13。メルティと「デジタレアの博愛」
依頼の期日は、依頼書を読んだ日から数えて一週間後。
それが厳しいものになるのか、それとも余裕があるのかは、当然採集難易度によって変わる。
標的、「デジタレアの博愛」。
メルティは採取をやったことがない。
言わずもがな、この薬草に関しては無知である。
しかしキツネですらも、今回の植物については聞いたことがなかったという。
それならば、まずやることは明白だ。
情報収集である。
キツネはメルティを、自分の部屋に案内した。
大した広さではないが、大半は整理整頓がしっかりなされている。インテリアや置物も、年頃の女の子らしい色合いとデザインだ。
――と、ここまでは部屋の左半分のお話。
右側に目を向けると、そこには魔界とでも形容されるべき「地形」が広がっていた。
奥の棚には無数の本冊が山のように積み重なっており、あるところでは塔を成し、あるところでは雪崩を起こしていた。
木の実の数々。
粘液の数々。
そして、どう使うかもわからない何かの器具の数々。
さらに言えば、局地的な惨状と蔵書のタイトルを合わせて見れば、キツネのデイリーライフは大方予想がつく。
《植物について〜心理的な解析〜》
《魔獣に寄生する植物たちよ、力を我に》
《極地を占める『英雄』の物語〜草花から学べる『新しい生き方』》
「……植物に対する熱がすごい」
メルティの呟きの通りである。
キツネの趣味は既に「好き」を通り越して、もはや専門に片足を踏み入れているレベルだ。
一冊だけ拾い上げて、ペラペラめくってみて、早速考えるのを諦めたメルティは、
「キツネはすごい。まる。」
と、まとめて納得することにした。
――逆に言えば、だ。
そんなキツネですら、ピンと来なかった薬草「デジタレアの博愛」。
その捜索は、どう考えても簡単には終わらなさそうである。
「あ、メルティちゃんはベッドなどに、座っていてもかまいませんよ」
「ん、そうする」
キツネがブツブツと何かを呟き始め、完全に自分の世界に入ったのを見守ってから、メルティはベッドに腰を下ろした。
それから、ふかふかの枕にそっと手を乗せた。
メルティにも同じく部屋があるので、使っているベッドも枕もキツネと同じなはずである。
……それなのに、なぜだろう。
キツネの枕を触っていると、なんだか落ち着くのは。
「……」
ちらっと、「キツネ博士」の方に目をやる。
「んー、この本は全部覚えていますから絶対にないはずです……」「デジタレアの博愛……デジタレア……」「あっ、これかな……あ、違いますね、惜しいです……」「もう、どこにあるんですかぁ……」
集中モードである。
メルティは、手元の枕をぽふっと叩いた。
そしてもう一度だけキツネの様子を確認してから――ゆっくりと、頭を枕にのせた。
(……あったかい。いい香り)
(あ、これは、いつものキツネのかおりだ)
次第に薄れていく意識。
久しぶりに感じた、溶けるような気持ち。
メルティのまぶたは、ゆっくりと閉じていき――。
「……ふぅ、やっと見つけましたよ、『デジタレア』っ!どうやら珍しい、沼に生える花らしいです――って、め、メルティちゃん?」
「……すぅ……。……ん。ん?……あ。」
気づけば、キツネはメルティの前で、図鑑を抱えて立っていた。顔が若干茹で上がっている。
図鑑には大大とピンク色で《今夜も君にメロメロ♡〜「愛」に関わる草花総まとめ〜》とタイトルが記されていた。
「……ごめん、勝手に使った」
「私は平気です(むしろもっとその姿を見せてほしい)けど……へ、変な匂い、しませんでした?」
なんだか途中で、言葉を省略された気がしたが、メルティはスルーすることにした。
「別に、変なにおいなんてしない。むしろキツネらしい……いい香り。……うん」
そう言って、もう一度枕に顔をうずめて深呼吸するメルティ。……うん、彼女が気になる程の匂いは少なくとも感じない。
