14。メルティと火纏うボア

 沼が確認された場所をマークした簡易地図を頼りに、森を歩いておおよそ三時間。


 成果、なし。


 しかしすでに、日が下山し始めていた。


 フレムボア(炎を吹く猪)やトレント(木の魔物)といったモンスターの類いはかなり見かけたが、肝心の「デジタレアの博愛」が見つからないのだ。


 まとわりつき突進をかましてくるボア。その腹を蹴り飛ばして、メルティが顔を上げた。


「……ん?あれって」


 人格すらない相手に、キツネの特別な魔法はほとんど効かない。

 そのため彼女は今、長剣でモンスターに対応している。


 キツネは目前のボアの首を叩き落とし、血濡れの剣を軽く払ってさやにしまうと、メルティが注視している方に顔を向けた。

 ……メルティが内心、彼女の意外な力強さに驚いているとも知らずに。

「メルティちゃん、どうしました?」

「……変な音がする」


 草の揺れる音。

 枝がかすれる音。


 そしてその中に混じるのは――。


「……んー。たしかに、嫌な感じの音がしますね。地面もちょっと揺れていますし――……っ!何か来ますッ」


 キツネはこちらへ向かって来ている存在をいち早く察知すると、もう一度剣を構え直した。


 がさ、がさ。

 ばきり、ばきり――。


 緑が怪しげに波打つ。

 突風が枯れ枝を拾う。


「う、うわぁあああっ、や、やめろぉっ」


 どこからか、男の野太い悲鳴。

 まもなくして、巨木が大きな音を立てて粉砕した。

「キツネ」

 メルティの呼びかけ。

 キツネを胸で受け止めると、メルティはその場を蹴って離れた。

 粉塵を巻き上げて、大地に叩きつけられる木屑。

 これほどの地響きと、突進。

 一体どれほどの、巨体の持ち主だというのか。


 ……大きな影が、二人を包んだ。


「これは……」

「大きすぎます……!」


 見上げてもてっぺんが見えない巨躯。

 万物を貫かんばかりの長い牙。

 怒りや憎悪を具現化したような、燃え盛る蒼白い炎。


 フレムボアの数段も「格上」の存在が、そこにそびえ立っていた。


「親玉でしょうか」

「多分そう。……ほら」


 メルティが指差すのは、鬱蒼とした灌木の闇。

 そこにはたしかに、無数対の「目」があった。


 感じるのは、「飢え」。「憎悪」。……そして、「怒り」。


 メルティはその空気感を冷静に受け止めながら、キツネの前に歩み出た。


「キツネ。【烏】、引っかかった。……右。救助お願い」

「……右手方向ですね。わかりました。メルティちゃんは無理なさらず」

「うん――ほどほどに頑張る」


 それだけ言葉を交わすと、キツネは森の中へと溶け込んだ。


「……さて」


 メルティは落ち着いた呼吸で、鼻息を荒くして自分を睨みつけているボアを観察した。


(なんでこの豚は……急いでいるのだろう)


「おっと」


 気を抜いていると、横から一頭の小さなフレムボアが飛びついてきた。

 軽いステップを踏んで、避ける。

 ボアの炎の色は、白。

 その温度の高さに草花が萎れ、空気すら震えている。


(さっきの豚たちの復讐……でもなさそう)

(わからない)

(一体、何に対する焦りだろう)


「まあいいや。容赦なくいくね、豚さん」


 メルティは、さらに突進をしてくる数頭の手下をかわした。

 右へ、左へ。

 動作は単純だ。

 フェイントを軽くかければ、十分に避けられる。

 気を付けるべきなのは、むしろ大きいボアの踏み付けだ。


「……そろそろ、いいよね」


 最後の一匹。

 メルティは助走をつけた。

 鼻を鳴らしてくる小さなボアを目がけ、一蹴。

 利用すべきは、他人の蛮力。

 その小さなボアは空高く舞い上がり、そして巨ボアの頭部に激突した。

「ふごっ」

 注意をそらす作戦、成功だ。

 その隙に、メルティは樹陰に隠れた。


 ……本当なら、無視でもよかった。

 別にこれが街に向かおうが、どれほど家を潰そうが。

 メルティにとっては、どうでもいいことであった。

 どうせ、誰かが倒してくれるから。

 ――いままでのメルティなら、そう思ったはずだ。

 しかし今は、違う。

 この街が特別、好きになったわけじゃない。

 なんなら未だに、自分が今住んでいる通りの名前すら憶えていない。

 けれど、メルティはそんな場所を「守ろう」と思った。

 今までの屋根上の暮らしと、今の暖かい家庭。

 過ごしやすさではない。

 賑やかさでもない。

 ――「守りたいひとがいる」か、否か。

 それが、メルティの背中を押していた。


 もし、街が壊されたら。

 もし、キツネの家が壊されたら。

 ……キツネは、どんな顔をするのだろう。

 いや、知りたくなんかない。

 そんなこと、わたしが起こさせない。

 ともかく今、すべきことは。


 メルティは一深呼吸すると、小さな、透き通る声で唱えた。

 思い浮かべるは、一人の哀しき「守護者」。

 思い巡らすは、とある孤高の「氷の王子」。


「【忘却された巨人――ガロミヤ】……それと、【白の『駒』――スケイプ王子】」

悪意一縮マリス・ガウン】。


 ――『……ニ……ナンテ……エチャエ……キエチャエッ!……』


 身が締められる感覚。

 確かな恨み。

 メルティはそれを、今まで以上に強く感じた。

(……あれ、なんか、声が聞こえる)

