めっちゃ帰巣本能
退院してから警察の事情聴取が行われる手はずになっていた。教師陣や春風は既に終えたようで、俺がラストらしい。
一生縁のないと思っていた取調室を借りて、俺は詳しい状況の説明した。
どうやら傷害罪や薬物取締法違反、更に暴行未遂など刑事で立件できる罪状を挙げていけばキリがないらしい。更に薬物を提供していた反社とのつながりも浮上し、事態はどんどん膨れ上がっていくそうだ。
「こういうことを言うのはタブーなんだけど」くたびれた巡査は声をひそめた。背後に強面のベテランが調書をとっている。「たぶん、裁判は起こるだろうね」
「証言台に立たなきゃいけないんですか。正直、もう春風をこういうことに関わらせたくないんですけど……」
「あの動画は決定的だったし、君の診断書もあるから因果関係も立証できる。証言するまでもない……かも」
「かもですか」
「向こうは十中八九、控訴……あー……いや、更なる審査を求めるだろうから、そうしたらね」
気が重たくなる。頬の腫れが完全に引いたわけじゃないのを、俺は意識しなくちゃならなかった。
巡査は慌てて付け足した。
「ただ今日明日の話じゃないし、事件の規模がデカいから、もっと先の話だよ」
それを聞いて安心した。正直なところ、もうこういうことに関わるのはこりごりだった。
※ ※ ※
「ん?」
警察署を後にして家路についていると、春風からのLINEが届いた。
『います』
「どこにだ……」
振り返ったが、そこにいたのは死にかけの爺さんだけだ。彼はびっくりして、俺をじろじろ見ながらそそくさと去っていく。とても悲しい気持ちになった。
とりあえず合流するための場所を聞こうとしたら、同じタイミングで電話がかかってきた。
「もしもし?」
『ゆ、ゆーちゃんですか?』
「こんにちは天城雄一です。園宮春風さんはどちらにいらっしゃるのでしょうか」
『ゆ、ゆーちゃんのお部屋』
「え、なんで。こわ。え?」
『お、お義母さんにあげてもらって……ゆーちゃん待つならここがいいって』
「ああそっか。漫画でも読んで待っててくれ」
『えっちなの探しちゃお。むふふ』
「切るわ」
『あー、待って待って待ってごめんねうそうそ』
「探してもいいけど、たぶん面白いのないぞ」
こちとら小学生の頃からそばに居た存在なので、性癖の一つや二つくらい知り合っている。春風が極悪人で、弱味を握り人を脅そうとする人間なら、俺はもう社会的に破滅していただろう。
「っていうか春風」
『へ、どうしたの?』
「コンビニ寄るけど何か欲しいものあるか?」
『ど、どうしたの急に。ゆーちゃんからそういうこと言うこと初めてだよ?』
気遣ってやりたかったが、春風は空気が読めないのでスムーズな会話をせき止めてしまった。俺は「あー」とか「えっと」とかつっかえながら、何とかその言葉をひねり出した。
「いや、彼氏だし……」
『ふぇ、あ……』
「そういうの、するべきなんかなぁって……」
『あ、あ、うん……』
「なんかある」
『ゆーちゃん』
「売ってねぇよ」
春風は電話口でバタンバタンして、やがて少し音がくぐもった。ベッドの中に入ったのだとわかった。
『ぃ、ぃ、いらないからぁ、は、はやく、帰ってきて』
「わかった」
ふにゃふにゃとした滑舌を残して通話を終える。
MOが俺の足を攻撃しなかったことは不幸中の幸いだった。こうして競歩みたく急ぎ足になったとしても、あんまり痛まないで済むからだ。
母さんからの追及を
上がりかまちには春風のローファーが整然と並べられていた。普段はなんてことのないような光景が、否応なく俺へ緊張を与えた。
「は、春風」
「えっ、あ、はい」
「入るけど」
「う、うぃーっす」
「なにそれ」
まるで敵AIのメインサーバールームの前に立ったSFの主人公のような心境で、俺はドアを開く。
ベッドの上がこんもりと膨らんでいて、見事に靴下だけ出てしまっている。頭隠して尻隠さずの恒例として教科書に乗せたいくらいの光景だった。
「ただいま」
春風布団は小刻みに震えながら、腹の中で主人公が暴れている巨大生物のようにもごもごと向きを変える。頭と思しきものがこっちを向いた。
「何の真似だ」
「恥ずかしいんです。雄一さんわかってください。春風ちゃんは爆発すると言える」
「俺だって恥ずかしいに決まってんだろ。いいのか、潜り込むぞ」
「そんなことしたら叫んでやるもん」
「残念だな。お袋は『えー? やったの? やったの? お赤飯くる? お赤飯いる? 新居の頭金なら出してあげるからいつでも言ってね!』みたいなノリだったぞ。俺の怪我はほぼ心配されなくて泣きそうになった」
「なんでぇー……? お義母さん頭おかしいよぉ」
「さっきから思ってたけど何か漢字おかしくね?」
「恥ずかしいです。ここに住みます」
漢字については無視しやがった。
「住むって言ってもお前の家まで15メートルもあるじゃん。ここで食事と排泄されるの、いくら春風でもすげぇ嫌なんだけど」
「お隣さんだよ。大目に見てよぉ」
「春風の顔が見たい」
「うぇぇぇぇあああああああああああぉぉぉぉぉぉぇぇぇぇぇぇえー……」
奇怪な生物はしばらく唸ってから、やがて意を決したのか布団を持ち上げた。
中から現れた幼馴染兼彼女は、それはもう気の毒になるほどの赤面をしてらっしゃる。惜しむらくは俺も相当あれなので、恋愛耐性ゼロの恋人をからかえる余地がないことだ。
「……おかえり」
「ただいま」
「……ん」
春風は必死に俺を見上げながら、両手を広げて見せた。
その意図がわからないほど、俺は間抜けじゃない。
あらゆる意味の込められた生唾を飲み下すと、俺は恋人の腕の中にゆっくりと沈んでいく。見掛け通り柔らかい素材で出来た春風の私服と、あとは彼女の身体が比較的柔らかめであることも相まって、干したばかりの毛布に包まれているようで心地がいい。
俺は恋人との初めてのハグという状況も忘れ、不思議な安息を得ていた。
「……痛かった? たくさん、殴られて」
「いや余裕だったな」
「……そっかぁ」
「うん」
「ありがとね」
「おいやめろよ。泣いちゃうだろ」
「えー、余裕じゃなかったの?」
それについて俺は無視することに決めた。
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