5。メルティとキツネ一家
「……キッちゃん……?ほんとにキッちゃんなの?」
「はい、お母さん、私です……!キツネです!」
「キッちゃん……!」
「お母さん……!」
ひしりと熱い抱擁を交わす親子。
キツネの母親らしき女性は大粒の涙をこぼしながら、キツネの身体を撫でて、
「どこか痛いところないかしら?」
「ほらはやく、お家に入ってお休みなさい」
と言っている。
ようやく失踪した娘が戻ってきたのである。
さすがにそこに割り込むほど野暮じゃない。
メルティはただ静かにドア横の壁に寄りかかって、親子の再会を淡々と眺めていた。
――渦巻く瞳の気持ちは、誰にもわからない。
幾分後。
一通り満足したキツネの母が、顔を持ち上げた。
安堵の顔色に、戻りつつある。
しかし長い、長い夜で彼女の精神はかなり削られていたようで、歓喜にも疲れがにじみ出ていた。
「……それで――キッちゃん、後ろの子も紹介してくれるかしら?」
はっとメルティの方を見るキツネ。
完全に泣きじゃくるのに夢中になって、メルティのことを忘れていたらしい。
気まずそうな――あるいは気恥ずかしそうな表情をみせた。
両目とも真っ赤だ。
「……ぐす。あ、え、と、その、……忘れていました。えへ……。お母さん、この子はメルティちゃん。私と――ほかにも誘拐された子、いっぱい助けてくれたんです!そ、その……と、とにかくすごい子なんです!」
身振り手振りで、なんとかしてメルティの凄さをアピールしようとするキツネ。
彼女をどうどうと宥めながら、メルティは軽く頭を下げた。
「……キツネ落ち着いて。……わたしはメルティ。メルティ・イノセント」
ちなみに目上っぽい人や、お世話になる人には頭を下げて挨拶、というのは副ギルドマスターからの教えである。
「あら、可愛らしい子ね。わたくしはキッちゃん――キツネの母のオーリンよ。今回はほんとに助かったわ。おかげさまでまた、キッちゃんとこうして居られるんだもの」
ぎゅっとキツネを抱き寄せようとするオーリン。
しかし今度は恥ずかしさが勝ったようで、キツネは、
「お母さん……私はもう十二才だよ」と言って膨れっ面になった。
そして母のほうも「それくらいいいじゃない……」と口を尖らせる。
二人のやり取りを黙って聞いてから、メルティは「どうも」とだけ言って、コートの襟で口元を隠した。
「さて、詳しいお話は後ほど、お父さんが戻ってきてからにしましょう。それでメルティちゃん、親御さんに一度、お礼を言いたいのだけれど……」
親御さん。つまり、両親。
「あー」
道中の会話で家族の話もしたため、メルティに家族らしい人は居ないことをキツネは知っていた。
メルティにちらちら目配せをしながら、なんとか取り繕おうとするキツネ。
「キツネ、大丈夫。話す」
それからメルティは、大まかな話をオーリンに伝えた。
親は特にいない(というか知らない)こと。
家もないから、基本的には屋根の上で過ごしてきたこと。
それから――今はここ、フッサ家の屋根に住み着いていること。
など、など。
彼女が話しているうちにオーリンの表情はどんどん変わって行き、最終的には感銘を受けた様子で、メルティを胸に抱き埋めた。
「辛かったのね……グスッ……よく今まで頑張って生きてきたわ……偉いわ。ほんとに偉いわ。安心しなさい、これからは何か辛いことがあったら、わたくしに頼ってちょうだい。力になるわ!」
「えーっと。……ありがとう」
と、空返事なメルティ。
頭の中では、
(あれ、屋根を使ったことで怒られるかと思ったのに。なにも言われなかった)
(なんかオーリンさん、キツネと似ている……「おやこ」、だからかなぁ)
(あでも、胸すごい。マシュマロだ。ふかふかだなぁ)
……と、考えを巡らせていた。
するとそこに割り込む声。
「あーっ、ずるいですお母さん。その役目は私のです!」
母の懐からメルティを奪い返すキツネ。
床のカーペットに座り、メルティを膝の上に乗せると、なでなでくりくり。
なんの役目なのかはもう突っ込まない。
メルティは半ば諦めといった感じで、そっとキツネに体重をかけた。
ちょっと高めの体温が、伝わってくる。
「……ん……」
(たまには、こういうのも悪くない……)
口角をあげて微笑を浮かべ、メルティは電池が切れたように瞼を閉じた。
見えるのは、黒い影。
見慣れない雨。
手を伸ばそうとしても、動かない。
突然目の前に現れる一人の少女。
真っ黒だ。
だけど、わかる。
この子は、キツネだ。
でも、真っ黒だ。
「キツネ」はメルティに目をやることもなく早歩きで去って行ってしまった。
呼び止めようとする。
あれ。
声が出ない。
手を伸ばす。
足を伸ばす。
重い。
一歩一歩が、とてつもなく重い。
ただひたすらに、頭になだれ混む悪意。憎悪。悲愴――。
どれほど時間が経ったのか。
うっすらと意識を取り戻す。
(もしかして、さっきまで眠っていた?)