(……『国』とか『捨て駒』とか言っているから、王子の方の声だよね)

(初めて使った【カード】だから……ってわけじゃなさそう)

 ここ最近、【悪役カード】との繋がりがめっきり強くなった。中に潜む声が骨の芯に響くようになった。

 しかし、メルティはそんなことを気に止めはしない。


「……ええと、王子のほう。『話』は、後で聞くから」

 それだけ言うと、強く踏ん張って樹から跳び出た。

「フゴッ‼」

 巨大なフレアボアは、メルティの方に首を向けた。

 そして、全身の白炎をより一層盛んにした。

 狙いを定めたらしい。


 ――『……ニ……テ……エチャ……キエチャエ……』

 王子の声だ。

「えぇと。スケイプ、って呼んだほうがいいのかな」

 ――『……ステ……ステゴマ……ゴマ……』

「……捨て駒にするつもりは別にない。そばに居てくれれば、それでいいよ」

 ――『……』

 耳鳴りのように響いていた「怨言」が、すっと消えてしまった。

 代わりに宙に現れたのは一つの指輪。

 メルティの左手の指に飛び込むと、ピキリピキリと氷の枝を這わせた。そしてついには、メルティの肘あたりまでを籠手のように覆った。


「ありがとう。すごくきれい」

 ――『……姫』


 さて、開戦だ。

 メルティはボアの背中に左手をかざした。

 一触。

 それは、高温と低温の結び目。

 氷の刺繍は空を縫い、火焔に触れると爆ぜた。

 次々とボアの体に刻まれていく、点下の刺青(いれずみ)。


「フゴっ!!フゴゴッ!」


 ボスが吠えるのに反応して、手下が体当たりをかましてくる。

 メルティは、一瞬だけ拳を当てた。

 小さな、断末魔の叫びがした。

 粉砕。

 頭部を失ったボアが、泥に転がる。


 その重量、荷車にも比類する。

 熟練の冒険者ですら、場合によっては命を刈り取られてしまう。

 ……が、メルティには無効であった。


 返り血を舐めてみる。

 あまり、美味しくない。

 苦い。


 メルティにとっては当然のような行動だが、ボアたちには違う映り方をしていた。

 ――死神。

 彼女が顔を向ける頃には、すでに大方のボアが撤収を済ませていた。


 ――さて、次は本命だ。

 鼻息をさらに荒げる巨大なボア。

 牙でメルティを貫こうと、突進する。

 そのコンマ数秒。


 メルティには、スローモーションのように映っていた。

【悪役カード】に、喋りかける暇があるほどに。


「……ガロミヤのほうは、なにかある?」


【忘却された巨人――ガロミヤ】。

 メルティがお世話になっている、防御担当だ。

 ちなみに先程、ボアの手下を一突きで潰したのも、【ガロミヤ】の防御力のおかげだ。


 ――『……ナイ……守ル、ソレダケ……」


 メルティが思っていた以上に、血が通った声だ。


(喋りが通じるようになって感じたけど、本当に「悪」って感じがしない人がそこそこいる……。なんで、このポーチの中に閉じ込められているんだろう)


「……そう。なら、まあいいや。……よかったら今度、話を聞く」


 ――『……待ッテル……』


 重厚感のある返事。

 それと共に、メルティを包む『目に見えぬ重みの壁』の、力強さがより一層増した。

 ――山すら跨ぐ巨人に似合った、盾だ。


 メルティはぐっと踏ん張った。

 よし。

 突っかかってきた。

 タイミングばっちり。

 メルティは前方に踏み出し、両手で盾を作った。

 競り合い。


 ――一瞬の、接触。


 音が、消滅する世界。

 草木が、蒸発する世界。


 視界が晴れた。

 ぽつんと立っているのは、小さな影。

 大きな地響きとともに、ボアの巨体は崩れ落ちた。


 砂埃を払い、メルティは一息ついた。


 その顔は、まるで何もなかったかのよう。

 気づかぬままに、アリを踏んだときのよう。


 彼女は鬱蒼とした森の奥に、光なき目をやった

 そして、誰にとなく呟めいた。


「……キツネ、大丈夫かな」

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