16。メルティと夜

 メルティたちがフレアボアを討伐したその夜。

 晩餐はいつも以上に豪華なものだった。

 山の主級の、ボアの討伐。

 盗賊の捕捉。

 報酬の額はかなり高くつくらしい。とは言え今日はもう遅いので、盗賊以外は明日に報告することになるが。


 その間、キツネは浮かない顔をしていた。

 メルティが巨大なボアを討伐している間に、盗賊との間で何かがあったようだ。

 今日も今日とてメルティは彼女のお風呂に付き合ったが、キツネは珍しく一言も喋らずに俯いていた。

 メルティが軽く撫でると、キツネは静かに彼女に寄り掛かった。


 メルティも内心では、浮かない気持ちだった。


 地底に眠る物の怪。

 夜にしか現れぬ霧。

 今まで、時間のかかる依頼は山ほどこなしてきた。


 が、ここまで手がかりのないものは初めてだ。

 簡単に見つかるものではないとは知っていながらも、早く見つけたいという気持ちが、少なからず彼女の心の中に生じていた。

 そう考えると、一週間という期間は本当に短い。


 これからは切替えて、どんどん捜索に回らねばならない。

 その、はずのだが……。


 メルティは、パジャマ姿のキツネを横目で見た。


 キツネは自前の枕を胸に抱きながら、黙りこんでいた。

 彼女が何を考えているのか、メルティはわからない。

 が、離れようとすると手をぎゅっと掴んでくるのを見て、図らずもかける言葉が浮かんだ。


「ええと。……今夜一緒に寝る?」

「……はい」


 メイドの一人にそのことを伝える。

 するとメイドは微笑ましげに二人を見ながら、「かしこまりました。おやすみなさい」と一礼した。


 メルティの寝室にて。


「もう、寝る?」

「……はい」

「寝ながら話す?明日のこととか」

「…………はい」

 メルティはベッドによじ登った。手を扇ぐと、キツネは小さくまとまって彼女の横に腰を下ろした。


「……よいしょ」


 ジリリと外着のチャックを開いて、肌を見せる。

 キツネファミリーの教育のおかげで、我らがメルティは漸くのことで下着を穿く習慣ができた。


 上下ともに下着一枚ずつという格好。

 暖色の照明にうっすら当たって、白雪のような素肌が仄かに色付く。


 その、孤高な芸術家が仕上げた、蝋人形の彫刻のような姿。

 ――もとい、いささか露出の多い就眠スタイルに、ひと時前まで沈んでいたキツネまでが目をぱちくりさせた。


 言うか。

 言わないか。


 迷いに迷って、ついに決心してキツネが口を開く。


「……裸で寝るのですか」


 ばふりと枕に顔をうずめたメルティが、キツネへ顔を向けた。

「ん?……いや、別に裸じゃない。下着は着ている」

「わ、わかりましたから。ぴらぴらして見せなくていいですから!」


 インナーを摘み上げて見せるメルティ。

 本人としては、キツネほど発育は進んでいない健全さならば、隠す必要はないのでは、ということだそう。

 相手が自分をどう見るかなど、彼女にとってほとほとどうでもいいのだ。


「……これは、『着ていますよ』アピール」

「しなくていいです!」

「……ようやく声が出た」

「あっ」


 キツネは唇に手を添えた。頬が、茹で上がっている。

 そして何かを心に決めると、パジャマのボタンを外し始めた。


「……なにしてるの」

「これで、メルティちゃんとお揃いです!」


 パジャマを脱ぎ飛ばしてから、それを律儀に拾って畳むキツネ。

 それから、再びベッドの海原にダイビング。

 寝ころぶキツネにメルティは布団をかけて、自分も潜った。


「……」