しかしキツネはそれどころではなかった。
余程恥ずかしかったのであろう――メルティを力いっぱいに引っぺがした。
「ちょ、ちょっとやっぱり、そんなに嗅がないでくださいっ。わ、わかりましたから!」
「……別に臭くないって、伝えようとしただけ。大袈裟」
「そ、それはどうもですけど……と、とにかくこれ!」
「ぶぇ」
キツネは枕の代わりとばかりに、本の見開きページをメルティの顔に押し付けた。
こうして、話題は無理やり引き戻された。
【デジタレア――人の手の届かないような森林の奥に足を運ぶと、見つかることがごく稀にある。沼の中心部に浮かび、紫〜紅の小さな釣り鐘型の花を咲かせる。この花こそが「デジタレアの博愛」と呼ばれている高級薬草の可食部位であり、高度の精神混乱、幻覚の治癒に使えると言われている。】
「高度の精神混乱、ですかぁ……ちょっと想像もつかないですね。早めに見つけましょう!今すぐにでも!」
片付けに飛び移ろうとするキツネ。
メルティは首を傾げた。
「待って。『採集可能場所――不明』って書いてある。……どこかに、あてがあるの?」
「うっ……。ついつい熱くなっちゃいました……失礼しました」
「んーん。いいこと」
メルティは少し微笑みを見せて言った。
「そういうキツネ、……大好き」
「はぅっ……」
トクン…っ、と心が波打ち、しゃがんで呻くキツネ。
当然無意識で言動を繰り出すメルティに、伝わるわけがない。
悶えるキツネから図鑑を擦り取ると、追加情報を探り始めた。
「……【生還率が極めて低く、かつ使用する場面もすくないからサンプルもほとんどない】、と。……【前回子株が見つかったのは百二十年前】。で、これもただの噂。それ以降誰もその場所で見かけていないし、もう無さそう」
「もしかしたら、この植物自体が移動するのかもしれませんね」
「あ、治ったんだね」
「私はあくまでも真面目ですよ、はい」
「そう。……で、『移動する』とは」
「簡単に言えば、これが『捕食タイプ』かもしれない、ということです。獲物を求めてあちこちをうろつく可能性がある。だから同じ場所で探しても見つからないのかもしれません」
「じゃあとりあえず……沼を回ってみる?」
キツネを見ると、困ったような苦笑いを浮かべていた。
情報が少ない。少なすぎる。
これほど探しても見つからないのなら、【デジタレアの博愛】が記述されている書物など、ほとんど無いのではなかろうか。
いきなりの難航である。
メルティの言う通り、一度、森に実際に足を運んだほうがいいのかもしれない。
――しかし、何かを忘れているような気がする。
「メルティちゃん。メルティちゃんの【カード】の中って、色んな悪がいるのですよね」
「うん。いっぱいいる」
「その中に……学者さんって、いらっしゃったりします?特に、植物学者さん」
ぽんと、手を叩くメルティ。
そういえば、完全に忘れていた。
――【悪役カード】のことを。
本来この【悪役カード】の強みとはそこにあるのだ。
つまりは、圧倒的な手数の多さ。
先日の誘拐事件の時、メルティがキツネたちの場所を素早く見つけられたのも、カードのおかげである。
「あ、でも待ってください。それを使うと、クラッとしちゃうのですよね……?それでしたら、やめておきましょう。私が言い出したのにすみません。メルティちゃんが辛いのは……私も辛いですから」
「んーん、平気。別に辛くはない。どうせいっぱい使うトレーニングは必要だろうし。……だから、やってみる」
キツネはメルティがそう淡々と言うのを聞いて、軽く下唇を噛んで俯いた。が、すぐにまた表情を和らげて頷いた。
「……わかりました。では、私は何かがあった時に、その、支えますから」
「……ありがとう。――いくよ」
メルティは目をゆっくりと閉じた。
瞑想。
思い浮かべるのは、一人の、植物界の「番人」。
