肉を切らせて骨を断つ

 校舎裏は、告白というより恐喝と言った方が的確だろう。


 嫌な予感は的中してしまった。MO先輩はポケットに手を突っ込んで立っており、左右には彼と同じ種族の金髪たちがアイコスを吸ったりスマホを弄ったりしている。


 春風を囲うような構図だ。ここからじゃ見えないが、不安そうな顔をしているのが容易に想像できる。


 先輩の口元にはニタニタとした笑みが浮かんでいた。


「あ、あのぉ、も、もう辞めてくれるんですよね?」


 春風がおずおずとした様子で尋ねている。

 すると先輩は神妙な表情になった。


「悪ぃ。あの、なんつーかさぁ、園宮さんと仲良くしたかったんだけど、俺、恥ずかしくて」

「え?」


 後頭部をぼりぼりと掻きながら打ち明ける先輩。それは恋する純情な青年のように見えた。周囲の仲間と思しき男たちも、腕を組んで頷いている。


「……そうかぁ」


 俺の危惧は無用で、本当にアプローチの仕方がわからなかっただけだったのか。


 ふっとカッコつけて笑う。一抹の寂しさを感じながらも、俺はその場を後にすることに決める。同じ男として華を持たせてやるのが、潔さというものだ。


「そんなんじゃないですか」


 切り裂くような春風の声に、俺は立ち上がろうとした動きを止めた。

 スマホを取り出す。


「遊びに行こうって、原付で誘って、そんなんじゃなかったじゃないですか」

「いや、園宮さんとさ……」

「わ、私、好きな人いますから。断ります。ごめんなさい」


 ここからでも春風がしっかりと相手の目を見ているのがわかった。


「そのために来たんです。ごめんなさいって言うために」

「……ふぅん」

「約束、ですよね。あなたの求めに応じました。だからもうお店に来て店長や由紀ちゃん先輩に迷惑かけるの、やめてください」


「ケンタ、ここら辺に人いなかったっけ」突如、MO先輩の顔から表情がなくなった。


 ケンタと呼ばれたDJのなりそこないみたいな男は、下卑た顔のまま頷く。

 彼のズボンは盛り上がっていた。そこにブースを盛り上げる職業の誇りは微塵もなかった。


「リョウスケ」

「ああ、あるよ。残り四錠くらい。足りんじゃね?」

「前の女みたいに脳みそぶっ壊れない?」

「あれ今ソープだっけ。どうなってんだっけ」

「知らね。口ですんのクッソ下手だったし覚えてない。彼氏くんからも相手にされてなかったんでしょ」


 男たちの陣形が、鶴翼かくよくの陣みたいなものから、春風の四方を囲うものへと変化する。


 俺は矢も楯もたまわず飛び出したくなるのを必死に堪えながら、スマホで一部始終を撮影し続けた。右手のひらに爪がめり込んで皮が剥けていた。


「な、なんですか? あの、これおかしいです。おかしいですって」

「園宮さんってさぁ、従順そうに見えて意外と生意気なんだね」


 MO先輩は真顔のまま春風の腕を掴んだ。まだだ。まだだ。


「やめ、やめてっ! はなし、てぇっ!」


 じたばたもがく春風だが、体格差には叶わない。MO先輩はハンカチを噛ませると、仲間に叫ぶ。


「ケンタァ! バンあったっけぇ!」

「あるよー!」

「おっし行きましょー! いつも通り頑張りましょー! えいえい、おー! おいリョウスケそっち離すなって!」

「うっせ指図すんな」


 俺は録画した動画を友人に送ると、スマホを放り投げて姿を表した。


「何してんだよ」

「あ?」


 鋭い目つきがぎろりと俺を捉える。

 続いて金髪や、意外と黒髪のまま伸ばしたままの奴もいる。


 種種雑多な目線が突き刺さってたじろぎそうになったが、それでも必死に堪えた。


「嫌がってんだろ。離せよ」

「あ?」

「離せって言ったんだよ」

「いやいや、なに指図してるワケ? オタクは何よそもそも」


 友達と名乗ろうとしたが、こいつらをより引き止められるには偽った方が効果的だと判断する。さっきだって、彼氏くんというワードを楽しそうに使っていた。悪役になることについて、ある種の陶酔や興奮を抱くタイプだ。そこそこいる、小さな悪党。


