂れた上衣を纏い、身の重さもないように長い手足が細い枝の合間に入り込んでいる。

 イッザは彼女の黒い髪が水面に届きそうに揺れているのに思わず見惚れた。

「誰だ?」

 やっと声を上げる。

「あなたこそ、だあれ?」

 彼女の黒い瞳がこちらを向いて無垢な唇が問いかけたとき、イッザはやっと侵入者が自分であることに気付いた。

「俺はイッザ、申し訳ない、ハレム(※女性のスペース)に入り込んでしまって」

 慌てて顔の前で手を振る。彼女がベールも纏っていないことに今更気づくと顔を逸らした。

 少女は気にした様子もなくモモンガかトカゲのように身も軽く枝を伝い、木を降りてくる。泉に降りると衣装の裾が濡れるのも構わず、タイルの縁まで浅黒い素足を晒して歩いてきた。

「私はナダ。あなたはええと、水泥棒?」

「違う、俺は魔術師の弟子だ、今夜客として招かれただけで」

 同じ年頃の少女と話す習慣のないイッザは視線をあちらこちらに逸らす。少女はまっすぐ視線を注ぎ、彼の顔を見つめた。

「ごめん、すぐに出ていくから」

 視線に促されるようにイッザもナダを見返す。彼女はまだ背が低く、それでいて手足は長く筋肉質だった。鼻は小さく目元は黒目がちで、少し尖った耳や柔らかい線を描く頬、そして細い首筋はイッザと驚くほど似通っていた。ナダも同じことを考えたようだ。

「私、家族以外で自分と似た人は初めて見た」

「俺もだ。ナダは他の人と全然違う」

 見つめ合うと、ナダはイッザに笑いかけた。

「どうしてここに来たの?」

 イッザはナダの目が細くなると思わずつられて顔をくしゃっとした。

「井戸から歌声が聞こえたから」

 ナダは歌い出した。井戸から聞こえた歌の通りに。霧雨が強くなり、空から光がさしてあたりに夕焼け色が降り注ぐように見えた。

「この歌、聞いたことがある……」

 イッザの言葉にナダは歌をやめた。

「私の家にずっと伝わる歌なんだ」

ナダの言葉にイッザは思わず彼女の腕をとって、その不躾さに気づくと慌てて離す。

「まさか聖地から来たのか?」

 ナダはイッザの言葉に答えずまた歌い出した。霧雨が強まり、雨が激しくなる。目を擦ってから開くと彼女の姿はなかった。泉から水が溢れ、濡れたポプラの木に雨を浴びた宿木が光り輝いていた。



 

 

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