「……」


 二人で寝ると言った割には、言葉数が少ない。

 お互いの素肌を近くに感じながら、手を握ったり、髪をいじったりしていた。ただただ、それだけ。

 照明はすでに消え、部屋には今、霜のような月明りがあまねく降り注いでいた。

 花薫る夜風はカーテンをそっとめくり、二人を包む布団を優しく撫でる――。


 ……ぶるっ。


「……メルティちゃん、寒くないのですか?」


 情に動かされてパジャマを脱いだキツネが、今更我に返る。

 早春にこの格好は、まだ早い。


「寒くない。いつも、こう」

「風邪ひきますよ」

「カゼ……病気になったことがない。どんな感じなの」

「んー。風邪になると、鼻がムズムズしたり、咳が止まらなくなったり、頭が痛くなったり。……あと何よりお熱がキツイです」

「……キツネは、なったことある?」


「よくありましたよ、昔は。お母さんに聞いて見ると多分苦労話いっぱい聞かされますよ。咳が止まったと思えば鼻水が止まらなくなって。それが終わったと思ったら熱が上がって。熱が下がったらお母さんに伝染うつっちゃって。……私はあまり覚えていませんが、大変だったと聞いています。……えへへ」


(なんだか、楽しそう)


 キツネの思い出語りを静観するメルティ。うまく繋ぎ言葉が見つからず、「大変そう」とだけ感想を零した。


「それはそうですよー……そう考えると一刻でも早く『デジタリアの博愛』を見つけなければ、ですね。きっと、ルイザちゃんも、ルイザちゃんのお父さんも困っています」

「……お母さんは?」


 するとキツネは少し困った顔をして、「え、えぇと……」と言い濁した。


「メルティちゃんなら言っても大丈夫だと思いますが……その、ルイザちゃんがポロッと『天国にいるおかあさま』と言っていたので、……多分、もう、いらっしゃらないのだと思います」

「……うん」


 返事のしようがないので、メルティはただ頷くだけにした。

 それから「誰にも言わない。安心して」と付け足し、キツネの手をきゅっと握り返した。


「……そういえば、お団子、外しちゃうんだね」


 今のキツネは、いつもと雰囲気が違う。腰までのばした金髪が乱れて桃色の頬にかかっている。

「ああ、そのお話ですか。私、実は寝相があまり良くなくて」

「え」

「だから、お団子のままだと果実を潰してしまって、部屋中果汁まみれ可能性があるのですよ。だから……――あれ、メルティちゃん?どうして距離を取るのですか……?」


 威嚇する子猫のように、布団の中で構えるメルティ。


「……やっぱり、一緒に寝るの、ヤ」

「メルティちゃん⁉」



 一段落ふざけて、落ち着いた二人。

 もう、どれほどおしゃべりしたのかも覚えていない。


「……メルティちゃん」

「なぁに」


 ちなみに今は、メルティの背中にキツネがぎゅっと抱きつく、というスタイルである。

 あれこれポージングをしてこれに落ち着いたのだ。メルティは正直寝方くらい気にしていない上、極論寝なくても生きていけるので、キツネの好きなようにさせた。


「私、あれで正しかったのでしょうか」


 キツネの音量が、小さくなった。


「……」

「盗賊たちに治癒をかけて。捕まえて。……結局、捕まえることが出来たのは、メルティのお陰でしたけど」

 自嘲するキツネ。

 背中を通じて、否が応でも震えが伝わってくる。


「……あの人達の、お話を伺ったんです。……もう、なんと言えばいいかわかりません。とにかく……辛そうでした。だって、お子さんがいる人もいるんですよ。大事にしたい人もいるんですよ。……それなのに、盗賊だから……」