(今までほとんど眠って来なかったわたしが……眠った?)
それに、さっきの夢。
夢にしては嫌にリアルで、よく覚えている。
でもそれが仮に夢じゃなくて、本当に近いナニカなら……。
メルティは自分の頬に触れた。
……濡れている。
(泣いたの?)
(……わたしが?)
(泣くってどんな感覚なの)
(全然、わからなかった)
だが、もし本当にメルティが泣いていたなら。
(わたし、なんで泣いたんだろう)
(泣くって、さっきのキツネとオーリンさんみたいな感情だよね)
メルティも、色々な場面を見てきた。
泣くことだけでも、いろんな色がある。
悲しみ。悔しさ。感動。安堵。
(わたし……悲しかったのかな)
(やっぱり、ぜんぜんわからないや)
目をゆっくりと開ける。
「んえ……?」
メルティを抱き枕にして、キツネはすぅすぅ寝息を立てていた。
彼女を起こさないように、そっと上半身を起こす。
なんだか暗いなと思えば、もうすでに夜だった。
オーリンさんが移してくれたのだろうか。
場所は……どこかの寝室のようだ。
メルティたちの上には、一枚の毛織りブランケットがふんわりかかっていた。
メルティは次に、キツネを見た。
――キツネ・フッサ。
出会いは、唐突に始まった。
マータに推されなければ、出会うこともなかっただろう。
そうなっていたら、一体……どんな未来が待っていたのだろう。
あの小太りの男がやったことは、間違いなく犯罪である。
本人がどんな理由で、どれほど苦しくても。
獲物を狩るが如く機会をうかがって、誘拐することは間違いである。
――果たしてあの中で、キツネは今みたいに気持ち良さげに眠れたのだろうか。
他の子達は?
その親は?
屋敷を出たとき、大勢の少女たちがメルティを囲んで頭を下げていた。
その時は心そこに有らずであまり聞いていなかったが、感謝されていたのだなとメルティは思い返す。
――むず痒い。
けど、悪い気分じゃない。
炎の暖かさとはまた違う。
懐かしさが、全身を駆け巡る感じ。
(そっか)
(そのムズムズってするのを、キツネから感じたのかな)
ギルドマスターのお説教とも、マータさんの可愛がりとも違う何か。
形容のしようもないもの。
出会って一日も経たないくらいなのに、もう同じ部屋で、同じ毛布をかぶって寝ている。
不思議なものだ。
(……変な顔)
何か摩訶不思議な夢でも見ているのか。
目まぐるしくコロコロ変わるキツネの顔つきに、メルティは思わず吹き出した。
そっと手を伸ばす。
「つかまえましたっ」
「!」
目をぱっちり開けたキツネに、手を掴まれてしまった。
「もー、メルティちゃん。いたずらはメッ、ですよ」
「……いたずらなんてしてない」
そっぽを向くメルティ。
「本当ですー?じゃあ今お手々を伸ばしたのは、何ティちゃんですかぁ?」
「……イエティ(※雪のモンスターの一種)」
「あはははっ、メルティちゃんも冗談言うんですねぇ」
「……」
「もう、可愛いですねぇ。キツネ(株)謹製のヴァルヴァドの実をプレゼントしちゃいまーす」
「ん、もらう」
と、そんな時。
ドアの向こうから、聞こえるノック音。
「お二人とも起きたのかしら?ほら、お腹、すいたでしょう。お父さんも帰って来たから晩御飯にするわよー」
「あ、お母さんだ。……お父さん、やっと帰って来たのですね」
どこか愉しげなキツネ。
ウキウキ顔で「はーい、いますぐ行きまぁす!」と返事した。
「良かったね。楽しんできて」
「何お馬鹿な事言っているのですか。メルティちゃんも行くのですよ」
「え」
「ほら」
キツネが差しのべた手を、じっと見つめた。
――ぎゅっ。
(……暖かい)
「そういえばさっき、変な夢を見たんですよ」
「……どんな夢?」
「雪女が電池切れでイエティになって、メルティドラゴンを飲むんです」
「イエティ被った」
「あはは、すっごい偶然ですよね」
「ゴクゴク?」
「はい、それはもうゴクゴクでしたよ」
「メルティドラゴン、液体だった……?」
「そうですねぇ、液体だったら――」
食事部屋までの一本道。
くだらないけど、ずっとずっと止まらない会話。
メルティは心の中の、中の、中の……そのどこかで、黒いナニカが溶けていく気がした。
振り返ると、さっきまで寝ていた寝室が、小指の爪サイズに見えた。
――まるで、氷がホットミルクの中で溶けていくような。
――あるいは、バターがパンの上でとろけていくような。
「ここですよ」
メルティはドアノブに手をかけた。
勢いよく開けると、ブワッと暖かくて明るい空気が、メルティの体をいつまでも包んだ。
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