第2話 目が離せない

 体に良いからと、ヤクルート10000を一気に五本も飲んだのはさすがに失敗だったかもしれない。丸屋は激しい後悔の念と便意とに押しつぶされそうになりながら、正門から学部棟までの一本道の広いスロープを駆けあがる。ヤクルート10000によってこれでもかと活性化されている腸内活動のせいで、丸屋の足は重い。


 そんな一刻を争う状況の丸屋のリュックサックがぐいっと引っ張られる。


「ちょっと~? ウチが今チックタック撮ってんだから画角に入んないでくんない?」


 気だるげでハスキーな声。


「は、はぁ!?」


 突如として思わぬ足止めをくらったことで、丸屋の肛門事情がより逼迫したものとなる。


「だ~か~ら~! ウチがチックタック撮ってんの見たらわかんじゃん? なのになんで後ろ通るわけ?」


 はぁ~とため息をつきながら、長いつけまつ毛に縁どられた大きなアーモンド型の目が丸屋をめつける。ダンス動画でも撮っていたのか、彼女の程よく焼いてある褐色の肌を汗がしっとりと湿らせている。


「ぼっ、ボケがッ! こんな一本道で画角に入るも入らないもあるかッ」


 高まり続ける便意のせいで、丸屋の声は上ずっている。


「やば、めっちゃ早口じゃんウケる。もしかして、あーしみたいなイケてる黒ギャルに話しかけられて緊張しちゃったカンジ?」


 彼女は前かがみの姿勢になり、額に玉の汗を浮かべている丸屋をいたずらっぽくのぞき込む。前かがみになった彼女のタンクトップからのぞく豊かな二つのふくらみに、 丸屋の目は思わず釘付けになる。論点ずらしてんじゃねーよという反論は、生唾と共にゴクリと飲み込まれてしまう。


 G…いや、H? 丸屋はタンクトップの胸元からのぞく汗ばんだ谷間に目を丸くしながらも、双丘を舐め回すように観察しながら分析する。それまでの猛烈な便意は嘘だったかのように鳴りを潜めていた。


「ちょ、きんも! 見んなし、胸!」


 急に押し黙った丸屋が自分の胸を遠慮なく凝視していることをすぐに察知した黒ギャルは、タンクトップの開いた胸元の部分を腕で隠しながら後ずさる。


「おい、隠すなよ。見えねーだろうが」


 丸屋は黒ギャルの胸元から目を離さない。


「見んなつってんだし! きんもマジで! 絶対童貞だろお前っ」


「はあ~? お前もしかしてアレか~? チックタックとかで胸ばるんばるん揺らしたダンスしてるくせに、ライブ配信では絶対下ネタコメント読み上げないムジュムジュの実の矛盾人間か~?」


「は、はあっ!? 何それそんなんじゃないしっ」


「あとな、大衆の面前でキモとか童貞って人に向かって言うのは誹謗中傷だぞフツーに」


 淀みなく口を動かす丸屋の視線は、なおも黒ギャルの胸元に注がれている。


「ぶ、無礼で常識の無い振る舞いってアンタのことだろマジで! 誹謗中傷とかゆーけどさ、アンタがジロジロ胸ばっか見てんのだってセクハラじゃんフツーに!」


「そんな性的なものを見せびらかしてるお前のほうがセクハラだ馬鹿め」


 丸屋は黒ギャルが腕で一生懸命隠している胸元を穴のあくほど見つめながら、間違っているのはあなたですよと言わんばかりのすました顔で暴論を吐く。


「ぼ、暴論すぎるんだけどソレ! 馬鹿はアンタだろ! ってか、いい加減目ぇ見て話せよ!」


「ほら、そうやってすぐに口汚く罵るよなお前らギャルは。お前らギャルってさぁ、自分らが無礼な振る舞いしても大目にみてもらえるって、高ぁ括ってる節があるよな。こんな一本道でチックタック撮っておいて、俺に難癖つけてきたのもそうだ。ってのは他人様に甘ったれるための免罪符じゃねーからな」


「――っ」


 人通りの多い大学構内のスロープでチックタックの撮影をしていたことの賛否はさておくとしても、女性の胸を執拗に舐め回し続ける丸屋が明らかに悪いにも関わらず、丸屋の唐突な「ギャル論」の展開に図星を突かれた黒ギャルは思わず言葉を詰まらせる。


「まあ反省したなら、これからはもっと際どい衣装着るか下ネタコメント読むかしろよな」


 丸屋はそう言うと、くるりと踵を返して講義棟の方へとスタスタ歩き去って行く。


「ちょ、ちょっと待てって―」


「待ちませーん。俺いまから『ハラスメントと社会』の授業でなきゃいけないし。あ、おっぱい見せてくれてありがとなー」


 軽く振り返って手を振りながら、爽やかにお礼を述べる丸屋の視線は、やはり黒ギャルのタンクトップの開いた胸元を見ていた。


「アイツ、その講義中ぜってー寝てるだろ……」


* * *


「これお前だろ、丸屋」


 角田がそう言って見せて来たスマホの画面に、丸屋は軽く目を見張る。そこには、確かに自分らしき男と見覚えのある黒ギャルとが口論をしている様子が映っていたからだ。


 動画は『JD黒ギャルのブラックサンデーちゃん、通りすがりのヘンタイに説教される』というタイトルで、あの時近くに居合わせた学生が隠し撮りしているであろう画角のものだった。動画にはすでに十万いいねと二千件近くのコメントが寄せられていた。


「隠し撮りとは感心しねーな。あとせめて俺の顔は隠せよ」


「お前のこのセクハラも感心しないけどな。あとせめて性的な欲望は押し隠せよ」


「あいつブラックサンデーちゃんっていうのか。あとでフォローしとくか」


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暴れん坊青年録 ドラコニア @tomorrow1230

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