第26話 最後の贄

 赤い瞳が白い空間を捉える。


 まだ眠そうな横顔が美しくも色気があった。


 ソフィーは何故自分がここにいるのかを思い出そうとするが何も思い出せなかった。


「頭が少し……痛みますね」


 苦痛に顔を歪ませる。


 起き上がり、周囲を再び見渡すが白い空間が広がっているだけだ。


「私は一度ここに来たことが……?」


 初めて見る空間になぜだかソフィーは見覚えがあった。


 その瞬間空間が歪むように激しい頭痛がすると意識が途切れ途切れになる。


「うっ……ここは……」


 白い空間から今度はどこかの地下牢のようだった。


 先ほどの白い空間は彼女の意識が完全に覚醒しきっていなかったため怒ってしまったのだろう。


 だが空間が変わる瞬間、ソフィーは奥にとある影を捉えていた。


 離れてうまく見えなかった。だがそれが人ではないことは確かだった。


「地下牢……」


 空間が短時間で切り替わる。目の前には鉄格子が埋め込まれていた。


 混乱しながらもここが地下牢であることを理解した。


 そして自身を繋ぐ鎖が手足にがんじがらめに固定されていることで自身が囚われていることも理解する。


 何故こんなことになっているのか。それは貴族であるソフィーには簡単に予測ができた。


 ──お金が目的の誘拐。


「掌握の鎖」


 彼女は思った。


 わざわざアーティファクトで手足を拘束するなんて、と。


 彼女は壊せないか必死で身をよじらせるが拘束具が壊れることはなかった。


 『掌握の鎖』はもともと魔力で暴れる犯罪者を拘束する強力なアーティファクトだった。


 だが今では人を惨めにする道具でしかない。魔力を練れない人間は凡才に等しいのだ。


「瘴気はいつも通りですか……」


 誰も寄せ付けない猛毒の霧。


 濃度は日に日に増していっている。


 あれから何日経ったのだろうか。制御を怠っていたせいか、はたまた『掌握の鎖』のせいなのだろうか。


 すでに1週間は経過している。


 制御できないことから彼女はそう推察する。彼がいてくれたら、と。この短時間で何度も思った。


「誰かの声……」


 鎖は繋がってはいるが鉄格子の近くまでは行くことができる。


 重い足を擦って両手で鉄格子を掴む。


「誰かが叫んでいるのでしょうか……?」


 奇声のような、悲鳴のような心に響く痛烈な声だった。


 もがくような激しい物音が聞こえ奇声が聞こえる。瞬間、乾いた音がするとその奇声は止んだ。


 鞭打つような何かを叩くような音は遠くからでもハッキリと聞こえてきた。


「……なんですかこの臭い」


 生臭ったような臭いに嗚咽を漏らしながらソフィーは涙を流した。


「な、なんですかこの臭い……おっ……うぅ」


 今にでも吐きそうなようす。流石に気持ち悪すぎたのか口で息をすることを選んだようだ。


「鉄……いや血のニオイですね。それも随分と放置されていたかのような」


 ここは閉鎖空間。ニオイは何日も溜まりやがて悪臭を放つようになる。


 ソフィーは滞留した空気をなるべく吸わないように後退する。


 さっきの叫び声といいこの場所にはソフィー以外の人がいるようだった。


 すると近づく足音。


 鉄格子の向こう悠々と歩く聖職者の姿が。


「はっ……!?」


 じゃらりと鎖がなる。その音に気がついた聖職者の男は牢の方へ向いた。


 ソフィーが目を覚ましているのを見るやいなやニッコリとした表情で話しかけた。


「目覚めましたか」


 見た目は20代後半と妙に若々しかった。しかしそのオーラは20代のものとは思えないほどの貫禄だった。


「あ、あのうこれは?」


 彼女は最大限警戒しつつも笑顔で応答する。


「あなたを捕らえさせてもらいました。捧げ物として……です」


「どういうことですか?」


「クク……それはあなたには関係ないことです。ああ、忘れていましたね、私はデュランと申します。格好からして聖職者……ですね。位はまだ低い方ですけど」


「ここはどこなんですか。わたくしは見ての通り瘴気を纏っています。ここが閉鎖空間であれば皆様に迷惑をかけてしまいます」


「それなら問題ありません」


 デュランは自身の唇に人差し指を近づけ言った。


「ここにはあなたと私しかおりませんので」


 しかし先ほどソフィーは複数人の声を聞いた。


 幻聴ではないはず。


「では先ほどの叫び声は一体……」


「聞こえていたんですね。精神的な負担をかけまいと配慮したつもりですが……必要ないみたいですねぇ」


 目を細めて笑うデュラン。


 乾いた笑いで心から笑っているようには見えなかった。


「つい先程まではあなた以外にもう一人の少女がいたんですよ」


「先程まで?」


「そう、彼女は贄となったのです。神を鎮めるための贄に」


 クククと笑い両手を広げる。


「贄に……それに悲鳴まで上げていましたよ。一体何をしたんですか!」


 優しい瞳の奥で彼女は怒りを露わにした。


「簡単ですよ。贄にふさわしい姿になってもらうために、片目をほじくり出して体をなぶったまでです」


 実に簡単なことでしょう?


 そう言うかのように片眉を上げてみせた。


「……しかしまあ本来なら贄というものは綺麗な体でなくてはいけないんです。白色はくしょくの衣を纏わせ神に祈りを捧げるために」


 デュランは鉄格子を開けて中へ入る。


 するとまっさらな白い布を取り出して近くにおいてある机の上に置いた。


 同時に彼女の手足を縛っていた『掌握の鎖』を外す。


「あなたは3日後です。最後の贄としての務めを果たしてもらいますから。あまり変な事を考えないようにしてくださいね? 彼女と同じ目に遭いたくなければ……クックック」


 悪魔のような表情にソフィーの背筋は凍る。


「その表情かお……美しいですね。私の大好物です」


「は、はは……少し反応に困ってしまいますね」


「しかし、こんな状況でも冷静なのはあまり気に入らないですね」


 彼は牢を出る。


 そして軽く鍵をかけておくだけであとは何もしなかった。


 彼女は魔力が使える状態で壊そうと思えば牢など簡単に壊せる。


「ああ捧げ物として神の血肉になれる彼女らが羨ましくて、胸が張り裂けそうですよっ」


 そう言って去るデュランは何かを思い出したのか立ち止まる。


「ああ、一つ言い忘れていました」


 すると鉄格子を物凄い速度で掴んで中にいるソフィーを睨んだ。


 彼女はビクッと体を震わせる。


「絶対に、ぜ〜ったいに牢から出るなどとは考えないようにしてくださいね」


 ソフィーはこれを気に脱走する事を考えていたが何かがあるようだ。


 こんなに忠告する人間が牢の鍵をかけておくだけで済ませるはずがない。


 ──罠。


「もしでてしまえば……先程の少女のように穴という穴を全てほじくり出され、穢れた棒を突っ込まれることでしょう」


 目玉のことだろうか。


 では棒とは……? ソフィーはいくら考えてもわからなかった。


「やはりお嬢様には理解できない言葉だったようです。いえ、理解しないほうが絶望はより大きくなることでしょう」


「え……?」


「何よりここからでなければいいだけのお話なのですから。それでは私はこれで。私が去ったらその服に着替えておいてくださいね」


 目を細めて笑うデュラン。忠告に満足したのか彼はそう言い残し消えていった。


「は、はい……」


 誰もいなくなった牢で一人呟く彼女。


 従順に、そして彼を刺激しないよう着替え始めるのだった。

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