朝日と彼女と蒼い惑星

 学校へ行くことは気が重たかった。SNS全盛期とはいえ、身近な色恋沙汰はどうしても注目を集める。


 春風は女子陣から愛されていた。具体的に言えば、自称春風の保護者は学年で10人くらい存在する。


 たかが10人かよと思ったかもしれないが、例えば自分の部屋や家、あるいは学校や職場での近くに保護者気取りの同性が常にいることを想像してみて欲しい。


 総スカンされないか不安なまま、インターホンが鳴ったので鞄を手にナイキの靴を履いた。


「お、おはよ、ゆーちゃん」


 俺は足を止めた。朝日を背負った春風の姿が妙にあでやかに映ったからだ。

 彼女は無理やり笑おうとして、でもうまくいかなくて、結局奇妙な表情になっている。


「ああ、お、おはよう。髪切った?」

「えー? タモさんじゃないでしょ? 切ってないよ」

「音流しながら階段から降りる? てれれてれー、ててれてれてー」

「あれ最近やってないみたいだね」


 マジかよ。隔世かくせいの感ってやつなのだろうか。


 春風はYouTubeが覇権を握った現代でも、いまだにセンベイをかじりながらテレビをぼーっと眺めるタイプの人種だった。

 はんてん姿の春風が、うちに来て餅をちびちび食べながら駅伝を見るのは新年の風物詩でもある。


「……でも、あれだね。付き合いだしたんだから、えっと、私も髪型とか変えた方がいい?」

「ああ、え?」


 俺は試されているのか。


 由紀ちゃん先輩がドヤ顔で語っていた出所不明のモテ男テクニックを思い出す。


「いいんじゃないか? 色々な春風も見て見たいし、試してみたいんだったら楽しみにしてるよ」

「そ、そう? えへへ」


 よし、好感触だ。ありがとう由紀ちゃん先輩。ぶっちゃけその場で適当に考えたのかと思ってた。


「……」

「なんだ?」


 春風はじぃっと俺を見上げていた。丸っこく垂れ目がちな眼差しは、彼女の名前の通りの感触。


「ゆーちゃん、筋トレとか始めたのかな」

「なんで? お医者さんから動いちゃダメよって釘刺されてんだけど」

「なんかカッコよく見えた」

「そうか」

「もー、そっぽ向かないでよぉ。寂しいよ?」

「あの、あれだ。頭にハンガーはめたらさ、首が横向くってやつ。不可視のハンガーによって横を向くことを強いられている」


 春風はやれやれと言わんばかりに息を吐いた。俺だって苦しいことはわかっている。


「むふふー……」

 すると春風は軽快なステップで俺の前まで躍り出た。


 ハンガーの向きが変わったので、俺は瞬時に真横へ移す。

 するとニタニタと嫌な笑い方をしながら、幼馴染がまた視界に収まる。


「何の真似だ。やめろ」

「ゆーちゃんわかりやすいね。萌えキャラかな?」

「俺のどこが萌えキャラだよ。好青年だろうが」

「……うん。カッコイイって思ってるよ、ずっと」

「……っ! ん、んんっ!」


 もう上を向いて歩くことにした。昔のすごい人だって涙が零れないように上を向けと歌っていたのだから、俺がこうしたっていいだろう。


「えへへ……」


 くすぐったそうにはにかむ春風。男の子なのでやられっぱなしは性に合わない。


「あー、でもあれだ。俺も春風のこと美少女だなぁといつも思ってたかも。彼女になって早朝めちゃくちゃ美人に見えた」

「私帰るね」

「おいどこ行くんだよ。そっち郵便局だろ」


 春風も不可視のハンガーに乗っ取られたようで、頑なにそっぽを向くようになってしまう。


 かくして反発する磁石のような構図のまま登校することになる。めっちゃじろじろ観られていた。


「こっち向いてくれよ。寂しいだろ」

「ゆ、ゆーちゃんからそれ言う? 私だって……んー、宇宙人に見えないハンガーを頭に嵌められて電波送信されてるから大変なんだもん」

「宇宙人はどんなこと言ってるの?」

「……わからぬ」

「そうか……」


 まあ俺も咄嗟に理由考えろって言われて、そんなディティールまで詰めることはできない。



 登校すると、案に相違して俺に人が集まってきた。


「天城、おい、もう大丈夫なのか?」


 通報してくれた友人が問うてくる。俺は頷いた。


「検査入院したくらいで、本当に後遺症もほぼ残らないって」

「よかった」


 彼は爽やかに微笑むと、自分の席へ戻っていった。前に座っている女子から、俺を見て何か言われている。天城大丈夫なん? 平気だった。あっそー、よかったぁ。