「彼氏だよ」


 春風の目が見開いた。気恥ずかしいが、そんなことに構っていられない。


「あー、彼氏くん? 悪いね。ちょっと借りるわ」

「人は貸し借りできるものじゃないだろ。離せよ」


 俺は更に一歩を踏み出すと、連中の間にささやかな冷笑が起こった。

 マジかよコイツ、令和の時代にヒーロー気どりじゃん。そう言いたげなのが手に取るようにわかる。


 MOは聞き分けのない児童へ言い聞かせるように言った。


「いやあのさ、なるべくね? 穏便に収めたいわけよ。わかってくれないかな」

「何が穏便だよ」


「彼氏くん。わかってくれないかな」ケンタと呼ばれたのがずいっと出てくる。「俺らも優しくしたいわけよ。ね? このままだとアンタに時間取られてイライラしたツケをね、春風ちゃんが、支払う羽目になるの。わかる?」


 ずいぶん苛立っている。こいつらだって目撃されたら終わりだから、なるべく騒ぎを起こしたくないのだ。追い払うだけなら簡単だが、そうすると逆恨みの獣を野に放つことになって、今度こそ対処できないかもしれない。


 確実に仕留める必要があった。そのためには時間を稼ぐ必要があった。

 俺は切り札を出した。


「だっせぇな」

「あ?」


「ダサイって言ったんだよ。バイト先へ凸して女にコナかけて、相手にされなかったからって集団で拉致ってヤク漬けか? まともな男がやることじゃねぇよ」

「……おいお前さ」


 MOが春風を他の奴に任せ、一歩出てくる。俺は口の端を歪めた。怖いけど歪めた。


「体格良い割にはやることセコイんだな。あれか? 過去に女から相手にされなかったから、そうやって凄んで僕は凄いんだぞーって思い込みたいのか? 面白いなぁ! げぶ」


 拳が勢いよく飛んでくる。


 俺は倒れ伏した。


 だけど視界の端で春風が必死に首を振っているのが見えたので、脳震盪だけ起こさないように舌先を噛んで堪えることにした。


 MOは呆気に取られている仲間を振り返る。


「おいおま、おま、おい、ケンジ」

「え、おいMO、そいつどうでもいいだろ」

「うっせ、立たせろ。このガキもバンの中引きずり込むぞ」


 口の中に滲む血の味で涙が出そうになるが、それでも俺は笑みを浮かべたまま余裕のない男を見上げた。


「ぃ、言い返せないから暴力か? いたな、小学生の頃。間違い指摘されたら、大勢で指摘してきた奴攻撃してなぁなぁにする馬鹿。プライドだけ高い猿だな」

「てめっ」


 腹を勢いよく踏まれて、カレーヌードルが逆流しそうになる。


 春風が取り押さえられた時より激しく抵抗していて、男たちにも余裕がなくなっていく。何度も何度もバッシュの硬いソールを叩きつけられながらも、俺はニタニタと笑いながら先輩を見上げ続けた。


「ひ、人の、幸せを、げほっ、ねたむ……テメェの心が、卑しいっつってんだよ。小悪党が……」

「あ?」

「ネットで、炎上してる奴を叩いて、自殺まで追い込む奴らそっくりだよ……」

「──っあ、くそがきがぁっ!」


 大きく振り下ろされた拳が俺の額に直撃した。かなり痛手を被ったのか、原因不明の吐き気すら込み上げてくる。脳が激しく揺れて、視界が何重にもブレた。


 でも幼馴染が泣きそうだったから、俺はまだコイツを煽る文言を考えようとした。


 その時だった。


「おまえらぁっ!」


 体育教師の怒号が走る。見れば、動画を送った友達がサッカー部のユニフォームのままそこに立っていた。居合わせた国語教師が何かに電話しているのが見えた。


「お、おい、やべ、捕まんじゃね?」

「女どうすんだよ。つか、え? え、おい、おい、やばい、えぐいって……!」

「おいおいおいふっざけんなよMO! 普段さんざんイキって芋ってんのテメェじゃねぇかオラ! 死ねよ!」


 男たちは喧々諤々罵り合いながら走り去っていき、体育教師が後を追った。現代文は何度もつっかえながら警察に現状を説明をし、続いて救急車を手配してくれているようだった。


 春風は投げ捨てられるように解放されていた。


「ゆーちゃん、ゆーちゃん……!」


 揺さぶられると脳が震える。大粒の涙を蓄えているのを見て、俺は気の毒になった。


「……木の木陰に、俺の、スマホ」

「え?」

「あるから……あんなか、俺が殴られるところ、録画してるから……ちょっと、止めて……」

「ゆーちゃん! ゆーちゃん!?」


 幼馴染のこんな顔を見たのはいつ以来だっただろうか。


 確か園宮家の父親が、調子に乗って飲酒運転をやらかし、免停になった際に記憶がある。三が日で、年末ジャンボで50万円が当選したからかなりハイテンションだったのもあったっけ。


「おい、園宮。救急車来たから、天城放してやれ」

「や、やだぁ、ゆーちゃん、死んじゃやだよ。わたし、私、好きな人って、ゆーちゃんのことが……」


 そこで意識が途絶えた。

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