「それは、キツネがどうこうできることじゃない。それを考えるのは領主とか、国王とかの仕事。それに、ああいう行為自体褒められたことじゃない。……悪は、悪」

「で、でも……」


 メルティの言葉が、キツネの口を塞いだ。


「……【万年雪の鎖】」

「……?」


「わたしがあの時使ったのは、【万年雪の鎖】っていう魔法」。

「はい、覚えています」


 忘れるはずがない。

 目の前で、人が、氷漬けになったのだから。


「……あれは『スケイプ王子』という、雪の王国の、王子の魔法だったらしい。……最近、やたらと悪たちの声が聞こえるようになったから、いろいろ質問してみた」


 ちなみにポーチに収納されている魔法などの情報は、使用時にメルティの脳内になだれ込むようになっている。

 だから使い方がすぐにわかるのだ。


 しかし、その背景となる「物語」は、本人の口からしか聞けない。

 当然の事である。


 メルティは続けた。


「……そしたら。その魔法は、元々罪人を裁く時に時折『お遊びに』使ってものらしい。罪に比例して、鎖の威力、冷たさ、長さとかが変わる」


 キツネは黙り込んだ。



「キツネを襲おうとしたあの人は、特にすごい。それに【烏】まで、『悪人悪人』ってうるさかった。余程のことをやって来たんだと思う」


「で、でも。……子供を助けたって。孤児院に届けたって……」


「その助けられた人にとってはヒーローかもしれないけど。……盗賊なのは、変わらない」

「メルティちゃん……」

「わたしだって、人によっては悪って思われている」

「そ、そんなこと……」

「あるよ。わたしは別に、キツネが思うようなすごい人じゃない。別に、全員を救おうとも思わないし。……依頼を達成したら、逆恨みで暗殺しかけてきた人もいた。そういう人を、何度も救おうとは思わない」


「……治癒……ダメだったのでしょうか……」

「キツネは間違ってない。キツネは優しい」

「でももし、あのまま逃げて……もっと悪いことをしちゃったら……わ、私……うっ……ううっ……ぁ……」


 ポロポロと、また涙がこぼれ落ちる。


 泣いちゃダメ。

 泣いちゃダメ。

 こんなので泣いていたら、メルティちゃんと肩を並べられない。


 こらえなきゃ。

 こらえなきゃ。

 涙をこらえないと、大人になれない――。


 いつまでも、子供っぽいまま。


 なのに、なのに。そう思えば思うほど、キツネの涙は止まらなかった。

 ぐちゃぐちゃになった気持ちを抑えるように、メルティの後ろ髪に顔を押し付けた。

 深呼吸。

 嗚咽。

 もやもやしたものが吹き飛ぶまで、ずっとずっと――。


「……すっきり、した?」

「はい……ごめんなさい……もう、眠いですよね」

「わたしは平気。キツネと一緒でいい」

「……メルティちゃん」

「なぁに」

「私、子供っぽいでしょうか」

「……わかんない。優しいとは思う」

「私、泣き虫でしょうか」

「……そうでもない。泣いているところも、かわいい」

「……本気で悩んでいるんですよ、私」

「うん」

「なのに褒めてばっかり」

「そう思ったから。それだけ。……キツネ」

「なんですかメルティちゃん。それ以上褒めても、なにも出ませんよ」

「責任、負おうとしすぎ」

「……はい……」

「わたしもいる。……から」

「ふふっ……はい。……ありがとうございます」


「あと、あの烏、欲しい?」


 流れのままにさりげなく放り込まれた一言に、キツネが固まった。


「……え、カラスって。あの、カラスですか」

「うん」


 怪我人のところまでキツネを導いた存在。

【災禍の黒烏――ソル・ゾラ】。

 災いといった「ネガティブな存在」を感知して報せる烏だ。

 本来の飼い主はメルティだが、一羽だけキツネに懐いていた個体がある。


「あの子って、【カード】の中に住んでいるんじゃ」

「なんか、特殊なやつだと思う。一回出したっきり、ずっと外にいる。憑依もしてこない。……聞いた感じだと、キツネのほうがわたしよりいいらしい」


「いいんですか」

「うん。いいよ。どうせ、キツネに餌付けされているんだし」

「えっ、どうしてそれを……」

「感覚共有」

「あ、ハイ」


「……あと、寝る前にもう一つ」

「なんですか?」

「パンツの紐が切れた」

「今それ言います⁉」



 どたばた、どたばた。

 結局二人が眠りについた頃には、かなりの夜更けだった。


 次の朝。


 メルティのインナーの中に頭を埋めて、這いつくばって寝ているキツネ。

 苦しそうにグッタリしているメルティ。


 その光景とともにベッドに転がる下着を見つけた、オーリンことキツネの母親。

 何をどう勘違いしたのか、オーリンは「だ、大丈夫よ! いいの、お母さんはそういうのも認めるわ!」と言って慌ててドアを閉めた。


 その日。

 メルティは、揉みしだかれた髪を撫でながら、ただ一つのことを心に決めた。


 ――二度とキツネと一緒に寝ない、と。




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