 そうなると次は野次馬の番だ。


「っていうか天城、動画見たけど、あの後、殴られたんだよな?」

「警察と救急車来てたけど、天城あれで運ばれたのよね? っていうか動画二本あって、もう片方は天城殴られるところが録画されてたって聞いたけど……」

「よくやった! 俺のツレもMOに女取られてたからさ、今はもう復縁してんだけど、それでも辛そうだったから、俺もスカッとした!」


 こいつらは基本的に善意の人たちだ。


 完璧な悪人も、そのまた反対もこの世界には存在しない。


 故に人は悪意で行動すると、その結果を問わずとてつもない自己嫌悪に襲われるようにできている。


 だから俺は、こいつら迷惑だなぁと思いながらも、ひとつひとつ答えてやろうと思った。


「MO何罪? もうムショ入れられたの? 死刑? 死刑?」

「天城くんのことは正直園宮さんにまとわりつく変なのって思ってたけど、でも、いいところもあるんだね……へへ」

「つか怪我負わされたんだから、天城からも訴訟起こしてやろうぜ。搾り取れるだけ搾り取ってやろう! 俺も協力すっから!」


 話が段々過激になってきている。


 MOがどんなに悪し様に言われようが微塵も心は痛まないが、被害者でも関係者でもない人間が死刑を望むのは筋違いだろう。


 俺は話をいさめようとしたが、


「……ぅ」


 ここに来て後遺症が襲ってくる。車酔いの酷いバージョンみたいなそれは、数秒だけだが俺から言葉と思考を奪い去った。


 それを目敏く察知したクラスメイトたちは更に群がってくる。


「天城、おい大丈夫か。やっぱ後遺症とかあんの。えぐくね? マジ訴えなきゃ駄目だろ。腹立ってきた……」

「そうだよね。天城くん園宮さん庇って殴られたんだから、ちゃんとそれに対する報酬とか受け取らなきゃおかしいし……」


 やめろ。

 悪人はあいつらだけでいいから、お前らまで、ちゃんとした倫理観と常識のあるお前らが、そんな、炎上してる奴を自殺まで追い込む連中みたいになる必要は──


 頭がずきずきとして言葉が出てこない。


「やめて」


 凛然とした声は春風のものだった。輪の外から、輪の中心の俺にまですっと切り込みが入る。


 おのずと裂けた人の壁を掻き分け、春風はみんなの前に立った。


「ゆーちゃん、殴られたから。もうやめてあげて。怖い思いいっぱいしたはずだもん。掘り返さないで」


「そ、園宮さん、や、あの……」


「みんな殴られて退院した直後に、いっぱいどうだったって聞かれたら……どう思うのかな。なんて……」


 潮が引くようにみんなは一歩退いて、互いの顔を見合わせた。


 「そうだな」誰かが言った。


 「園宮さんの言う通りだね」誰かがまた同調した。


「悪かった。天城。怖かったんだよな」


「いや……別に……」俺はしどろもどろになる。


「ごめんね天城くん、私、ちょっとハイになってたっていうか、園宮さんも天城くんも怖い思いしたはずなのに……ごめんなさい」


「っていうか俺ら、あれだな。ツレが被害に遭ったこいつはともかく、何もされてないし。MOとは、厳密には無関係だからな……」


 口々に謝って行くクラスメイト達。


 俺はほっと胸を撫で下ろした。やっぱり完全なる悪人なんて、この世界に一人もいないのだ。


「行こ、ゆーちゃん」

「は、春風。待て」

「どうしたの?」

「ありがとう。嬉しかった」

「もー……いちいちお礼言わなくていいよぉ」


 いや本当に。マジで泣きそうになったんだもん。


 まだ少しふらつきの残っていた俺は、幼馴染に手を引かれながら自分の席へ着座する。


 しばらく机に額をくっつけていると、やがてじわじわと気持ち悪さは引いて行った。


 頭が回る。考えられるようになる。


「……」

「どうした?」


 隣の女子からじろじろと見られる。確か自称保護者の一人だったはずだ。それは品定めしたいが、罪悪感や良心の呵責と戦っているようにも見えた。


「……ウチはなんも言わんから」

「主語ぷりーず……なんの話かわからん」

「もう天城と園宮さんが付き合おうが誰も否定しないと思うって話」

「……目敏いことで」

「いや、はにかみながら手引いてたら普通わかるっつーの」


 それもそうか。


 その春風も、いつも通り友達と深夜アニメの話をしていた。


 俺は再度、安堵の息を吐いた。

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