一人の、無垢な少女。
「……【童心の底なし沼――ナナ】、【
ぺきり、ぺきり。
硬い種を破り、芽吹くように。
新たな命が、誕生するように。
メルティの全身に沸き上がる、違和感。
「……」
「め、メルティちゃん?」
「……れ……」
「?」
「――めるてぃちゃんってだぁれ?……あれっ、ここってどこなの〜?」
「……⁉⁉⁉」
人格が変わったように、突然動作が愛らしくなったメルティ。
――否。
これはもはや、メルティなどではない。
彼女の人格は今、武器として装着したはずの【ナナ】に占領されているのだ。
最悪の事態が、起きてしまった。
メルティは今まで、【悪意】達から受けるプレッシャーや「罪の重み」といったものを気にせず背負ってきた。
そのため、【憎悪】【嗜虐】のような類の悪に対する耐性は、かなり身についていた。
――しかし、このような「無垢すぎる」タイプの【悪】は初めてだったのである。
つまり、無防備。
……そんなメルティが、「取り憑」かれてしまうと――。
「あれぇ、お姉ちゃんだぁれ?」
「き、キツネですけど……メルティちゃん、じゃないのですよね?」
「あははぁ、なんで敬語なのー。もう、かたいなぁ。あたしのことは、ナナって呼んで?」
「はぅっ…!」
「だめ……かなぁ?」
「うっ……」
この【ナナ】が、一体どういう子なのか。
キツネには判らない。
が、メルティの身体で、その上目遣いと「指ちゅぱ」をやられては――……。
(死ねます……っ、我が人生に一片の悔いなしっ、です!)
かつて、「先生」に教わった「カメラ」なるものがあったら、今のメルティを残しておきたかった。
――そんな、衝動。
ぜぇはぁ、ぜぇはぁと荒い呼吸と、心臓の悲鳴を落ち着かせる。――「メルティは今、危険な状態にある」と自分に言い聞かせながら。
(いくら可愛くても……かわいくても、これはメルティちゃんではありません!メルティちゃんに、戻ってきてもらわないと……!)
「お姉ちゃん?」
キツネは、ガシッとメルティ(ナナ)の肩を掴んだ。
【
メルティは多分、問題ないと言うだろう。しかし、キツネはなんとかしてあげたいと思った。
彼女には、今、確かな願いがあるからだ。
(これで直るかはわかりませんが……やってみるしかありません!)
「……っ……。すぅ……はぁ……。
――【
「……あれ、戻った」
電気が走ったように硬直したメルティ(ナナ)が再度動き出すと、そこにはいつものズボラな彼女がいた。
作戦、成功である。
「はぁ……はぁ……。よ、よかったです……」
キツネは精密に広げた魔法を抹消すると、へたりとベッドに寝転んだ。
【
キツネが、とある先生に教わった魔法の一つだ。
青いプレート――これはすなわちその人の人格である。
そしてこの魔法は、相手の人格や設定を操作することができる。
条件は、自他のプレートと繋ぐこと。
「人格」が存在する相手にしか効果がない上、プレートから素早く逃げれば十分拘束から逃れることができる。
このように万能ではないが、効く相手にはよく効く。
そして今回はメルティに憑依していた【ナナ】という人格を「凍結」させて、メルティの突破力に期待した。
一歩間違えれば、凍結するのはメルティの方。
絶妙な力加減と、集中力を要する業だ。
だいぶ体力を削ってしまったが、運良く成功した。
そう、「今回は」成功したのである。
……二度、三度と同じ作業ができるかどうかは、誰にもわからない。
「……キツネ」
「……はい」
「ありがとう」
「…………はい」
メルティはキツネの横で、同じように仰向けになった。
沈黙が、続く。
先に口を開いたのは、キツネだった。
「……やっぱり、大人しく探しましょう。『デジタレアの博愛』」
「うん……そうしよう」
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